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15

その日、ハイグレードの城は俄かにざわめいていた。


勇者として召喚された少女が、何を思ったのか城から消えた。そのことを知った者達は、まさか逃げ出したのかと騒然となったが、一夜明けてあっさりと戻ってきた彼女に城内は更に騒然となった。


彼女は全身血まみれになって帰ってきた。


聞いた話によれば、彼女は王都の周りの魔物を一掃してきたそうで、全身に纏う血の殆どが魔物の返り血だったという。

ヴェリオスは、偶然にもその場に居合わせたのだ。


「勇者さま! お怪我は…っ」


周りが遠巻きに勇者を見る中、女官長がリオウに走り寄る。


「……女官長、さん? ごめんなさい、服、汚してしまって……」

「っそんなこと、どうでもよろしい! さあ、早くお部屋へ!」


血まみれの勇者を一喝し、野次馬を視線で蹴散らした女官長がリオウを連れて行こうとするのを見て、ようやくヴェリオスの唇が動いた。


「リオウ……」


その時の自分は一体何を言おうとしたのだろう。それは、きっと一生分からない。

何故なら彼女の視線がこちらを向いた途端、ヴェリオスの体は再び金縛りにあったように身動きがとれなくなったからだ。


――――ぞく、


戦慄というものを、ヴェリオスはこの時はじめて感じた。


「……殿下」


ヴェリオスの姿を見留めた理央の瞳が、すうっと色を薄くした。いつも少女らしい甘やかな色を含んだ瞳も、声も、あの瞬間から自分に向けられることがなくなったのだと、ヴェリオスは後に知る。

だがこの時のヴェリオスはリオウのそんな変化すら察知できずに、愚かにも彼女に手を伸ばした。

――しかし、


「汚いですよ」


すい、とリオウはその手を避けた。

愕然と自分の手とリオウの顔を見たヴェリオスに向かって、リオウが微笑んだ。


今までに見たことのない笑みだった。


そして、今までで一番美しい彼女だった。



綺麗に弧を描いた唇を動かして、リオウは言った。


「もういいんです」


噛んで含めるように、誰かに言い聞かせるように。

それは、ヴェリオスにか彼女自身にか、今でも分からないけれど。


「もう、いいですから」

ただ、拒絶されたことだけは感じた。




「……殿下、ヴェリオス殿下」


宰相の声に、ハッと現実に引き戻される。


「…あ、ああ。何の話だったか」

「明日の祝勝会のことです。

リオウ様のエスコートは殿下が務めるということで、よろしいですね?」

「…ああ、分かった」


そう、執務室で明日行われる祝勝会の最終確認をしていたのだった。

訝しげな宰相に気にするなと手を振り、頭を巡らせる。


(エスコート、か)


明日の祝勝会には我が国の者だけではなく、周辺国の王族や重要人物が参加する。

主役は勿論リオウだ。

そして、彼女のエスコートは自分が務める。そのことに、何故か心が湧き立つ自分がいた。

謁見では視線ひとつあわなかったが、エスコートとなれば視線は勿論、言葉も交わすし体だって――


「…………」


謁見の間で見たリオウの姿が頭をよぎり、ヴェリオスは頭を振った。今更、初心な少年でもあるまいし、少し腕や肩やらが触れるのを想像しただけでこんな風になるのはおかしい。


「殿下?」

「い、いや、なんでもない。そうだ、リオウには話を通してあるのか?」

「え? ええ、女官長がお伝えして、準備も滞りなく進んでいるようです」

「そうか……」


さっきから赤面したり安堵したりと忙しいヴェリオスの顔を、妙なものを見るような目で見ていた宰相が少し悩む素振りを見せてから、口を開く。



「殿下……勇者殿にはもう謝られたのですか?」

「――謝る? 何をだ」

「前にも申したでしょう。しきたりによって勇者殿を利用しようとしたことを謝罪した方がよいと」

「ああ……」


またその話か。

うんざりしたような気持ちで、何度も繰り返した反論を口にする。


「しかし別にリオウはそのことを知らないのだから、わざわざ謝ることもないだろう」


一年前、リオウが召喚された時、ヴェリオスはある役目を任された。


勇者の枷となる役目だ。


髪と瞳の色が珍しいくらいの今いちパっとしない少女に甘い言葉を囁いたり一々気を遣ったりしないといけないこの『仕事』は正直ヴェリオスにとって面倒だったが、これも国のためとヴェリオスは役目を放り出すことはなかった。

――目の前にいる宰相はそんなヴェリオスに、その頃から苦い顔をしていたが。


「知らないからといって罪がなくなるわけではないのです。

しでかした罪はいつか白日のもとに曝される。その時に謝罪したのでは遅いのですよ?」


物怖じせず言うべきことを言い、時には王族さえ諫めようとするこの男は、潔癖すぎるとヴェリオスは思う。

リオウに関しても彼はうるさかった、ヴェリオスの『仕事』を『悪しき慣習』だといい、リオウが城を出て行った時もヴェリオスのせいだと言わんばかりの態度だった。


有能ではあるのだが――その高潔であろうとする精神が、時々煩わしいとも感じる。


「それに――」


更に言い募ろうとした宰相に目をやると、少しの間があってからため息を吐かれる。


「どうした」

「いえ……なんでもありません。私はまだ仕事がありますのでこれで」


ヴェリオスに背を向け退室していく宰相の言いかけた言葉が僅かに気にかかったが、まあいいかと黙って見送る。口にするのもくだらないことだと自分で気付いて引っ込めたのだろう。

執務室に1人になったヴェリオスは、窓の傍に立ち、中庭を見下ろす。


――ヴェリオスは、間違ったことなどしていないと思っている。むしろ、自分は正しいことをしたのだと。

宰相はリオウを一人の人間として扱いたいようだが、それがなんのためになるというのか。

ついこの間まで世界は魔竜と、その軍勢に苦しめられていた。ヴェリオスが役目を放棄し、リオウが勇者として勤めを果たさなければ今も尚その状態は続いていたのかもしれない。

現に今のような慣習が生まれるまでは、勇者を喚びだしたものの全く務めを果たさない者もいたと記録に残っている。


――世界の敵を退ける。それが、勇者の存在理由なのに。


「何をごちゃごちゃと……」


リオウのためにも世界のためにも、これが一番良い道だったのだと、ヴェリオスはそう思っていた。





彼は知らない。自分の心も、彼女の心も。


『……もう、いいですから』


あの日彼女が言った、言葉の意味も。

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