第九話 アレスの決意
――愛とは利用するものである。
シャルロットは愛を知らないわけではない。
祖父に大切にされてきたことは、間違いなく愛情ゆえのものだということを理解している。理解しているからこそ、愛には利用価値があると判断できる。
賑やかな食事を終え、再び客室に通されたシャルロットはベッドに身を横たえ瞼を閉じていた。ドレスから軽やかなナイトウェアに着替えも済み、身支度を終えた今、後は眠りにつくだけだ。
(てっきりアレス様と同じ寝室で眠るのかと思っていましたが、まさか拒否されてしまうとは)
求婚に答えた以上、夫婦同室となることは当たり前だとシャルロットは考えていた。しかしアレスは激しく首を横に振り、それは気が早すぎると慌てた様子を見せたのだ。
(思考が大胆でありながら、妙に奥手になる側面がある。なんとも感情表現の豊かな方です。何もかも、私とは違いますね)
幼少の頃から周囲を偽り続けてきたシャルロットにとって、感情というものは徹底して抑え込み、制御するものに過ぎなかった。
感情に任せ声を上げて笑ったこともなければ涙を流したこともない。
仄暗い愉悦を得られたときでさえ、その笑みは密やかなものであった。
感情とは弱点に成り得る要素である。
秘してこそ。と、シャルロットは考える。
だからシャルロットにとって、感情を隠すことをしない相手は少しばかり苦手であった。何せ弱点を曝け出し迫ってくる様なものなのだから、シャルロットには理解が出来ない。
それが罠であればまだしも、ただ純粋な感情を曝け出しているに過ぎなければ余計に困惑してしまう。
つまりはアレスという存在は、シャルロットにとっては苦手意識を抱くに十分な相手だった。
(……どうして出会ったばかりの異世界の女にこんなにも興味を抱くのか、私にはアレス様の考えが分かりません。分からないからこそ、慎重にならなければいけない。アレス様の気を引きつけ続けなければなりません)
感情に素直な人間は、興味を失う時もまた一瞬であることが多い。
アレスの好意が褪せてしまわない様に、シャルロットはこれから自分の取るべき態度を脳内で描きながら微睡に落ちていった。
翌朝。
目覚めたシャルロットは、メイド達に囲まれながら身形を整えた。
身に纏う衣装は、元々あちらの世界から着てきた漆黒のドレスだ。一晩のうちに手入れがなされたのか、ドレスは新品同然の美しさを取り戻していた。
袖を通したシャルロットは、着心地までもが良くなったような気がしてメイド達の仕事ぶりに思わず感心する。
(このメイド達は手元に残しておいても良いかもしれません)
近い未来、トルキアの全てが帝国にぶつけられれば、このメイド達も無事では済まない可能性がある。
そう思えばこそ、シャルロットは少しばかり惜しい気持ちになっていた。
しかし彼女達もまた破滅の一役を担う存在となる可能性があるとすれば、話は別だ。シャルロットは喜んで彼女達をも切り捨てるだろう。
「おはようございます、シャルロット様~! 今日もお美しい!」
シャルロットの身支度が終わった途端、ニャンクスⅡ世がシャルロットの元を訪れた。
「おはようございます、ニャンクス様。如何なさいましたか?」
「朝食の準備が整いましたのでお呼びに参りました! それとですね、今日はアレス様から大事なお話があるとのことですので、心しておいでくださいませ!」
「心得ました」
ご機嫌な様子のニャンクスⅡ世の後をついて、シャルロットは食堂まで足を運ぶ。食卓には既に朝食が並べられており、アレスがシャルロットの到着を待ちわびていた。
シャルロットの姿を見つけるなりアレスは立ち上がり満面の笑みを浮かべる。
あまりにも素直な感情表現の様子に、シャルロットは一瞬、アレスにピンと耳を尖らせ大きく尻尾を振る犬の姿を幻視した。
「おはよう、シャルロット! よく眠れたかい?」
「はい。これも全てアレス様のお陰です。メイド達への教育も良く行き届いており、私、感動致しました」
「気に入ってもらえて嬉しいな! 彼女達は俺に過ぎたるものの一つでもある。それが君の役に立てたのなら、これほど嬉しいことはない!」
朝一番のアレスの笑顔に、シャルロットは眩しさを感じ取る。
(異界という厳しい大地にありながらこうも明るくあれるのは、やはりアレス様が相当の実力者であるからなのでしょう)
余裕のある実力者ほど、よく笑うことをシャルロットは知っている。
気を引き締めてシャルロットは席に着いた。
朝食の最中もアレスはシャルロットに他愛のない話を投げかけてくる。
笑顔で相槌を打ちながら、シャルロットは折を見て口を開いた。
「アレス様。先程、ニャンクス様より大切なお話があるとお伺いいたしました。一体、どのようなお話しなのでしょうか」
問われてアレスはハッとした顔をした。
「そうだった! 君に伝えておきたい話があったんだ! 俺、トルキア大陸の全勢力を纏めようと考えているんだ!」
やはりそう来たかと、シャルロットは心の中でニヤリと笑む。
しかしその感情は決して面には出さず、表面上では不安げな顔を浮かべて見せた。
「私はまだ、このトルキアの規模を把握しきれておりません。しかし全勢力を纏めるとなれば、大変な労力を伴うことは察せられます……」
「ああ! 大変だとは思う。だが、君を呪いから解き放つ為だ。苦ではない!」
ドンと力強く胸を叩くアレスの姿は自信に満ち溢れていた。
その傍らで、シャルロットは自分の思い違いに気が付く。
(どうやらアレス様は王ではあるものの、トルキアの支配者ではないご様子。全勢力……果たして、他にどんな方々がいるのか。ふふ、期待してしまいますね)
他勢力を纏めるならば、戦いは避けられないだろう。
戦いが起これば、敗者には滅びが訪れる。
帝国という大きな滅びの前に、幾つかの小さな滅びが味わえるかもしれないと、シャルロットは密かにうっとりと目を細めた。




