第四話 異界の王アレス
王とは支配者である。
シャルロットは異界の支配者に接触できる機会を早々に得られ、内心ほくそ笑んでいた。
異界の状況は独自に調べもしたが、何分資料に乏しく、実態を把握することはシャルロットとて困難を極めていた。支配とは現状把握から始まるものであり、支配者である王との謁見は、シャルロットにとって間違いなく大きな一歩となるだろう。
「着きましたよー!」
ニャンクスⅡ世の陽気な声に合わせ、二人を包む光が消えていく。
光が爆ぜて消えていくと、シャルロットは慎重に周囲を見渡した。
先程までいた荒野から景色は一変し、建物の中の広間に通されていることを知る。
周囲を白塗りの壁で囲まれたこの空間は、四隅を太い柱が支えていた。
床に真っすぐに敷かれた赤いカーペットを辿ると、深紅の玉座に辿り着く。
シンプルな造りの玉座の前に、一人の男が立っていた。
「よく来た! 人間よ!」
シャルロットの視線に気が付いた男が声を張り上げた。
床に着くのではないかという長さの漆黒のコートを羽織った男は、その下に着こんだ衣服までもが黒かった。
その黒に、銀糸の髪が映える。
両側頭部からは髪をかき分けるようにして、山羊のものに似た巨大な角が生えていた。年の頃はシャルロットと変わらない見た目をしているが、頭部の角が人ではないのだと強く主張している。
男は大きく丸い瞳でシャルロットを見つめていた。
奇しくもその瞳の色は、シャルロットと同じ深紅であった。
シャルロットは男を見るやいなや、恭しくスカートの両端を摘まみ、膝を折る。
絵に描いたような優雅な一礼を前にして、男は頬を赤らめた。
「うっ、美しい……!」
男から漏れた言葉を気にも留めず、シャルロットは粛々と述べる。
「お初にお目にかかります。私はシャルロット・ダークロウズと申します」
「アッ、初めまして! 俺はアレス! この大陸で王をしている!」
アレスと名乗る男の声は随分と張っていて、一言一句がシャルロットの耳朶を震わせた。少々うるさいが許容範囲であるとして、シャルロットは何食わぬ顔で姿勢を正す。
「こちらの世界に来て早速、王にお会い出来て光栄の極みです」
「俺も君のような美しい人間に会えてとても嬉しい! よくやったぞ、ニャンクス!」
「ニャフフ! なんとも身に余る光栄! 王よ、そちらの女性は美しいだけではございませんよ。なんと野良ドラゴンを一刀に伏す剣豪にあらせられるのです!」
「その華奢な体と細腕で!?」
アレスは目を丸く見開き、シャルロットをまじまじと見た。
自分よりも一回り小柄な体躯に、ほっそりとくびれた腰。
すらりと伸びた手足は細く、とてもではないが剣を扱えるようには見えず、アレスは首を傾げた。
「あちらの世界の剣は、君のような細身の女性でも扱えるほど軽いのか?」
「いいえ、アレス様。私は体に魔導コアと呼ばれる特殊な宝玉を埋め込んでおります。それ故、規格外の力を振るうことが可能なのです」
「魔導コア……興味深いな。見せてもらえるか?」
「承知いたしました」
アレスに乞われ、シャルロットは素直に頷く。
ドレスの肩口に手を添えて、何の躊躇もなく布地を下へ引っ張る。
真っ白な肩が露わになって、アレスは大慌てでシャルロットの手に手を重ね、押さえつけるようにして動きを止めた。
「ワーッ! 何してるんだ君ぃー!?」
シャルロットはアレスを見上げ、はてと首を傾げる。
「魔導コアの露出を。私の胸元にございますので」
「それならいい! 見せなくて良いから! 肩をしまってくれーッ!」
「はい……」
見せろと言ったのはそちらなのにと少しばかり不服に思いながらも、シャルロットは衣服を直す。
身形が整ったシャルロットを前にして、アレスはホッと肩を下ろした。
「君のような素直で無防備な女性がこんな所に居るなんて、信じられないな」
「いいえ、私はアレス様の思うような女ではありません……」
顔に憂いを浮かべ、シャルロットは瞳を潤ませる。
無論、演技であるのだがアレスに見抜くことは出来ない。
シャルロットは身を縮こまらせると、声を震わせ嘘を並べた。
「私は罪人なのです。親に命じられたとはいえ、皇帝陛下の暗殺を企ててしまったのです……」
「親が人殺しを命じたというのか!? それは……っ、なんて酷い親なんだ……!」
「父も母も、欲に目が眩んでしまったのです。私が逆らうことなど、とてもできませんでした……。皇帝陛下は聡明な御方。私の拙い企みなど即座に見抜き、私は大罪人として捕まりました。あちらの世界では、こちらの世界に送られることが死よりもなお、重たい刑として存在しております」
「死よりも、重たい……。なんて理不尽な話だ! 君はただ利用されただけに過ぎない。哀れな被害者と言っても良い。皇帝が聡明な人物だというのならば、それくらい見抜けていたはずだ!」
怒りを露わにするアレスを見て、シャルロットは内心、喜ぶ。
王の、初対面の人間の言い分を疑わない素直さが愉快でならなかったのだ。
シャルロットはアレスに利用価値を見出す。
シャルロットの思惑を知るよしのないアレスは、シャルロットの右手をそっと手に取った。
異界の生物であれども、その体温は人と同じなのかとシャルロットは妙な感心を抱いていた。
「辛い思いをしたね、シャルロット。もう大丈夫だ。俺が君を守るよ」
熱のこもる目をしたアレスに、シャルロットは頬を朱に染める。
「こんな素性も知れぬ女に、なんとお優しいのでしょう……。私にはもったいない限りです」
「そんなに畏まらないでくれ! あっ、そうだ! こちらには来たばかりだよね? トルキアの大地を案内しよう!」
「是非。アレス様ほどの御方が納めるこのトルキアの大地、私も詳しく知りたくなってきました」
「君に気に入ってもらえると嬉しいな!」
にっこりと笑って、アレスはそのままシャルロットの手を握り締めた。
「ニャンクス! 我が愛竜の準備は出来ているか!」
「いつでも行けます! どうぞごゆるりとお楽しみください~!」
聞き慣れぬ単語にシャルロットは密かに警戒を強める。
アレスが手を引いて歩き出した先が玉座の後ろの窓辺であることも、シャルロットの不安を煽る要因となっていた。




