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過去です。時系列がごっちゃりしててすみません。

「特別、仲が良い家族でもなかったんです」


頬に影を作る睫毛。華奢な肩。迷子になった子供のような、声。全てが少女を少女らしく見せていた。

初めて見た『勇者』のリオウではなく、ただの少女であるリオウの姿。

リオウがグラエルにとっての『特別』になった瞬間だった。




気付けば世界は腐敗していた。


長く魔竜の脅威にさらされていた国々の行く道は、腐敗するか、研磨されるか――その、2つだった。


ノマライト国は前者で、当時の国王――グラエルの父は、女と酒に溺れ享楽に耽る日々。放り出された政務はそんな父におもねる姦臣達に自分達の都合のいいように回され、そのしわ寄せは民衆へと向かう。

収入を遥かに上回る税をかけられた下々の者はある者は飢えて死に、ある者は国を捨て、ある者は逆らい――殺された。


その様はまるで、沈みかけた船のよう。


幼かったグラエルが自国の腐敗具合に幸いにも気付けたのは、正妃であった母と一部のまともな人間のおかげだろう。



母は強い人であったのだと思う。自分以外の女に夢中になり、こちらを見向きもしない夫は早々に見限り、我が子を守ることだけを考えた。

その結果、グラエルは13の時に隣国であり母の故郷でもあるハイグレードに留学させられ――その後、母は亡くなった。

死因は未だにはっきりと分かっていない。葬儀すらも行われることはなく、すぐに別の女が王妃の座に付いたという。


それから5年、耐えた。


自国が坂を転がり落ちるように腐敗していく様を、母が我が子と愛しんだ民が国に喰われていく様を、隣国からただ黙って見つめて。


『国を救えるのは、あなただけ』


だから簡単に命を投げ出してはいけない。留学に出る前に母がグラエルに言った言葉が、まるで呪いのように感じた。


グラエルは何もできない苛立ちと焦燥をぶつけるように己を研磨した。そして5年後、漸くハイグレードの力を借りてグラエルは自国を取り戻したのだ。



――リオウがノマライトを訪れたのは、それから更に7年が経った時だった。


はじめて見た時、母に似ていると思った。容姿がではない。生き様が、その姿勢が母によく似ていた。

夫を諦め、息子に望みをかけた母のように。何かを諦め、別の何かを取り、そのために生きる者。切り捨てるということを知った者の姿。




この娘は、一体何を諦めたのかと、最初に抱いた興味はそれだった。






「陛下、いきなり現れるのは止めてください」

「何故」

「うっかり切り捨てそうになるんです」


窓から現れたグラエルに向かってそう言った彼女の手は、確かに剣にかかっていた。

――はじめは興味本位で近付いていただけだったが、グラエルはいつの間にかリオウを好ましく思っていた。

それは気の置けない友人に対するような「好き」だったかもしれないし、もっと甘い色を含んだそれだったかもしれない。


気付けばグラエルは日課のようにリオウのところへ通っていた。「異世界に興味がある」フリをして。


「さて、今日は何の話をしてくれる?」


リオウのために用意した部屋の椅子に陣取り、彼女を見上げると彼女は頭が痛そうな顔をしていた。

「分かりました。では今日は――」


嫌そうな顔をしても、結局グラエルの願いを聞いてくれる。そこもまた、グラエルが好ましく思うところだった。

そっけなくて面倒くさがりの癖に頼られると無碍にはできない。そんな人間くささが、好きだった。



「どうして、リオウはそんなに頑張るんだ?」


そんな問いを投げたのは、どうしてだったか。城に滞在する間も鍛錬を怠らず、鍛錬場で剣を振るう姿を見たからだったと思う。

あるいは、その時にはもうグラエルは感じ取っていたのかもしれない。リオウがこの世界を決して好いてはいないことを。

グラエルが王になったのは、母のためだった。母の愛したノマライトを取り戻すためだった。だからグラエルはここまでやってこれたのだと思っている。


――だが、リオウは?


異世界のことを話す時のリオウは、いつも愛おしさと切なさが入り混じった顔をしており、確かにそこに彼女の世界を感じた。

けれど、こちらの世界には? 彼女が守るべきものや愛すべきもの――勇者になる理由が、彼女にはあるのだろうか。

不意に湧いた疑問をグラエルが投げ掛けると、リオウは虚をつかれたように目を瞬いたあと、ぽつりぽつりと語りはじめた。


「特別、仲が良い家族でもなかったんです」


彼女の周囲の――小さな、世界の話。


「両親はどちらも働いていて、たまに二人とも休みがとれても家でのんびりしてることが多くて、その時だって会話もそんなになくて……でも、仲が悪いわけでもないんですよ」


苦笑する彼女は、けれどどこか幸せそうで、眩しかった。


「友達もいました。なんとなく仲良くなった子達で、なんてことない話で何時間も話したりして……」


長い睫が、ふるりと震えて頬に影を作った。儚げな姿に、思わず華奢な肩を抱いてやりたくなったけれど、できなかった。

彼女を取り巻く空気は、グラエルの手を拒絶していたから。


「私が頑張るのは、元いた世界でまたそんな日常を送るためです」


黒目に強い光を宿して、まっすぐに前を見るリオウに、グラエルは魅入られた。

そして、理解した。



――彼女が諦めたのは、世界であり――そこに生きる、自分達であるのだと。





「私は、帰りたいんです」


そしてグラエルは、想いに蓋をした。

暖かな気持ちだけは、そのままに。

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