第二十三話
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「急いでください」
「私なりには急いでいるわよ」
何度目かなど数えるのが馬鹿らしくほど繰り返す当真晶子の言葉に辟易しながらも我ながら律儀に返す。
凛華達とは違い、一般の高校生と変わらない体力の私が無理に走った所で劇的に速度が上がるわけもなく、むしろ結果として遅くなってしまう。ならば、ほどほどの速さを維持しながら下りる方が効率がいい。
当真晶子もそれがわかっているはずだけれど、今みたいな繰り言は止む事はなかった。おそらく釘を刺しているのだと思う──手を抜く事は許さない、と。
「(それこそ、言われなくてもわかっているわよ)」
東屋の電灯を切り落とした張本人を一瞬横目で見ながら私の足は山を下りる道を(私なりではあるけれど)順調に進んでいる。
天乃原学園生徒会がコテージを目指した時、学園から頂上を経由したルートを利用したが、当然ながら反対側の麓からでも目指す事はできる。現在、私達が通っているのは数あるルートの中でもジョギングに特化したコースで他より遠回りになる分、傾斜はなだらかで夜でも利用できるよう電灯が所々整備されている。
「(それに──)」
他よりも車道に一番早く辿り着ける。こんな強硬手段に出たという事は車の用意をしている(というより、ここへ来た時の足をそのまま待機させていたという方が正しいと思う)はずだ。
手際の良し悪しはともかく、行き当たりで出来る事ではない。明らかに事前の打ち合わせの上で計画されている。……計画するなら私を走らせるようなプランは立てるな、とは思うけれど。
「ねぇ! 仮に私を連れ出せても意味がないのは御村も言ったでしょう? ここまで来て言うのもなんだけど、無駄になるわよ」
「黙って走りなさい」
当真晶子は言葉少なに私を追い立てる。彼女、こんな感じだったかしら? と、首を傾げたくなる。昼──いや、広場に着いた時と比べて様子がだいぶ違う。
見下しているのがバレバレの外面と容易く言い負かされる割に前へと出ようとするつまらないプライドとおよそ上に立つには向かない印象しかなかったけれど、今はあの迂闊さと組みしやすさが微塵もない。と言ってもしたたかになった感じではなく、単になりふり構わなくなっただけなのかもしれない。
外面を取り繕う事なく、妙に無言な当真晶子をもう一度視界に入れながらそう思う。何にしても癪ではあるけれど、今は従うしかない。当真瞳子と同じ芸当ができる彼女と真正面からやり合うつもりのは無謀でしかない。徐々に息が上がる感覚を味わいながら、“あの言葉”を思い出す。
──もうすぐこの茶番は終わる。何もしなくても優之助が終わらせる。
東屋に凛華と桐条さんを運んだ刀山剣太郎がなぜか同道していた当真晶子に聞こえないように告げた一言。おそらく刀山はこうなる事がわかっていたようだ。ただ、わざわざ私に漏らしたのだから当真晶子の味方というわけでもないらしい。
背景はわからずとも、妙に信用したくなる言葉を残し刀山は広場へと戻り、これもおそらく予定に組み込んでいたであろう当真晶子が電灯を切り落とすデモンストレーションをもって、目を覚まさない凛華と桐条さんを盾に私を無理やり同行させて今に至る。
「(……助けに来るのなら、なるべく早くお願いしたいわね)」
いくらなだらかと言っても、下り道を走るのは肉体労働に向かない私の足には相当な負担になっている。呼吸も維持し続けるのが難しくなってきた。正直な所、出来れば休みたいが、後ろにいる当真晶子がそれを許さないだろう。
意外にも私とは対照的に息を切らす様子もなく、平然と付いてきている。どことなく講堂の時の当真瞳子に似た目は私が妙な真似をしないよう油断なく見据えている。改めて本当に先程とは別人だと思う。
そうこうしている内に、コースの外側には足元を照らしているものとは別の光が等間隔に並んでいるのが見える。車道が近いのだ。
「……もう少し、もう少しで……」
かすかに聞こえるのは当真晶子の呟き。抑揚のないが、どことなく熱に浮かされたようなその声に危ういものを感じて、ますます“あの時”の当真瞳子とダブる。けれど、一方で違和感も残る。
うまく言えないが、当真瞳子は自ら進んで取り込み乗りこなしているが、当真晶子の“それ”は振り回されている風に見える。……いずれにしても迷惑である事には違いないが。
「──悪いが、そちらの思い通りにはいかねぇよ」
さほど大きくないがよく通る声が私の乱れた吐息を押しのけて耳へと届く。次いで私の腰に包み込むような感触。横から抱えられ、持ち上げられたと気づいたのは私の体が地面と平行になっていたから。見た目、丸めたカーペットを担いだ感じに近い。
「……助けられて言うのもなんだけど、もう少し見栄えのいい方法はなかったの?」
「わかっているなら文句を言うなよ。不恰好なのは理解しているんだから」
肩越からでは表情は見えない。見えるのは地面と相手の腰、抱えたはいいが、どこに持っていけばいいか少し戸惑っているのがわかる手のひら。
「今の状況ならどこに手をやっても事故で済むわよ」
「……というか降りろよ」
油断なく当真晶子を牽制しながら御村はぶっきらぼうに返す。どこで付けてきたのかいくつかの葉と花びらを落としながら。
「今更、私の扱いをどうこう言うつもりもないけど、もう少しマシな助け方はなかったのかしら?」
「仕方ないだろ。動く対象を横からかっさらうには体割り込ませて担ぐ位しか思いつかなかったんだから。それともなにかお姫様抱っこで助けろと?」
「……柄じゃないわね」
だろ? と御村が肩を竦め、動いた分だけ連動して私の腹部をくすぐる。突然の出来事で感覚が麻痺していたけれど、よくよく考えてみれば坂道を走る私に体当たりしたようなものにも関わらず、どこも痛んだ様子がない事に気付く。強いて言えば、御村が付けてきた砂埃で服が少々汚れたくらいだ。
対して、淡い電灯が照らす御村の体に目を向けるとさっき落ちたのとは違う種類の葉が所々纏わりついている。舗装された道を通っていれば絶対に付く事のない汚れ。見た目の扱いはともかく、御村が色々配慮しているのがわかる。
「……一応、礼は言っておくわ」
「それはどうも」
私がどう返すのかわかっていたのか、御村は気分を害した風もなく私のぞんざいな謝意を鷹揚に受け取る。あしらわれている事に引っ掛かりはあるが、助けられた側である今の私にはどうにも分が悪い話である。当真晶子がどう動くのかを警戒してしながら、私を手早く肩からおろし、昼の食堂であった時の様に自らを矢面に立たせる御村。完全に彼のペースだ。
「どうしてこうなったんだ?」
「それは私が聞きたいわね。凛華と桐条さんを運んだ刀山がいなくなったら、一緒に山を下りろと脅されたのよ」
「電灯を斬ってか?」
「電灯を斬ってよ」
おそらく御村が私の口から確認したかったのはその部分だったと思う。つまり“誰”が“どうやって”電灯を斬ったのか。もはや理由を求める事に意味はない。後始末は天之宮や当真の領分。この場をどう凌ぎ、切り開くのかで御村は動いている。
「原理はわからない。けれど彼女はやってのけた──当真瞳子と同じ事を」
その時、当真晶子の唇がわずかに笑みで形作られるのが見えた。
合わせて、当真晶子の周りの風景が歪む。蜃気楼でできた粘土をこねた様に“それ”は丸め、引き伸ばされ、その姿を表していく。半透明ながらもはっきりとわかる長柄の刃物──いわゆる薙刀──の形に。
「“あれ”よ。電灯を斬り倒したのも、護衛がいなくても余裕を保っていられる根拠──いえ、あまり頭のいいとは言えない手段に打って出た理由と言い換えればいいのかしら?」
「どう見ても危ない状態の相手にそういう挑発はやめろよ。標的になるの俺なんだから」
次々と新たな薙刀を生み出していく中、私のからかいも御村の緊張感のない態度も眉一つ動かさない当真晶子。もしかすると私達を気にも留めていないのかもしれない。どこを見ているかわからないその目には生み出した架空の薙刀が放つものと同じ怪しい光が映る。
薙刀の光が反射しているのか、自身の目から発しているのか、どちらかは定かでないけれど、その二つが一連の事象によるものだとはもはや疑いようのない。
「……どう思う?」
「どう思うとは?」
当真晶子に聞こえないよう声を潜めて(今の当真晶子に意味があるのかはともかく)、現状についての意見を御村に求める。だが、当の御村は間抜けなオウム返しで目の前の当真晶子に対して妙に歯切れが悪い(というより察しが悪い)。
「(考えてみれば、こっちも変よね)」
私を当真晶子から引き離してから今まで、御村の態度がどうも軽い。いや、緩い。先程も私の挑発に乗っかったのではなく、単に素の反応だったのだと今になって気付く。
「ちょっと! 今の状況わかってる?」
「と言われてもな。とりあえず会長確保できたし、問題ないんじゃないかな?」
私が焦っている事を理解しているが、何に焦っているのかわからない。当惑している理由を御村はその声が余さず私に伝える。意思の疎通はこれ以上ないほど良好なのに、どうしてこうも隔たりがあるのか、軽い頭痛を覚える。そんな遣り取りの間にも薙刀の数は増えていく。
その数は当真瞳子が生み出した時より多い。そんな大量の刃が私達を包囲しつつあるにも関わらず、御村は気にした風もなく、その態度が揺らぐ事はなかった。
「──天之宮姫子を置いてここを去りなさい」
当真晶子の感情のこもらない冷えた声が取り囲む刃の代わりに私達の耳に切り込んでくる。それは交渉の余地はなく言わば命令。少し前の彼女に対してなら鼻で笑う所が、今は背中に冷や汗が流れるほどの緊迫感に包まれていた。
「……御村、癪だけどここは引いてもいいわよ」
自分のものとは思えないほど、重々しい声が夜の山道を通り抜ける。御村が負けるとは思っていないが、私を守りながらではまともに戦えないのは目に見えている。そう、勝てるはずの相手に私と言うハンデがある為に要求を飲まざるを得ない。私が力及ばず負けるのならともかく、私が原因で他者に負けを強要する。それが私の気持ちを重くさせる。
「……」
御村は答えない。私を庇うように立っていて、その背中越しからでは表情は見えないが、下がる様子もない。迷っているのだと結論付けた私は自ら当真晶子へと歩を進める。私の選択にも当真晶子の表情に浮かぶものは見当たらない。これで勝ち誇るなら、つけ込む隙の一つくらいうまれるものだが、それもなさそうだ。
「(……まぁ、どうにかなるわね)」
そんな後ろ向き気味のポジティブ思考に浸りながら、御村の横を通り抜け──ようとして足が止まる。腕をつかまれたからだ。
「何?」
「少し、落ち着け会長」
腕をつかんだまま放さない御村を知らず睨む。だが、御村は怯まない。それどこか聞き分けのない子を諭すように私に語り掛ける。
「なぁ、まさか俺が彼女に負けると思っているのか?」
御村が言いながら指差したのは当真晶子。気負いのないその態度に頼もしさを感じるが、そういう問題ではないと、私は首を横に振る。
「私の存在を忘れてるわよ。この状況で守り切れるわけないじゃない」
当真晶子の生み出した薙刀はすでに道の両端を十重二十重と敷き詰め、立ち塞がっている。戻る事も、突っ切って先に進む事も、御村がしたように道を外れて怪我を承知で坂を下る事すらできない。この包囲網を御村一人でならともかく、私を守りながら突破する事は無理だ。だが、そんな私を御村はため息交じりに再度諭す。
「……よく見ろ。あの薙刀を。瞳子──当真瞳子の“殺刃”を見た時と比べてどう思う?」
「どう、って……」
「当真瞳子の“殺刃”がなぜ刀の形だったのか。それはあいつにとって、殺意や害意、相手を攻撃する為のものをイメージした結果、それが一番身近なものだったからだ。古流剣術当真流の師範であり、真剣を肌身離さず手にしてきた。そんな瞳子だったからこそ、“殺刃”の形は刀だった。じゃあ、“あれ”はなんだ」
御村が再び指をさす。今度は当真晶子の生み出した薙刀へと。
「薙刀だ。見ればわかるよな? でもあれが当真晶子にとって、身近で最も殺意をイメージしやすいものだったように見えるか? 俺には見えない。当真晶子が武道をやっているようにはな。あれが瞳子と同列に語れるわけないだろう!」
次第に御村の言葉から、熱のようなものが伝わってくる。私を真っ直ぐに見ながら。そんな御村は当真晶子から見れば明らかに無防備だったからなのか、私を引き渡さない時点ですでに決まっていたのか、架空の薙刀が御村に向けて斬りかかる。
御村の背後から矢のごとく飛ぶ“それ”を見て、私は御村に危機を伝えようとするが、咄嗟の事で声にならない。目を背ける間もなく御村に殺到する薙刀の群れをしかし、御村は退けていく──『優しい手』と呼ばれるその両手で。
「──な? この通りだ」
今この瞬間にも、薙刀は息つく暇すら与えず御村を狙い飛んでいくが、一つすら傷つける事なくガラスが砕けるようなどことなく儚い音を残し消えていく当真晶子の殺意の形。時折、私の横を掠め御村の死角を突いていくが、それも容易く薙ぎ払われる。それでも気が遠くなるほどの数を未だ残す中、御村は飛んできた薙刀の内の一つをあっさりと掴んで私に言う。
「“殺刃”だったら、こんな風に掴む事なんて出来ない。仮に柄を持っても手を切るだろうよ。なぜなら、あいつの“斬る”という意志が込めれているからな。見た目からして、持ち手の方が大きい薙刀を大して思い入れのないにも関わらず、こうやって形にしている。どういう事だと思う? ──刃を遠ざけながらも自らの手で操りたい。そんな当人の心象を表すのに近い形が薙刀だった。ただそれだけの話なんだよ!」
御村が掴んだ薙刀が砕けていく。力を込めて握った様子はなく、御村の気迫に負けた様に見えた。周りを囲う他の薙刀もそれに圧されてか動きに精彩を欠いていく。
「──たし、は……わたしは……」
薙刀の動きに動揺が見られるという事はその大元にも同じ事が言える。薙刀が不自然に揺らいでいく個体をそのふり幅が大きくなる順に追っていくと、その先には当真晶子がいた。浮かべた表情にはやり込められた時よりも彼女の本質に近い“生”の反応が見て取れる──それは誰かに対する劣等感だった。
「──私は“姉上”より数多く生み出せる! 私は“姉上”より長く大きいものを生み出せる! 私は、私は──“姉上”より強い!」
「──“姉上”とやらは知らんが、それはない」
いつの間にか当真晶子に手が届く距離まで近づいていた御村がその両手を振るう。武の手ほどきどころか、心得すらない当真晶子にそれを防ぐ術はなく、まるで憑き物が落ちたようにその体が沈んでいく。
「……たしかにどうにかなったわね」
「だろ?」
自ら倒した当真晶子を地面に激突させないよう受け止めながら、御村がどこか自慢げにこちらを振り返る。それを見てなぜか胸のあたりがざわつく。……運動不足かもしれない、そう結論付けた私は当真晶子を背負った御村と共にコテージへと足を向けた。




