第二十話 かわいい/可哀そうな人
「すまない、少し手間取ってしまった!」
急ぎ足で客間に戻ったアレスは、目の前の光景に目を丸くして足を止めた。
「シャルちゃんっ、もっとあっちの世界のお話し聞かせてよ!」
「はい、勿論。ファラ様が好みそうな、恋のお話など如何でしょうか。身分違いの愚か者……いえ、身分の違いを乗り越えて結ばれた者達のお話がございます」
「聞きたいっ、聞きたい~!」
テーブルを囲んで、ファラとシャルロットが仲良く談笑をしている。
自身が場を離れるまではファラがシャルロットに敵対的だったことを考えると、一体この短時間に何が起こったのかとアレスは驚いた。しかしアレスが驚いたのは一瞬のことで、すぐに状況を受け入れる。
遠巻きに二人を見つめていると、アレスに気が付いたシャルロットが立ち上がった。
「お帰りなさいませ、アレス様」
頭を下げるシャルロットに続き、ファラも立ち上がりアレスに駆け寄る。
ファラはアレスの腕にくっつくが、先ほどまでの苛烈さは鳴りを潜めた様子だった。
「アレスお帰り~! ドラゴン達どうだった?」
「ああ! どうにか互いに引き下がってくれたよ!」
「もーっ、竜族の揉め事なんて、竜族だけで解決すればいいのにっ! アレスに迷惑かけるなっていうのっ!」
「大丈夫さ。それも我が一族の使命だからね」
「分かってるけどぉ……」
ころころと喜怒哀楽の表情を変えるファラにアレスは笑む。
このトルキアにあって、ファラという少女は一際自由な存在だった。
その天真爛漫さがアレスには微笑ましいものに見えてならなかったのだ。
「ねぇ、アレスはタイフォーン爺とヴァイオレンくんのどっちにつくの?」
「どちらにもつかないな。種族間の争いに首は突っ込まないよ」
「ふーん。あ、そうそう! アレス! ファラね、同盟組んであげる!」
「本当かい!?」
「うん! シャロちゃんに酷いことした皇帝、ぶん殴りに行くんでしょ? ファラもお手伝いしてあげる!」
随分と軽い調子で解釈されたと思いながらも、シャルロットは首を縦に振ってファラの言葉を肯定した。
アレスが不在の間、シャルロットとファラの間で交わした言葉は全て二人だけの秘密となった。故に、アレスは何故ファラがこうも協力的になったのかは分からないままだ。
だが、アレスにとって一番大事なことは理由ではない。
シャルロットの呪いを解く為の、協力者が得られた。
その事実こそが何よりも重視されるべきものであった。
「そうか! ありがとう、ファラ! 君の協力が得られるならば、これほど頼もしいことはない!」
「えへへーっ! いくらでもファラのこと、頼っていいんだからね!」
アレスとファラはお互いに顔を見て、にこにこと笑いあった。
片や、シャルロットを呪いから解き放ち、真に伴侶とする為に。
片や、シャルロットの生死は問わず、本当に好きな人同士が結ばれる為に。
それぞれの思惑を秘めているとはいえ、アレスとファラ、陸地と海の同盟が成されたのだった。
「じゃっ、同盟のこと、海のみんなにも教えてくるね~! アレス、シャロちゃん、まったね~!」
日も沈み始めた頃、ニャンクスⅡ世の操るドラコの背に乗り、ファラは再び空の旅へと戻っていった。
遠くなるファラを見送りながら、シャルロットはどこか寂し気に口を開いた。
「ファラ様はもうお帰りになってしまうのですね。少々、寂しいものがあります」
「彼女もまた海辺一帯の管理を行う王だからね。長時間留守にしては、海辺のみんなも困ってしまうだろうさ」
「あの小さなお体で王と言う責務、なんと大変なことなのでしょうか……」
珍しく偽りのない言葉がシャルロットの口から零れた。
自身が女王という立場であるシャルロットには、国を背負う重責と言うのは理解できることだった。
文化圏が違えども、王という立場の重責が変わることはない。
自分よりもずっと小さく幼いファラに、王が務まっているのかという疑問が籠るものでもあった。
「海の一族は基本的におおらかな者ばかりなんだ! だから、みんながファラを支えてくれている。それに、ファラじゃなければ王は務まらないんだ」
アレスの珍しく真面目な声色に、シャルロットはどういうことなのかと疑問を込めた目で見つめる。するとアレスは少し考え込む様に黙ってから、静かに口を開いた。
「ファラには海神の力が宿っているんだ。海月の一族は海神の力を宿す者が王となる、だからファラじゃなければ駄目なんだよ」
「海神の力とは一体、どのようなものなのですか?」
「海の全てを統べる、翼を持った巨大な蛇……とでも言っておこうか。それを呼び出し、使役する。幼い頃に一度だけ見たことがあるが、正直とても恐ろしかったよ」
海神の姿を思い出し、アレスは僅かに身を強張らせる。
アレス程の猛者が恐れる海神。
それがどれほどの力を持つのか想像しながら、シャルロットはアレスに身を寄せた。
アレスの体の強張りをなだめるように、シャルロットは手の平で優しくアレスの腕をさする。今まで経験したことのない他者に撫でられるという感覚に、アレスは目を見張る。
衣服の上からもシャルロットの手の平の温かさを感じ取り、アレスの体から自然と力が抜けていった。
「ありがとう、シャルロット。君の優しさが嬉しいよ」
「いいえ、私の為に皇帝と戦う覚悟を決めて下さるアレス様こそがお優しいのです」
「シャルロット……」
感極まった声を上げ、アレスはシャルロットに向き合った。
歓喜の勢いでまたしても抱きかかえられそうだとシャルロットは内心呆れるが、予想は大きく外れてしまう。
シャルロットの両肩にアレスの手が置かれる。
どうかしたのかとシャルロットが口を開くよりも早く、シャルロットの唇はアレスの唇で塞がれた。
シャルロットは自身の唇に押し当てられた柔らかなものが、アレスの唇と認識するや否や瞳を閉じた。それが接吻の礼儀であると、ただそれだけの意味しかない。
口付けは一瞬で終わり、アレスの唇はあっという間に離れていった。
シャルロットが目蓋を開ければ、口付けをしてきた側にも関わらず、何故か顔を真っ赤にして今にも泣きだしそうなアレスが目に付いた。
たまらず、シャルロットが噴き出した。
「わっ、笑わないでくれ! 初めてだったんだ! 初めてだったんだー!」
「申し訳ございません。あまりにもアレス様が、」
(お可哀そうなものだから。こんな女に利用されて)
「可愛らしいものですから」
「可愛いって! 可愛いのは君だ!」
暫く二人で言いあう声が、トルキアの大地に響いていた。




