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『ついて行きます』


レイにもセイにしたのと同じことを話すと、彼は取り乱すことはなく、けれどはっきりと理央に宣言した。


『連れて行ってとは言いません。リオウ様がどこに行っても、僕は這ってでもあなたについていきます』


いつも穏やかな双眸に、強い意志をのせて。理央の意志をまるきり無視した返答に、理央は泣きたくなった。






「リオウ様、本当にお荷物はこれだけで……?」


理央にあてがわれた城の一室には、まるで通夜のような湿っぽい空気が漂っていた。荷物などの準備をしてくれている三人官女の目は赤かったが、理央はあえて見ないフリをして笑って頷く。


「はい。元々私が持ってたのってそれぐらいですし。頂いた品々はこちらに置いていった方がいいでしょう?」


2・3着の普段着と、一振りの剣。ずっと旅をしていた理央が持っていたのは、それぐらいだった。どこへ行くのかもまだ定まっていない旅に出るのなら、身軽な方がいい。


(あと、これも)


理央は指に填めたままにしている指輪をそっとなぞる。

これをくれたグラエルは、理央より一足先に城を出て、自国に帰っていった。最後まで理央に『元の世界に帰るまでは絶対に指輪は捨てないで』と念押ししてきたので、また指切りをして。


――結局、全て捨てることもできずに今日、理央は城を出る。



「…うっ、…り、リオウさまぁ~」


ぐす、と鼻を啜る音がして顔をあげると、女官のティルファが顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

理央が城を出ると告げた日に枯れてしまったと思っていた涙だが、まだ残っていたらしい。美人が台無しだ。

他の2人も似たようなもので、しゃくり上げる声が理央の耳を打つ。だけど理央は、彼女達に何も言わなかった。――彼女達まで、連れて行くわけにはいかない。


「ごめ、なさっ、……でも、離れたくないんですっ」

「どうしても、でて行かれるのですか……?」

「いやです、リオウさまぁ…」

「……ごめんね」


理央に言えるのは、それくらいのことだった。我ながら酷い奴だとは、思うけれど。



理央の態度に、女官達の涙が止まるわけもなく。理央がどうしようかと悩んだ時、ぱんぱんと湿っぽい空気を払うように手を叩く音が部屋に響く。


「あなた達、泣いている暇はありませんよ。これ以上リオウ様を困らせるつもりですか」

「女官長…………はい」


フィアンナの一言により、女官達は涙を引っ込めた。まだ時折鼻を鳴らしてはいたけれど、テキパキと荷造りをし、外に運びはじめる。

さすがは大勢の女官の上に立つ人だ。理央がフィアンナのことを見ていると、彼女がこちらを向く。


「……リオウ様、殿下がお待ちです」

「――はい」


理央は立ち上がった。







こうやって城の中を歩くのも、これで最後かもしれない。そう思いながら理央は、前を歩くフィアンナの背中を見つめていた。


しゃんとのびた背筋からは全く老いを感じないけれど、きっちりと纏められた髪は白髪混じりで、彼女が生きてきた年数や、乗り越えてきた苦労を感じさせる。


「フィアンナさん」

「はい」

「今まで、本当にありがとうございました」

顔も見ずに言うのは失礼だとは思ったが、真正面から向き合ってこの言葉を言うのは避けたかった。

よくもらい泣きという言葉は聞くが、果たして涙腺が弱いのもうつるものなのだろうか。


「……なんですか、唐突に」


歩みを止めないまま、振り向きもせずにそう言ったフィアンナの声は、不機嫌そうだった。


「ずっと、言おうとは思ってたんですけど……なんだか照れてしまって」


まるで親に改まってお礼を言う時のような、そんなこそばゆい気持ちになるのだ。


「だから、そのままで聞いてください」


丸い肩を見つめながら、理央はそのまま続けた。


「――私、最初はフィアンナさんのこと口うるさい人だなって思ってました」

「知ってます」


即答されて、理央は苦笑する。まあ、多分顔に出ていたのだろうと思う。

あの頃はフィアンナとその他の口さがない人達を一緒くたに見ていた。


「でも、今は違いますよ」

その他の口さがない人達には、間違っていることを指摘せずに陰で笑う人や、指摘はしてくれても正解を教えずにただ理央の無知を責める人が多かった。


その中でフィアンナは、とても厳しかったけれど正解を教えてくれる数少ない人だった。


そして、服を汚したらいつも怒るのに、理央が血まみれになって帰ってきた時は、泣きそうな顔で近寄ってきた、唯一の人。

――あの時理央は、本当はとても嬉しかったのだ。


「ハイグレードを出てからも、フィアンナさんの教えてくれたことがずっと、私を助けてくれました」


たとえば通貨の種類や、身分の高い人に対する態度の取り方。本当に、上げ連ねればキリがない。

その中でも一番役に立ったのは、やはりあの教えだろう。


どんな時でも背筋をのばし、真っ直ぐ前を向くこと。


そうするだけで不思議と力が湧いてきた。――今も、そう。

「フィアンナさん。ありがとう」


清々しい気持ちで、理央が感謝を言葉にのせる。

すると、フィアンナの足がぴたりと止まった。こちらを振り返るかと思ったが、彼女は肩をふるわせるだけだった。


「……私がはじめて、あなたを見た時になんて思ったか、知っていますか」

「いえ……」

「野生の獣の、ようだと」

「そうですか」


そう聞いても、別段嫌な気持ちにはならなかった。本当のことだったからかもしれない。


「警戒心が強くて、いつも嫌なことや私達からは逃げ回って。それなのに殿下には簡単に騙されるし、突然血まみれになって帰ってきたと思えば、すぐにまた出て行って今度は帰ってこない」

「……すみません」


改めて並べ立てられると、本当に馬鹿だったなあと自分でも思う。自分のことで手一杯だったとはいえ、あの時もっと広い視野をもてていたのなら、何か変わっていたのかもしれないと。

フィアンナが顎を上げ、更に続ける。


「――思えば、此処はあなたにとって狭すぎたのでしょうね。

野生動物を捕まえて、無理やり檻に押し込めたようなものだったのだと、思います」


「…そうかもしれません」

「今も、そうなのでしょう?」

「はい」


理央が頷く。

フィアンナさんや、女官達。城の中にも理央を大切に扱ってくれる人はいるけれど、やっぱりこの場所は窮屈だと感じる。

此処は、自分の居場所ではない。


「リオウ様」

「はい」

「ひとつだけ、願いがあります」

「……はい」

「元の世界に帰っても、私達のことを忘れないでください」


フィアンナの肩の震えが、大きくなる。


「憎く思われても構いません。女官達のことや、私のこと、すべ、て」


その後はぐすぐすという音に邪魔されてよく聞き取れなかった。理央には、それだけで十分だったけれど。


理央は震える肩に手をのばす。そして、フィアンナを後ろから抱きしめた。


「忘れることなんてできません」


夢にはなるかもしれない。でも、忘れることなど有り得ない。

特に、この人のことは。



だって、理央の体にはもう彼女が教えてくれたことが染み付いてしまっているのだから。

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