第十話
学園の裏にある公園を通り、コテージを目指す生徒会役員の面々+1(もちろん+1は俺の事)。学園の裏と表現したが、もう少し正確に言えば校舎と寮を結ぶ道の分岐を通り、校舎を大きく迂回するのでどちらかと言えば校舎と寮を両辺とした三角形の頂点に位置すると言った方が正しく、むしろ裏側にあるというのは語弊がある。いちいち指摘するほどでもないというわけで学園の人間は"校舎の裏にある"で通じるのだが、学園に来たばかりの時、飛鳥に決闘の場所として指名されたここになかなか辿り着けなかったのは記憶に新しい。
決闘以来、立ち寄る機会はなく、待ち合わせを優先していた為あまり意識していなかったのだが、改めて足を踏み入れてみると広場がいくつかあり(飛鳥と決闘したのはその内の一つ)、それを繋ぐ遊歩道が緩やかな斜度で整備されていて、これまた公園というより、ジョギングコースという方が近い。
遊歩道はそのまま頂上に繋がっていて、そこで小休止の後、反対側へと向かう道を通ってコテージへ向かう。昼食はコテージで採る予定なのでだいたい2~3時間くらいか。つまり、それまで──
「……」
「……」
「……」
「……」
──この沈黙に耐えなければならないというわけだ。
時折、会長と真田さんが二言三言言葉を交わす以外、会話らしい会話がない。飛鳥が会長と揉めた時も思ったが、生徒会の面々の仲はあまり良くない。一番関係がまともそうな会長と真田さんにしてもビジネスライクの域は出ないだろう。どう控え目に評しても和気藹々という感じがしない。
それでも今までそのスタンスで生徒会が回っているのならそれも一つの形なのだと理解できた。しかし、現状の空気にさらされているといくらなんでも度が過ぎると思う。一言で言うなら警戒しているというのがしっくりくる。だが、何に対してだろうか? 何にしてもこの息苦しさは勘弁願いたい。とりあえず現状を打開すべく、今も俺の手をとったままの要芽ちゃんに話しかけることにする。
「そういえば、食堂で再会した時以来だよね」
「……優之助さんが怪我をしたというのに一度も顔を出さなくて、すみませんでした」
血の気が引いたのだと一目でわかるほど顔を青くさせ、いきなり俺に謝る要芽ちゃん。どうやら俺が入院した時に顔を出さなかったのを責めていると勘違いしてらしい。動揺しているためか、徐々に挙動がおかしくなる彼女に対して、慌てて否定する。
「あ、いや、要芽ちゃんが忙しいのは何となくわかるし、会長に言付けてくれたじゃないか。気にしないでくれ。むしろ一連の騒ぎでいらん仕事増やした俺の方が謝るべきだ」
フォローする為に思わず口にしたが、実際俺と瞳子が引き起こしたことは学園、ひいては生徒会に迷惑と混乱をこれ以上ないほど振りまいたはずである。仮に俺が顔を出さなかった事について不義理だと言おうものならお門違いだと非難されるレベルである。要芽ちゃんが謝る必要は一切ない。
「だから、改めて言わせてほしい。俺達のせいで要芽ちゃんに迷惑をかけた。……本当にごめん」
要芽ちゃんに向き直して頭を下げる。そんな俺を見て、頭を上げてくださいとか、優之助さんは悪くないとか、違うとか、俺に罪はないのだとほとんど悲鳴に近い声が要芽ちゃんから聞こえてくる。最後の方は嗚咽が混じってきている。視線を上げると、目に涙を浮かべ、号泣寸前まで表情を歪ませた顔を左右に振っていた。
やばい、と思ったがすでに時遅し。今度は要芽ちゃんの方が頭を下げた。……下げたというか、泣き顔を隠すようにその場にしゃがみ込んだという方が正しい。
「か、要芽ちゃん?」
「……見ないでください」
しゃくり上げた涙声で途切れ途切れになりながらようやくそう言い切る。どうすればいいのか悩む一方で、前にもこんな風に泣かせてしまった時の事が頭をよぎる。思えば、その時も俺が悪いにもかかわらず、俺のせいではないと言い続け、しまいには泣いてしまったのだ。場面は憶えているのだが、何が切っ掛けか忘れてしまった。
憶えているのは彼女が泣き止むまで傍にいた事と、涙を貯めに貯めたその目が水に浮かべた宝石のようにキラキラしていた事。陳腐な表現だが、そう錯覚してしまうほど綺麗だった。一度見れば、多分忘れることはないと思う。あんな──
「──って、現実逃避してんじゃねぇよ!」
思わず、そんな自虐が口にでる。突然の大声のせいか、それとも自虐が非難に聞こえたのか(おそらく両方だろう)、小さく丸まった体が竦む。
「違うからね! 今のは自分に言ったんだよ」
なんか負の連鎖だなとげんなりしながら、さっきから会長達の存在を忘れていたのを思い出す。先行しているはずの会長達の方を見ると、俺達の所から十数歩先の距離にいつだったか前に見たような感じで三人とも硬直していた。当たり前だが、今までのやり取りが全部丸見えの筒抜けなのでとても気まずい。何とも言えない視線を真正面から受け止める度胸はなく、さりとて要芽ちゃんを見るのも躊躇われ、どこを向けばいいのか迷う。
「……とりあえず、休憩しようか」
逸らした視界の先に偶然映った頂上へ指さし、なんとか言葉を絞り出す。幸いな事に反対する意見は出なかった。
*
「──想像しなかったわけじゃないけど、実際見ると結構クる光景よね」
「そうですね」
「……そうだな」
誰にと言わずに呟いた私を律儀に返したのは凛華と桐条さんだ。この場にいるのは私を除けば、凛華、桐条さん、平井さん、そして御村の四人。その内、私の呟きに返答しなかった二人は私達からわずかに離れた後方で手を繋ぎながら私達に続いていた。手を繋いでいると言うと恋人同士みたいに聞こえるけれど、実際は父親の手を引いて歩く娘という構図──親子関係に近い。回りくどいがあれは──
「──平井さんなりに甘えているのよね。……多分だけど」
「……おそらくは」
珍しく自信なさげに断定を避ける凛華。補佐としての立場ゆえか、それとも手札を無闇に晒すをよしとしないのか、凛華は基本結論をはぐらかす。決定権は会長である私にあるので、提案はするが、自分の意見はあまり言わないのだ。それでも言葉の端々に毒が混じるので、真田凛華の根底にある自信、言い換えるなら独特な個性は隠しきれない。
そんな凛華ですら、今の平井さんをどう相手すればいいのかわからないのだと思う。私も無理だ。これなら御村と当真瞳子とを戦わせるよう暗躍していた時の方がずっとマシだと言える。
一方、桐条さんはチラチラと御村達を見ては表情を硬くしている。なんというかとてもわかりやすい。……わかりやすいのだが、平井さんとは別の意味で扱いづらい。
これがただの三角関係なら内輪で好きなように、と言えるのだけれど、この関係に絡んでいるのは恋愛感情だけでもなければ(それが大半なのは否定しないけれど)、一般生徒同士でもない(生徒会役員と理事会関係者)。下手に火が付くとどう暴発するかわからないが、こちらにとばっちりがくるのは確実である。ただでさえ、これから先の展開に頭が痛いというのに、これ以上は勘弁してほしい。
「……先方は夕方に着くようです。話し合いは夕食の後でしょうね」
「だから、読まないでよ!」
本当に油断できないわね、この書記は。平井さんや桐条さんはもとより、頼もしいけれどクセがあり過ぎる。……人選間違えたかしら?
「──あ、謝らないでください」
突然の叫びに思わず身を固くする。声のする方を見ると、なぜか頭を下げている御村に対して、平井さんが何事か言い募らせている。泣き声が混じるので聞き取りにくいけれど、要は御村が下げた頭を上げさせたいらしい。
中々折れない御村にいよいよどうすればわからないのか、いやいやしながらしゃがみ込む平井さん。……どこの乙女だろうか? 明らかに普段の平井さんがやる行動ではない。今度は御村の方がどうすらばいいのかわからず、気まずそうに視線を彷徨わせている。ややあって、私達を見るが、すぐに逸らし、かと言って無言という訳にもいかなかったのだろう、取り繕うように頂上を指さし休憩を提案する御村。
最初からそのつもりだと言うのはお互い承知であるけれど、それをわざわざ指摘するのも躊躇われる。ただ一言、そうね、と返し、あまり御村達の方を見ずに先程よりも歩く速度を上げて頂上に向かう。上げた速度の分だけ、先程より距離が開いているはずなのに御村の励ます声と鼻をすする音が聞こえてくる。御村が手を引いて平井さんをエスコートしているのが見てもいないのにその光景浮かんでくるようだ。
平井さんをどう対処すればいいのか、御村をどう扱えばいいのか、ひいては学園をどうしていきたいのか、考えれば考えるだけわからなくなる。それは凛華も桐条さんも御村も、そして平井さんも多分わかっていない。いや、わからなくなってしまったのだと思う。だから、私達はコテージに向かう。どうすればいいのか決める為に。
今更よね、と自嘲しつつ、今は段々と先々に広がっていく景色を楽しむことにした。




