表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ポプリの街角  作者: かすみ草と金木犀
4/19

第3話 追憶のカフェオレ

季節が少し進んだ頃、陽菜乃はすっかりポプリの常連になっていた。

この日も、朝からのんびりとモーニングを楽しんでいる。


「あら、陽菜乃ちゃん。今日も来てたのね。おはよう。」


「あ! ヘレナさん! おはようございます。」


彼女はヘレナ。

陽菜乃が初めてポプリに来た際、隣の席に座っていた獣人だ。

もう何十年もここに通っている古株の常連で、ミーナも「ヘレナおばあちゃん」と呼んで懐いている。


「今日はいつもより遅いですけど、モーニングですか?」


「いいえ、今日はもう家で食べてきちゃってね。ちょっと別のものにしようかと思って」


そう言ってメニューを広げた横顔は、どこか寂しげだった。


「陽菜乃ちゃんに、主人の話はしたかしら?」


「はい、確か、ご主人もここの常連だったとか」


うんうんと頷きながら、懐かしそうに微笑む。


「あの人はね、物静かなひとで。でも笑顔がとても優しくて。いつも一人で本を読んでいたの。ちょうど今、あなたが座っている席でね」

「仲良くなってからは、いつも私のお喋りに付き合ってくれたのよ。何も言わず、ただ静かに聞いてくれて、最後ににっこりと微笑んでくれるの」


その微笑みに重なるように、ヘレナ自身の笑顔が揺れる。楽しそうにご主人との様々な話を聞かせてくれた。けれど、どこか儚げに感じられた。


「彼ったら、苦いのは嫌いだって、いつも甘い物ばかり飲んでね。ここのカフェオレが大好きで、とびきり甘くしてもらって…」


そこまで話すと、ヘレナの目からぽろぽろと涙が零れた。


「あの人の最期に、私は立ち会えなくてね…。『大丈夫だから』って言葉を信じてしまったの。駆けつけたときには、もう…。最期の笑顔を見られなかったことが、ずっと心残りで…」


陽菜乃はもらい泣きしながら、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じていた。


ヘレナはパタンとメニューを閉じる。


「決めたわ。マリーさん、追憶のカフェオレをいただけるかしら」


マリーは「かしこまりました」と優しい声で応え、厨房へ消える。


――ほどなくして運ばれたカップを、ヘレナはしばらく見つめ、それからそっと口をつけた。

淡い香りと共に、カップの表面に小さな光が走り、水面に映像が揺らめく。


そこに浮かんだのは――かつての夫の姿。


「あなた……」


水面に映る彼は、優しい笑顔で手を振っていた。まるで「笑顔でいて」と伝えるように。

ヘレナの頬に新しい涙が伝う。けれど、今度は嬉しそうに微笑んでいた。


「また、あなたの笑顔が見られましたね。私と出会ってくれて……ありがとう」


束の間の再会は、やがて霧のように消えた。


店内に沈黙が満ちる中、ヘレナは涙をぬぐい、穏やかに笑った。


「今日はとても良い日になったわ。これからしばらく来られなくなりそうだから、あの人にも会えて、本当に良かった」


そう言って立ち上がり、皆に微笑みを残して、ゆっくりと店を後にした。




――それからしばらくして。


「ヘレナさん、最近来ないですね。しばらく来られないって言ってましたけど、何かあったのかな?」


陽菜乃が言うと、マリーとミーナは寂しげに俯く。

他の常連客たちも、さっきまでの談笑をやめ、静まり返った。


「……ヘレナさん、数日前に亡くなられたの」


マリーの声は震えていた。頬を伝う涙を隠そうともしない。


「えっ……」


「体調が思わしくなかったのよ。あの日、陽菜乃ちゃんとお話ししたのが最後だったの」


ミーナも声をあげて泣き出す。

陽菜乃の脳裏に浮かぶのは、いつも優しく笑っていたヘレナの顔。気づけば、自分の頬にも温かい雫が伝っていた。


重たい沈黙を破ったのは、ミーナの言葉だった。


「でもね……ヘレナおばあちゃん、きっと天国で大好きなおじいちゃんに会えたよね!」


その一言が、店の空気をふんわりと温めていく。


「そうね。きっと今頃、二人で甘いカフェオレを分け合っているはず」


マリーの言葉に、皆が小さく微笑んだ。


陽菜乃は涙を拭いながらも、胸の奥にそっと手を当てた。

(私も――ヘレナさんのように、大切な人と笑い合える日が来るのかな)

切なさと温かさが入り混じった思いを抱きながら、彼女は深く息をついた。


その胸の奥には、確かに小さな灯がともっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ