第8話『“知りたい”が、芽を出すとき』
朝、村の空気は何かしら湿り気を帯びていた。昨晩、ほんの少しだけ雨が降ったようだ。屋根の端から、ぽたぽたと落ちる雫が、地面の草を濡らしていた。
ユウトは納屋の戸を開け、外の空気を深く吸い込んだ。昨夜の冷たい空気が、炭の香りと混ざり合い、肺に染み入ってくるのを感じた。ろ過装置の点検をしながら、昨日の実験の記録を思い返していた。
ネバ草の層はまだ生きている。炭も崩れていない。砂はやや詰まり気味だが、許容範囲内だ。今日も、授業のあとに少し水を通そうと考えていた。
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「ユウトー!」
リーネの明るい声が後ろから聞こえてきた。朝から元気いっぱいの彼女の姿に、思わず笑みがこぼれてしまう。
「おはよう、早いね」
「昨日の草、まだ足りないかもって思って、もう一回採ってきた。あと、これ……」
彼女が差し出したのは、村の簡易筆記布と、よく使い込まれた炭筆だった。炭筆の端は少しちびれていて、かすかに黒く染まっていた。
「今日も、教えてほしいの。昨日の“層の順番”、ちゃんと考えてみたけど、やっぱり自信なくて……」
「いいよ。朝のうちに、少し時間あるし」
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装置の前で、ユウトは石を指さしながら言った。
「一番上に置く理由は?」
「えっと……ごみを最初に止めるため?」
「そう。水に含まれる“重たいもの”はまずここで落ちる。それを処理してから炭で臭いを吸着。砂は……」
「細かい汚れ?」
「正解。草は最後。なぜか?」
「菌を……整えるため?」
「だいたい合ってる。“殺す”じゃない。“抑える”だけでも、効果はある」
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授業の時間になると、子どもたちがばたばたと駆けてきた。
「今日もやる? 書き方のやつ!」
「先生ー! 名前書けたよ! 昨日、練習したもん!」
「ユウトじゃなくて“先生”か……」と笑いながら、ユウトは地面に紙を広げた。
「じゃあ今日は、自分の名前と、好きなものを一つ書いてみよう」
「えー! 難しい!」
「できたら絵でもいいよ」
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午後、授業を見ていた村の老婆が話しかけてきた。
「若いの、文字を知ってると、何が違うんじゃ?」
「時間を飛び越えられます。記録して、後で読める」
「わしら、忘れるばかりだったからなあ……。記録、してみたかったのう」
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夕方、焚き火を囲みながら、リーネとユウトは並んで座っていた。
「私、今日ね、自分の名前を五回書いたよ」
「すごいじゃん」
「書くと、自分が誰かってわかる気がする。変かな?」
「いや、俺も初めて文字を読めるようになったとき、そんなふうに思った」
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夜、納屋に戻って、ユウトは日記を書いていた。
今日の装置の変化。子どもたちの言葉。リーネの成長。
“教える”という行為が、こうも心に残るものだったとは。そして“知りたい”という欲求が、誰かをこれほどまでに輝かせるものだとは。
明日もまた、教えよう。その言葉が自然に出てくることに、少し驚いていた。