第三十二話 無償の愛がある
――決戦前夜、これはそれよりも以前の話である。
シャルロットには、どうしても気に掛ることがあった。
アレスが不在であることを確認して、シャルロットはニャンクスⅡ世を呼び止める。呼び止められたニャンクスⅡ世は足を止め、どうかしたのかとシャルロットを見上げた。
「神槍グラン・ギニョルについて、少し詳しくお聞かせ願えませんか?」
明らかにニャンクスⅡ世の顔色が悪くなる。
もごもごと言葉を濁らせて、それから小さく唸りだす。
ひどく言い出しにくそうに、ニャンクスⅡ世が口を開いた。
「神槍の、なにをお知りになりたいのですかな……?」
「アレス様が何を犠牲にして神槍を扱うのかについてを」
ぴしゃりと言い放つシャルロットに、ニャンクスⅡ世が深い溜息を吐き出した。
「さすがシャルロット様……。神槍に犠牲が付きものと、いつお知りになられましたか? アレス様から直接お聞きに?」
「いいえ。アレス様はなにも。会話の節々から、私が勝手に察しただけです」
「そうでしたか……」
いつもはぴんと立ったニャンクスⅡ世の耳が前に倒れる。
明らかに気落ちした様子のニャンクスⅡ世を前にして、シャルロットはいつの間にか拳を握り締めていた。
「……神槍グラン・ギニョル。それは殺戮の竜の力そのものであり、全てを貫く呪われた槍でございます。無敵の力を誇る武器故に、扱う者は命を削らねばならないのです」
「命を……」
――構わない! シャルロットの呪いを解く為ならば、命なんて惜しくはない!
いつかのアレスの言葉がシャルロットの脳内に響き渡る。
その意味がようやく真に理解出来て、シャルロットは無意識にどうしてと呟いた。
「命を削る力を、どうして私のためになど使役するというのでしょうか」
その問いにニャンクスⅡ世が目を丸くする。
どうしてなどと、どうして聞くのかと驚いたのだ。
ニャンクスⅡ世の驚いた様子にシャルロットは思わず戸惑う。
何かおかしなことを言ってしまっただろうか。
そう顔に出ていたのか、ニャンクスⅡ世は慌てた様子で口を開いた。
「愛しておられるからです!」
「愛しているから……」
「はいっ、アレス様はシャルロット様を愛しておられるのです! それこそ、命を投げうっても構わない程に!」
「愛している、から……」
繰り返し呟いて、どうしてと再び繰り返す。
(アレス様は間違いなく気が付いています。私がアレスを始めとして、異界の全てを利用しようとしていることに。なのに命を削る力を使うと仰る。愛しているから。私を愛しているから、利用されていると知っていても命をも投げ出す?)
黙り込んだシャルロットを、ニャンクスⅡ世が不安げな顔で見上げる。
すぐにシャルロットはいつもの落ち着いた顔をして、ニャンクスⅡ世に礼を告げて立ち去った。
トルキアの大地を見下ろすバルコニーで、シャルロットは目を閉じて吹く風に身を委ねる。
愛とは利用するものである。
それは互いに利己的な感情があるからこそ成立する理論だ。
ならば、無償の愛を前にしてその考えは通用するのか。
しないだろうと、シャルロットは即座に結論付ける。
(……アレス様の愛は、私の知る愛とは深さも意味も、まるで違うのですね)
その時になってシャルロットはようやく知った。
利用することの出来ない、一途な愛があるのだと。




