第4話 香りの記憶
アリスが再現した人形のおかげで、王子の心にはかすかな光が戻った。彼はまだアリスの顔と名前しか覚えていないが、彼女が運んでくる「香りの記憶」を心待ちにするようになった。
次にアリスが探したのは、「消された料理」の記憶だった。王子の記憶から、彼はある料理をとても楽しみにしていたことが分かった。しかし、その料理に関する記憶は、まるで何者かに切り取られたかのように、ごっそりと失われていた。
アリスは、記憶図書館で「王子の記憶が消された日に作られた料理」に関する記憶を検索した。すると、奇妙なことに、その日の料理の記憶だけが、ごく一部を除いて見つからない。唯一残されていたのは、料理人が使った「ある香辛料」の記憶だった。
『こんな珍しい香辛料、この国では見たことがない。遠い異国から取り寄せたと聞いたが、こんなに少量しか使わないものだろうか…?』
料理人の心の声が、アリスの脳裏に響く。 この香辛料は、この国では流通していない、特殊なものだった。アリスは、その香りを嗅いだ瞬間に、その香辛料が、強い毒性を持つ植物から作られていることを確信した。
毒…? 王子の記憶を消した犯人は、この香辛料を使い、王子に毒を盛ったのだろうか。 しかし、その毒は即効性のない、ゆっくりと記憶を蝕むタイプの毒だった。 犯人は、王子に気づかれることなく、時間をかけて記憶を奪おうとしていたのだ。
アリスは、王子の病室に戻った。彼はまだ衰弱していたが、アリスの姿を見ると、微かに微笑んだ。
「…アリス、また何か、持ってきたのかい?」
「はい。今回は…あなたの記憶を奪ったもの、かもしれません」
アリスは、図書館の植物園で育てられていた、毒性を持つ植物をほんの少しだけ煎じて作ったお茶を、彼に差し出した。 王子は、一口飲むと、眉間にしわを寄せた。
「…この味は…」
王子の瞳が、かすかに揺れた。彼の目の前に、一瞬、鮮烈な光景が広がった。 それは、晩餐会の記憶。王子の前に出された、美しい料理。そして、その料理から、このお茶と同じ香りがしていた。
そして、その料理を差し出した人物の顔が、一瞬だけ、王子の脳裏に焼き付いた。 その人物は、王子の従兄弟であり、王位継承権を持つ公爵家の息子だった。 彼は、王子のことを優しく気遣う、誰からも慕われる人物だったはずだ。
「まさか…」
アリスは息をのんだ。 王子の記憶を消し、王位を狙っていたのは、彼の最も身近にいる、信頼できる人物だった。 その事実に、アリスの背筋に冷たいものが走った。
王子はまだ、その人物が誰であるかまでは思い出していない。だが、アリスは確信した。 この人物が、この物語の真犯人だと。