第6話『水の中にも、答えはある』
朝日が村の屋根をゆっくりと越えていく頃、納屋の扉がノックされた。
「ユウト、起きてる? ちょっと、急ぎかも!」
扉の向こうから聞こえるリーネの声には、いつもの明るさに混じって焦りがあった。
俺は掛け布を払い、まだ眠気の残る目を擦りながら、扉を開ける。
リーネは額に薄く汗を浮かべ、息を整えながら言った。
「井戸の水がね……濁ってるの。朝から村が騒いでて。祈祷師様が“これは神罰”って……」
言葉を聞いて、眠気が吹き飛んだ。
“神罰”。
都合のいい言葉だ。目に見えないもののせいにすれば、誰も責任を問われない。
俺は無言で上着を羽織り、腰に道具袋をつけると、リーネと一緒に外へ向かった。
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村の中心にある井戸のまわりには、すでに十人近くの村人が集まっていた。
誰もが顔をしかめ、囁きあっている。
その中心では、ナグナ婆がゆっくりと杖を突きながら、空を仰ぎ見ていた。
「これは……神が怒っておる……大地が穢されたゆえじゃ……」
低く響くその声に、周囲の人々がざわめいた。
その中には、「炭を混ぜた者のせいではないか」という疑いの視線も含まれていた。
俺は言葉を返さず、井戸に近づいた。
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木枠の上に身体を乗り出し、つるべを降ろして水をすくい上げる。
バケツに入った水は、白く濁っていた。
澄んだ水とは程遠く、底に砂のような粒が沈殿している。
匂いを嗅いでみると、土の臭気とわずかな鉄分のにおい。
これは井戸の底が撹拌されたか、地中の流れが変わったときに出るものだ。
「この濁り……ここ最近で雨、降ったか?」
近くの男が「おととい、夜に少し」と答えた。
なるほど。排水路が詰まり、溢れた水が井戸へ流れ込んだか。
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「また、何かやるつもりか……?」
誰かが呟いた。
俺はそれに答えず、井戸の周囲をぐるりと見渡す。
苔がびっしり。排水口には土と落ち葉が詰まっていた。
このまま放置すれば、やがて水が腐るだろう。
「井戸の周りを掃除しても、水そのものは変わらない。中を整えないと」
俺は地面に指で円を描き、その中に層を積む図を描いた。
砂利、木炭、砂、草——ろ過層の構造。
「これを作る。水を通せば、濁りは抜けるはずだ」
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「そ、それって安全なの?」
声の主は若い女性だった。
幼い子どもを連れた彼女は、水を桶に汲もうとしていたらしい。
「前に畑で使ったのと同じような仕組みだ。違うのは、もっと細かく、水だけを通すという点だ」
リーネがすかさず補足する。
「大丈夫。ユウト、ちゃんと考えてやる人だよ」
その一言で、村の空気が少しだけやわらいだ。
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素材集めが始まった。
炭は炭焼き場にある。砂と小石は川辺。
ネバ草という植物は、湿地の近くに自生していて、抗菌性を持つ。
リーネが言った。
「あたし、ネバ草、取りに行ってくる。場所、だいたいわかる」
「一人で?」
「平気。何回も行ってる。……それに、手伝いたい」
その目を見て、俺はそれ以上は言えなかった。
リーネは、すでにただの“見守る側”ではなく、“一緒にやる側”になっていた。
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その夜。
俺は納屋に戻り、机に紙を広げ、設計図を描きはじめた。
流入口の角度、素材の順番、排水の傾き。
細かい部分まで、何度も線を引き直す。
いつの間にか、村の誰かのために手を動かしている自分がいる。
それが不思議で、でもどこか自然だった。
「……これは、たぶん、正しいかたちだ」
呟いた声が、静かな夜の納屋に広がった。
夜風が吹き込んで、紙の端をめくった。
俺は紙を抑え直し、もう一度、丁寧に線を引いた。