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「すみません、ムリです」
「は」
思いも寄らぬ答えを聞き、理央はぽかんと口を開けた。
今、コイツは――この、自称神はなんと言った?
数秒間があいてから、理央は眉間に皺を寄せこの一年で随分と迫力を増した睨みを効かせて目の前の白く丸い発光物体に問い直す。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
自称でも神に対して随分砕けた物言いかもしれない。だが、理央は目の前の発光物体をどうしても敬う気にはなれなかった。まあ理央が今いるこの真っ暗な空間には自分と彼(?)しかいないので咎められる心配もないから構わないだろう。
自称神がぴこぴこと忙しなく点滅を繰り返す。どうやら焦っているらしい。
「あの、だからですね。貴女を元の世界へと還すことは――ひっ!すみませんすみません!」
「謝らなくていいから、ちゃんと説明して!」
「はいぃっ!」
理央の周りを発光しながらうろちょろと飛び回るのが鬱陶しくて怒鳴ると、自称神は怯えたように身を伸び縮みさせ、泣きそうな声で返事をした。相変わらず神の癖に情けなく、その姿はどこか小動物めいている。
「……約束、したわよね」
冷静に、冷静に――――そう自分に言い聞かせても、口から出たのはいつもより幾分か低い声だった。案の定、萎縮した声が返ってくる。
「はい…ですがそのぅ……あの時とは事情が変わりまして……」
「事情って?」
「貴女は、召還された勇者として一年を私の世界で暮らし、そして魔竜を見事討伐してくれました」
自称神の言葉に、理央はうんうんと頷く。
――元々理央は、魔竜に虐げられていたあの世界の住人ではない。現代日本にいる、ごくごく普通の女子高生だ。
当然、こちらに来るまで剣を持ったことも魔法を使ったこともない。
そんな彼女が何故異世界で勇者なんて職業をやっていたかと言えば、十中八九今目の前にいる物体のせいだろう。
彼はある日突然理央の夢の中に現れて、こう宣ったのだ。「勇者になって、私の世界を救ってください」と――
その時は所詮夢と取り合ってなかったのだが、翌日目を覚ませばそこは異世界で、気付けば勇者として祭り上げられて今日にまで至る。
理央が言った約束、とはその後にも色々あって、自称神と交わしたもののことだ。
『魔竜を倒したら、元の世界に帰してもらう』
この約束のために、理央は今日まで余所見することなく頑張ってきたのだ。
魔竜を倒したのは、自称神に与えられた加護という名のチート能力によるものが大きいが、理央自身も決して膝を折ることをしなかったこそ、ここまで来れたのだと思っている。なのに――
「どうして」
ようやく帰る条件を満たしたはずの理央に自称神が突きつけたのは、「無理」という二文字。
理央の心の中では、「どうして」「何故」が吹き荒れていた。
「……貴女は、私の世界に影響を与えすぎたのです」
「影響?」
「ええ。主に、貴女を好ましいと想う人――つまり、貴女を失いたくないと願う人が私の世界に多くいて、もし、貴女が元いた世界に還ってしまえば、彼らの悲しみが世界を歪めるでしょう」
「なに、それ……私のせいってこと?」
話の意味を理央なりに汲み取って吐き捨てると、自称神は悲しそうな声で「いいえ」と答えた。
「責は考えが甘かった私にあります。貴女は、世界を救った救世主。
その貴女を、私の子らが慕わないわけがないのに……」
やるせなさを含む声。彼も約束を違えることを本当に申し訳なく思っているのが窺えた。
「ねえ、世界が歪むって具体的にどうなるの?」
「世界に悲しみが満ちます。人々だけではなく、動物や精霊、世界に生きるすべての生命が悲哀に沈み、不幸を呼び、それは終わることなく――やがて、他の世界にまで影響を及ぼすでしょう。
……もしかしたら、貴女が生まれた世界をも、巻き込むかもしれません」
「なっ……」
絶句する。
どこかで自分には関係ないと思っていた。自分が帰ったあとこの世界がどうなろうと知ったこっちゃないとすら。
自称神は、理央のそんな考えを見透かしていたのだろうか。
「とにかく、私も解決策を考えますので、貴女はもうしばらくこちらで過ごしてください」
「そんな……」
――ようやく終わったと思ったのに。
どうやら、夢はまだ終わらないらしい。