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第二十三話 幻竜王タイフォーン

 タイフォーンとの約束の日。

 森の入り口で不安そうな顔をしたアレスに別れを告げて、シャルロットは一人森の中を歩いていた。ヒールの高い靴であっても平然とデコボコとした土の上を歩いて行けるのは、これもまた魔導コアによる強化の恩恵である。


 草木が生い茂り、陽の光も僅かにしか射しこまない森の中をシャルロットは迷わず突き進む。頭上からドラゴンの羽ばたきが聞こえても、シャルロットが気に留めることはなかった。


 暫く歩き続けていると、草木が開けた森の終わりに辿り着く。

 森から一歩出ればそこは広い野原が広がっており、眩しさにシャルロットは目を細めた。


「良く来た。人間の娘よ」


 低く地鳴りのような声にシャルロットは身を固くする。

 そろりと開けた視界の中、野原の奥まった場所に巨大なドラゴンが鎮座していた。

 他のドラゴンよりも一回り以上大きな体躯をしたドラゴンの皮膚は、燃えるような炎の色をしている。

 皮膚には古い傷がいくつも刻まれ、皺も多い。

 だがしかし、シャルロットはだからこそ美しいのだと感じながら、うやうやしくドラゴンに一礼をした。


「お初にお目にかかります。シャルロット・ダークロウズと申します。この度はお招きいただき、ありがとうございます」


「我はタイフォーン。幻竜王などと呼ばれているが……見た通り、ただの老いぼれに過ぎぬ」

 

 ゆっくりとした喋り方は威厳に溢れており、シャルロットは不覚にも祖父オーガスタを思い出す。オーガスタが見せた、臣下や民衆に対する態度に似ていると思ったのだ。


 体勢を整えたシャルロットはタイフォーンを真正面に見据える。

 決してその迫力に呑まれまいと、一際気を強く引き締めた。


 シャルロットの気概を感じ取ったのか、タイフォーンは横たえていた上半身をゆっくり持ち上げる。猫の目に似た肉食の捕食者の瞳は年老いてなお磨きがかかり、深い海の底を思わせる色でシャルロットを見つめた。


(ぬし)がアレス坊に身を寄せるようになってから、この大地は騒がしくなった。人間の娘よ。今すぐこの地から去れ。去れぬというのならば、アレス坊から離れよ」


「お言葉ですが、(わたくし)はアレス様の伴侶となる身でございます。勝手にアレス様のお傍を離れるわけにはまいりません」


「殊勝なことを言う。だが、我に偽りは通じぬ」


「偽りとは?」


「主のその目だ。一目見て分かった。主は他者に従順になる者ではあるまい。主の本性は、その目に宿す仄暗い焔で全てを燃やす、恐ろしき怪物であろう」


 タイフォーンの言葉を受けて、シャルロットはたまらず唇の端を釣り上げた。

 こうもあっさりと本性を見透かされたのは、初めて皇帝アルカイオスに出会った時以来だった。


「流石は幻竜王タイフォーン様。慧眼にございます。貴殿の前では人間など愚かで、塵芥(ちりあくた)に過ぎぬのでしょう」


「そうだ。主などこの老いた身であっても簡単に殺せよう。爪で串刺しか、炎の吐息で焼き払うか。簡単なことだ。だからこそ、我は主に選択を与えているのだ」


「寛大なるご配慮、身に余る光栄です。そして理解も致しました。――やはり貴殿では駄目なのだと」


「なに……?」


 尊大なシャルロットの言い分に、タイフォーンは眉間を寄せて不快感を示した。

 タイフォーンは不思議に思う。



 今までも何度か、あちら側から送られてきた人間と顔を付き合わせたことがある。

 誰もが己を前にすると、恐怖に身が竦み哀れなまでに縮こまっていた。

 しかし、この人間の小娘は何なのだろうか。

 恐怖を覚えるどころか表情一つ変えやしない。



 タイフォーンは胸の内に抱く不安がまさに正しかったのだと確信した。

 この人間は、トルキアの大地に混乱と混沌を呼ぶ災いであるという不安がだ。


 タイフォーンは首を大きく振り、頭を天高く持ち上げた。

 大きく開いた口から咆哮が轟く。


 それを合図に野原を囲む木々が大きく揺れ、一際強く吹いた風と共に大量のドラゴンが姿を現したのだった。ドラゴン達はずしんと地を揺らしながら森より歩き出る。


「人間の娘よ。此処で朽ちよ」


 ドラゴンに囲まれてもシャルロットは怯む様子一つ見せない。

 周囲のドラゴンが大きく吠え、シャルロットに向かって一斉に首を伸ばして噛み付いた。



「今です」



 急接近するドラゴンの頭をその場で跳ねて避けたシャルロットが呟く。

 それが合図であったのか。

 森の四方八方から更にドラゴンが姿を現した。


 遅れて現れたドラゴンは翼を広げ、先に現れたドラゴンの上を飛んだ。

 先に現れたドラゴン達は皆、小さな人間のシャルロットを囲むために地を足を着けていた。

 上空からの奇襲によって、ドラゴン達は次々と地面に押し倒されていく。

 阿鼻叫喚のドラゴンの悲鳴が上がる中、タイフォーンはシャルロットを睨みつけていた。


「人間よ。なにをした」


「利害が一致しただけです。ヴァイオレン様と」


「ヴァイオレンだと?」


 シャルロットの口からその名が出たことに、タイフォーンが驚く。

 直後、自身を覆う影に気が付き、タイフォーンは空を見上げた。


「たばかったな、人間……!」


 タイフォーンの頭上には、一匹の巨大なドラゴンが居た。

 巨大なドラゴンはタイフォーンが顔を上げると同時に、その巨体を一息に降下させ、勢いのままに大きな手でタイフォーンの頭を地面に押し付けた。


「そいつは違うぜ、爺ィ! 俺様が! ニンゲンを! 利用してやったんだよ!」


 激しく立ち昇る土煙の中、耳を劈く雄叫びが響く。

 タイフォーンを圧し潰さんと更に力を籠めるこのドラゴンこそが、暴竜王ヴァイオレンである。


「人間と手を組み……なんとする気か……!」


 ヴァイオレンの巨体に押されながらも、タイフォーンは寸でのところで踏ん張る。ヴァイオレンを振り払おうとタイフォーンは長く伸びた尾を振るも、更に上空から飛び降りてきたドラゴン二匹により押さえつけられてしまった。


 完全に身動きの取れなくなったタイフォーンは、視界の中にシャルロットを写す。阿鼻叫喚の中、平然とした様子で歩み寄るシャルロットに、タイフォーンは恐怖を覚えるのだった。


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