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SF作家のアキバ事件簿269 ミユリのブログ 時空トンネルより、君のところへ

作者: ヘンリィ
掲載日:2026/09/04

ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!

異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!


秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。

ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。


ヲトナのジュブナイル第269話「ミユリのブログ 時空トンネルより、君のところへ」。さて、今回は娘に会うため時空トンネルを再起動する物語。


謎の組織"人生補完委員会"がコピーした"時空トンネル"。映画の都、蒲田で有名プロデューサーと探索の旅に出た僕達は、ついにトンネルを見つけますが…


お楽しみいただければ幸いです。

第1章 ミユリのブログ


"その時、ジェシはひざまずいたそうよ。

エアリの前で。


こういうとき、女の子は何を考えるのかしら。

メイド弁護士のジェシが言う。


「結婚してくれる?」


エアリは少しだけ驚いた顔をして

それから微笑む。


「うれしいわ」


たぶん、これが普通の世界なら

とても幸せな場面なのだろうって思う。


でも、アキバでは少しだけ普通ではない。

テリィ様は、言う。


「娘を見捨てられない」


突然よ。


「"人生補完委員会"の秘密施設に

 時空トンネルのコピーがある」


私は、聞き返す。


「時空トンネルは、爆発したのでは?」


テリィ様は、首を振る。


「コピーされていたんだよ、ミユリさん」


また、嫌な話が始まったようだ。

その直後のこと。


「時空トンネルを探すな」


短い伝言が届く。


どうして、探してはいけないの?

聞く前に、まばゆいフラッシュが走る。


次の瞬間。


ジョセは、黒焦げになって死んでいる。

何が起きたのか、誰にもわからない。


テリィ様だけが、静かに言う。


「シェイプシフターは、2人いる」


2人?その言葉が、頭から離れない。


「娘に会うために、もう1人を探し出したい」


私は尋ねる。


「どこから始めますか、テリィ様」


テリィ様は、答える。


「もう1人のシェイプシフター」


その女の名前は、ドロジ・サロコ。


映画業界では知らない者のいない

やり手の女プロデューサーだ。


そして彼女は、私たちが探し始めるより先に、

私たちを見つけている。


「おめでとう」


彼女は、笑う。


「ついに、私を見つけたわね」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


蒲田キネマ撮影所のフィルム倉庫。

焼け焦げたフィルムの匂いが充満している。


僕は、床に倒れている。

目を開ける。焔の向こうに女が立っている。


黒のセクシーなレオタード。

長いブーツ。


腰に手を当て、こちらを見下ろしている。


その姿は映画の悪の女王様というより

悪役を演じることを楽しんでいる女王様だ。


「なぜジョセを殺した?」


僕は、叫ぶ。

女王様の答えは氷のように冷たい。


「正体がバレたの」

「それだけか?」

「それだけかって?」


彼女は、肩をすくめる。


「色々と不都合でしょ?」

「ドロジ……」

「キャルじゃないわ。ドロジ・サロコ」


彼女が片手を上げた。

次の瞬間、僕の身体は吹っ飛ぶ。


「うわっ!」


壁に叩きつけられる。


「探すのはやめろと、警告したはずよ」


ドロジは、もう1度、手を上げる。

フィルムが一斉に火を噴く。


焔が棚を走る。


証拠のフィルムが次々に萌えて逝く。

僕は、煙の中で目を開ける。


そして、見る。

僕の胸の上に、黒いブーツが乗っている。


「なぜここに来たの?」

「時空トンネルを探しに」

「協力者は誰?」

「誰もいない」


ドロジが僕の頬をブーツで踏む。


「正直に話して」

「女王様かよ……」

「あら。何か言った?」

「いいえ。何も」

「嘘をついたら殺すわ」

「ジョセのように?」


ドロジの笑顔が消える。


「どうやって乙女ロードに来たの?」

「首都高だ」

「……」


ドロジが僕を見る。


「面白い冗談ね」

「…いつも警告なしに殺すのか?」

「なぜ時空トンネルのありかを、私に聞くの?」

「乙女ロードにあったのは知ってるぞ」


その瞬間、時空が歪む。

僕の身体は、再び宙に浮く。


「うわあああ!」


ドンッ!壁に叩きつけられる。


「他に知っている者は?」

「頼む……」


煙が目に入る。


「煙アレルギーなんだ」

「答えなさい」

「防災訓練の煙ハウスみたいだ……」


ゴホゴホ。


「早く答えろ!」


僕は、咳き込みながらドロジを見る。

ドロジは、溜め息をつく。


「これがヲタクの王様とはね」


僕は、黙っている。


「顔は、安いAV男優ばり」

「そこまで言う?」

「なのに、なんとも情けない」


僕は、壁にもたれながら立ち上がる。

ドロジは、冷たく笑う。


「あなた、自分が置かれている状況が

 まだわかっていないようね」

「わかってるよ」


僕は、答える。


「君の助けが必要なんだ」


ドロジの眉が動く。


「君に会いに、乙女ロードまで来たんだ」


1歩、近づく。


「君は、僕の親衛隊なんだろう?」


ドロジの表情が変わる。


「……それを言わないで」

「え?」

「確かに、君たちを守るのが私の任務だった」


彼女は、静かに言う。


「だが、それは――」


手をかざす。

焔は、一瞬で消える。


「"母なる世界線"での話よ」


倉庫が静かになる。

僕は、息を呑む。


「誰か!」


ドロジが叫ぶ。

すると、どこからともなく女戦闘員が現れる。

1人。2人。3人…


気づけば、僕は赤いレオタード姿の女戦闘員に

取り囲まれている。


「早く秋葉原へ帰って」


ドロジが言う。


「でないと死ぬわよ」


女戦闘員たちに両脇を抱えられる。

僕は、引きずられていく。


赤いレオタードに網タイツ。

長いブーツ。


統率された動き。僕は思う。

――眼福←


いや。

今は、そんなことを考えている場合じゃない。


「テリィたんを秋葉原までお送りして。

 私の自家用飛行艇で」


女戦闘員が敬礼する。


「キィー!」


たぶん、


「わかりました」


という意味だ。


僕は、そのまま運ばれていく。

振り返る。燃え尽きたフィルム倉庫。


その中央に、ドロジが立っている。

彼女は、笑っている。


まるで、


僕がまたここへ戻ってくることを

最初から知っていたかのように。


第2章 秋葉原の花嫁


JR秋葉原駅。電気街口。


かつての家電量販店が見下ろす広場で

結婚式場の準備が進んでいる。


白いバージンロードが、まだ何もない

アスファルトの上にまっすぐ伸びる。


その脇ではメイドたちが花を運び

スタッフが椅子を並べている。


エアリは、会場を見渡す。


「私も野外で式を挙げたいの」


突然だ。


「シンプルで、優雅で、エレガントな式をね」


ウェディングプランナーのウェンが微笑む。


「素敵ですね。お2人でいろいろプランを練って

 話し合っていらっしゃったんですね」

「いいえ」


マデラが即答する。


「エアリとは、全然何も話し合ってないんですが」


隣にいたマデラは、口を尖らす。


「いきなり連れてこられて」


エアリが振り向く。


「マデラ」

「はい?」

「応援してくれるって言ったじゃない」

「でも……気が進まないんですもの」


その一言で、空気が少しだけ止まる。

エアリは黙る。マデラは、目を逸らす。


母親ではない。


けれど、エアリがアキバに来てから

ずっとそばにいる。


だからこそ、簡単には喜べない。


ウェンが空気を読んだか、読まなかったか

営業用の微笑を浮かべる。


「メイド協会の会員メイドさんの結婚となると

 会長さんとしては、大変ですものね」

「そういう問題じゃ――」

「パトリ!」


ウェンの声が飛ぶ。


「花に霧を吹いておいて。百合が萎れかけてる!」

「はい!」


式のスタッフが走る。

ウェンも小走りでスタッフの下へ走る。


エアリが小さな声で言う。


「マデラ。なんでそんなに嫌そうなの?」

「だって……」


マデラは、ためらう。


「ショックだもの」

「何が?」

「貴女が、こんなに早く……」


エアリは、少し黙る。


「でも、私の結婚には反対なのに

 あのウェディングプランナーを雇ったわけ?」

「だって」


マデラは、溜め息をつく。


「もしリアル結婚なら

 現実的にプランを練らないとね」


その言い方に、エアリが笑う。


「もう。マデラらしい」


そこへウェンが戻ってくる。


「お待たせしました。もしもし? 

 ……すみませんでした。なんでしたっけ?」


エアリが待っていたように身を乗り出す。


「緑の草原で式を挙げたいんです」


ウェンがメモを取る。


「はい」

「近くに白鳥が泳いでいる池があって」

「白鳥」

「それから古い納屋で披露宴をするの」


エアリの目が輝く。


「夕暮れになったら、みんなで外に出て……」


夢を語るエアリ。

ウェンのペンが止まる。


「……エアリさん」

「はい?」

「それって確かにロマンチックな式に

 なりそうですね」

「でしょう?」

「でも」


ウェンは、ゆっくり首を振る。


「田舎の野外ウェディングって

 準備がひどく大変なのよ」

「そうなの?」

「何より――」


慎重に間を置く。


「蚊が恐ろしく多いの」


エアリの顔から笑顔が消える。


「蚊……」

「ええ。ロマンチックな白鳥の池には

 ロマンチックじゃない蚊がいます」


マデラが吹き出す。


「それなら私のお勧めスポットは

 "レコル・アクシヲム"のロビー」


ウェンは、完璧な営業スマイル。


「世界中のセレブが利用している

 由緒あるホテルです」

「人と同じじゃ嫌なんです」


エアリは、即座に却下する。


「それに、あそこは悪の巣窟ホテルよね?」


ウェンの笑顔が固まる。


「……まあ、そのような噂もございますが」

「NG」


エアリは、両手で大きくバツを作る。

そのとき。


別のメイドが会場に現れる。

弁護士メイドのジェシだ。


エアリの百合相手。


「松明を灯しましょう」


全員が振り向く。

ウェンが慌てて手を振る。


「ちょっと待って」

「はい?」

「松明はやめた方がいいかも」

「確かにキャンドルの方が素敵かもしれないわ」


ジェシが応じる。


「でも古い納屋って、燃えやすいですよ」

「だから池のそばにするんです」


エアリは、当然のように答える。


「なるほど」


ウェンが諦めた顔でメモする。


「こちらが婚約者のジェシよ」


エアリが紹介する。

ジェシが頭を下げる。


「よろしく」

「それで、挙式はいつのご予定ですか?」

「この秋です」


マデラが固まる。


「……秋ですって?」

「うん」

「秋?」

「伸ばす必要もないでしょう」


エアリは、笑う。


「秋葉原の秋だし」

「だけど……」


マデラが言葉を失う。


「婚約したばかりなのよ?」

「待っていられないの」


エアリは、ジェシを見る。

ジェシも微笑み返す。


「マデラも喜んでよ」


エアリが言う。


「楽しい結婚式にしたいの」


マデラは、しばらく2人を見つめる。

そして、ようやく微笑む。


「あら、わかるわ」


少しだけ寂しそうな笑顔だ。


「素敵だわ」


エアリの顔が明るくなる。


「もう、アツアツなんだから」


ウェンが笑いながら、マデラの肩に手を置く。


「大丈夫ですよ、会長さん」


マデラがウェンを見る。


「何が?」


「娘さんが幸せになるんですから」


マデラは答えない。

ただ、白いバージンロードを見つめている。


その先に待つのが、ホントにエアリの未来なのか。

それとも――


また別の世界線への入口なのか。

まだ、誰にもわからない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


悪の巣窟ホテル"レコル・アクシヲム"。

蒲田にも新規オープンし、そのプールサイド。


白いパラソルの下

業界人たちが昼間から業界話に余念ない。


誰も泳いでいない。

泳ぐより、噂話のほうが忙しいのだ。


テーブルにはシャンパン。

その横には、黒いドレスを着た金髪の女。


飾り?女優?どちらも同じか。


業界人に身体を寄せるように座っている。

その中央に、黒いレオタードの女王様。


ドロジ・サロコだ。


「それで、ティフは降りたの?」


ドロジが尋ねる。


「まさか」


向かいのプロデューサーが笑う。


「彼女はプロの女優よ。

 ギャラも上げたし、脚本も書き換えさせたわ」

「役も?」

「もちろん格上げ。ヨガ講師から戦隊ヒロイン」


一同が笑う。


「蒲田キネマが社運をかける大作だもの」


ドロジは、サングラスを少し下げる。


「女優はね、夢を与えてあげれば、

 いくらでもカラダを張るのよ」


そのとき。


「遅れてすまない」


全員が振り向く。

僕だ←


「電話が入ってね」


ドロジの顔から笑顔が消える。


「……」


明らかに不審な顔だ。


「秋葉原に帰ったとばかり思ってたわ」

「いいや」


僕は、何食わぬ顔で椅子を引く。


「蒲田キネマの次回作の相談で戻ってきたんだ」

「蒲田キネマの……」


ドロジの眉が動く。


「次回作?」


周囲のプロデューサーたちがざわつく。


「次回作って?」

「あの、噂の次回作か?」

「主演は決まったのか?制作費は?」


僕は、答えない。


横を通ったボーイのトレイから

サンドイッチを1つつまむ。


そして、


ぱくっ。


食べる。


「……」


業界人たちは、呆気に取られる。

僕は、平然としている。


まるで、このプールサイドが

自分の庭であるかのようにふるまう。


ドロジが小さく溜め息をつく。


「紹介しよう」


そして、僕を指差す。


「テリィたんよ」

「やめろよ、ドロジ」


僕は、口の中のサンドイッチを飲み込む。


「自分で自己紹介できる」


一同が固まる。

ドロジも固まる。


僕は、立ち上がる。


「秋葉原から来たテリィです」

「……」


拍手も喝采もない。

それでも、僕は満足して座る。


ドロジは、恐ろしい顔で僕を睨む。

僕は、小声で言う。


「時空トンネルを探す」


ドロジは、黙る。


「手伝ってくれ」

「断るわ」


僕は、サンドイッチをもう1口食べる。

ホテルのサンドイッチは美味い。


「君、僕の護衛なんだろ?」


ドロジの目が細くなる。


「……何の話?」

「"母なる世界線"で、君は僕たちを守っていた」

「忘れて」

「嫌だね」


ドロジの眉がぴくりと動く。


「……あなた」

「何?」

「マジでキモいヲタクね」

「よく言われる」

「殺すわよ」

「殺さない」

「なぜ?」

「君、僕の"ランプの精"だろ?」


ドロジは、頭を抱える。


「……最悪」


大物プロデューサーの顔から

ほんの少しだけ、何かが崩れる。


それは殺人鬼の顔ではない。

新しい主人に戸惑う"ランプの精"だ。


呼び出されたら現れる。頼まれたら助ける。

文句を言いつつ、結局は危地を救う。


僕は、彼女を見る。


「じゃあ、お願いな」

「え。何を?」

「時空トンネルを探す」

「……」


ドロジは、長い沈黙のあと指を鳴らす。


「わかったわ」


プロデューサーたちは呆気にとられている。

ドロジは、立ち上がる。


「私が連れていく」


僕は、笑う。


さっきまで、不思議な動力線で縛りつけて

僕を壁に叩きつけていた女とは思えない。


もはや、愛すべき"ランプの精"だ。

しかし、本人だけが、それを認めていない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御屋敷(メイドカフェ)のキッチン。


オーブンの扉を開けると、甘い匂いが広がる。

ミユリさんが焼き上がったクッキーを取り出す。


「見て」


天板の上にキレイな渦巻き模様のクッキーが並ぶ。


「えっへん。私のオリジナルよ。

 ノンカロリーシュガーで焼いたの」


ミユリさんは、嬉しそうだ。


「ミユリ姉様」


スピアが横から覗き込む。


「テリィたんを甘やかし過ぎじゃない?」


ミユリさんが振り返る。


「そんなコトないわよ」


スピアは、呆れた顔をする。


「乙女ロードへ行って、まだ1週間じゃない?」

「だから何?」

「もう帰ってくるんじゃないの?」

「もうすぐ電話が来る約束なの」

「へえ」


スピアがニヤリとする。


「テレフォンセックスで盛り上がるとか?」

「やだ!」


ミユリさんの顔が赤くなる。


「やめてよ!」

「はいはい」


スピアは笑う。


ミユリさんは否定しながらも

どこか満更でもなさそうだ。


そのとき。


キッチンの戸口に、エアリが現れる。


「……」


2人が振り向く。


「どうしたの? エアリ」


エアリは、いつもの調子で言う。


「私、ジェシと結婚するの」

「……え?」

「……ホント?」


ミユリさんとスピアが同時に目をパチクリさせる。

エアリは、全く気にせずに続ける。


「結婚式の習わしってあるでしょ?」

「習わし?」

「ほら、ガーターを投げたり、ブーケトスとか」


指を1本ずつ折っていく。


「それからブライズメイド」


そして、2人を見る。


「それをミユリ姉様たちに頼めるかしら?」


一瞬の沈黙。


「良いけど」


ミユリさんが答える。


「喜んで」


スピアも頷く。


エアリの顔がぱっと明るく輝く。


「よかった」


2人の手を取る。


「お願いね。助かったわ」


そして、ふとテーブルの上を見る。


「ところで、その渦巻きクッキー」

「これ?」

「テリィたんに?」

「そうなの」


笑顔で答えるミユリさん。


「甘やかし過ぎよ」


バッサリ斬り捨てるエアリ。


「でしょ?」


ドヤ顔のスピア。

エアリは、クッキーを1枚つまむ。


そして、何事もなかったように食べる。


「おいしい」


エアリは、立ち上がる。


「そうそう」


ドアで振り返る。


「婚約の話、まだテリィたんには内緒ね」

「わかったわ」

「でも、スピア」

「なに?」

「マリレには伝えておいて」

「え?」

「それじゃ、またね」


エアリは、そのまま歩いて行く。

扉が閉まる。


キッチンに静寂が戻る。


ミユリさんとスピアは、しばらく何も言わない。

やがてスピアが、ぽつりと言う。


「……どうなってんの、これ?」


ミユリさんは、答えない。

オーブンの中に残ったクッキーを見つめている。


結婚する人。

帰ってこない人。


そして、まだ何も知らない人。


秋葉原の1日は

今日も普通に始まっていく。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「タイトルは"時空漂流者(レーンウォーカー)"。

 故郷である"父なる世界線"へ帰ろうとする

 孤独な時空スナフキンの物語だ」


僕は、プロデューサーたちに説明している。

もちろん、僕が探しているのは脚本ではない。


"時空トンネル"だ。


映画の話に似せて

僕は、少しずつ核心へ近づいていく。


例の胸寄せ女が口を挟む。


「"タイムトンネル"みたいね」

「YES。でも主演はドム・クルーズ」

「ドム?」

「ルウム戦役では出番がないな」

「そこじゃないわよ」


ドロジは、キャンドルで葉巻に火をつける。

灯りの揺れるテーブルで、煙だけが妙に現実的だ。


プロデューサーが身を乗り出す。


「それだっ!」

「何が?」

「タイムトンネル」

「……」

「タイムトンネルはコケたから」


映画の世界では、面白いかどうかより先に

過去にコケたかどうかが重要なのだ。


僕は、咳払いする。


「でも、この話は売れるよ」

「ほう」

「主人公は、同じ世界線に落ちた仲間を探す。

 その仲間こそ"父なる世界線"へと戻る

 唯一の希望なんだ」

「どうやって故郷に戻るの?」


ここだ。胸を張る。


「よくぞ聞いてくれました」


不敵に微笑む。


「"時空(タイムアンドスペース)トンネル"でさ」


一瞬、誰も喋らない。

キャンドルの炎が揺れる。


ドロジの葉巻から、細い煙が立ち上がる。


「時空トンネルのありかを知っているのは

 その仲間だけ、という設定ナンだ」


僕は、続ける。


「しかも、そいつはヲタクに化けて

 秋葉原で暮らしている」


ドロジの眉が、ほんの少し動く。


「仕事は?」

「プロデューサー」


次の瞬間。

ドロジが大笑いする。


「アハハハハ!」


テーブルが揺れるほど笑っている。

他の一同は、僕も含め、誰も笑わない。


「それは面白いわ」


ドロジは、涙を拭いながら言う。


「ロマンチックなジュブナイルね」

「……」

「でも、時空ものは、やっぱり誰かが死ななきゃ。

 話が盛り上がらないわ」


葉巻の先端が赤く光る。

その言葉だけが、映画のセリフには聞こえない。


僕は、ドロジを見る。

彼女も、僕を見ている。


時空トンネルを探しているのは、僕だけではない。


そしてたぶん。


僕が今、話している"仲間"は

もう映画の中の登場人物ではない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


雑居ビルのペントハウス。

夕暮れの窓が開く。


メイド服のエアリが窓から入って来る。


「窓からじゃなくて、ドアから入って」


ソファで本を読んでいたマリレは顔も上げない。

因みに、2人ともメイド服だ。


「聞いたわ」


エアリが立ち止まる。


「冗談でしょ?」

「いいえ」


エアリは、胸を張る。


「結婚するわ」


マリレの指が止まる。

本を閉じる。


「……ねぇ。アレクが死んだ時

 もう誰も巻き込まないって約束したわよね」

「マリレ」


エアリは、静かに言う。


「私は、私の人生をあきらめたくないの」


マリレは答えない。


「誰かを愛して、誰かに愛されて

 それで幸せになれるチャンスなの」


少しだけ笑う。


「私の願いは、ただそれだけ」

「だから?」

「だからジェシに私の正体を知らせる必要もない」


マリレの表情が曇る。


「スーパーヒロインと腐女子の百合でしょ?

 ジェシだって、直ぐ疑問を抱くわよ?」

「……」

「エアリ。あなた1人の問題じゃないの」

「もう、たくさん」


エアリは、背を向ける。


「またその話?」

「違う」

「じゃあ何?」

「貴女が、自分だけ幸せになれば良い

 そう思ってることよ」


その言葉だけを残して、エアリはドアへ向かう。

マリレが立ち上がる。


「テリィたんには?」


エアリの足が止まる。


「蒲田から戻ってきたら話す」

「そう」

「ねえ、マリレ」


エアリが振り返る。

ほんの少しだけ、寂しそうだ。


「お願いだから――おめでとうって言ってよ」


マリレは、黙っている。


「何がめでたいの?」


その声には、怒りよりも疲れがある。


「これまで何があったと思ってるの?」


エアリは何も言わない。

そして、窓を開ける。


「……エアリ」


呼び止めようとしたマリレの声は

間に合わない。


白いメイド服が夕暮れの外へ消えて逝く。


開いた窓から風が入る。

テーブルの上の本のページがパラパラめくれる。


マリレは、それを閉じない。

ただ、窓の外を見ている。


おめでとう。


その5文字が、どうしても言えない。

言えないままで、胸の奥に残っている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"レコル・アクシヲム蒲田"の車寄せ。


「バーイ!」


胸寄せ女を白いリムジンに推し込む。

ドロジが笑顔で手を振る。


「じゃ、またね」


リムジンがゆっくり走り出す。

その背後から、僕は誰かに肩を叩かれる。


振り返ると、別のプロデューサーだ。


「電話くれよ。今度ランチでも食べよう」

「もちろん」


名刺を受け取る。

映画業界というものは、敵味方の区別がつかない。


なぜなら、その場にいる全員が敵だからだ。

そこへ、ドロジが戻って来る。


「テリィたん」

「はい」

「貴方のさっきの企画だけど」


ドロジが微笑む。


「少し残ってくれる?」

「僕も残ろうか?」


さっきのプロデューサーが割り込む。


「いや、貴方は良いわ。また今度ね」


そして、握手。

追い払う。


「じゃ、また」

「ドロジ」

「ええ。またね」


ドロジは、笑顔のまま、

胸寄せ女をリムジンへ送り出す。


ドアが閉まる。


白い車体が車寄せを離れて逝く。

僕は、その後ろ姿を見送る。


その瞬間。


ドロジが振り返る。

笑顔は、消えている。


次の瞬間――


身体が宙に浮く。

背中が壁に叩きつけられる。


「……っ」


息が止まる。

目の前にドロジが迫る。


さっきまでの映画プロデューサーの顔ではない。

怒っている。はっきりと。


それも、ものすごく怒っている。


「テリィたん」


低い声だ。


僕は、壁に押しつけられたまま

彼女をにらみ返す。


ドロジの瞳が細くなる。

その目に、映画の話をしていた女の面影はない。


車寄せを通り過ぎる人々。

誰もこちらを見ない。


白いリムジンのテールランプが

夜の向こうへ消えていく。


僕とドロジだけが、その場に残る。

そして――


彼女の怒りが、ついに爆発する。


第3章 僕は君の推し


"レコル・アクシヲム蒲田"の車寄せ。


壁際。

僕は、ドロジに首を掴まれている。


「蒲田まで押しかけてきて!」


ドロジの顔が近い。


「業界人の前で私をからかって

 挙句、あんな話で私の正体をばらす気なの?」

「娘がいるんだ」


ドロジの動きが止まる。


「……え?」


僕は、告げる。


「娘がいる」

「いや、そこじゃないわよ」


ドロジが眉を寄せる。


「貴方……スーパーヒロインと契ったの?」

「……」

「相手は誰?」


沈黙。


「まさか、あの腰振りメイド?」

「話を聞いてくれ」

「聞いてるわよ!」


ドロジは、頭を抱える。


「聞いてるから驚いてるの!」


僕は、溜め息をつく。


「彼女は今、"母なる世界線"で苦しんでいる。

 "父"じゃなくて」


ドロジの顔から、少しずつ笑いが消える。


「だから"時空トンネル"が必要なんだ」

「……」

「確かに"時空トンネル"は

 "人生補完委員会"がコピーしたわ」


ドロジが言う。


「でも、あれでは帰れないの」

「どうして?」

「構造が違うのよ。所詮、コピーはコピー。

 世界線を渡るようには出来てない」

「そりゃオペレーション次第じゃないのか?」


僕は、ドロジを見る。


「君なら出来るだろ?」


次の瞬間。首が締まる。

身体が浮き、またまた壁に叩きつけられる。


「私につきまとったら殺すって言ったでしょ!」

「殺すなら――」


僕は、息を絞り出す。


「殺せよ」


ドロジの指に力が入る。

ギリギリまで。


僕の顔が歪む。

それでも、僕は目を逸らさない。


やがてドロジは、思い切り僕を突き放す。

床に転がる僕。息が荒い。


「はぁ……はぁ……」


ドロジが手を上げる。


倒れた僕に向かって、見えない力が集まる。

床の埃が舞う。


「……」


そのまま1秒。2秒。

ドロジの手が震える。


「……チッ」


手を横に振る。

僕ではなく、隣の花瓶が吹き飛ぶ。


ガシャーン!


花瓶は粉々に砕け散る。

僕は、床に座ったまま、それを見る。


「君には僕を殺せない」

「何ですって?」

「殺すチャンスは何度もあった」


立ち上がる。


「蒲田でも」


ドロジが睨む。


「フィルムの保管庫でも」


1歩、近づく。


「でも君は殺さなかった」


ドロジは、黙っている。

僕は、笑う。


「ソレは、僕が君の推しだからだ」

「……殺すわよ」

「だったら、今、殺せよ」

「……」

「ほら、できない」


ドロジのこめかみがピクッと動く。


「どんなに腹を立てても」


僕は、言う。


「君が助けてくれるまで、僕は秋葉原へ帰らない」

「勝手にしなさい!」


ドロジは、踵を返す。

そして、僕の横を通り過ぎる瞬間……


肩をドン。


僕の肩に自分の肩をぶつける。

かなり、思い切り。


「痛っ」


振り返らない。


そのまま歩いて逝く。

黒いヒールの音だけが、廊下に響く。


僕は、その背中を見送る。


殺すと言う。

なのに、殺さない。


助けないと言う。

なのに、たぶん助ける。


そして何より――


僕を殺せないことに

本人がいちばん腹を立てている。


起承転結の転って

多分こういうところから始まる←


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御屋敷(メイドカフェ)のカウンター席。


常連に、ヲ誕生日限定の花火付きパイを

ヲ給仕するミユリさん。


小さな花火が、パチパチと音を立てている。


「エアリが結婚なんて……」


ミユリさんは、上の空だ。


「なんか、色んなコトのバランスが崩れそう」

「この話、テリィたんが聞いたら

 きっと激怒するわよね」


隣でスピアが言う。


「そもそもジェシって何者なの?」


2人で顔を見合わせる。

そこへ――


「こんにちは」


マデラが御帰宅。


ミユリさんが顔を上げる。

慌てるスピア。


「あら、シフトでしたっけ?」


1拍置く。


「……じゃなくて、おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただいま」


マデラは、微笑む。


「今日はプライベートな御帰宅よ。

 何かニュースある?」

「ありませんよ」

「いつもと同じです」


ミユリさんとスピアが、ほとんど同時に答える。


「実は、マリレに会いに来たの」

「今日はお休みです」

「そう」


マデラは、間を置く。


「じゃあ、マリレに伝えてくれる? 

 エアリがテリィたんに差し入れした時の

 キャセロール皿を返してほしいって」

「私から伝えておきます」


スピアが答える。

マリレと百合のスピアは、妙に堂々としている。


「それで、ミユリ姉様」


マデラが振り返る。


「テリィたんは元気?」

「はい。元気です」

「そう」


マデラは、少し間を置く。

一気に斬り込む。


「テリィたんの新しいスマホの番号

 教えてほしいの。知ってる?」

「……」

「元気でいるか心配なの。少し話をしたい」


マデラは、穏やかな声で続ける。


「わかってくれるわよね?」


ミユリさんは、笑顔のままだ。


「ごめんなさい」


そして、きっぱり。


「お教えできません」


御屋敷の空気が、一瞬だけ止まる。


「そう」


マデラは、うなずく。


「お給仕中なのに、悪かったわね」

「いいえ。こちらこそ」


マデラは、決然と席を立つ。

そして、そのまま店を出て逝く。


スピアが目を丸くする。


「メイド協会とTO(トップヲタク)を賭けて対決しちゃうなんて」


ミユリさんを見る。


「ワオ。かっこいい。ロマンチックね」

「……」

「まるでアキバのロミヲとジュリエットじゃない」


ミユリさんは黙っている。

やがて、小声で言う。


「そのロミヲから昨夜、電話がなかったの」


その瞬間。


ミユリさんは、さっきお給仕したばかりの

ヲ誕生日パイを下げる。


まだ花火は、消えていない。


カウンターの常連が、口を大きく開けて固まる。

フォークを握ったまま叫ぶ。


「まだ食べてるよ!」


ミユリさんには、聞こえない。

次のお給仕へ向かう。


スピアが後を追う。


「テリィたんって、最低」

「スピア。テリィ様の悪口はやめて」

「でも、私に言わせれば電話するって約束

 すっぽかすなんて、絶対許せない」

「きっと今、すごく忙しいんだと思うわ」


ミユリさんは、一生懸命、自分に言い聞かせてる。


「……って、今、一生懸命思ってるところなの」

「じゃあ、自分からかけてみれば?」

「だめよ」


即答だ。


「それはできない」

「なんで?」

「テリィ様は、集中したいのよ。

 しつこいメイドだと思われたくない」


スピアが溜め息をつく。


「それは立派だけど」


少し間を置く。


「でも、永遠に娘が見つからなかったら

 テリィたんは、いつ蒲田から帰ってくるの?」


ミユリさんは、黙る。


「……励ましの言葉をありがとう」


目を閉じる。


その横顔は、恋する乙女というよりも

爆撃隊の帰還を待つ基地司令官だ。


スピアは、そんなミユリさんを眺める。


「そりゃ、テリィたんが姉様のTOであること

 疑ってはいないわ」

「……」

「でもね」


スピアが笑う。


「推し活って、百合と同じでしょ」


ミユリさんが薄く目を開ける。


「攻めと受けで楽しむものなの」


そして、きっぱり。


「ワンウェイは禁止」


ミユリさんは、何も言わなかった。

口を尖らせて、遠くを見る。


その視線の先には、僕がいる。

そして、僕はまだ知らない。


僕が今……


アキバで、2人のメイドから

同時に追いかけられていることを。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


蒲田ヒルズのペントハウス。

屋上プールの噴水の前。


ドロジは、イケメンのマッサージ師に

背中を指圧されている。


僕は、歩いて近づく。


「やあ。おはよう、ドロジ」


ドロジは、目を閉じたまま言う。


「もういいわ。ご苦労さん」


イケメンのマッサージ師が立ち上がる。

ムダに海パン1丁。ムキムキ。


「ありがとうございました」

「あなたじゃないわ」


そう言いながら、ドロジはイケメンを追い払う。

僕は、腕を組む。


「どうしてマッサージなんかしてるんだ?」

「悪い?」

「だって、どうせ何も感じないんだろ?」


ドロジの目が開く。


「……なんですって?」

「昨夜、ろうそくの焔が指に触れても平気だった」


僕は、指摘する。


「ひょっとして君は、味も匂いも

 実は、分からないんじゃないか?」


ドロジが黙る。


僕は、プールサイドの小さな冷蔵庫を開ける。

中には、レモンが山ほど入っている。


「紅茶に入れるのか?」

「だ・か・ら?」

「ミユリさんから聞いたんだけど」


僕は、レモンを1つ手に取る。


「"覚醒"したばかりの腐女子は

 最初は強い匂いや味しか感じなかったらしい」

「……」

「でも、今は違うよ」


レモンを戻す。


「この世界線のDNAを持つってことが

 どれほど素晴らしいことなのか分からないの?」


ドロジは、僕を睨む。


「あなた、私に嫉妬してる?」

「おや?」


僕は、笑う。


「嫉妬はできるのか?」


ドロジは、鼻で笑う。

そして、僕と並んで、プールサイドを歩き始める。


「この蒲田に、私が買えない快楽はないの」

「金の話じゃないだろ」

「でも、それを楽しめないのよ」

「それでよく、この世界線で生きていけるな」

「自分を抑えているわ」

「抑える?」

「先ず、姿を変えることをヤメた」


ドロジは、水面を見ながら言う。


「そうしたら、腐女子としての身体の機能が

 少しずつ目覚めてきたの」

「そんなことが可能なのか?」

「30年かかったけどね」

「30年?」

「1999年」


ドロジは、噴水を見る。


「プールで初めて、塩素の匂いが分かった」


僕は、足を止める。


「次がレモンの香り」


ドロジが冷蔵庫を見る。


「その後20年くらいは、実は進歩がなかった」


そして、肩をすくめる。


「でも、平気よ」


花壇へ歩いていく。


「今では――」


ドロジは、赤いバラを1本抜く。


「バラの匂いも分かる」


鼻先に近づける。一瞬。

ドロジの表情が柔らかくなる。


「……ああ」


小さく息を吸う。


「今の私は、満ち足りているわ」


そして、僕を見る。


「テリィたんは?」


僕は、答える。


「僕は、娘を助けに行かなければならない」

「……」

「だから、助けてくれ」


ドロジは、バラを眺める。


「それは、断るわ」


即答だ。


「私の故郷は、この世界線の映画首都、蒲田よ」


そのとき。

ドロジのスマホが鳴る。


「もしもし」


一瞬で仕事モードになる。


「やあ、ニッキ。いいえ。ダメよ。

 貴方のクライアントには2日以内に

 セットしてもらいたいの」


歩きながら話している。


「誓約書?写しをメールするわ。じゃあ、またね」


電話を切る。

僕は、スマホを見る。


「それ、何?」


ドロジが振り返る。


「テリィたん。このスマホ、すごいのよ」


得意そうだ。


「ゾンさんがくれたの」

「ゾンさん?」

「孫娘をアイドルグループに推し込んで

 緑白歌合戦に出してやったの」


え。あの国民的歌番組に?マジすげぇ。


「まだ、私と国連事務総長しか持ってない」

「事務総長?国連?」

「エッヘン。超限定機種なのよ」


ドロジは、ムダにドヤ顔だ。


「天皇陛下も欲しがってる」


ホントかよ?

僕は、手を差し出す。


「見せてくれよ」


ドロジが僕を見る。


「……え?」


僕は、もう1度手を出す。


「そんなに凄いんだったら、僕も欲しいな」


ドロジの顔が固まる。


「……」


数秒の沈黙。

やがて――


「……あげる」


ドロジは、スマホを僕の手に差し出す。


「おや?これは……」

「私は、とても気前が良いの」


僕の言葉を遮るように言う。


「サンドイッチでも食べて、ひと泳ぎしたら?」

「え?」

「また後でね」


ドロジは、踵を返す。


黒いヒールの音を高々と響かせて

ペントハウスの奥へ消えて逝く悪の女王様。


僕は、手の中のスマホを見る。


超レア機種。

天皇も欲しがってるらしい。


そして――


"人生補完委員会"に関係している可能性がある。

ドロジは、気前が良いのではない。


僕に何かを持たせたいのだ。

たぶん、僕が欲しがることを分かったうえで。


僕は、スマホを握りしめる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御屋敷のバックヤード。


「エアリ、ちょっと良いかしら…あっ」


マデラが声をかける。

そのときエアリは、ジェシとキスをしている。


2人は、ほとんど同時に身を離す。

気まずい沈黙。


「……続けてて良いわよ」

「いや、そういうわけには」

「別に私は何も見てないから」

「見てるじゃない」


マデラは、何事もなかったように

ソファ脇のタブレットを指差す。


「夏イベントのお知らせを印刷したお店

 電話番号、分かるかしら?」

「あ、それなら、そのタブレットに入ってる。

 すぐ分かるわ」

「いいわ。自分で探すから」


マデラは、背を向ける。


「貴女たちは、その続きでもしててちょうだい。

 邪魔しないから」

「してるけど……」


エアリとジェシは、顔を見合わせる。

そして、吹き出す。


マデラは振り返らない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


パーツ通り。


マデラは、しばらく立ち止まっている。

そして、小さく息を吐く。深い溜め息。


だが、それは困っている人の溜め息ではない。

何か心を決めた人の溜め息だ。


マデラは、スマホを取り出す。

蒲田5055550146。


電話をかける。呼び出し音。

同時に僕は、尻ポケットからスマホを取り出す。


「もしもし?エアリ?」

「マデラよ」

「え。マデラ?何で?」

「テリィたん、元気でいるの?

 どこにいるの?」

「今、蒲田だよ」

「多摩川の向こう?!」

「手前だよ」


マデラは、そこで1呼吸置く。

絶妙な間だ。


「みんな、どうしちゃったの?」

「え?」

「エアリの話は聞いてる?」

「話って?」


マデラは、何でもないことのように口にする。


「ジェシと婚約したの」

「……まさか!」


僕の声が裏返る。

マデラは黙っている。


たぶん、その瞬間の僕の顔を想像してるw


「マデラは賛成したの?」

「私の言うことなんて、もう聞かないもの」


少し寂しそうに笑ってから


「でもね」


声のトーンを変える。


「テリィたんの言うことなら、聞くと思うの」


僕は、黙る。


「エアリと話してみて」

「……分かった」


しめしめ。

恐らくマデラはそう思ってる。


彼女は念推し。


「何か困ってない?」

「大丈夫だよ」

「そう」


そして、最後のカードを切る。


「テリィたんの声が聞きたかったの」

「……」

「いつもあなたのことを思ってる」

「僕もだよ」

「それじゃあ」

「うん」


電話が切れる。

僕は、スマホをポケットに戻す。


すると。


「……ジェシだと?」


怒りが込み上げてくる。

元セフレのエアリが結婚する。


よりによって、僕の知らないトコロで。


僕は蒲田まで来て、時空トンネルを探している。

その間にアキバでは結婚式の話が進んでいる。


「なんなんだよ……」


拳を握る。


僕は、完全に頭に血が上っている。

その横で、ドロジが難しい顔をしている。


「秋葉原から?」

「まあね」


僕は、ドロジを見る。


そして、ふと思う。


「ところで、ドロジ」

「何?」

「君はどうして、最新型のスマホを僕にくれた?」

「私は、いつでも手に入るからよ」

「そういうことを聞いてるんじゃない」


僕は、1歩詰め寄る。


「ドロジ」

「何?」

「止まれ」


ピタリ。

ドロジが止まる。


僕自身が1番驚く。


「……僕を見ろ」


ドロジは、振り返る。

僕は、試してみる。


「アイスクリームは好きか?」

「だから、私は味は感じないのよ」

「じゃあ、僕に食べさせてくれ」

「お断り」

「早くアイスクリームを持ってきて」


沈黙。

ドロジの眉間に皺が寄る。


だが。


歩き出す。

ペントハウスの冷蔵庫を開ける。


アイスクリームを取り出す。

戻ってくる。


そして僕の目の前に……


ドン。


置く。

僕は、アイスクリームを見る。


それからドロジを見る。


「……やっぱり」

「何がょ?」

「思った通りだ」


僕は、笑う。


「スマホをくれたのは

 君が気前が良いからじゃない」


ドロジは、黙っている。


「僕が"よこせ"と言ったからだ」

「……」

「君は僕に命令されたら、逆らえないんだな?」


長い沈黙。

やがて、ドロジが言う。


「そうよ」

「……」

「私は、貴方のメイド」


1呼吸置く。


「貴方は、私のご主人様」


僕は、思わず笑う。


「もっと早く気づけば良かった」


ドロジの眉が上がる。


「そうすれば、時間も節約出来たのに」


僕は、アイスクリームを指差す。


「僕と一緒に時空トンネルを探すんだ」


ドロジは、答えない。


「OK?」


沈黙。

ドロジは、踵を返す。


黒いヒールの音が、舗道に響く。

僕は、その背中を見送る。


返事はない。

でも、逆らわない。


そのとき、僕は気づく。


マデラは、僕を怒らせたかったわけじゃない。

エアリの結婚を知らせれば、僕が必ず動く。


そして僕が動けば、エアリのもとへ帰ろうとする。

多分、マデラはそこまで計算している。


頭の良い女。


そして僕は、その計算通りに動いている。

昔から、学級委員タイプには歯が立たない。


だが今は、それどころじゃない。


目の前には、僕の命令を聞く

最強の時空漂流者(レーンウォーカー)がいる。


彼女は、アイスクリームまで食べさせてくれる。


「ドロジ」


振り返らない。


「時空トンネルを探すぞ」


黒いヒールが、1度だけ止まる。

それから、また歩き出す。


たぶん、了解という意味だ。

悪の女王様の。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


南秋葉原条約機構(SATO)リサーチセンター。


とある映画会社の地下深く、秘密裡につくられ

日夜……何と敢然と戦っているのか?


誰も気にしない。


映画業界では、地下に何があっても

だいたい予算の都合で全て説明がつく。


その秘密基地の正面ゲートに

真っ暗なリムジンが滑り込んで来る。


降りてきたのはドロジだ。

黒いサングラス。黒いドレス。


そして、誰も逆らう気になれない歩き方。

ゲートのMPが敬礼する。


「ドロジさん。どうも」

「おはよー」


夜だ。


まるで映画会社の試写室で顔を合わせる

プロデューサー同士の挨拶だ。


「今日は?」

「司令官に会いに来たのよ」

「どうぞ」


ゲートが開く。


身分証の提示もない。

検査もない。


ドロジは、当然のように中へ入って逝く。

僕は、後ろからついていく。


「……どういう作戦で行く?」


耳元でささやく。

ドロジは、歩きながら答える。


「ストレ大佐」

「知り合いなのか?」

「前に映画の監修を頼んだの」

「軍隊ものの?」

「ええ」


僕は、少し考える。


「先ず"時空トンネル"の保管状況の確認…」

「見学の許可だわ」


全然、話を聞かない。


「新作で使いたいと言うの」

「新作?」


「"アルミ・スカイ"」


僕は、眉を上げる。


「そんな映画、聞いたことないけど」

「まだ企画段階よ」

「……」

「だから良いの」


ドロジは、平然としている。


「新作映画の撮影に使いたい。

 軍事施設のリアリティを出したい。

 "時空トンネル"をセットの参考にゼヒ

 見学させて。ついでに……

 チョイ役で本編に映って欲しい」


完璧だ。

完璧すぎる。


「あくまで、さりげなくだぞ」


僕は、念を推す。


「あまり熱心に頼むと疑われるからな」


ドロジは、足を止める。

ゆっくりと僕を振り返る。


「あらあら」


イヤミな笑顔だ。


「待ってよ」

「何?」

「私に指図するつもり?」


僕は、黙る。


ドロジは、サングラスを少し下げる。


「テリィたん」


そして、僕の耳元に顔を寄せる。


「あなた、アカデムー賞をいくつ取ったの?」

「……」


ドロジは、耳をそばだてるような仕草をする。


僕が答えるのを待っている。

もちろん、答えはない。


「私は?」


自分で答える。


「4つ」

「……」

「プロデューサーとしてね」


ドロジは、再び歩き始める。


「だから、映画のことは私に任せて」

「はい……」


僕は、後ろからついていく。


地下通路を、まるで自分のスタジオの廊下でも歩くように進んでいくドロジ。


MPたちは、敬礼する。

研究員たちは、頭を下げる。


誰も彼女を止めない。


彼女が何者なのか。

軍人なのか。業界人なのか。


そもそも、この世界線の住人なのか。


僕にはもう分からない。

ただ1つ分かっていることがある。


この悪の女王様は"時空トンネル"を探すために

超能力を必要としない。


必要なのは。


映画業界のコネと、4つのアカデムー賞だ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


SATOリサーチセンターの所長室。


秘書の笑顔と共に、その扉が開く。

ドロジが入って逝く。


その姿を認めるなり、奥で1人の男が相好を崩す。

胸には、勲章がびっしり並んでいる。


沈着冷静なストレ最高大佐。

ところで、大佐にも最高とか最低とかあるのか?


「ドロジ!元気か?」


大佐は、満面の笑みで歩み寄ると

いきなり、ドロジの頬にキスをする。


「ストレ。相変わらずね」

「お前もな」

「ところで、彼は?」


大佐が僕を見る。


「まだ駆け出しのヒヨッコよ」

「ほう」

「アンタは待ってて」

「いや、僕も一緒に――」

「待ってて」


2度目は少し低い。

僕は、黙って外に出される。


ドロジと大佐だけが奥へ消えていく。


4つのアカデムー賞を持つ女王様にとって

僕は、未だ新人らしい。


彼女の御主人様なのだが。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原。


御屋敷は今日も繁盛している。

エアリが帰ってくる。


「なぜ私だけ格下扱いなの?」


カウンターに腰を下ろす。

その隣には、先に座っていたマリレ。


「そういう問題じゃないでしょ」

「貴女もテリィたんも好き勝手してるじゃない。

 どうして、私だけルールで

 縛られなくちゃいけないの?」

「とにかく、この結婚はまずいわよ」

「誰にとって?」

「エアリ……」

「結婚は理性を超えたものなの。

 私はジェシに夢中なの」


少しだけ間がある。


「私だって、普通の人生を送りたいだけよ」


マリレは、エアリを見つめる。


「それじゃあ、ジェシにも送らせてあげれば?」

「え?」

「彼女は、私たちと関わることの危険を

 覚悟して付き合ってるの?」

「……」

「ジェシは何も知らないまま

 面倒に巻き込まれてるだけでしょ?

 そんなの、あんまりだとは思わない?」

「エアリ?」


その時だ。

ボックス席からウェンが立ち上がる。


「まあ!貴女に会えてよかったわ」


ウェディングプランナーのウェンだ。


「ちょっと彼女を貸してもらえる?」


そう言って、マリレの横をすり抜ける。


「ホントに愛してるなら、身を引くの」


マリレは何も言わず、カウンター席を外す。

代わりにウェンが座る。


「これを見て」


タブレットを開く。


「やっと場所を手配してくれる会社を見つけたの。 金色の房飾り、素敵だと思わない?」

「馬ですか?」

「そうよ」

「私、昔から馬は好きじゃなくて」

「これは装飾よ」

「送迎は車で結構です」

「そう言わないで。

 これ、マデラに見せてちょうだい」

「マデラに?」

「実は、満足池の案を貴女が断ってくれて

 ホントによかったって思ってるの」


エアリの眉が動く。


「断った?」

「だって寒すぎるものね」


ウェンは、嬉しそうに笑う。


「さすがメイド協会の会長さんだわ」

「……マデラに電話したの?」


その瞬間。


エアリのスマートフォンが鳴る。

画面を見る。


「失礼」


通話を取る。


「あら、テリィたん。今、ちょっと……」

「結婚するって本当ですか?」


エアリの顔が固まる。


「……なぜ知ってるの?」

「マデラから聞いた」

「……」

「ジェシとは付き合って、まだ1ヶ月だろ」

「いいえ。4ヶ月経ったわ」

「なぜ、そう急ぐんだ?」


声が少し強くなる。


「悪いけど、電話では話したくないわ」

「とにかく、僕が戻るまで待ってろ」


エアリの表情が変わった。


「やめてよ」

「エアリ」

「私、子供じゃないわ」

「やってることは子供以下だ」


沈黙。


そしてエアリは、吐き捨てるように言う。


「くたばれ。私のケツを舐めて」


電話を切る。店内がシンと静まり返る。

ウェンが小さく目を伏せる。


「あの……とにかく、よく考えてちょうだいね」


ウェンは、席を外す。


エアリは両手で頭を抱える。

結婚したい。普通に生きたい。


でも、自分が普通ではないことは

誰よりも自分が1番知っている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


僕は、司令官室の前で待っている。

しばらくすると、ドロジが出て来る。


「どうだった?」

「どうって?」

「"時空トンネル"さ」

「ああ。ソレ?」

「色良い返事を聞きたいな」


ドロジは、何でもないように髪をかき上げる。


「見せてもらえることになったわ」

「え?」

「明日の午後」

「どうやって?」


ドロジは、僕を見る。


「映画の企画書を1枚出しただけよ」

「それだけ?」

「それだけ」

「大佐は?」

「"また月世界ナチスものか"って笑ってたわ」

「……それで?」

「"アルミ・スカイ"のロケハンだと言ったら

 施設内の撮影許可まで出たわ」


僕は、絶句する。

ドロジは笑う。


「軍隊も映画には弱いのよ」

「なぜ?」

「映画は、国民の夢だから」

「それ、今作っただろ」

「まぁね」


ドロジは、楽しそうに歩き出す。


「でも、4つのアカデムー賞は作ってないわ。

 ……今の話と違って」

「え。今の話って…ウソだったのか?」

「だって、アナタが色良い返事を聞きたいって

 言ったからよ」


僕は、頭を抱える。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


実際のトコロ、大佐のオフィスであったコトは

こんな感じだ。


電話を切ったストレ大佐は、深い溜め息。


「君に協力したいのは山々なんだが……

 官邸からは許可が出なかったよ」


向かいに座るドロジの眉が跳ね上がる。


「なんで?」

「なんでって……」

「冗談じゃないわ。あんな長いもの、

 隠すほどのことでもないでしょ?」


大佐は、困ったように笑う。


「確かに、長いんだがな」

「でしょう?」

「しかし"ユギオ2.5"以来

 上層部は戦争映画への協力には

 ずいぶん慎重になっていてね」

「映画よ?」

「映画なんだがな」

「戦争映画よ?」

「だから慎重なんだ」


ドロジは、腕を組む。


「じゃあ、撮影じゃなくて見学なら?」

「それも許可が出ない」

「ロケハン」

「ダメ」

「資料撮影」

「ダメ」

「私だけなら?」

「もっとダメだ」


ドロジは、しばらく大佐を睨んでいる。

やがて、声を落とす。


「……でも、ここだけの話」


大佐も声を落とす。


「うん」

「そのトンネル、この基地にあるんでしょ?」


大佐は、黙る。


「……」

「あるのね?」

「……」

「大佐」

「悪いけど、何も言えないんだよ」

「今の沈黙が全部語ってるじゃない」

「だから、何も言えないと言ってるだろ」


ドロジは、立ち上がる。


「分かったわ」

「分かってくれたか」

「ええ」


ドロジは、脚を組み替える。


「大佐が何も言えないというコトが分かった」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


僕は、天を仰ぐ。


「ドロジ。次は誰をつつく?」

「誰も教えてくれないわよ」

「何か隠してるな」

「もう諦めて」

「ドロジ」

「何?」

「知ってることを教えろ」


ドロジが立ち止まる。

振り返る。


さっきまでの軽薄な笑顔が消えている。


「……時空トンネルは」


間を置く。


「ここにあるわ」

「……」

「Let’s go」

「え?」


ドロジは、僕の腕をつかむ。

悪の女王様が悪へと誘う。何かおかしい。


「何してるの。早く」

「待てょ。大佐は教えてくれなかったんだろ?」

「ええ」

「じゃあ、なんで分かルンだょ?」


ドロジは、涼しい顔して答える。


「大佐が教えてくれなかったからよ」

「意味が分からない」

「教えてくれないということは、あるということ」

「普通は逆だろ」

「何で?ここは、映画業界よ?」

「……あのさ。軍隊だよ、ここ」

「地下に"時空トンネル"を隠してる。

 それだけで、もう立派にSFでしょ?」


ソレもそう……かな?

ドロジは、司令部の奥を振り返る。


「それに……」

「それに?」

「大佐が言ったのよ」

「何を?」

「"確かに長いものなんだが"って」


ドロジは笑う。


「"時空トンネル"を見てない人間は

 あんな言い方しないわ」


僕は、立ち止まる。

なるほど。確かにそうだ。


だが、それが証拠になるのかどうかは

僕にはわからない。


ただ1つだけ確かなコトがある。


この女王様は、平気で僕にウソをつく。


そして、そのウソは……


僕を"時空トンネル"へ連れて行くための

ウソなのだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御屋敷のバックヤード。


外出から戻ったエアリが入ってくる。

声をかけるマデラ。


「おかえり、エアリ。

 カルチャーセンターのラテン語の試験

 どうだった?」


エアリは、靴を脱ぎながら答える。


「マデラ」


その声には、いつもの明るさはない。


「テリィたんに話したの?」


マデラが振り返る。


「……何を?」

「私が結婚すること」

「ええ」

「自分で言うつもりだったのに」

「説明させてちょうだい」

「いえ」


エアリは、マデラを見る。


「言い訳なんて聞きたくない」

「エアリ」

「ウェディングプランナーに会ったわ」


マデラは、黙る。


「満足池のほとりの納屋の話、断ったそうね」

「ええ」

「しかも、テリィたんが反対するって

 分かっていて、勝手に話をバラした」

「……」

「マデラは、私の結婚が嬉しくないの?」


短い沈黙。


「嬉しくはないわ」


はっきりとした答え。


「マチガイダのYUI店長も同じ意見よ」

「どうして?」

「話を遅らせれば、

 貴女が正気に戻ると思ったの」


エアリの顔から笑顔が消える。


「なぜ?」

「あなたが、間違っているからよ」

「でも、私はジェシを愛してるわ」


「だったら、まず同棲して。

 もっと彼を知りなさい」

「……」

「何も急いで結婚することはないでしょう?」


エアリは、マデラを見つめる。


「マデラは、私を信じないの?」

「……」

「私、今までちゃんとやってきたわ」

「エアリ」

「どうして私を信じてくれないの?」


マデラの表情が少しだけ曇る。


「アレクが死んで、まだ1年も経ってないわ」


エアリの目が揺れる。


「テリィたんは、コンビニ強盗を起こすし

 私の世界はすっかり変わってしまった」

「それは……」

「エアリ」


マデラは、静かに続ける。


「貴女、手っ取り早く落ち着きたがっていない?」

「違う」

「違う?」

「ジェシの気持ちは、そんなんじゃないわ」

「そうかもしれない」


マデラは、1度だけ息を吐く。


「でも、彼女は貴女にふさわしくないわ」

「……メイドだから?」

「メイド?メイド弁護士でしょ?」

「だったら、他に反対する理由なんて

 何もないじゃない」

「あるわ」


マデラは、エアリの目を見る。


「やみくもに結婚したら、すぐに後悔する」

「……」

「社会で何のキャリアもないまま

 20才でバツイチになる」


エアリの顔がこわばる。


「それで良いの?」


長い沈黙。


やがて、エアリは視線を落とす。


「もう良いわ」


声は、小さい。


「ご忠告ありがとう」


マデラは、何も言わない。

エアリは、そのままバックヤードを出ていく。


ドアが閉まる。


1人になったマデラ。

しばらくそのドアを見つめている。


エアリを守っている。

だからこそ、嫌われることも覚悟している。


それでも。


エアリの「信じてくれないの?」という言葉が

いつまでも胸を去らない。


秋葉原の夜は、いつもより少しだけ長い。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


SATOリサーチセンターの裏手。


ULTRA HIGH VOLTAGE


そう描かれた錆びたパネルがある。

その下には、場違いなほど頑丈な扉。


僕は、扉を見上げる。


「透視術か。さすがだな、ドロジ」

「いいえ」


ドロジは、冷たく答える。


「大きさからの単なる推測」

「……」

「映画のセットでも、地下施設でも

 大きいものには大きい理由があるの」

「それ、透視術よりすごくない?」

「そう?」


ドロジは、工具を取り出す。

扉には、


AUTHORIZED PERSONNEL ONLY


と描かれている。


「これ、入っていいの?」

「よくないから鍵があるのよ」


ピッキング。


カチッ。


扉は開く。


「行きましょう」

「不法侵入だよな」

「映画のロケハンだけど」

「さっきからそれで全部通すな」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


階段を下りる。


地下。

さらに地下。


やがて視界が開ける。そこは、格納庫だ。

巨大な空間の中央に、それはある。


巨大な螺旋構造。


何重ものリングが、暗闇の中に静かに浮かぶ。


"時空トンネル"。本物だ。

僕は息を呑む。


ドロジはその横で、腕時計を見る。


「これで満足?」

「……」

「私は、帰るわ」

「え?」

「言い忘れてたけど、オペレーションには

 あるものが必要なの」

「実は、それなら持ってる」


僕は、ポケットから小さなケースを取り出す。

開く。ダイヤモンド。


ドロジの顔色が変わる。


「……それ」

「これで君に"時空トンネル"を

 オペレーションしてもらう」

「いやよ」


即答だ。


「元の姿に戻らないとオペレーションできないわ」


僕は、黙る。


「娘が待ってるんだ」


ドロジがゆっくり振り向く。


「テリィたんは」


声が少し震えている。


「今までの私の人生を、全部捨てろと言うの?」

「でも、ドロジは……」


僕は、慎重に言葉を選ぶ。


「腐女子にはなれないよ」

「……」

「元の世界に戻ったら、今の君には戻れない」


ドロジは、笑わない。


「"母なる世界線"に戻って、どうするの?」

「娘に会う」

「それだけ?」

「それだけで十分だ」

「蒲田の方が、ずっと良いわ」

「娘に会えたら、また戻ってくるさ」

「そう簡単にはいかないわ」

「どうして?」


ドロジは、巨大な螺旋を見上げる。


「世界線を1度渡ったら、

 同じ場所に帰れる保証なんてないもの」


僕は、ダイヤを握りしめる。


「どうやったら再起動できる?」

「……」

「オペレーションの仕方を教えろ」


ドロジは、しばらく黙っている。

やがて、諦めたように指を上げる。


「テリィたんには

 アンビリカルケーブルのメインスイッチを

 入れてもらうわ」

「分かった」

「トンネルが再起動を始めたらスイッチを入れて」

「ROG」

「早すぎるとアラームが作動して

 "時空トンネル"は再起動に失敗する。

 気をつけて」

「OK」

「エントリービームが出たら、トンネルに入って」


僕は、うなずく。

ドロジは、そこで言葉を止める。


そして、小さな声で言う。


「でもね」

「何?」

「テリィたんも私も、ヲタクとして生きるべきよ」

「……」

「私は、元の姿に戻りたくない」


初めてだ。

ドロジの声が、泣いている。


これまで何度命令しても、彼女は笑っている。


アイスクリームを買えと言えば買い、

スマートフォンを寄越せと言えば寄越す。


僕は、彼女のご主人様だ。

でも、今は違う。


彼女には、捨てたくない人生がある。

蒲田。

映画。

この世界線。


そして、僕には捨てられないものがある。

娘。

違う世界線。


「元の姿に戻れ」


僕は、命令する。


「"時空トンネル"を再起動させろ」


ドロジは、僕を見つめる。


「……ホンキなのね」


僕は、ダイヤを差し出す。

ドロジは、それを受け取る。


指先が触れる。


いつものように、彼女は僕の命令に逆らわない。

エントリービームが立ち上がる。


青白い光の中で、ドロジの身体が変化していく。


輪郭がほどける。長い手足が縮み、髪が光に溶け、

やがて彼女は……


キューピーさんのようなシルエットになる。


「ドロジ!」


光の中へ消えて逝く。

同時に、巨大な螺旋構造はユックリ回転を始める。


低い振動が格納庫を揺らす。

中央から、青い光が静かに広がっていく。


時空トンネルが再起動を始める。


僕は、アンビリカルケーブルの前に立つ。

メインスイッチを握る。


ドロジの声が聞こえる。


「まだよ……」


螺旋が回る。


「まだ……」


"時空トンネル"が、ゆっくりと目を覚ます。

巨大な螺旋が回る。最初は低い唸り。


やがてそれは、格納庫全体を震わせるほど

巨大な音になる。


「今よー!」


ドロジの声。


僕は、アンビリカルケーブルのメインスイッチに

手をかける。


一瞬だけ迷う。


そして、投入。轟音。

螺旋の回転は、一気に加速する。


光が走る。

床が震える。


「いける……」


その時だ。


スマートフォンが鳴る。

僕は、ポケットから取り出す。


画面。ミユリさん?


一瞬、指が止まる。

こんなときに。


僕は、通話を切る代わりに、

スマートフォンの電源を落としている。


画面が暗くなる。


同時に、トンネルの中央からは光が伸びる。

エントリービームだ。


「出た!」


僕は、走る。ドロジが何か叫んでいる。

聞こえない。僕は、光へ駆け込もうとする。


あと数メートル。

あと少し。


その瞬間……


エントリービームが消える。


「え?」


巨大な螺旋が、あり得ない方向へ揺れる。


ガキン!


金属が裂ける。


複雑に回転していたリングの一部が

架台から外れる。


そして……


落ちる。


轟音とともに地面へ激突する。

火花が散る。照明が一斉に落ちる。


完全な暗闇。

次の瞬間


バチバチバチッ!


"時空トンネル"全体が火花に包まれる。


警報とも悲鳴ともつかない異常音が

格納庫いっぱいに響き渡る。


螺旋が1本。

また1本。


架台からズレ落ちて逝く。


「ドロジ!」


突然、中央に一筋の光が走る。

エントリービームか?


その中から、人影が落ちて来る。

床に叩きつけられる。


「ドロジ!」


僕は、駆け寄る。

ドロジは、動かない。


黒い衣装は煤で汚れ

髪は乱れている。


いつもの女王様の面影はない。


「ドロジ、大丈夫か?」


しばらくして、彼女が目を開ける。


「……SATOによるコピーは」


声がかすれている。


「不完全だった」

「何?」

「ダメージが大きすぎて……」


彼女は、苦しそうに喘ぐ。


「ジェネレーターが、オーバーロードした」


僕は、周囲を見る。

壊れた螺旋。散乱した部品。


消えた光。


さっきまで僕を「テリィたん」と呼んでいた女は

今は煤けて床に倒れている。


僕は手を伸ばす。


「立てるか?」


ドロジは、僕の手を見る。

いつもなら


「私に命令するの?」


そう笑ったことだろう。


「ご主人様、もっと優しくして」


そう言って、僕をからかったことだろう。

でも、今は違う。


ドロジは、僕の手を取らない。

ただ、静かにつぶやく。


「……私の蒲田が」

「え?」

「私の世界が……」


そこで、声が途切れる。

僕は、何も言えない。


全てが終わる。


あの女王様との奇妙な主従関係も。

蒲田での馬鹿げた映画談義も。


終わって、そして僕は初めて気づく。


人には、それぞれ帰りたい場所がある。

僕は帰りたい。ドロジは、帰りたくない。


その差だけは、


どんな命令でも埋められないのだ。


そしてポケットの中には

もう電源の入らないスマートフォンがある。


ミユリさんからの着信履歴だけが

暗い画面の向こうに残っている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御屋敷のバックヤード。


ミユリさんは、ソファーに座って

秘密の箱を開けている。


中身を1つずつ取り出しては

スピアに渡していく。


「ほら。遠慮しないで」

「え?」

「私の作った発酵バター味のココナッツサブレ」

「……」

「"謎の円盤UAP"のビデオ」

「それ、テリィたんが大事にしてた奴じゃない」

「いいの。みんなあげる」


大きな手作り箱ごとスピアに渡す。


「これも」

「箱ごと?」

「箱ごと」

「他には、何が入ってるの?」

「私の人生の、だいたい要らないもの」


スピアが箱を見る。

ミユリさんは、少し笑う。


「あとね」


スマートフォンを取り出す。


「お馬鹿な顔した私の画像も、全部あげちゃうわ」

「私と別れる気?」

「はい。今日の賄い」


スピアが皿を受け取り、ソファの横に置く。


「……テリィたんから電話は?」

「ないわ」


その3文字だけで、ミユリさんの声が消える。


「すごく不安になって、エアリに電話したの」

「うん」

「そしたらね」


ミユリさんは、膝の上で手を握る。


「エアリには、今日の午後、電話があったって」


スピアの表情が変わる。


「……テリィたんから?」

「そう」

「それは……」

「もう大ショックよ」


笑っている。

でも、笑えていない。


「来て」


スピアがミユリさんの肩に手を回す。


「ミユリ姉様が辛いの、とてもよく分かるわ」


ミユリさんは、何も言わない。


「私なら、こういう目に遭ったとき

 やることは決まってるわ」

「何?」

「マリレに当たり散らして、怒鳴り散らす」

「……」

「さあ、今から家に来ない?」

「私……」


ミユリさんは、秘密の箱を見る。

もうほとんど空っぽだ。


「私、テリィ様をいつも支えてきたわ」


声が震える。


「大変なときも、ずっとそばにいたのに」


スピアは黙って聞いている。


「なのに」


ミユリさんはスマートフォンを見る。


「テリィ様は、電話1本くれない」


沈黙。


御屋敷の奥から、食器の触れ合う音が聞こえる。

いつもなら、それだけで安心できた。


今日は違う。


「でもね」


スピアが言う。


「電話って」


ミユリさんを見る。


「メイドからもかけられるんだよ」


ミユリさんは、顔を上げる。


「……わかってる」

「じゃあ、かければ?」

「……」


ミユリさんは、スマートフォンを握る。

画面には、テリィ様の名前。


指が止まる。


電話をかけることはできる。

いつだってできる。


ただ――


自分からかけたら、今まで守ってきた何かが、

音を立てて崩れてしまいそうだ。


ミユリさんは、画面を伏せる。


「……でも、かかってきてほしかったの」


スピアは何も言わない。


その言葉だけが、空になった秘密の箱の中に

最後まで残っている。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


御屋敷のバックヤード。休憩時間。


マデラは、ライティングデスクに向かって

書類を整理している。


そこへエアリが歩いてくる。


「エアリ?」


マデラは、顔を上げる。


「賄いが足りなかったのなら

 冷蔵庫にチキンの残りがあるわ」

「おかわりしに来たんじゃないの」


エアリは、立ったまま言う。


「知らせに来たの」

「何を?」

「外神田教会の式場の予約が取れた」


マデラの手が止まる。


「パーツ通りで式を挙げるわ」

「……」

「2週間後」


マデラは、書類に目を落とす。


「みんな、いつになったら

 自動食器洗い機の使い方を覚えるのかしら」

「そこで2週間後にジェシと結婚するわ」


エアリの声は静かだ。


「もう決めたの」


マデラが顔を上げる。


「なんですって?」

「式は2週間後」

「それは……私への当てつけ?」

「いいえ」


エアリは、少しだけ笑う。


「でも、腹立たしいでしょ?」


マデラは、答えない。


「強く出れば、私が引き下がると思ってた?」

「……」

「そう思ってるんでしょ?」

「違うわ」


マデラは、首を振る。


「かけひきじゃない」


そして、少しだけ声を落とす。


「ただ、私は貴女を心配しているの」

「分かってる」


エアリは、うなずく。


「マデラが好きよ」


その言葉に、マデラの目が揺れる。


「だから――」


エアリは、続ける。


「私の人生で最高の幸せを

 マデラにも喜んでほしいの」


1歩近づく。


「式に出席してほしい」


マデラは、しばらくエアリを見ている。

そして、ゆっくり首を横に振る。


「悪いけど」

「……」

「私は、喜べないわ」


そのとき。


コンコン。


バックヤードのドアがノックされる。


「マリレ?」

「どうぞ」


ドアが開く。


「お借りしていたお皿を返しに来ました」


マリレがお皿を差し出す。


「ありがとう」


受け取ったマデラの横で、エアリが立っている。

マリレが2人を見る。


「……お邪魔でしたか?」

「いえ、とんでもない」


マデラは、すぐに答える。


「エアリ。飲み物でも出してあげて」

「いえ、私は結構です」


マリレが遠慮する。


「エアリ?」


マデラがもう一度言う。

エアリは、マデラを見る。


ほんの一瞬。


何かを言いかける。

しかし、やめる。


「……分かった」


そう言うこともなく、


「失礼するわ」


エアリは、そのまま歩き去る。

ドアが閉まる。


マデラは何も言わない。

マリレが手にしたお皿を見る。


「……大丈夫ですか?」


マデラは、デスクの上の書類に目を落とす。


「大丈夫よ」


そして、誰もいない方向へ小さく息を吐く。


「2週間か……」


書類の文字が、少しだけぼやけて見える。

娘の幸せを願っている。


それだけなのに、

その幸せの中に、

自分の席がない。


マデラはもう一度、書類を読み始める。


仕事は待ってくれない。

結婚も、待ってくれない。


そして人の人生は、

もっと待ってくれない。


バックヤードには

食器洗い機の作動音だけが響く。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


蒲田ヒルズ。


ペントハウスへと続く廊下。

僕は、ドロジを肩に担いで歩いている。


「重い……」


返事はない。


ドロジは、ほとんど力を失っている。

ようやく、部屋の前まで来た時だ。


「……もう、いいわ」


ドロジの身体がずり落ちる。


「ドロジ?」


僕が支えようとする。 


しかし、彼女は僕の手を振り払う。

床に手をつく。


四つん這いのまま、僕を見上げる。


「テリィたん」


その声には、いつもの女王様の余裕はない。


「あなたは……私の人生を破壊した」


僕は、黙る。


「私が今まで積み上げてきたもの

 全部、貴方のせいで水の泡よ」

「ドロジ……」

「"母なる世界線"にも、そういう王がいたわ」


彼女は、苦しそうに息をする。


「思いやりのない暴君」


僕は、目を逸らすことができない。


「でもね」


ドロジは、僕を見る。


「君たちを守ることは

 私の遺伝子に組み込まれているの」

「……」

「だから、護る」


そこで彼女は、ほんの少し笑う。


「護ってしまうのよ」


そして、ゆっくり立ち上がる。

壁に手をつきながら、僕の前に立つ。


「でも――」


ドロジの目から笑みが消える。


「今宵からは、永遠に貴方を憎み続けるわ」


僕は、何も言えない。


「ドロジ」


彼女が背を向ける。


「済まない」


足が止まる。


「ドロジの言う通りだ」


僕は、続ける。


「僕は、君たちの敵と寝て、娘をその敵に預けた」


ドロジは振り返らない。


「人生最高の過ちだ」

「……」

「僕は、死ぬまで悔やみ続けるだろう」


声が震える。


「すべて悪いのは僕だ」


ドロジがゆっくり振り返る。


「君を巻き込むべきじゃなかった」


僕は、頭を下げる。


「どうすれば良いのか、もう僕には分からない」


沈黙。


「許してくれ」


ドロジは、僕の目を見る。

長い時間、何も言わない。


やがて、


「よく考えて」


静かな声だ。


「大切な人たちのことを」

「……」

「貴方の推し」


ドロジが少しだけ笑う。


「ヲタッキーズ」

「……」

「秋葉原のヲタクたち」


僕は、顔を上げる。


「みんな、貴方を失ったと悲しんでいるわ」

「なぜ、それを知っている?」


ドロジは、肩をすくめる。


「それが仕事だから」


そして、僕をまっすぐ見る。


「帰ってあげて」

「……」

「無事に帰ってあげて」


1拍置く。


「蒲田には、もう2度と戻らないで」


僕は、何も言えない。

ドロジは、窓の外を見る。


蒲田の夜景が広がっている。

映画の街。彼女が選んだ世界。


「ここからは忠告よ」

「何?」

「"母なる世界線"に帰ろうとすれば……」


ドロジは、静かに言う。


「大切なものを、次々と失ってしまうわ」

「……」

「貴方は、もっと多くのものを失う」


僕は、窓の外を見る。


「秋葉原にいて」

「……」

「みんなを守ってあげて」


ドロジは、背を向ける。


「それが……」


ほんの少しだけ、

昔の女王様の声に戻る。


「ヲタクの王様の役目よ」


僕は何も言わず、その場を離れる。


廊下を歩く。

振り返らない。


振り返れば、もう1度

彼女を連れて行きたくなるから。


背後でドアが閉まる。

その音は


"ご主人様"と呼ばれていた僕たちの関係に

鍵をかける音だ。


蒲田の夜景は、何も知らない顔で輝いている。


第4章 帰る場所


夜のパーツ通り。


エアリは、1人で歩いている。

電気街のネオンが、濡れた路面に滲む。


ふと、エアリは立ち止まる。


空を見上げる。

LED街灯。


眩しいほどの白い光。

エアリは、指を上げる。


パチッ。


街灯が消える。

闇が降りる。その背後から。


ドドドドド……。


低いエンジン音が近づいてくる。

1台のBMW R75が止まる。


ライダーがヘルメットを脱ぐ。

マリレだ。


「弁償しておいてよ」


エアリが振り返る。

バイクから降りると、エアリの隣に立つ。


そして……


パチッ。


もう1つのLED街灯を消す。


「マリレ……」

「マデラと喧嘩したの?」


エアリは、少し笑う。


「私の結婚式に来てくれないって」

「……」

「誰も喜んでくれないわ」


エアリは、夜空を見る。


「この気持ち、分かる?」


マリレは、答えない。


「テリィたんにも、この前バレて反対された」

「……」

「だから」


エアリは、マリレを見る。


「この前、マリレには祝福して欲しかったの」


少しだけ声が震える。


「ねえ」

「……」

「今度だけでも、味方してよ」


マリレがエアリを見る。


「いつでも、私にはどうでも良いくせに」

「え?」

「なんで、そういうこと言うの?」


エアリは、黙る。


「どうでもいいなんて、思ってない」

「ウソよ」


マリレは、笑う。


「どうでも良いから

 私には伝言でよかったんでしょ?」

「……」

「スピアから伝えさせた」


エアリは、目を伏せる。


「それは……ごめんなさい」

「……」

「私がバカだった」


エアリは、正直に謝る。


「直接話して、マリレにも反対されたら

 どうしようって……ずっと不安だったから」


マリレの表情が少しだけ緩む。


「確かに、ジェシのことは心配よ」


エアリは、前を向く。


「でも」


1歩、踏み出す。


「私が守ってみせるわ」


マリレが小さく笑った。


「守れればいいけど?」

「守る」

「言い切るのね」

「言い切る」


エアリは、マリレを見る。


「貴女の意見は

 ミユリ姉様の意見と同じくらい大事なの。

 テリィたんの意見なんか比べものにならない」


マリレは微笑み、黙る。


「私、本気でそう思ってる」


そして、少し照れながら言う。


「マジ姉妹だと思ってる」


マリレは、何も答えない。

ただ……


「……そう」


とだけ言う。

次の瞬間。


パチン!


遠くのネオンが1つ消える。

さらに……


バチバチッ!


遠く離れた看板が激しく明滅する。


「ちょっと、マリレ」

「何?」

「今の、消す必要あった?」

「必要ないわね」

「じゃあ、なんで?」


マリレは、涼しい顔をする。


「私が言いたかったことはね」


1拍置く。


「式は2週間後?」


エアリが笑う。


「もう2週間もないわ」

「え?」

「10日後」


マリレは、少し驚いた顔をする。

そして。


「……そう」


ヘルメットを脇に抱える。


「じゃあ……」


エアリを見る。


「結婚おめでとう。エアリ」


エアリの目が潤む。


「……ありがとう」


マリレが腕を広げる。

エアリも1歩近づく。


2人は抱き合う。

パーツ通りの夜。


2人の背後で、消えた街灯の向こうに

新しいネオンが1つだけ灯る。


1つだけだ。


ただ、誰かの人生を照らすには

それだけで十分だ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


閉店後。


誰もいない御屋敷。

ミユリさんは1人、床を掃いている。


メイド服の裾が、床を撫でる。

いつもの夜だ。


けれど、いつもの夜と少しだけ違う。


掃除を手早く終え、カウンターの下から、

小さな箱を取り出す。


自分で作った宝物箱。


そこには、僕との時間も詰まっている。

くだらないもの。誰にも価値のないもの。


けれど、僕がここにいた証。


ミユリさんは、しばらくそれを見つめている。

そして……黙って、ゴミ箱に押し込む。


そのときだ。


扉の向こうに、人影が立つ。

ミユリさんが振り返る。


僕だ。


彼女は、しばらく動かない。

夢を見ているの?そういう顔をしている。


やがて、ゆっくり扉を開ける。

僕たちは、向かい合う。


「おかえりなさい」

「……ただいま」

「いつ戻ってきたの?」

「今だよ」


僕は、1歩彼女に近づく。


「私、電話したのよ」

「うん」

「何度も」

「うん」

「……ずっと待っていたのよ」

「ごめん」


僕は、笑おうとする。

でも、うまく笑えない。


「1晩中、ケッテンクラートを飛ばしてきた。

 ミユリさんに会いたくて」


ミユリさんの目が揺れる。


「いくら何でも、ひどいわ」


そして、少しだけ笑う。


「私は、テリィ様の推しなのよ?」

「うん」

「でもね」


彼女は、僕を見る。


「推されてるって、感じたことは1度もないの」


胸の奥に、何かが刺さる。


「そんなつもりはなかったんだ」

「言い訳はやめて」


静かな声だ。いつもの敬語もない。

僕は、何も言えなくなる。


ミユリさんは、ずっと1人で待っている。

1人ぼっちで。僕のことを。


その間、僕は何をしていたのだろう。

娘を救おうとして、時空を追いかけて。


ドロジの人生を壊して。


そして、いちばん帰りたかった場所に

背を向けて。


「……馬鹿だったよ。僕は」

「やめて」

「君はずっと……」

「やめて」


ミユリさんが、もう1度言う。


無理やりハグしようとする。

彼女は1歩後ろへ下がる。


怯えたような目をする。

僕を拒絶する。


「どうしたの?」


答えられない。


「何があったの?」


しばらくして、僕は言う。


「失敗したんだ」


声が震える。


「僕の娘は、はるか遠くのどこかで苦しんでいる」


僕は、うつむく。


「僕は、周りの人をみんな傷つけてばかりだ」


言葉が、ひとつずつ落ちていく。


「ドロジの人生も」


そして。


「ミユリさんの人生も」


そこまで言ったときだ。

ミユリさんが走ってくる。


僕の胸に、身体ごと飛び込んでくる。


強く。僕は、何も言えなくなる。

ただ、彼女を抱きしめる。


「……ホントに、ごめん」


声が震える。


「許してくれ、ミユリさん」


涙が出る。

止まらない。


「もういいのよ」


彼女の声が、胸のすぐそばで聞こえた。


「わかったから」


僕の背中に、彼女の腕が回る。


「もう、大丈夫よ。テリィ様」


僕は、彼女を抱きしめる。


「もう君から離れない」


涙で声が潰れる。


「もう君を離さない」


カウンター席の横で、僕たちは抱き合っている。


誰もいない店内。消えかけた照明。

ゴミ箱の中には、捨てられた宝物箱。


そして、そのすぐ隣で、僕はようやく帰ってくる。


天井のファンが、ゆっくり回っている。

まるでメヒコ風の、古いサロンみたいに。


世界線がいくつあっても。

時空トンネルがどこへ続いていても。


僕には、帰る場所がひとつだけある。

その場所で、ミユリさんを抱きしめる。


だから今夜だけは

もう、どこへも行かなくて良い。



おしまい

今回は、海外ドラマによく登場する"映画業界人"をテーマに、主人公のワガママに振り回される"ランプの精"を時にコミカルに、時にシリアスに描いてみました。


海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、インバウンドのタトゥ率の急上昇に驚かされる秋葉原に当てはめて展開してみました。


秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。

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