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「―――さま、リオウさま」
今にも泣き出しそうな声が理央の名を呼ぶ。
この声は――セイのものだ。
重い瞼を持ち上げると、眼帯をしていない方の瞳に涙を一杯に溜めた、隻眼の少年が理央をのぞき込んでいた。
「セイ……」
少年の名を理央が呼ぶと、彼はくしゃりと顔を歪めた。
ぽたり、頬に彼の涙が降った。
「よかった…っ、もう、目を覚まさないのかと思い、ました……」
そう言って力の限りに理央を抱きしめるセイの肩越しに、炎のように赤い空を見て、理央はまだ自分が魔竜王との決戦の地であったカーリーステルシャに居ることを知る。
(そうだ……まだ、こっちにいることになったんだ)
自称神との会話を思い出す。
……ようやく、帰れると思ったのに。
「…………」
「リオウ様? っまさか、どこかお怪我を?!」
「いや、大丈夫。……心配かけたね」
黙り込んだのを勘違いしたセイが顔色を変えるのを宥めて、理央は起き上がった。ついでに体に不調がないか確認しておく。――うん、大丈夫みたいだ。
「セイは、怪我してない?」
「あ、はい…僕は後ろにいただけですから」
しゅんとした様子のセイの頭をくしゃりと撫でる。
「ここまで来れただけでも十分凄いことだよ」
なにせ理央がいたのはこの戦争の最前線だ。軍人でもない彼がここにいること自体、奇跡みたいなものだろう。
頭を撫でられたセイは、嬉しそうに隻眼を細める。
「…………」
理央は、そんなセイを見て目を伏せた。
『理央を失いたくないと願う人物』自称神にその話を聞いた時、真っ先に浮かんだのはセイと、彼の双子の弟レイの顔だった。
彼らは、元奴隷だ。
ある貴族に飼われ、虐げられていたところを理央が助けたことがきっかけで、以来彼らは理央に付き従っている。
彼らにとって理央は、魔竜を倒す前から救世主だったのだろう。
向けられる純粋な敬慕の念が、今は痛かった。
「とりあえず、軍の人達と合流しなきゃね」
理央は翳りを見せた思考を振り払うようにそう言った。
ボスを倒してもここが敵陣ということに変わりはない。自称神が解決策とやらを探してくるのを待つにしても、それまで安全を確保できる場所にいた方がいいだろう。
「……やっと、終わったんですね」
セイが呟く。奴隷時代は屋敷から出ることは許されなかった彼にとって、ここまでの道のりは厳しいものだっただろう。
「うん……終わったね」
――そう、魔竜は倒した。
理央は空を振り仰ぐ。カーリーステルシャの空はいつでも燃えるように赤く、地面は乾いた赤茶で、ひび割れが目立つ。草木の生えぬ不毛の地。
人々はそう言ってこの地を忌避するが、理央にはそれがとても美しく見えた。
――そういえば、こちらに来る前にこんな風景をテレビで見た気がする。世界遺産とかの紹介をする番組で、夕日に照らされた時の風景などそっくりだった。
だからだろうか。何故か、美しいのと同時に懐かしくも想うのだ。
「帰ったら海外旅行でもしようかな……」
英語のテストの度に「海外など一生行かない」などと言っていた頃が遠い昔のようだ。
でも、異世界で勇者やることに比べたら、それぐらい軽いものだと今では思う。
「…行こうか、セイ」
「はい」
神に再び呼び出されるまで、しばらくはこんな風に故郷のことを思い出しながら、帰ったら何がしたいかのんびり考えるのもいいだろう。
もう、理央がやるべきことはないのだから。