第十六話
当真晶子との交渉を決裂させた責任と家族も同然の相棒を失った真田さんの頼みという理由を背負い、いよいよ旧友を敵に回す事が確定したわけだが、いざ行動するとなるとどこから手を付けていいものか途方にくれてしまった。
会長達に時間が欲しいと言い残し、管理棟を出た俺はとりあえず気分転換にと水場の川を遡って見る事にする。元々、昼食までの時間潰しに立てたプランだが、理事長との話し合いでそれが叶わず、遅刻の言い訳に使っただけだった。この機会に再度目指すのも悪くはないだろう。
「……と、いうわけで着いたわけだが」
昼に行こうとした時は早々に呼び止められたので今回初めて川の根元を辿ったわけだが、ちょっとした探検を想像していた道のりは、本当にただ川に沿って歩くだけというなんとも味気ないものだった。いや、空気はうまいし、ちょっとしたウォーキングといった感じの適度な傾斜はとてもいい気分転換になったのだから、文句を言うのは罰当りとは思う。ただ単に容易く目的地に着いたのが、我がままにも拍子抜けしてしまったというだけだ。
「それでもこの滝を見るとやっぱり来た価値はあるよな」
日原山のあちこちに流れる川の全ての支流を引き受けるだけあって、幅100m、落差60mをそれぞれ超えたちょっとした規模の滝だった。
そこから吐き出される大量の水はそのまま川に流れればあっという間に洪水を引き起こしそうなほどだが、滝の落下点はキャンプ場の水場より大きい天然の貯水池となっていて、よほどの事がない限り川が危険域まで増水する事はないらしい。
天乃原学園はこの貯水池の近くに浄水施設を建て、生活用水に利用しており、その事からも日原山の水源はかなりの規模である事を示している。
「さて、どうするかな」
と言っても、ここで遊ぶ予定を決めかねているわけではなく、時宮高校側の戦力──二人の旧友についてである。当真晶子に従っている理由は不明だが、元々権力への執着のなさでは一、二を争う二人だ。少なくても天乃原学園にいる間だけでも大人しくしてもらうくらいならそう難しくない。真田さんの一件がなければ、穏便にできた。
しかし、戦う理由が出来てしまった。真田さんを止める事はできないし、俺の方も戦う気がないなら、安請け合いなどしない。ただ、戦力差を考えると、かなり分が悪い勝負になるのは避けられない。だから頭が痛いのだ。
特に痛いのが、真田さんの刀についてだ。あまり深く考えていなかったが、『怪腕』である真田さんの握力に耐えられる刀だ。そうホイホイと代わりのあるわけがない。おそらく当真家が真田さんの為に用意した特注品なのだろう。つまり、真田さんは素手で剣太郎の相手をしないといけないのだ。
厳密にいえば、刀身はまだ残っている。ただ断ち割られたわけではなく、剣太郎の技量で斬られた刀だ。おそらく残された部分のダメージは皆無、そのまま武器にできなくはない。まぁ、使うと言っても、刀身そのものは柄よりも短くなっている。あれならコ○助の刀の方がまだマシだ。
「……いや、だからいいのか」
とある可能性からそう思い直す。できるかどうかは真田さん次第だが、これなら一矢報いる事が出来る。とりあえずプランは固まった。後は──
「──まさか、再戦する気があるとは思いませんでした。しかもこんなにも早く」
空から夕日の名残がいよいよ夜に塗りつぶされていく、いわゆる黄昏時。管理棟で寛いでいたところを捕まり、唐突な再戦の申し出にまだ逆らう気力があったのか、という疑問を口にする当真晶子。
食堂で戦ったのが三時少し前、現在、五時をまわったばかり。差し引き二時間弱からのリベンジ宣言は、皮肉交じりとはいえ向こうが早いと感じるのは無理もないだろう。
そんな当真晶子の反応を受け流し、再戦の否やを問うたのは仕切りたがりの会長ではなく、真田さんだった。会長もさすがに今の真田さんを押しのけてまで出しゃばる事はせず、後ろの方で大人しくしている。……見方によっては当真晶子は部下で充分という体にも見えるけどな。
「……まぁ、いいでしょう。すでに優劣をつける意味がないとしても、降りかかる火の粉は払うのは当然。お受けしましょう」
天乃原との交渉決裂を恨みがましく皮肉る当真晶子だったが、勝負そのものは受けるようだ。向こうにとって、明らかに格下の挑戦を逃げるなんてあり得ない。むしろ昼の一件の憂さ晴らしをする腹積もりだろう。それでも……
「(……受けちゃったよ)」
自力に大きな開きがあるのはみな承知している、戦った飛鳥も真田さんも、会長もそして、俺もかなり厳しいとわかっている。だが、それでも、勝負はやってみないとわからない。特に彼我の差を理解し、その上で勝つ事を諦めない奴を相手にする時は警戒の一つもするもの。当真晶子のそれは強者の余裕ではなく、安請け合いの類だ。
「それで勝負はいつですか?」
「今からだよ。場所はキャンプ場の広場でいいだろ? ここから近いし、多少暴れても気にしなくて済みそうだしな」
場所をどこにするか決めていないのを思い出し、真田さん達に確認しながら俺が言う。
「……今からですか?」
「別に不都合はないはずだが? どうせ、ここにいる限り暇な事に違いないわけだし問題ないだろ。ま、晩飯の前の軽い運動って事で」
「……まるであなたも加わるみたいな口ぶりね」
「? そのつもりだが何か?」
「……ほう」
当真晶子の後ろで会話に加わる事のなかった剣太郎が初めて反応を見せる。
「そんなに意外か? 一応、昼の時も戦おうとしたのを忘れたのか“刀山剣太郎”」
「そういえば、そうだったな“御村優之助”」
にこりともしない表情の中でも特に手強そうな口元がほんの少し歪む。あれで笑ったつもりらしく、無愛想さは相変わらずのようだ。横の空也も肩をすくめている。──懐かしいでしょ? そう言ってみせるように。
「昼の続きという事は三対一で戦るつもりか?」
「そこまで自惚れてねぇよ。三対三だ」
「剣太郎。一応、雇い主なんだから、頭数にいれるの禁止。三対二だよ。それでいい“御村”くん?」
「それでいい。今回は真田さんのリベンジマッチがメインだ。最悪、お前がいるなら問題ないよ──“刀山”」
「待ちなさい!」
俺達の打ち合わせに割り込んだのは二人の雇い主である当真晶子。自分を蔑ろにするのは許せないのか、明らかに苛立っている。
「篠崎、刀山、あなた達は私の補佐として連れてこられたはずよ。立場を弁えなさい」
まるでしつけの悪いペットにするような叱責を二人に向けて言い放つ。それに対して空也が申し訳ありません、と頭を下げ剣太郎を連れて、二、三歩後ろへ引き下がる。当真晶子を立てた格好だ。
……面倒くさい奴だな。会長も真田さんから雑な扱いを受けた時も大概だったが、それとは訳が違う。下がった空也が当真晶子から見えない位置から困ったように手を挙げる。気にしなくていいと目線で返し、何事もなかったように当真晶子に向き直る。
「何か問題がありましたか? 当真晶子さん」
「わざとらしい謙虚さはやめてもらえるかしら。礼儀知らずより、よほど不愉快だわ」
「皮肉だよ。分かりづらくてごめんね」
当真晶子の睨みが先程より二割増しになる。礼儀知らずの方がマシと言わなかったか?
「……御村、暗くなる前に済ませたい、話を進めてくれ」
「……すまん」
真田さんに無表情で窘められた俺はそれ以上当真晶子に食って掛かる事はせず、時間、場所に不都合がないか確認する。当真晶子はそれに了承し、二時間ごしの再戦がきまった。
再戦の場所に指定した広場は管理棟とコテージを繋ぐ位置にある為、夜間緊急時に双方が連絡できる必要性とその際の安全面の観点から等間隔に電灯が配置されており、ほとんど日が落ち暗くなった周囲をその光が淡く照らしていた。
広場には俺、飛鳥、会長、真田さん、当真晶子、空也、剣太郎の七人。要芽ちゃんは晩飯の用意でこの場にはいない。
「──御村」
「なんだ? 真田さん」
「先に礼を言っておく。世話になった、……ありがとう」
剣太郎を見据えたまま、俺に感謝を伝える真田さん。……ありがとうって言葉にされると不思議と気恥ずかしいな。
「まだ早いだろ」
「いや、ここまでお膳立てしてもらえれば充分だ。後は私次第、それでいい」
「間違えるな、真田。私達次第だ」
飛鳥が真田さんの言葉を訂正する。そういえば、この二人が会話する所をあまり見た事がないな。生徒会がお世辞にも和気藹々とは言えない集まりなのは重々承知しているがこんな調子で大丈夫かと始まる前から不安になる。
「心配しなくていい」
「飛鳥?」
「目的は一致している──向こうに借りを返すと言う、な」
借りを返すべき相手、空也と剣太郎はすでに準備完了と言う感じ。剣太郎の手には昼と変わらず、モップの柄。……緊張感が削がれるなぁ。しかし、そんな俺とは裏腹に飛鳥と真田さんの戦意に翳りは見られない。
「(こちらも準備万端という事か)」
むしろ二人の仲を見当違いにも心配していた俺の方が準備不足だったらしい。
「それじゃあ、手筈通りによろしく」
「あぁ」
「任せろ」
真田さんの愛刀が短く、控え目ながらも電灯の光を反射させ、飛鳥の呼吸が深く鋭く辺りの音に浸透する。俺達から少し離れた場所には見届け人の会長と当真晶子。講堂で真田さんと戦ったようなデモンストレーションじみた見世物ではないから、盛り上げ役のMCは必要なく、二人はただ決着を待つ。そして、これは試合ではない、当人同士が納得した時こそ決着。
「──いくぞ!」
真田さんがそう叫ぶと同時に一本指歩法で剣太郎へと駆ける。それに置いてぼりをくわないよう俺も最初の一歩を強く蹴り出し、向かっていく。
天之宮、当真の企みで集められたはずの連中が起こした両家の思惑とは関係ない私闘はそんな風に始まった。




