第十九話
篠崎空也、二十一歳。時宮高校卒業後、いろんな所を回りたいと日本各地を放浪。卒業式の三日後に時宮を出てからつい最近まで戻る事がなかった為、月に一、二度家に届く絵葉書が安否と滞在先が確認できる唯一のツールとなっていた(ちなみに携帯はあまり好きではないようで持っていない)。
ここからもわかる通り、空也にとって旅は趣味を通り越してもはやライフワークである。ただし英語の成績がよろしくなかったせいか海外へ出た事はなく、これから先も日本を出るつもりはないらしい。
見た目は身長170㎝の割にほっそりしつつ所々丸みを帯びた体格と綺麗と評される整った顔付きは女だと言われれば納得するほどで、その正体を知らない男子生徒から告白されたケースが何度かあった。卒業から二年経った今でも、変わらずその仕草に妙な色気を感じる。……一応、ノーマルを自負する身としては危うい境界線上に立っているような気になるのが、この友人に対するただ一つの悩みと言えるのかもしれない。
そんな一見、戦闘には縁のなさそうな容姿の空也だが、時宮高校時代、序列七位を冠しただけあって、実力、戦闘経験共にトップクラスを誇る。あの瞳子が当時、序列十四位だったので迷惑度も込みで“あれ”以上だと当真家から評価されているというわけだ。
そして、その瞳子以上が今、俺に対して全力で蹴り込もうとしている。
「よっ──と」
どことなく呑気な掛け声と共に正面切っての押し出すような上段蹴り。そんな大技を華奢な体格の空也がやってもあまり良い手とは思えない。こちらが体格で勝るのを幸いに蹴り上がった片足をわざと受けてそのまま抱え込む。後はそのまま押し倒せば終わり──しかしそれで済むなら序列七位を背負えるわけがない。
「ふっ!」
掴まれた方の足を支点にもう片方の足が俺の頭を襲う。と言っても狙いは蹴りではなく、両足を使った挟み込みからのフランケンシュタイナー。真っ二つにせんとばかりに力が込められた空也の両足は簡単には外せそうにない、そう判断した俺は投げられるのに身を任せ、地面に叩きつけられる前に『優しい手』を発動し接地した際の衝撃を殺す。
手ごたえ(この場合は足ごたえか?)から失敗した事に気付いた空也はあっさりと固定していた足を離し、バク転で俺から距離を取る。
「勘は鈍ってないようでなによりだよ」
「そっちはらしくないな。こんな回りくどい攻め方なんてしなかっただろう?」
「なに、いきなり本気出すとつまらないと思ってね。ちょっとしたテストさ」
「……あぁ、そうかい。なら、いつまでも本気出さないまま沈んでろよ」
俺の戦意に反応して『優しい手』が激しく振動し、振るわせた空気が波紋となって辺りを満たす。起こした波の反響で得られた周囲の情報を手のひらの鋭敏な触覚が貪欲に吸収していく。『制空圏』による空間把握だ。
「そういえば、こないだとおこちゃんと戦ったんだっけか。……ごめんね、優之助。確かに舐めていたみたいだ」
間延びした独特のイントネーションで瞳子の名を挙げる空也。数週間前の一連の騒動で削ぎ落としたブランクと解禁した戦闘能力──とりわけ『制空圏』は超触覚を併用する事で初めて効果を発揮する能力。お互い手の内と性格を知っている分、異能を発動させた俺がどれだけ本気か理解したらしい。
表面上はにこやかなまま、空也の周囲に漂う空気が変わった事を超触覚を通じて伝わってくる。空也が打つ次の一手はあいつの本領を否が応でも見せてくるだろう。
「(──来る)」
もはや『優しい手』に頼らなくとも、少し注意深く見るだけで遠目からでもどこか浮かされた表情が満面に出ているのがわかる。感情の種類は違えど、異能を発動する前の瞳子とどこかダブって映る。普段使えない全力を出せる、大なり小なり異能者ならば理解できる感情。溢れ出すものを止められず、もう我慢できないとばかりに空也が高らかに宣言する。
「いくよ優之助──『空駆ける足』!」
クラウチング気味の前傾姿勢から飛び出すように走る。“それ”が起こったのは空也が三歩目を踏み出した辺りから。例えるなら見えない階段か坂道を上るがごとく足の裏と地面との間が離れていく。陸上の三段跳びのように踏み切って飛んだわけではなく、あくまで走り続け加速する空也。
飛鳥と食堂で戦った時は室内だった為、一歩分位しか使う事がなかったが、あれこそが真田さんの『怪腕』に匹敵する跳躍を発揮できた理由。その能力を天井や壁などの仕切りのない屋外で使えば一切の制約なく駆け抜けていく。体力の続く限りどこまででも。それが空也の『空駆ける足』。
「(……見ようによってはかなりシュールだろうな)」
俺の肩あたりの高さを維持して走る空也と戦う光景は傍から見れば、ジャンプしたまま降りてこない相手と対戦する格闘ゲームみたいに映るかもしれない。ただ、ゲームと違う点は、俺にはまともな対空攻撃の手段がない事だろう。
しかも、都合よく小銭など持ってきていないので『銭型兵器』が出来ないし、手頃な小石が転がっているわけでもない。掴んで引きずり落とすのが精々だが、当然警戒されている。遠距離で架空の刃物、近距離で実物の刃物だった瞳子も大概だったが、本当に戦いにくい。
「──それ!」
サッカーボールを蹴る感じで俺の頭を狙う空也。目の前で爪先が唸りをあげて襲ってくる事に若干の恐怖を覚えながらも、上体を傾けてなんとかかわす。フリーキックでボールを空振りしたような恰好。普通ならバランスを崩してコケるという笑い話で終わるが、何もない空間を踏破できる空也にとっては次の攻撃動作にできる。
「よ!」
からぶった勢いのまま、ボード競技で使うハーフパイプの上を走る様に“縦に”半回転し、両足で踵落とし。咄嗟に『絶対手護』で守りに入るが、それに気づいた空也は両足を踏み込んで“横”に飛ぶ。イメージとしては空中で背泳ぎしている感じ。その意味では踏み込みはターンみたいなものか。
一気に俺との距離を離れた空也は腹筋の要領で上半身を起こし態勢を整える。能力も厄介だが、その能力を十二分に引き出しているのは本人の平衡感覚や瞬発力、持久力といったフィジカル面だ。先ほど披露した上下左右天地がわからなくなる戦い方など、例え俺に『空駆ける足』が使えたとしても到底真似できない。
そんな感心をよそに空也が再度、俺へと向かってくる。今度は中空からの飛び蹴り。端っから宙にいるわけなのでどちらかと言えば、スライディングに近いその攻撃は、ただの飛び蹴りとは違って、着地点が読めない(というよりそもそもない)為、単純に後ろや横によけても追撃が来る。
ならば『絶対手護』で守りつつ、カウンターの機会を待った方が万全な態勢で迎え撃てる分、旨味がある。そう判断した俺はよけるつもりがない事を見せる為、腰を落として構える。仮にまた逃げられても成功するまで続けていけば、いつかは捉えられるだろう。
「──駄目だよ、優之助」
もはや激突は避けられない両者の位置から見えた空也の口がそう形作る。動いたのは口だけではなく、今まで大して使わなかった手──その内の右手の方をおもむろに横へ突き出す。まるで何かを殴った反動を受けたみたいに空也の体が横に流れ、その勢いを利用して放った横回転からの右回し蹴りが俺の背中を襲う。『優しい手』を差し込もうにも迎え撃とうとした分、前に構えてしまって間に合わない。
「しまっ──」
がら空きの背面から受けた衝撃に言いかけた台詞も途切れるほど呼吸が止まる。空也はその隙を見逃さず、出した蹴り足をそのまま空中で踏み込んで高く飛ぶ。ダメージを受けて前屈みになった俺にとって頭上は死角だ。空を舞う鳥が水中の魚を狙いすますようにほぼ垂直で落下しながら蹴りが放たれる。
「──僕も迂闊だね」
空也の狙いは首筋。『制空圏』で攻撃の軌道を読んだ俺は『絶対手護』を展開し、割り込ませる。空也の足を掴む好機だが、そこまで許すほど甘くはない、『空駆ける足』でもう一度空中へ離脱していく。空也は自分の迂闊さを反省していたが、それはこちらも同じだ。空也の異能の正体を知っていて、正面から引っかかったのだ。むしろ受けたダメージより、精神的ショックの方がデカい。
空也の異能は分類すると力場干渉の一種。しかし、瞳子の『殺刃』みたいに硬貨を切り落とすような強力なものではなく、拳大の固まりを一瞬だけ生み出す程度で時宮の異能者の中でもその力はとても弱い。
だが、扱う力が小さいおかげか負担が少なく、狙い通りの位置に何度でも生み出せる。空也は生み出した力場を足場にする事で規格外の動きを再現し、自分よりも強力な異能者を屠ってきた。異能の希少性も判断基準の一つに数えられる序列評価において最低ランクの異能者である空也が七位という高位者である理由はそこにある。
しかも力の使い方は飛び蹴りの軌道を無理やり変えた時のように足場である必要はない。元々高い身体能力を組み合わせる事で変幻自在の動きを全方位からの強襲する空中殺法ならぬ、“空間殺法”を実現できるのだ。
「……本当に厄介なやつだな」
「そっくりそのまま返すよ、優之助」
日が完全に落ちて星が見える空を背に空也はそう言って笑う。それに呼応するように『空駆ける足』による足さばきが一段と激しさを増していく。




