第五話 ドラゴンの背に乗って
玉座の間の背後には窓があった。
窓と言ってもガラスは張られておらず、枠組みのみの吹きさらしである。
シャルロットの手を引いたアレスは玉座を通り越し、窓辺に歩み寄る。
玉座の間と外を隔てる縁で足を止めると、途端に強い風が屋内に吹き込んだ。
シャルロットの前髪とドレスの裾が舞い上がり、優雅な曲線を描く。
風に踊るアレスのマントと並ぶことで、その様子は一種の絵画のようにも見えた。
ばさばさと翼がはためく音が響く。
窓辺の向こうから、空を飛ぶ巨大な深紅の翼竜が姿を現したのだった。
「我が愛竜、ドラコだ。さぁ、行こう!」
「ドラゴンの背に乗って……ですか?」
「もちろん! 安心してくれ、俺が君を支える。落ちることは無い!」
支えると言いながら、アレスはシャルロットの手を強く引いた。
引き寄せたシャルロットの体を軽々と持ち上げて横抱きにする。
それからアレスはトンと軽く縁を蹴り、ドラコと呼ぶドラゴンの背に向かって跳び出した。
シャルロットを抱えたまま、軽やかな跳躍でアレスはドラコの背に飛び乗る。
その身のこなしの軽さに、シャルロットはアレスの実力の片鱗を垣間見た。
そっと横抱きの姿勢から下ろされたシャルロットは、慣れないドラゴンの背に僅かに戸惑う。
ゴツゴツと凹凸のある歪な表面は、思った以上に艶やかだ。
ドラコの背をヒールで踏みしめながら、シャルロットはアレスにそっと身を寄せた。アレスは力強くシャルロットの肩を抱き寄せて、大丈夫だと笑む。
「ドラコ、飛翔せよ!」
「ゴアァァァアッ!」
咆哮を上げてドラコが両翼を大きく動かした。
風を吹き上げながら、巨体が宙を舞う。
シャルロットは腹の底をくすぐるような浮遊感に眉をしかめた。
(飛空艇とはまるで違う。何と原始的な移動方法でしょうか。けれど眺めは良い。トルキアの大地が一望できる。ドラゴンの背からであれば、戦場の状況把握も簡単に行えますね)
空を滑るようにドラコが飛ぶ。
意外に振動の少ない乗り心地は快適で、シャルロットは体の力を抜いて周囲を見渡した。
正面は地平線の先まで荒れた大地が広がり、大きな曲線を描いて険しい山々が列を成す。視線を左へ向ければ遠くに海が見え、荒れた波がうねる様子が目に付いた。
「この世界にも海があるのですね」
「ああ! このトルキア大陸には海と山と森がある!」
ドラコがその場で大きく円を描いて旋回し、シャルロットは自分の背後に広がる景色を目にした。
大地は密集して生えた木々に覆われ、上空からは緑の絨毯を敷き詰めたように見える。地平線から森を貫くように流れる川は、遠目から見ても澄んだ輝きを放っていた。
手付かずとも言える豊かな自然がそこにはあった。
「トルキアの大陸は決して広くはない。だが限りある大地だからこそ、たくましい命に満ちているんだ!」
「それはアレス様がそうあるからこそ、大地も応えてくれているのでしょう」
「いやぁ~! シャルロットは褒め上手だなァ!」
へらりと笑いながら、アレスはシャルロットを再び横抱きに抱え上げた。
シャルロットはなされるがままアレスに身を預ける。
逆らったところで利がないと判断してのことだった。
「高度を落とせ!」
アレスの指示に従い、ドラコは広げた翼で風を切って滑空する。
木々の一本一本が目視出来るという距離まで来て、アレスはシャルロットを抱く腕に力を込めた。
「少し衝撃があるかもしれないが、堪えてくれ!」
「構いません。お望みのままに」
そうかと頷き、アレスはドラコの背を蹴って飛び出した。
足取り軽く跳ねたアレスは、シャルロットを抱えたまま落ちていく。
激しい風が二人の髪を逆立たせ、衣服を巻き上げる。
常人であれば死ぬであろう高さからの降下にも関わらず、アレスの顔には笑顔が浮かぶ。
なお、シャルロットはこの間、無表情を貫いていた。
着地の瞬間はすぐに訪れた。
相当な高さからの落下にも関わらず、アレスの着地は舞い落ちる羽のように静かなものだった。
重力を感じさせないアレスの所作に、シャルロットは密かに感心する。
(素晴らしい着地です。人一人を抱えてこの身体能力、さすがは異界の王と言えましょう)
そっと地に降ろされたシャルロットは姿勢を正し、前を向いた。
まだ森の入り口付近にも関わらず、木々が鬱蒼と生い茂っている。
枝葉の隙間から木漏れ日が射し、奥へ奥へと転々と光の道が続いていた。
(まさか、この光景を見せるためだけにドラゴンの背から飛び降りた? 異界の生物の考えは分かりません)
僅かな呆れを抱くシャルロットの耳に、ガサガサと雑草を踏む音が届く。
ほどなくして木々の間から姿を見せた四足の獣を前にして、シャルロットは考え込む。
「これは……狼、ですか?」
「ウルフだ。この大陸のあっちこっちに生息していてね! 焼いて食べると美味い!」
「あぁ、食用なのですね。承知いたしました」
言い終わるや否や、シャルロットは胸元に手を当て、魔導コアを光らせる。
宝剣カリバーンを取り出すと、シャルロットは一歩前に出た。
今にも斬りかからんばかりのシャルロットを目にして、アレスは朗らかに笑った。
「はははっ! シャルロットはやる気に満ちているな! 俺も負けないぞー!」
腰からぶら下げていた剣を抜き、アレスは剣先を魔獣ウルフに向けた。
「どちらが多く狩れるか、勝負と行こうじゃないか!」
「お望みとあらば」
陽光を受け、二人の剣の刃が眩しく光った。




