第三十話
「……いたた」
体のあちこちから訴え出る痛みに顔をしかめながら思わずつぶっていた目を開ける。所々焼け焦げた生徒会室を横目にしながら、自分が無事である事を確認する。
「守らなくていいって、言ったのに」
「……それは自身が襲われないと推理しての話のはずです。違いますか?」
私に覆い被さっていた凛華がくぐもった声でそう言って返す。それに対して反論しようと口を開かけた矢先、全身が弾かれた様に地面から天井へと持ち上がる。
当然ながら私の意志ではなく、上に乗っていた凛華が片足だけで跳んで見せた結果である。天井に到達すると間髪入れず、今度は入り口側の壁へ向かって蹴り足に力を込める。接地したら次へ次へと跳んでいく、地面も壁も天井すら関係なく。それは『空駆ける足』篠崎空也が食堂で見せた室内での全方向移動。
オリジナルと比べると蹴った後の壁や床は轟音と衝撃で震え、柔らかさの欠片もないが、向こうは何もない空間ですら足場にして跳べるのだから比較そのものがナンセンスなのだろう。それより人を抱えながら教室より一回り広く、そして高く設計された天井まで届くほどの跳躍力を発揮するあたりはさすが生徒会が誇る『怪腕』の真田凛華と言うべきだと思う。けれど、今の私にそれを称賛する余裕などあるはずがない。私の体を自らの背中に回し背負う形にしようとする凛華。
いつまでも前に抱えたままでは動きにくいゆえの判断(そうでなくとも片側は刀で塞がれていて腕一本で私を支えている格好で輪をかけて動きにくいはず)、しかしあちこち跳びながらする体の入れ替えはいくら凛華がしっかりと掴んでいるとは言え、振り回されている事に変わりはなく、口からは呻きに似た吐息しか出ない。
そんな手荒い扱いにも拘らず、私が凛華に不平を言わないのは、そうする事でしか侵入者の攻撃をかわせないと理解しているからだ。生徒会室内のいたる所にできた焦げ跡と凛華が跳んだ後を一瞬遅れて弾ける花火に似た"それ"が私に高慢を許させない。
──それは電気を操る異能。どれだけの出力・応用が利くのかは今の所不明。わかるのは、狙いに入らないよう動き続ける凛華を視線で追うだけという事から念じるだけで発動できる点、そしてかわせているとは言え一瞬前に凛華の居た位置を正確に焼いている点、つまり指一つ動かさなくても正確に狙い、そして制御できるようだ。
そんな強力といえる異能を凛華がかわし続けられるのは、おそらく凛華の脚力とノーモーションで発動する電撃、そのどちらも"速すぎる"から。
それこそ光の速度で狙った場所に電撃を与えられるといってもトリガーは異能者本人の意思、つまりは反射神経に依存している。念じるだけでほぼノータイムで発動する異能と周囲の空間をすべて利用して移動する凛華の運動能力にその反応速度がついていけないのだと思う。凛華の通った跡に次々と、やがて生徒会室のそこかしこに紫電の花が咲く。
「──隙を見て部屋から出ます。もう少し辛抱してください」
凛華が小声で私に告げる。女生徒に気付かれない為、そして言葉通り向こうの隙を見逃さないように、こちらを一顧だにせず女生徒を見据える。私も意図を汲んで肩に回した腕に力を込め、同意したと伝える。それを受けた凛華の踏み込みが一段と強くなり、室内が地震でも起きたかと錯覚するほど机や本棚が揺れる。
「(後の掃除が大変ね。……いや、工事が先に必要かも)」
凛華の『怪腕』によって建物の強度が落ちているというのもあるけれど、侵入された際に防犯システムも打撃を受けている。程度は実際に見ないとわからないが、十中八九で修復不能だろう。新学期早々頭が痛い。
「っ!」
私の呑気な内心とは裏腹に凛華が片手で机の端を掴んで女生徒に向かって投げて飛ばす。マボガニー材でできたアンティーク調のデスクは人一人分の重さはあるであろう生徒会長が使う備品として私が密かに気に入っていた一品。それが無体に扱われるのにショックを覚えるが、あれならば電撃で止めるのは無理だ。
「──」
女生徒の口元が何事かに形作られるが、距離をとっている私には聞きとれない。しかし凛華の投げた机をどうにもできない事には違いないらしく、体を机が飛んでくる射線上から避難させる。
止めるものなく飛んでいく机は女生徒がいた位置の後、つまり彼女が塞いでいた生徒会室の扉に直撃し、蝶番の外れた扉を巻き込んで廊下へと到達する。
一方、凛華は机を投げたと同時に一本指歩法で出入り口へと走り出していて、既に足が廊下に届いていた。女生徒からは飛んできた机で私達は見えなかったはずで、仮に凛華の企みに気づいていても電撃では机を撃ち落せない以上、かわすしかない。その分だけこちらへの対応が遅れ追撃される危険性を減らすという算段。
そしてそれは成功し、あとはここを出て平井さんや桐条さんと合流するだけだ。エレベーターの横には災害対策用のシューターがあるので即座に脱出出来る。
「(そうだ。二人に連絡を──)」
「──無駄な努力ご苦労様」
爆発的な加速で狭まった視界が突如、斜めに傾く。──倒れる。瞬間、理解した結論で思わず固くなった体に浮遊感。凛華が共倒れにならないよう私を投げたのだと、着地に失敗して尻餅をついた衝撃と一本指歩法の加速を殺しきれず、壁に打ち付けられる事でようやく止まった凛華の状態とを比べてから遅まきに気づく。
「り、凛華……」
尻餅による痛みに顔をしかめながら声を掛けるが凛華からの返事はない。完全に意識を失っている。怪我の程度を確認しようと凛華に近づくと右足が不自然に痙攣している。
「一度や二度まぐれでかわせただけで調子にのりすぎ。こっちはわざと当てなかっただけだつーの」
軽薄な口調で凛華を蔑む。声の主を睨みつけようと見上げるとつま先が私の顔面スレスレまで迫っていた。息を飲む私をいやらしく笑う女生徒。眼前で留まっているつま先を軽く揺らしてこちらの反応を伺っているかと思えば、どこに笑いどころを見出したのか、再び顔が笑みに歪む。薄々感じていたけれどこの女、かなり性格が悪い。
「どうしようかなぁ。……ねぇ、どうしてほしい?」
「……とりあえず、私達を通してくれると助かるのだけど」
「お願いします、は?」
「お願いします」
「オウムかよ! そこはもう少し工夫しろよ──あるだろ? それなりの態度とか言葉遣いとかさぁ!」
「(まず間違いなく、目の前の女には言われたくないわね。特に言葉遣い)」
だが、それで目的が果たせるのなら、いくらでもへりくだろうではないか。無力な私にはプライドより先に取るものがある。その為ならば、向こうのいいように踊ってやろうと思う。私は地面に額をこすり付け、あらん限りの大声を張り上げる。
「──哀れで矮小な私にあなた様のご慈悲をすがる事をお許しください」
「うわっ、ホントに言っちゃたよ」
返ってきたのはわざとらしいリアクションと嘲りの声と予想通りの結果。わかりやす過ぎて地面を至近距離で見つめている屈辱的な状況にも拘わらず可笑しさすら覚える。
──ギリっ、と耳の奥から聞こえた気がする。それは私の奥歯を噛んだ音か、それとも私の頭を踏みつける音だったのか。
「必死過ぎてなんかヒく……って理由で却下」
「もう少し捻りなさいよ」
「……随分と余裕じゃない」
私の態度が気に障ったのだろう。頭を踏みつけていた足を上げ、今度は肩をすくい上げるように蹴る。私とさほど変わらない体格から繰り出された蹴りは思いの外強く、私の体を仰向けにさせる。痛みで呻きながら目線を上げるとスマートフォンを構える女生徒の姿。
「あぁ、これ? ちょっとした小遣い稼ぎ。あんたみたいなのを痛めつけた動画って売れるのよ。ま、あたしにはそんな趣味はないけど」
「──まるで説得力のない台詞ですね。稲穂」
まるで私の心を読んだ一言と共に人影が仰向いた私の上を飛び越えて走る。稲穂と呼ばれた女生徒は一瞬何かを躊躇して反応が遅れる。人影はその隙を見逃さず、スマートフォンを持った側の手首を取り、体の外側へ押し倒す様に捻る──合気道でいう所の小手返しだ。
「……もっとも、そのおかげでこうして接近できたわけですが」
「誰が名前呼びを許したよ要芽ぇ!」
今までとは打って変わってドスの利いたアルトで威圧する女生徒を意に介さず、平然と関節を固めているのは天乃原学園生徒会副会長、平井要芽。私は平井さんの足手まといにならないよう、肩の痛みに顔をしかめながらも、二人から体を遠ざける。
「エレベーターが停止していたので時間が掛かってしまい遅れました」
「充分よ。むしろあれでよく気づいてくれたわね」
未だに痛みの引かない肩をさすりながら、生徒会室のドアまで近づき、所々擦ったあとのあるアンティークデスクの足元に転がっていた携帯を拾う。端末には通話相手の名前──平井要芽──と通話終了の表示。生徒会室を出た時に連絡を取ろうとした名残だ。凛華に投げ出された際に思わず手放してしまったが、直前に繋がったのを見ていたので平井さんなら異変に気付くだろうと見越して時間を稼いでいたのだ。
「いつまで触ってんだよ! 離れろこのブス!」
そう悪態をついた女生徒の手からスマートフォンが離れる。痛みで持てなくなったのか? しかし、抑え込みを解除して大げさと言えるほど距離を取る平井さん。離れるか離れないかという瞬間、女生徒の体が電流に包まれる。もし一呼吸遅れていたら感電、いや黒焦げになっていても不思議ではないほど高出力の電撃。
「……あれだと、機械関係は身に着けられないわね」
「えぇ、だから、今まで全力を出していませんでした」
平井さんが冷静に解説する。念じるだけで発動する遠距離からの電撃ならばともかく、ああも電撃を身に纏っているとこちらからは攻撃できない。
「で、どうやってこの場を切り抜けるのかしら?」
その質問に答えず、平井さんは無言で一歩前に出る。それとは対象的に女生徒が纏う雷は使い手の心象を雄弁に語るように一層激しさを増していた。




