epilogue
理央は真っ白な空間にいた。
そして目の前にほわほわ浮かぶのは、真っ黒な球体。
(……デジャブ?)
色彩を反転させただけの昔よく見た光景によく似た光景に、理央は首を傾げた。それと同時にある結論に達する。
――これは夢だ、と。
「夢じゃありませんよー」
「ぅわっ」
と思ったら、目の前の球体に否定され、理央はびくりと後ずさった。後ずさった理央を見て――いや、目があるのか知らないが――見て、球体が「あはははは」と棒読みっぽい笑い声を上げる。
ちょっとイラっとした。
「ええと、夢じゃない……?」
「はいー。というか、貴女以前にもこういう経験しましたよね?」
「……まさか、あなたも」
「はいそのまさか。神です」
威厳も何もあったもんじゃない自己紹介に理央は脱力する。神様ってみんなこんなんなのか。
「まあ神ってのは呼び名のひとつに過ぎませんから、そんなに落ち込まないでください」
「はあ」
「で、今回貴女を呼び出した訳なんですけどー」
理央は嫌な予感がしてがばりと顔を上げた。
「まさか、また召還、とか」
「違いますって」
即座に否定されて、途端に安堵が胸に広がる。『あれ』から何年か経って、今でも向こうの世界がどうなってるのか想うことはあれど、もう一度向こうに行く気などなかった。
「今回貴女を呼び出したのは……ええと、なんて言えばいいんですかねー。あんまりにも向こうさんがしつこくて通しちゃったんで、一応お話だけ通しておこうかと」
「話が全くわかりません」
「うん、僕も実はよく分かってません。……まあ、あれですね。とにかく――すみません」
ぺこっと上半分を軽く曲げて謝っているらしい球体に、理央はなんのことかと尋ねた。だが、
「すみません、僕もまだ詳しく言えないんですー。
あ、あともう一つ。アレ、返品不可なんでー」
ぐにゃぐにゃに黒と白が混ざり合って、球体の声が遠ざかっていく。それと同時に理央の意識も遠くなっていって、一旦途切れた。
+++++
「変な夢見た……」
理央が朝目覚めて開口一番に呟いたのはそれだった。いや、夢じゃなかったのかもしれないけど。
夢の中の自称神(黒)は結局、なにが言いたかったのだろう。最後に返品不可とか言っていたが……よく分からない。布団の中でしばらくあの夢の意味を考えていたが、寝ぼけた頭で答えがでるはずもなく理央は起き上がった。
「おはよう……」
部屋を出て一階に下りると、リビングで母親が手際よくおにぎりを握っているところに遭遇した。
「ああ、おはよう理央」
「お父さんは?」
「とっくにお仕事よ。理央は今日は?」
「午後から授業……食べていい?」
多分これからお弁当箱に詰められるのだろう。皿の上に行儀良く並んだ三角おにぎりを指差し尋ねると、「二つまでなら」という母からの許しを得た。
立ったままだと怒られるので、椅子に座ってからおにぎりを口に運ぶ。
流石母の一番の得意料理。塩加減が絶妙だ。
「お母さんももうすぐ出るから、出かける時は戸締まり気を付けてね」
「うん」
「あ、あとお隣さん今日越してきたみたいよ。挨拶に来るかもしれないからよろしくね」
「んー」
母の言葉にうんうん頷きながら、理央は二個目に手を伸ばした。
お隣さんか。感じのいい人達だといいけど。もぐもぐ口を動かしながら考えてると、母も理央と同じことを心配していた。
――理央がこちらの世界に帰ってきてから、既に三年が経った。
神のおかげでこちらの世界での時間は、召還された時より一時間も経っていないことになっていたわけだが、精神的には8年のブランクを持つことになった理央は、久々の日常生活に内心苦労した。特に一番苦労したのは、勉強面だろうか。
戻ってすぐのテストなどは散々な結果で、元々成績はそこまで悪くなかった理央は、両親や教師達に心配されたのを今でも覚えている。
まあ、そのブランクを取り戻そうと猛勉強したお陰で今の大学に入れたとも思うので、悪いことばかりでもなかったけれど。
大学には面倒見の良い先輩がいて、友人もそこそこ。お陰様で理央も楽しくやれている。
「さて、私もそろそろ行かないと」
のんびり支度している間に大学に行かなければならない時間が迫っていた。
鏡の前で一応おかしいところがないかチェックしてから、理央は自室を出た。
(そういえば……今日の夢、結局なんだったんだろう)
階段を下りながらふと思い出すのは、今朝見た夢のこと。
そもそもあれは夢だったのか、本当だったのか――理央がつくった夢にしては、妙に実感があったため本当のような気はするのだが。
のんびりとした話し方の自称神は、なんて言ってただろうか。何か、やたらと謝っていた気がするが。
(あと、返品不可とか、通しちゃったとかなんとか言っていたような)
朧気な記憶を手繰り寄せていた時だった。
――ピンポーン
訪問を告げるインターホンの音が家の中に響く。ああ、そういえば新しいお隣さんが挨拶に来るかもと言っていたから、その人だろうか。
丁度出掛ける所だったこともあり、理央はそのまま玄関を開けた。
「はーい、……」
そして、扉を開けたら何故か真っ暗になった。
(……えーと)
落ち着いて考えてみよう。
扉を開けようとしたら、まず手を引っ張られた。それで、顔面が何か堅いような柔らかいようなものにぶつかった。視界を塞いでいるのはそれだろう。そして、腰に回った大きな手の存在。
つまりはまあ、抱きしめられている。
――お隣さんかと思ったら変質者だったのか!
状況を理解した理央は、まずその変質者から離れようとさっきまで自分の目を塞いでいた逞しい胸板を押した。が、びくともしない。こんな時今はもう無いチート能力が恋しくなるが、今はそんなこと考えてる場合ではない。
力では叶わないことを悟った理央は、相手を睨みつけ次いでに叫んでやろうとした。――が、
「へ」
口から出たのは、脱力したような間抜けな声だった。喉まで出かかった悲鳴が、しおしおとお腹の方に戻って、霧散してしまう。
変質者(仮)は、声と同じく間抜けな表情を晒した理央を見下ろして、蕩けるような微笑を端正な顔に浮かべた。
じっと自分を見つめる瞳は、今時日本人でもなかなか見られないくらい純粋な黒で、どこか艶があった。
年は、20代の後半から30代前半といったところだろう。スッと通った鼻梁や形良い唇。繊細に整った育ちのよさそうな顔に、程よく日に焼けた肌が親しみやすさを加味させている。
キッチリと着こなしたスーツと短めな黒髪は爽やかな営業マンといった雰囲気だ。
――髪の色も瞳の色も、年齢だって彼らと重なるところなどない。けれど、馬鹿みたいに男の顔を見上げていた理央の唇からこぼれでたのは、彼らの名だった。
「セイ……? レイ……?」
「――はい」
落ち着いた涼やかな声が、耳を打つ。
じわりと、涙が溢れた。
「どう、して……」
「転生って言うんでしたっけ。神様を脅、………いえ、神様にお願いしました」
脅しって言ったのを聞き逃さなかった理央は、やはり男が彼らなのだと妙に納得してしまった。
(あれ……でも)
理央は普通に彼らと言ってしまっているが、実際目の前にいるのは1人で。一体どうなっているのだろうと彼を見上げる。
心底嬉しそうな微笑は、やはり彼らと重なる。
首を傾げてそのことを問うと、こんな答えが返ってきた。
「どちらでも。僕はセイでもあり、レイでもあります。体が一つしか用意できなかったそうなので、こういう形になりました」
「えっと……つまり、2人入ってるってこと?」
「そういうことですね。まあ、元々2人で一つみたいなものでしたから、特に不都合はありませんよ」
――んな馬鹿な。
とは思ったが、やはり男からは2人の気配を感じるのでこの体に2人が同居してるのは間違いなさそうだった。
双子だからこそ出来た芸当……なのだろうか。
感覚では理解しているものの、論理的な部分がまだ混乱中な理央の体を、彼は隙間をなくすように抱きしめた。
「どこまでもついて行くって言ったでしょう?」
「……でも、異世界までついて来るなんて」
「理央様がいるところが、僕らの世界です」
だから、異世界なんて関係ありません。
きっぱりと言われて、理央はやっぱり泣きたくなった。いや、既に泣いていた。
(返品不可って――このこと?)
ぎゅうぎゅう抱き締められながら、理央はようやく夢の中で黒い自称神が言っていたことを理解する。
よりにもよって彼らを送りつけてくるなど――――本当に、厄介なことをしてくれる。
ああ、でも――
「これからは、お隣さんとしてもよろしくお願いします」
甘ったるい声で囁く彼の言葉が、理央にトドメを刺す。
――でも、一番厄介なのはきっと……彼の存在を喜んでいる、自分の心だ。
双子、まさかの「エヘ、来ちゃったv」エンド。ストーカーは異世界の壁を超えたようです。
こんなエンディングで大丈夫かとも思ったのですが、色々書いている内に理央も簡単には異世界のことを――というか、双子のことを切り離せなくなってしまったので、こういう形になりました。
双子がどういう道筋を辿って転生したのか、どうして今まで理央に会いに来なかったのかは双子視点の番外編で書きたいと思ってます。とりあえず理央の物語はここで終了、ということで。
ノリと勢いで書き始めた話ですが、多くの人に色んな形で反応をいただいたお陰で、ここまでたどり着くことができたのだと思います。
本当に、ありがとうございました。そして、よろしければもう少しだけお付き合いください。