第三十四話
運動エネルギーの完全制御による直接攻撃は、生身である手のひらが威力に負けないよう周辺を自ら発生させた衝撃波で保護し、同時に体中を運動エネルギーで筋力を活性化させながら打っている。例えるとすれば、瞬間的にではあるが、『王国』の強度に『怪腕』の筋力を上乗せしている。
余談ではあるが、普通に拳で殴れば当然痛む。ならばインパクトの瞬間にこちらに返ってくる衝撃を消してしまえば拳を痛ませずに済むと考えて試してみたが、結果は失敗だった。少し考えればわかる話だが、こちらに返ってくる衝撃は相手への威力そのものだ。それを消せば攻撃になるわけがない。等価交換どころか表裏一体の因果である以上、そのどちらかをなくせば、それ自体を成立させるのは不可能だ。
異能は、そんな風に試行錯誤を繰り返し、制御する術、活かす術を学んでいく。俺の場合、中国拳法の寸勁に例えられる触れた部位から運動エネルギーを流し込む方法や、前述の方法を編み出した。
そうして生み出した攻撃力は、当たればほぼ間違いなく相手を必ず倒す。それどころか、使いどころを誤れば、殺傷しかねない。それゆえ、俺は常に『制空圏』で相手の着弾位置を計って攻撃する──殺さない為に。『影縫う手』くらいなら話は別だが、必要な措置ではあるし、いくら完全に制御できるといっても容易いものではないが、失敗する事なくやってきた。今回も完璧に。
「──捕まえたぞ、優之助」
もう一度、言おう。完璧だった。『王国』は死なずに済んだ。それでよかったのだ。誰が嬉々として相手の死を望むものか。知己の仲なら尚更だ。『王国』の夢に向かって戦う姿は嫌いじゃない。俺は憶えている、初めの内は滑稽だと散々嘲笑われていた事を、それでも気にせず走り続けた事を。妹達と比べられてきた自分に負い目を感じつつ、それでも自分なりに前へ進めたのもその存在を見てきたからだと、密かに感じていた。だから──
「──忘れたかよ、優之助。俺は──俺こそが『王国』。いくらお前の攻撃でも、国がそうほいほい崩れてたらやってやれねぇだろ。だが、それを差し置いたとしても──」
掴まれた腕が動かない。まるで大地に根を張る大樹だ。『王国』のもう一方の腕が一回り大きく膨らむ。握り潰さんとしてくる拳から悲鳴に似た軋む音が聞こえる。
「──俺が倒れなかった最大の理由は、お前自身だ」
柄にもなく、どこか憐れむような表情を見せる『王国』。その顔は似ても似つかないのに、少し前に講堂で俺を詰った瞳子とダブる。そうして、この期に及んでようやく理解する。あの時は、瞳子にどうにか納得してもらっていても、本質が変わるわけではない。つまり──
「──俺が甘い、って事だな」
「その通りだ」
短く告げ、国彦が掴んだ腕を放さず振って、落とす。その腕力にあらがう術はなく、体ごと地面に叩きつけられる。手足はおろか頭まで打ちつけられ、思わず呻いた口から湿り気を帯びた土が僅かに入り込む。
痛みでしかめた顔が、口の中の不快感でさらに歪む。そんな俺にお構いなしと、振り上げては落とし、また振り上げては落とす国彦。単純に殴りかかってくるのであれば先ほどの様にカウンターを狙えるが、棒切れさながらに振り回されてはどうしようもない。
「そのまま殴るとでも思ったか? ──存外単純だな」
その通りなのでぐうの音も出ないが、そもそも上に下にと体を揺さぶられては悪態すらつけない。気分としては、体育の授業で下手な柔道技の受け身役にされた感じ。常人以上の腕力と中腰の高さなら地面に届きそうなほど長い手の恩恵ゆえか、達人級のキレはなくとも、重心が安定して崩れそうな気配がない。
「──そういえば、知っているか?」
人をあちこち転がしておいて、世間話でもするような気安さの国彦。こっちは掴まれた腕が変な方向に曲がらないか、戦々恐々しながら地面にぶつかるたびに身を固くするので精一杯と言ったところ。それを知ってか知らずか、俺の返答などお構いなしに話を続ける。
「俺達が高校にいただった世代な、時宮じゃあ、歴代最強らしいぞ。当真の長老連中が太鼓判を押すんだ。話半分としてもここ百年あたりなら、最強を名乗ってもいいんじゃねぇかと俺は思う」
──ま、あんなジジイどもに言われる前から俺が最強だとは知ってたがな、と締めくくる国彦。空也といい、その自信満々ぶりがうらやましいことだ、などと悪態の一つもつきたいところだがそんな世間話の間も国彦に隙はなく、受け身をとることくらいしか出来そうにない。
「異能の血が年々薄まっていると言われている今の世でだぜ? 現に二つ下から下は小粒すぎて誘う気にもならなくてな、最近はメンバー集めにも苦労してんだわ」
ここへ来てから聞くことのなかった後輩の名を上げながら、国彦がかなり上から目線で母校の後輩をこき下ろす。というか、こいつ卒業後もちょくちょく高校に顔を出していたのか。目的の為にマメに動ける点に置いてだけなら、本当に頭が下がる。それも、前途ある若者を武装集団に勧誘するという事に目をつぶれば、だが。
「何か、理由があるのかもな。俺達世代の前後にそれだけ逸材がそろった理由がよ──だが、それはどうでもいい。どんな奴が、どんな思惑でそうなったのか、それともただの偶然なのか、本当にどうでもいい」
それは、この件に関わった背景も込みの話か? 現状、振り回されている側(物理的にも)としては、どうでもいいの一言では納得できないんだがな。
「そして、お前が何を気にしようが雇い主がお前達をどうこうしようが、それすら全く興味がねぇ。優之助達の敵側についたのだって金払いがいいからわけだしな」
あまりにも予想通りの理由に詮索自体が馬鹿らしくなりそうになる。しかし、それなら瞳子側についてもいいだろうに。抜け目ない瞳子が国彦を誘わなかったとは思えない。
「俺が瞳子と組まないのが疑問か? 『王国』の事を差し置いてでも確認したくなったんだよ──いやな、さっきも言ったが知ってはいるんだわ。だがよ、ハッキリさせにゃならんだろ。俺達の中で誰が最強なのか? 誰の信念や想いがもっとも一等に輝いているのか、をな」
「そ──それな、ら」
「ん?」
「それなら、まず──俺を」
「倒すに決まってるだろ」
腕を掴んだ力がさらに強くなる。耐えてばかりで気づきもしなかったが、投げられている内に、最初の位置よりだいぶ移動していた。それは偶然ではなく、
「さあ、そこならどうだ」
引きずられながらも見えたのは、土が払われ、岩盤という地肌がさらけ出された地面。今度は土ではなく石の上に叩きつけるつもりか。比較的軟らかい土の上ですら、体のどこもかしこも打ち身と痣でかなり痛いのに、それが石となると即座に戦闘不能になりかねない。
しかし、抗おうにも、馬力の差に圧倒的な開きがあってうまく抜け出せない。残った『優しい手』も警戒された上、そもそも一撃なら耐えられる『王国』相手に下手な攻撃はさらなるピンチに繋がりかねない、正にジリ貧。腕一本掴まれただけで近接をこうまで潰されるとかなりショックだ。
「さぁ、どうするよ優之助?」
と、問いかける国彦だが、呑気に打開策を考えている余裕はない。すでに百八十ある俺の体がゆっくりと地に足がつかなくなっている。地面についてようが、いまいが、運動エネルギーの完全制御による攻撃に不都合はない。だが、選択肢が一つしかない以上、向こうの優性は変わらない。
「──まだ、踏ん切りがつかねぇのか。相変わらず変なところで火付がわるいよな。ま、いいや、これは俺なりのサービスだ」
と、ここで国彦が不自然に言葉を区切る。らしくなく持って回った態度に少々不審なものを感じる。
「優之助、この件に──」
その言葉が国彦の口から形作られた瞬間、自分の体中から力が抜けるのを感じる。この程度か、と苛立ちを隠さない『王国』は躊躇いなく俺の体を岩盤へと叩きつけようと振りかぶり、抵抗しない体は纏わりつくように『王国』に被さる。
ほんの一瞬の静止から重心を置きざりにする加速を伴って、俺の体が地面へと迫る。真っ先に到達したのは、投げ出された様に突き出された『優しい手』。固い岩盤と力感のない成人男性の腕、双方がぶつかれば、後者が肉塊になるのが目に見えている──異能がなければ、そうなっていただろう。
不自然な破裂音が辺りに響き渡ったのはその時だった。
音の源は岩盤の表面と内側。結論から言えば、『王国』に即席の落とし穴へ埋めたと同じ手段。しかし今度は、柔らかい土の層を掘り出したのとは違い、純粋な破壊力で大穴を開けている。つまり、叩きつける対象も、足場もない。
「やってくれたな!」
言葉ほど悔しさはなく、それどころか今まで以上に獰猛に顔を歪めた国彦が溜めに溜めた拳を振るう。握り拳を威嚇にとどめ、投げ飛ばし、痛めつける事に終始していたが、ついにここで本命のカードを切り、勝負に出る。
対する俺は掴まれた左と、大穴を開けたばかりの右、両腕が防がれた格好。自ら受けた『優しい手』を返さんと狙いは同じく中段。火事場の腕力と鉱物と同等以上の硬度がただの生身を襲う。
過去に喰らった拳は奇跡的に打撲で済んだ。再び同じ場面に立ったのならどうするか? 奇跡待ち? いや──
「──異能で防ぐしかないよな」
そう独りごちて、眼前の相手に向かいその体を晒す。
「ははっ! それだよ優之助。やはり煽って正解だったな!」
これ以上ないほどに愉快そうな『王国』。出し抜かれてなお、むしろそれが嬉しいとばかりに。左手は変わらず拘束されたまま。右手も間に合わなかった。当然、防ぐもののなく無防備のはずの胴体。しかし、それを打ち抜かんとする『王国』の拳が俺の腹部に触れたまま、微動だにしない。
そこに広がるのは、まるで『絶対手護』で止めるに似た光景だった。




