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今夜、ずっと願い続けていたことが、ようやく叶う。
嬉しいはずだ。涙を流して、喜んでもいいくらい。
ようやく、本当にこの世界と別れることができる。
なのに――胸の内に蟠る、この気持ちは一体なんなのだろう?
いつもより少し豪華な夕飯を終え、簡素な木製のテーブルには今、小さな指輪がひとつ載っていた。
「これは、ノマライト王に」
蜜色の石がはめ込まれた指輪を、すっと人差し指で双子の方に押しやって、リオウは双子を見つめた。
「私が帰ったら、彼に会いに行って。そしてこれを返して、私が無事帰れたことを伝えてほしい」
双子はやはりというべきか、複雑そうな表情で指輪を見つめていた。……まあ、こんな形見分けみたいなことされたら、当然の反応かもしれない。
けれどリオウは、途中で止めることはなかった。次に手に取ったのは、テーブルにたてかけていた剣。
リオウがこの世界に来てからずっと使っていた、言わば愛剣だ。
「こっちはゴーラント将軍に。彼らにも、同じことを伝えて」
聖剣というわけでも、特別な装飾がなされているわけでもない、一般兵士が使うものに比べれば少し上等な程度のなんの変哲もない剣だが、鞘には理央の名が刻まれており身分証の代わりになるはずだ。だから、
「もし、向こうがいらないと言ったなら、これらはあなた達が持っていてほしい」
もし、とは言ったがグラエルもゴーラントも思い出に縋るタイプではない。おそらくそうするだろうと、理央はどこかで確信を持っていた。
――本当は、双子に頼んだ言付けなどついでにしか過ぎない。これは、今目の前にいる彼らのこれからを考えてのことだった。
この世界での彼らの身分は、とても心許ない。たとえ元であっても奴隷であったことを知られれば、彼らたちまち蔑みの対象にされるだろう。
しかし、指輪と剣を持つことで彼らの『勇者の従者』だった過去が証明されれば、そしてグラエルやゴーラント家の人々が理央が去ったあと彼らの助けになってくれれば、彼らがこれから歩くだろう道を固めるくらいは出来るだろう。
――矛盾しているとは思う。彼らを捨てて去っていく身でありながら、彼らのその後を心配するなど。
けれど、彼らにはちゃんと自分の道を歩んで欲しかった。理央にとっても彼らは――――大切なひと、だから。
剣もテーブルの上に置いて、理央は双子をまっすぐに見つめた。
「あと、私が他に置いていったものは、好きにしていいから――」
「リオウ様」
「……なに?」
レイに唐突に名を呼ばれ、理央は思わず身構えた。今まで大人しく理央の話を聞いてくれてはいたが、それが自分を諦めてくれたわけでないことは、ずしりと重い空気で察していた。
揃って眉間に皺を寄せた双子の内、セイが口を開く。
「ひとつだけ、聞きたいことがあります」
「……うん」
頷くだけなのに、妙に慎重になってしまう自分がいた。だが、その次にレイが口にした『聞きたいこと』は、理央が予想だにしていないものだった。
「リオウ様は僕たちのこと、どう思っていますか」
「………え?」
「好きか嫌いかでいいんです。僕達と過ごした時間は、あなたにとって無駄なものだったかどうかだけ、教えてください」
質問の意図を計りかねて逡巡する理央。だが注がれる真剣な視線に、嘘も誤魔化しも通用しないことを悟り、理央は正直な気持ちを口にした。
「……好き、だよ」
――好きか嫌いかでいえば、好きに決まっている。
彼らのその想いが枷になっていることを分かっていても、彼らを嫌いになることなど出来なかった。
このまま、3人でひっそりと暮らしていけたら――こうして隠遁生活を送りはじめてから、そんな想像をしてしまったことがどれほどあったか。
(でも、そんなことは許されない)
理央はずっと、元いた世界に帰るための道を走ってきた。それなのに今更違う道を行くなど、許されない。
それは今までの理央を、否定するということだから。
(……でも、)
理央は躊躇いながらも、口を開いた。
「セイとレイと、三人で過ごした時間は決して無駄じゃなかった。
私にとっても、大切な時間だった」
――せめて、これだけは伝えても許されるだろうか。
「2人とも、大好き」
精一杯笑顔を作って告げると、双子も安堵したように微笑みかえしてくれた。
少しだけ、心の蟠りがほどけたような気がした。