第1話 心映しの一杯
陽菜乃は、猫耳の子ども店員から受け取ったメニューをそっと開いた。
「えーっと……見たことないメニューばっかり」
ページに並んでいたのは、聞いたこともない飲み物や食べ物の名前。
〈月影のラテ〉〈星の雫ソーダ〉〈心映しの紅茶〉……。
(コーヒーや紅茶、ソーダとかは分かるけど……どんな味か想像もつかない)
困惑してメニューを見つめていると、白い猫耳がぴくりと動いた。
さきほどの小さな店員が、そっと近づいてくる。
「えっと……はじめてのお客様には、“心映しの紅茶”がおすすめなんです。
……飲んだ人の気持ちを、少しだけ見せてくれるんです」
緊張しながらも、どこか嬉しそうに笑みを浮かべる子ども。
「えっ……気持ちを、見せる……?」
普通なら信じられないような説明。けれど、その子の真剣な瞳に嘘は感じられなかった。
陽菜乃は少し迷った末、意を決して頷く。
「じゃあ……それをお願いします」
――ほどなくして、ティーカップが運ばれてきた。
淡い琥珀色の紅茶から、ふわりと甘い香りが立ちのぼる。
一口含んだ瞬間、カップの表面に小さな光が走り、水面に映像が揺れ始めた。
そこに浮かんだのは――知らない街角で立ち尽くす自分。
不安そうに俯く顔。けれど、その奥に、かすかな期待と好奇心の光が瞬いている。
「……!」
思わず息を呑む陽菜乃。その光景はやがて霧のように消えた。
周囲の客たちは、まるで当たり前のことのように、穏やかな笑みを浮かべている。
「いい色でしたね」
隣の席の獣人が、柔らかな声でそう告げた。
胸の奥に、不思議な温かさが広がっていく。
そのとき、店主がカウンターから歩み寄り、トレイを差し出した。
「失礼します。当店からのサービスです。ハーブのクッキーをどうぞ」
「えっ……でも、いいんですか?」
「えぇ。あの子が、ぜひ食べて欲しいと」
視線の先で、猫耳の店員が恥ずかしそうに顔を隠す。
思わず、陽菜乃の頬が緩んだ。
「では、ありがたく……いただきます」
――それからしばらく、隣の席の獣人と世間話をしたり、店内を眺めたり。
時間がゆったりと流れる、不思議で穏やかなひとときが続いた。
「ご馳走様でした。あの……お支払いなんですけど」
陽菜乃は財布を開き、日本の硬貨を差し出す。
「これしか持ってなくて……」
「大丈夫ですよ。こちらと、こちらをいただきますね」
店主は数枚の小銭を受け取り、にこりと微笑んだ。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
「おねえさん、来てくれてありがとうございました! 絶対また来てね!」
猫耳の子どもの元気な声に、陽菜乃は思わず笑みを返す。
そして、軽く会釈をして店を後にした。
一歩踏み出し、振り返る。
――けれど、そこに店はなかった。
見慣れた通りが、夕暮れの光に染まっているだけ。
「えっ……いつの間に……? ……まぁ、いっか」
胸の奥がふんわり温かいまま、陽菜乃は軽やかな足取りで街の中へ消えていった。




