第二十話
今度は上下だけではなく横の動きが加わり、俺の隙を突こうと周囲をせかせかと動く。意図的に高さのみを見せてからの回し蹴りという奇襲が凌がれた以上、隠す必要がないからだろう。ますます捉えるのが難しくなった事態に蜻蛉や蜂にまとわりつかれるとこんな気分なんだろうな、となんとなく思う。
「──本当に厄介だ」
何度も頭に浮かんだ言葉が空也の口をつく。視界の外で動いている為、その顔は分からないが俺と同じ表情をしているのは想像に難くない。
「優之助、君は本当に厄介だ。こんなに君から見えないよう動いているのに君は少しも焦りはしない。『制空圏』による絶対的な空間把握能力がそれを許さない。僕にとって『絶対手護』よりも“超触覚”の方が手強いと感じるよ」
俺から見て、左後ろ斜め下。急降下から再び上昇する動きを伴う蹴りが風を切り裂きながら襲ってくる。それを最小限の動きで体を捩り左の『優しい手』でガード。圧倒的な加速に乗った下から持ち上げる蹴りの衝撃も『優しい手』は完全に殺す。
構わず空也はもう片方の足で俺の頭を蹴り抜こうとする。最小限に半分しか空也に向いていない分、右の『優しい手』で止めるには少し窮屈。そう判断した俺は右の『優しい手』を空也のいる位置とは正反対の何もない空間に翳す。
「くぁ──」
かすかに聞こえる苦しそうな吐息は俺か空也のどちらからなのか。『優しい手』の運動エネルギー増幅能力で生み出された衝撃が空也を巻き込んで体を押し上げる。
いくら『空駆ける足』が自在に動けると言っても蹴りのモーションに入った状態からの離脱は難しい。体をもつれさせながら地面を転がっていく俺と空也。口に砂が入って不快な思いをさせながらもどうにかマウントポジションを確保する。随分と不恰好な手段だが、これで空に逃げる事は出来ない。
「大人しく──してろよ!」
まるで悪役の様な台詞を吐きつつ、運動エネルギーを込めた『優しい手』を今度は空也に向けて放つ。『影縫う手』でチマチマ動きを封じている余裕なんてない。空也なら腕や足の一本止められても平気で反撃してくるからだ。中国拳法の発剄に通じる『優しい手』の打撃を、ただ手を伸ばすだけで当たる戦闘不能へと誘う一撃を当てれば勝てる──そう、当たればこの戦いは終わっていた。
「(──こういう使い方も出来るのか)」
『優しい手』を振るわんとした手が途中で止まる。原因は肩のあたりに突如現れた“見えない拳大のなにか”の感触。大きさで正体に気づく──空也の仕業だ。
『空駆ける足』の力場干渉、正確な場所に発生させるその能力を俺の動きを止める為に使ったのだ。止められたと言っても体の一部に障害物が引っかかった程度の影響でしかないが、空也はそれによって生まれた一瞬さえあれば充分。俺の首を両手でキャッチし左右に揺さぶる。
──密着戦闘対策にムエタイを集中的に習っているから不用意に懐に入るのも厳禁。ほら、ムエタイの試合であるだろ、首相撲ってやつ。
そう会長達に講釈を垂れていたのを思い出す。本来、寝技からでは充分な効果を得られない首相撲だが、近接での攻防術においての有用性の全てが失われるわけではない。高速で揺すられた首を守ろうと空也から首へ意識が逸れ、空也の体を押さえつけていた重心がわずかに緩む。
「──『空駆ける足』!」
力場干渉で作り出した足場を“壁”に見立てて横に跳ねる空也。抑え込みが不完全な状態ではそれを止める術はない。一足飛びで離脱しながら態勢を整え、俺が立ち上がった時にはすでに軽やかなステップを踏んで高度を維持していた。せっかくの好機をふいにしてふりだしに戻った事にため息が出る。
「……まさか僕が君にした奇襲をまるまる返されるとは思わなかったよ」
空也が力場を殴って無理やり方向転換したように、俺が運動エネルギーを放出させて距離を詰めた事を言っているのだろう。異能を使って推進力を得たという意味ではたしかに似た様なものだが、所詮俺のは空也の二番煎じの上、効果は一瞬しかないまがい物、ただの苦し紛れに近い。
「むしろ、お前の力の使い方に恐れ入ったよ。手の内を知っていたつもりの自分が恥ずかしい」
「……あぁ、さっきのか。君を相手に僕程度の力場干渉じゃあ盾代わりにもならないからね。ただの苦し紛れさ」
「苦し紛れは俺の台詞だ。謙遜するなよ」
そんな会話の間にも空也は抜け目なく俺の隙を伺っている……お互い様だが。
「(逆に言えば、仕掛けるタイミングを計りあぐねているって事だよな)」
空也に『殺刃』の様な遠距離から攻撃する方法はない。圧倒的な機動性でどんな距離からでも戦う事が出来るが、近付くのを避けられない。先手は譲るがあいつが360度どこから攻めてきても『制空圏』で把握している以上、対応は不可能ではない。
「(……そうか、出来なくはないんだ)」
空也を捉える方法が不意に閃く。ただし、その手段では『絶対手護』は使えず、かなりのリスクを背負う事を避けられない。
「……当たり前だろ」
思わず漏れた独り言に空也が怪訝な顔をする。何でもない、と誤魔化し、手のひらの感覚に意識を集中させる。『絶対手護』による防御がない状態で空也の攻めを切り抜くには『制空圏』による読みが今までより重要だ。そのためには──
「──目を閉じた? 『制空圏』の読みに賭けるつもりかな」
空也の“音”が『優しい手』を介して聞こえてくる。感覚が人並外れて鋭いというのは、必ずしもいいとは限らない。絶対音感の持ち主がごく微小の不協和音をことごとく拾ってしまうように“超触覚”も触れることで得られる膨大な情報を処理しきれずに神経がまいることがある。例えるなら常時敏感な部位を弄られるか、あるいは傷口に刺激物を塗りたくられるようなものだ。
その為、日常では“超触覚”の感度を落とす自己暗示の一種を掛けているわけだが、それを応用し、触覚から得た情報を触覚を他の五感に紐付けしている。視覚も、味覚も、嗅覚も、そして聴覚も。空也の声を俺に伝えたのは音すら“手に取る”ように掴む“触覚”だ。
「……そこまで集中していると下手に攻撃したら勝てないな」
空也の足がさらなる高みを求めて空中で跳ねる。空也のフィジカルは高いスペックを誇るが、それでも筋力の面で『怪腕』を超える事はあり得ない。
それでも超人的な跳躍を発揮できる要因は『空駆ける足』が生み出す力場が空也の跳躍と加速を補助しているからだ。力場は地面と違い、とても柔らかく、反発力が強い(しかも強弱をコントロールできる)。イメージとしてはトランポリンが近いだろう。
そして今、生み出された力場はとても力強く、動きを読まれても俺が反応する前に倒すという空也の意志が“超触覚”を通じて明確に伝わってくる。俺から離れる時に二度ほど見せた壁を蹴って横に飛ぶ動き、水泳のターンに例えたそれを今度は逃げるのではなく、俺を的に飛ぶつもりだ。
「(俺が体当たりした時の比じゃないな)」
加速を伴う助走は反発力を増した力場を一歩踏んでいくごとに速度が増していく。いくら自分で足場をコントロールしているとはいえ、一つ踏み外せば大怪我では済まない。だが、ここでも空也の運動能力がその失敗を許さない。つくづく相性のいい能力だな、と場違いな感想が漏れる。
「『空駆ける足』──コメットストライク」
──人ひとりに向けるには充分すぎる加速を纏い、空也の体が星となる。
「──幕切れは呆気なかったな」
「あぁ」
「──なぜかわせた? いや、なぜかわす必要があった?」
「たしかに『絶対手護』と『制空圏』を組み合わせれば初弾は防げる。が、その後逃げられるにしても追撃が来るにしても同じことの繰り返しになるだけだ」
「──だから、『|空駆ける足(力場干渉能力)』の発生直後を狙ったというわけか」
「見えてたのか?」
「──初弾が外れた後、離脱しようとした空也の態勢が崩れたからな。お前が何かしたと考えるのが自然だ」
「正直な所、力場が発生する瞬間を感知するのに集中した分、『絶対手護』を使う余裕がなかったんだ。『殺刃』と違って本当に一瞬、本当にわずかな反応だからな」
「──まだまだ未熟だな」
「ほっとけ! それでそっちも決着がついたってことだよな? ──剣太郎」
「──思ったより手こずられた。未熟なのはお互い様だ」
元時宮高校、序列三位『剣聖』刀山剣太郎がモップの柄を肩に担ぎ、悠然と立っている。三対二で始まった戦いは一対一に変わり、戦いは終局へ至ろうとしていた──会長と当真晶子の存在を半ば忘れつつ。




