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「お待たせして申し訳ございません、殿下」
王子殿下が待つ部屋に通された理央は、まず謝罪した。途中フィアンナさんとの会話で、思ったよりも時間を食ってしまった。
理央は顔をあげる。自分を見下ろす、人。
「堅苦しい挨拶はいい。こちらへ」
「はい」
しかめっ面のヴェリオスに促され、理央は用意されていた椅子に腰を下ろす。その間もヴェリオスのそのしかめっ面は崩れることはなかった。
「気に入らない」と視線で語ってくる彼に、やはり嫌われているのだなと再認識する。謁見の時からそうだったが、殿下はずっと物言いたげな視線を理央に向けていた。
理央が召喚された当初、偉そうなことは変わりなかったが、しかし理央を気遣う言葉をかけてくれた彼とは別人のようだ。
多分、こっちが本当のヴェリオスなのだと思う。理央を利用する必要がなくなったから、演技もなくなったのだろう。
――彼とこうやって話す必要は、なかったかもしれない。
王から頼まれたのもあってこうしてこの場を設けてもらったが、全てが無意味に終わってしまいそうな予感を理央は抱いていた。
「城を、出ると聞いた」
理央の向かいの席にヴェリオスも腰を下ろし、まずそう切り出してきた。理央は顎を引き答える。
「はい」
「――何故?」
「元の世界に帰るため、です」
「だからどうして、それが城を出ることに繋がる」
「このまま此処にいては、一生帰ることは叶わないだろうと言われたので」
それに理央自身、もう限界だった。衣食住を世話してもらっておいてこんなことを言うのは恩知らずかもしれないが、フィアンナの言う通り理央には此処は窮屈すぎる。
だが、あっさりと理央を放り出すと思っていたヴェリオスは意外にも食い下がってくる。
「言われた?――誰に」
「……神です」
「神?」
まるでその存在を信じていないような声音。理央も何を信じるかは個人の自由だと思うが、仮にも神の守護を受けるこの国の王子として、それはいかがなものだろうか。
「……そもそも、何故帰るだなどと…」
神のことは一旦置いておくことにしたらしいヴェリオスを、理央は黙って見やった。
――貴方が、それを言うのか。
胸に冷ややかなものが広がる。もし彼が理央を利用しようとしなかったとしても、結局理央は帰ろうとしたかもしれない。しかしそれはもしもの話で、実際にヴェリオスは理央の引き金を引いたのだ。
そして、今も彼は引き金を引こうとしている。
理央の怒りの、引き金を。
「リオウ、何が不満なんだ」
何もかも。貴方に名を呼ばれることさえ本当は嫌。
「部屋も、食事も衣服も、何不自由なく整えたはずだ」
全部貴方が作ったわけでもないでしょうに。
「ここにいれば、何不自由のない生活を送れる。名声も、富も、思いのままなのに」
そんなものになんの価値があるというの?
「どうして、それらをわざわざ手放すような真似を……」
(――やめた)
組み合わせた両手の上に額を載せたヴェリオスを冷めた目で見つめながら、理央は心の中でうねり荒れ狂う怒りを唐突に断ち切った。
急に、馬鹿馬鹿しく思えてきたのだ。
目の前で沈みこむヴェリオスも、彼に対し怒りを抱く自分も。元来怒りが長く持続しない性格であるのも関係しているのだろう。
理央は溜め息を1つ吐いて、立ち上がった。
「リオウ?」
「何を言われても、私の意志は変わりません。それ以外のお話がないのでしたら、これで」
こうなるとここにいることすら馬鹿馬鹿しく思えてきて、理央は退室しようと一礼をしてからヴェリオスに背を向けた。だが、
「待ってくれ!」
手首を掴まれ、理央は振り返る。切羽詰まったようなヴェリオスの顔が、そこにあった。
「…なんですか?」
「………行かないでくれ」
「何故?」
今度は理央が問い返す番だった。どうしてヴェリオスが自分を引き止めようとするのか知らないが、城を出るという理央の意志は絶対に変わらない。これ以上話しても時間の無駄だろう。
しかしヴェリオスは理央を離すことなく、むしろ抱き寄せ――――間近で理央の瞳を見つめながら言った。
「好き、なんだ」
理央はゆっくりと瞬きをした。
腰に回ったヴェリオスの腕が、拘束を強める。
「愛している。王妃として、俺のそばに――」
言い募るヴェリオスの声が、途中で途絶える。どうしたのだろうと疑問に思うが、その答えはすぐに見つかった。
目の前の蒼い瞳に映る自分は――笑っていたのだ。
ああ、なんて、歪な笑顔。
瞳の中の自分が、笑みを深めたように見えた。
「……リオウ?」
「今度は誰に命令されたんですか?」
「なにを、言って、」
「陛下はもう諦めてくれたと思ってたんですけど……ああ、神殿の命令ですか」
「何を言ってるんだ、俺は」
「また私を騙して、利用するつもりなんでしょう?!」
声を荒げ、理央はヴェリオスを睨め付けた。一瞬虚を突かれたように呆けた彼は、やがて理央の言葉の意味を理解したのか色を失う。
「知って、いたのか?」
どうやら理央が今まで気付いていないと、本気で思っていたらしい。――この人は、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのか。
理央はヴェリオスの胸板を押して、彼から距離をとる。
そして、真正面から彼の蒼い目を見て口を開く。
「もういいって、言ったでしょう?」
青空のような瞳の中に浮かぶ自分は、やはり歪んだ笑みを浮かべていた。
理央さんがブチ切れました。大分病んでますね。