第十七話
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「──いくぞ!」
自分の中にある空気を吐き切るように絞り出された声。慣れた腹式呼吸から出たのは空気だけではなく私の意志が乗っているのかもしれない。
知らず手に力がこもる『怪腕』が生み出す握力に負ける事なく付き合ってくれた刀は刀山剣太郎に刀身を短くされてもなお、私の手にあり続けてくれた。私はそれに応えたい。そんな感傷を抱いて今から挑むのは私にとって初めての自分の為の戦い。
一本指歩法で刀山剣太郎との距離を詰める。『怪腕』の筋力で行う加速は当真瞳子より速いと自負するが、近づく刀山の表情は動かない。落ち着いた動作で私との衝突する予測地点から手前の空間を薙ぐように振るう。得物がただの棒であってもそこに込められているのは本物の切れ味。そのまま進めば私の体は二つに分かれるだろう──この刀のように。
体を今まで以上に前傾させ、一本指歩法を維持する──当真流剣術、一本指歩法『不知火』。相手の膝辺りまで低く走る事で無造作に振るわれた攻撃をくぐるようにかわす。私と刀山の体が交錯し、何事もなく通り過ぎる。
「……かわされたか」
そう呟く刀山の声に外した事への悔しさはない。あくまで自分へ向かってくる私を追い払ったとしか思っていないのがわかる。事実、私を“斬ろう”したつもりはないのだろう。本当に“斬る”つもりなら、私がどんなにかわそうとしても斬る事が出来たはず。『不知火』でかわしたのではなく、刀山が何の気なしに出した剣を“ぶつからないよう”に避けたと言う方が正しい。
「お前の腕では届かない。それは理解していると思っていたんだがな」
「……あぁ、理解しているとも。だから手段を選ぶつもりはない」
「何? ──っ!」
瞬間、刀山あらぬ方向へ得物をかざす。ほぼ同時に舌打ち交じりの呼気を纏い、しなやかな突きが刀山の肩口を掠めていく。
「──あの距離まで近づいて肩の皮一枚が精一杯か」
刀山の反撃を警戒した分だけ、踏み込みが浅くなったのだろう。奇襲を失敗させた事を苦い顔でそう評したのは、同じ生徒会の桐条飛鳥。刀山への警戒を続けたまま、私へ向けて済まない、とアイコンタクトを送る。
「構わない。打ち合わせ通りだ」
私が先行して刀山の初太刀をしのぎつつ後方を確保し、刀山の意識をこちらへ向けさせる。その隙を突いて、桐条は刀山に奇襲を掛け、その成否に関わらず深追いせず、私とで刀山を挟み撃ちにする。少し離れた所では御村が篠崎空也が対峙したままこちらの邪魔をしないよう立ち回っている。私と桐条が刀山と相対し、その間、御村が篠崎を抑えるという形。
「俺の剣を知って、この戦況に持っていくとは──正気か?」
『優しい手』を持つ御村でなければ、勝負にもならないという事だろう。
「なんとでも言ういい。直接借りを返す為なら恥も外聞も捨ててやる」
啖呵を切る私を見て桐条がらしくないな、と苦笑している。
恥も外聞も捨てる。この戦いの少し前、刀山とどう戦うかを打ち合わせた時、御村にもそう言った事を思い出す。
──本当にいいのか? 『剣聖』について聞かなくて。会長にああ言ったんだが、手段を選ばないというのなら聞くだけなら損ではないと思う。
──構わない。手段を選ぶつもりはないが、それをお前に押し付けるつもりもない。……友人なのだろう?
──すまん。
──いいさ。その代わり、私が『剣聖』に勝てる、とはいかなくても一矢を報いる可能性を示してほしい。私に出来る事なら恥も外聞も捨ててでもやってみせる。
──わかった。ならまずは──
そして回想の御村と私の口元の動きが重なる。
「“飛鳥”! 『飛燕脚』で攪乱。ただし、深追いはするな!」
「了解!」
私の意図を正確に理解した桐条の体が風景とズレていく。使用者の挙動を完全に隠す『飛燕脚』ならではの現象。……いつ見ても凄いと思う。『桐条式』という武術も桐条飛鳥本人も。だからこそ信じて託せる──自分がやるべき事に集中できる。
──刀山剣太郎の斬撃を受けるのはまず無理だ。どんなになまくらだろうが、刃がなかろうが、その手に持てばあらゆるものを斬る事が出来る。斬りたい部分だけをピンポイントで狙って斬ったりも、な。そうめんの束で色がついている部分があるだろ? わざわざ一度抜き取って、真ん中の方に紛れ込ませたのにその部分だけ斬ってみせた時は驚きを通り越して引いたよ。……話が逸れたな。つまりどんなガードも無意味なんだ。剣太郎と戦う時は、どれだけ攻撃されないかが肝になる。そして、今回はそれを実現するのにピッタリの人材がいる。
『飛燕脚』を持つ飛鳥が前衛に立つ。それが、この作戦の前提であり、必須条件だった。
そして桐条はそれを迷うことなく引き受けた。一番危険な役割を、一番戦う理由がないにも関わらず、大して親しくしたわけではない私の為に。
なぜを問う私に桐条は迷いのない真っ直ぐな瞳で言う。
──優之助が私に頼むと言った。自分一人では出来ない事を頼み、任される。それに応えたいと思うのは当然だろう? それに、
──大切なものの為に戦うという気持ちはわかる。はにかみながら、そう言った桐条を私はどんな顔をして見ていたのだろう。
「……なるほど、優之助が任せるだけはあるな」
刀山の呟きには桐条への賛辞が込められている。『飛燕脚』で距離感が合わない為か私に向けて放った初太刀以降、刀山が仕掛けたのは一度もない。一太刀で桐条を捉えられなければ、桐条はもとより、私にも攻めを許すからだ。
ただ、桐条の方も攻勢に回る事はできない。触れれば斬られる刀山の攻撃は完全にかわせなければ致命傷となる為、得物が届かないギリギリの位置を常に意識して動いている。
この間、私に出来る事は刀山“だけ”を見る事のみ。当然だが、『飛燕脚』の視覚誤認は味方である私にも通用する。下手に俯瞰で見ると桐条の動きにつられ、いざという時、動けない。だから私は刀山だけを見続ける。それだけしかできない事に対するもどかしさに耐えながら。
今のところ、両者攻めあぐねている格好だが、刀山の構えは二対一という状況でありながらも揺らぐ気配がない。対して桐条は『飛燕脚』を常に使い続けている為、運動量は刀山とは比べ物にならないほど消耗している。このまま膠着が続けば、崩れるのは桐条の方が早い。
「っ!」
例えるなら、水泳の息継ぎのタイミングを間違えた時の様な呼吸の乱れ。大方の推測通り、それは桐条のものだ。そして、対峙する刀山にそれを見逃す甘さはない。手にある得物が剣呑な空気を纏わせながら、ゆっくりとさえ見えるほど自然に動く。
──今だ。
瞬間、私は飛ぶように走る。当真流剣術、一本指歩法『不知火』。桐条が前衛で攪乱し、刀山がそれにつられた時、私が強襲する。それがこの戦いにおける基本的なプラン。
「……ふん」
刀山がつまらなそうに鼻を鳴らす。二対一が前提の立ち合いで私が隙を突いてくる事など想定しているとばかりに。切っ先が私の方へと揺れる。
刀山の構えは正眼を基本に盾を持たない片手剣で戦う様な形。およそ斬るというには向かない構え、それが刀であるというのなら尚更だ。あれでは一寸斬れるかどうか怪しい。
ただし、それは普通の使い手ならという話。得物、対象を問わず斬れる『剣聖』にとって、むしろあの構えが自然なのだろう。もしかするなら『怪腕』で刀の重量を苦にせず戦える私が目指す先かもしれない。ただそれも後で考えるべき話。
短くなった私の刀が届く頃にはもう私の方を向いている。両手で構えるより小回りが利くという事。後は私の動きに合わせて斬るだけで済む――私が刀山を攻撃するならそうなる。
「はずれ、だ『剣聖』」
刀を片手に持ち替え、右半身を前に突きを出す。狙いは刀山ではなく、刀山の持つ“得物”だ。
──飛鳥が攪乱してから、ここぞというタイミングで奇襲を掛ける。ただそれだけだと剣太郎には通用しない。普段の刀で普通に剣太郎を狙えば、返り討ちだ。ただし、今の刀ならば、勝機はある。
──最悪、剣太郎の攻撃を止められればいい。徒手格闘の間合いで近付けるなら、その短くなった刀なら得物を取回す関係上、先手が取れる。……まぁ、そこまで近付くのが一番大変なんだが、飛鳥の『飛燕脚』を相手にすれば、いくら『剣聖』といえど、接近を許してしまう。そこから先は真田さん次第だ──今回の作戦目的“武器破壊”の成否は。
桐条のおかげで前提は達した。後は“当真流剣術を使えないという御村の勘違い”を正すだけ。講堂で使うつもりがなかったその技は──
「──『炎竜』」
『不知火』の加速を充分に後押しに放たれたその突きは、刀山の得物を狙い違わず命中した。




