第2話『村人は俺を“異物”と呼んだ』
朝だと気づいたのは、藁の匂いだった。
体の下に敷かれた干し草が湿っていて、寝返りを打つたびに、むず痒くて、ほんのり温かい。
右肩がじんじんと痛む。背中もこわばっていて、昨日の余波がまだ体に残っていた。
寝ぼけた頭で、俺はしばらく天井の木を見ていた。
崩れかけた梁。釘もまばらで、隙間だらけの板。明け方の光がその隙間をすり抜けて、細い線を作っていた。
ここはどこだ。
……いや、わかってる。地球じゃない。そういう話はもう済んでる。
でも、やっぱり現実感がなかった。
あれだけの都市が焼けて、人が消えて、俺だけがこうして生きてるってことが、どうにも馴染まない。
外から音がした。
何かを引きずる音。人の話し声。子どもが笑ってる。足音が道を行き交ってる。
生きてる。世界が。人の暮らしが、ここにはちゃんとあった。
それが嬉しいと思えばいいのか、それとも、俺がその中にいないことを寂しいと思えばいいのか——
その判断すら、いまはつかない。
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窓の外で人の影が動いた。
視線を感じた。
声はしない。だが、誰かが確実に“俺を見ている”。
寝床の中で体を少し動かすと、藁がシャッと音を立てる。それに反応するように、影がビクリと揺れた。
まるで、化け物を見るかのようだった。
「異物だ」「あれが……?」「本当に人間なのか……」
低い声が木の板越しに届く。
誰かがわざとらしく小声で言っている。
聞こえているとわかっていて、聞こえるように、そうしている。
胸がむかついた。
怒りか、悔しさか、情けなさか、それとももっと別の何かか。
わからない。ただ、喉の奥が熱かった。
またか、と思った。
ラベルを貼るんだ。見慣れないものには、とりあえず名前をつけて、分類して、切り分けて。
あのAIもそうだった。俺の存在を“可能性”という形に削って、“リスク”に変えて、それで除外を命じた。
機械と人間と、そんなに違いはないのかもしれない。
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しばらくして、トン、と扉が軽く鳴った。
「入っていい?」
その声だけで、昨日の少女だとわかった。リーネ。明るい声。なにも知らない、まっすぐな言葉。
俺は返事をしなかったが、扉はゆっくりと開いた。
差し込む光の中に、彼女が立っていた。
「おはよう。……寝られた?」
手には木皿と、水の入った壺。
木皿の上には、固そうな丸パンがふたつ。香ばしい匂いが空気に溶けていく。
リーネは、俺の目の前にしゃがんで、皿を置いた。
その動きに、無駄がなかった。村での暮らしが身体に染みついている、そういう所作。
「昨日の残りだけど、焼きたてじゃないけど、食べられると思う。噛むとちょっと硬いけど」
俺は、少しだけ彼女をにらむように見た。
「なんで、お前は……普通にしてる」
言葉が出てきたのは、ほんの一瞬だった。でも、止められなかった。
声が、思ったよりも震えていた。
リーネはきょとんとして、それから首をかしげた。
「普通って、なにが?」
「昨日、俺を拾った。今日もこうして来た。でも……お前は、俺を怖がってない」
「うん。だって、生きてたし。目、ちゃんと動いてたし」
あっけらかんと言うなよ、と思った。
そんな簡単な基準で、生きてていいって言われるなんて、思ってもみなかった。
「……俺のこと、“異物”って言ってただろ。村のやつら」
「うん。みんなは、そう言ってる」
「じゃあ、お前もそう思ってるんだろ」
リーネは、首を横に振った。
「思ってない。私は、あんたのこと“変な人”だって思ってる」
俺は、目を細めた。
「どう違うんだ、それ」
「異物ってのは、なんか怖いやつ。よくわかんないし、関わっちゃいけないって感じ。でも、“変な人”は、ちょっと気になる。なに喋るんだろ、なに考えてるんだろって、思う」
それが、救いの言葉に聞こえたわけじゃない。
でも、なぜか、胸が少しだけゆるんだ。
「喋ってくれて、ありがとう。喋らない人、ここにはたまにいるから」
その言葉に含まれていたものを、俺はすぐに読み取れなかった。
ただ、どこかで“それを言いたくて来た”んだという気配だけが、伝わってきた。
リーネは立ち上がる。
「また来る。……パン、食べてくれたら嬉しいけど、食べなくてもいい。生きてるなら、それでいいよ」
扉が閉まる音は、昨日よりも静かだった。
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木皿の上のパンを見ながら、俺は、深く息をついた。
食べるかどうかを決めるのに、こんなに時間がかかったのは初めてだった。
でも、手を伸ばした。
ひと口かじる。固い。でも、焼けてた。
——昨日より、空が近く見えた。