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「お帰りなさいませ、リオウ様」
「…………お久しぶりです、フィアンナさん」
――ただいま、と言えない自分は、やはりひねくれているのだろうと思った。
謁見を終え、城内にあてがわれた部屋へと案内された理央を迎えたのは、女官長のフィアンナ・シェンマルトニーだった。
普段にこりともしない上に、少しつり上がった目尻が厳しそうな印象を与える彼女だが、城にいた頃世話になった理央は、彼女が暖かな人物であることを知っていた。
思えばこの人には大分苦労をかけた気がする。主に礼儀作法とか、人間関係とかの面で。
「早速ですが、湯殿の用意が出来ておりますのでまずはそちらで長旅の汚れを落としてください」
だからだろうか。彼女にはどうも逆らえない。断ることの出来ない雰囲気を醸し出すフィアンナに、理央は引きつった笑みを零した。
「あの、自分で洗えますから」
「いいえ、そういうわけには参りません」
「フィアンナ様の御命令ですので!」
「諦めてください」
1対3。これが魔物相手なら相手の数が十倍になっても負けない自信があるのに。
脱衣場でお仕着せを着た女性3人にじわじわと迫られながら、理央はそんなことを考える。どうしよう、勝機が全く見えない。
人に体を――しかも比べるのも馬鹿馬鹿しいくらい自分よりも綺麗な女性3人に洗われるなんて、苦痛以外の何物でもないというのに。引く様子を見せない女官達に、どうにかこの場を逃げ切れないものかと考えを巡らせた時だった。
「っ今よ!」
「え……うわっ」
どたばたどすん。
金髪の女官の合図により、他の女官2人が抑えにかかってくる。
下手に抵抗して相手を傷付けたらどうしようという不安からろくな抵抗も出来ずにいると、今度は服を脱がそうと手がのびてくる。
「あっ、ちょっ」
「はいはい、大人しくしてくださいねー。わあ、肌きれー」
「傷一つないですね」
「あら本当」
「ひゃっ?!」
あらぬところを触られ素っ頓狂な声が出る。服を脱がすのにどうしてそんなところを触る必要があるのだろう。
「っわかりました、大人しくしますから!だから、せめて服は自分で脱がさせてください…」
ぷにぷにとあらゆるところをつつかれた理央が諦めて譲歩の提案をすると、女官達は一斉に不満げな声をあげながらも渋々ひいてくれた。
――彼女達は仕事だというけれど、理央には面白がっているようにしか見えなかった。
その後の風呂場での攻防は割愛しておく。部屋に戻った理央の頭のてっぺんからつま先まで磨き抜かれた姿を見れば、軍配がどちらにあがったかなど誰が見ても一目瞭然だっただろうけれど。
バスローブのようなものを着せられたぴかぴかの理央を見て、やはりにこりとはしないまでも満足げに頷いたフィアンナは、「ではこちらをお召しになってください」と当然の流れのように理央にあるものを差し出した。
「……なんですか、これ」
「ドレスです」
「はあ……」
見れば分かる。
レースやらなんやらできらきらしい白い布の集合体は、まさか普段着ではないだろう。
よくよく見ればきらきらしいのは小さな宝石が布に縫い付けられているからで、こんなので外を歩けば一瞬でこれ着た令嬢ごと盗まれるだろうなあと考えながらドレスを眺めていた理央は、フィアンナの言葉を思い出し「ん?」と首を傾げる。
『では、こちらをお召しになってください』
と、いうことは――
「え、私が着るんですか?」
「貴女以外誰がいるんですか」
「……女官さん?」
多分理央よりもずっと美しく着こなすことだろう。理央の後ろに控えていた女官達を見れば、とんでもないと言わんばかりに首をぶんぶん横に振っていた。
「……明日行われる祝勝会のことは聞いていますね?
こちらはそのために作られたドレスです。直しもありますので一度試着してみてください」
明日の祝勝会。そのために作られたドレス――それを着る自分。理央の頭の中でようやくすべてが繋がる。
「私、明日ドレス着なきゃいけないんですか!?」
しかもこんな盗賊ホイホイみたいなドレスを身につけて?
驚きを露わにする理央に対し、フィアンナは呆れた風にため息を吐いた。
「ドレスでなければ何を着るおつもりだったのですか」
「いや……鎧を」
「――どこの世界に、晩餐会で鎧を着る女性がいますか!!」
びりびりと大気を震わすような怒声を浴びて、理央は肩を飛び上がらせる。
この怒声を浴びるのも久しぶりだった。
「全く……貴女は自分が女性であると自覚していないのですか」
「う……すみません」
フィアンナの言葉が胸に突き刺さる。自分が女らしくないことなど百も承知だが、人にそれを言われると結構イタい。そして自覚しているために反論も出来ない。
はあ、と俯き気味に溜め息をついた理央だが、続いて聞こえてきた言葉に息を呑む。
「……貴女はもう勇者としての務めは果たしたのだから、鎧だとか剣だとか、そんなものからは離れてください」
「フィアンナさん……」
「私が、一体どれだけ心配したことか……っ」
常にない弱々しい声で吐露するフィアンナの目からは、ぽろぽろと涙が零れていた。
そっと、理央は震える肩に手を添える。
「ごめんなさい、フィアンナさん……ありがとう」
――ずっと、心配させていたのだ。
フィアンナは理央を理央として見てくれた数少ないひとだった。あれこれうるさく言うけれど、それら全ては理央のためのものだということは、ちゃんと知っていた。
(ごめんなさい……)
泣き出したフィアンナの、思いのほか小さな背中をさすってやりながら、理央はもう一度心の中で謝った。
どんなに心配されようが泣かれようが、きっと自分はまたこの人を裏切ってしまうだろう。そんな確信があったから。
理央さんは女性に弱い。