第9話 猫子の本性
真夏を駅まで見送り、部屋に戻ってきた湊はノートパソコンと対峙し始める。
やはり、進まなかった。
何を書いても納得出来るものには至らない。
今はどんな試行錯誤も無駄なようだ。
すると、スマホがぶるぶると震えた。
「ん?」
スマホを手に取り、画面を覗くと猫子と記されたメールが届いていたのだと知る。
『今から寄ってもいいですか?』
湊はいつもはメールなんて送らないんだけどな……と懐疑心を抱きつつ、オーケイというスタンプを送る。
その数秒後、ガチャリと扉の開く音が部屋中を駆けた。
「はやっ!?」
「センパーーーーーーイ‼」
入って来たかと思えば、靴を脱ぎ捨て、どんどんどんと音を鳴らしながら湊に飛び掛かった。
「うごっ……」
「やああああああっと原稿上がりました~‼ もう、もう仕事しなくていいんですよっ⁉ 最高です! さあっ、やりましょう‼」
原稿が終わって感情が高ぶっている猫子は目をうるうるとさせながらに言った。
「何をだよ⁉」
「にゃはは……決まってるじゃ、ない、ですかぁ……」
「……お、おい?」
先程までの元気が嘘のように抜けていく。
猫子の身体はだんだんと湊の身体に凭れていき、崩れ落ちる。
地面に崩れ落ち十秒かそこらで、ぐーすぴぐーすぴーと寝息を立て始めた。
目の下には濃いクマと、瘦せこけた頬が目立つ。
出版社での缶詰が終わって直行で湊の家に来たのだろう。
「はは……やっぱ天才は違うな」
湊は自虐的な笑みを浮かべて、呟いた。
原稿が終わると「俺は天才だー!」みたいに感情が高ぶり、気分がハイになる。
そのままいつもとは違う行動を取ったり、抑えられない感情を誰かにぶつけたり……。
湊は思う。
――俺は、いつになったら自分の納得のいける原稿を仕上げることが出来るのだろうか……?
湊はぐったりした猫子の体をお姫様だっこのでベッドに運ぶ。
布団を掛け、彼は夕食の準備をし始めた。
……今日はとびきりのを作ろう。
くんくん。くんくん。
まるで野生動物の嗅覚を忠実に表現するように、猫子は鼻をぴくぴくと動かした。
「美味しそう……!」
食欲のそそられる香りが部屋中を支配して、猫子は原因を窺うように四足で進む。
ちなみに、猫子は配信動画で特にネコ科の動物たちを見るのを好んでいた。
「一緒に食べるか?」
台所から、猫子の気配に気づいた湊は体を翻して問うた。
「は、はぃ」
猫子は、湊の調理姿にうっとりしていた。
先輩、やっぱりかっこいい! ってな感じでべた惚れである。
彼はその視線に困惑しながらも、手を動かし続けた。
数十分後、湊は各皿に料理を乗っけて机上に並べた。
「凄いですね、先輩! ……なんだか、いえ、とっても悔しいです」
「なんで猫子が悔しがるんだよ」
「これはもう、私と結婚してもらう他ないですね!」
どうしたら、その選択肢に辿り着けるのだろうか。
「……相変わらず猫子の思考は解らんが、腹が減った。食おう」
「そうですね! そうですねっ!」
湊の作った料理はとても凝っていた。
二時間もの時間を掛けたのだから、それもそうなのだろう。
一品目は、本格的なパエリア。
二品目は、野菜の盛り合わせ。
三品目は、エビチリ。
四品目は、辛めの麻婆豆腐。
そして最後に、きんぴらごぼうとひじきだ。
「先輩先輩! 本当に、壮観です♪ それにしても、沢山作りましたね~。やっぱりせい、行為にはエネルギーが必要ですからね~」
「お前はいつもなんつーことを言うんだよ……その変態発言を撤回してくれれば普通なんだけどな」
「いえいえ、湊先輩は普通だと絶対に落とせませんから! にひひ」
「もう自分で認めてるのか。確かに俺の好みは普通じゃないけどなって何変なこと言わせてんだ!」
「自分で言ってるんじゃないですか~」
そんな会話を挟みつつも、「「いただきます」」して料理に舌鼓を打つ。
「う~ん! 美味し~。美味しすぎて震えてきました!」
湊は若干視線を逸らした。
誰であろうと、自分の作った料理を心の底から美味しそうに食べてくれるのは、嬉しいものだ。
気恥ずかしさと、嬉しさが混じり合って結果的に視線を逸らしたのだ。
品数も、量も多いのだが、二人は結構食べた。
八割くらいは食べただろうか。
それからは食べることではなく、ワインを飲みながらも(猫子は二十歳未満なのでぶどうジュースを飲んでいる)、話すことにフォーカスが当てられる。
「なあ猫子。書くのに難航している時はいつもどうするんだ?」
「そーですね……遊びますかね! だから今後私が書くのに煮詰まれば先輩が私と楽しい事してください!」
「楽しいことか。それならいいぞ」
「えっ?」
と、猫子は色っぽい声を出す。
「別に行為とかじゃないからな」
「うぇ、先輩の無欲」
「褒めてるのか?」
「いえ、貶してます……」
湊は机に顎を預けてた猫子を見て、軽く笑った。
湊は酔いが回ってきているのだろう。
頭がぐわんぐわんしてきた。
「……本当にやばいと思った時はこっそり逃げるついでに現地取材とかしますね」
「あぁ~なるほどなー。現地か。その手があったな」
まずいな……眠たい。
湊の目は閉じたり開いたりを繰り返していた。
「先輩、酔ってるんですか⁉」
「んな訳ないだろ」
「いやでも、なんか可笑しくありません⁉ これはチャンスでは⁉」
「何がチャンスだ。猫子には…………」
ぐすぴー。
ぐすぴー。
湊は首をこっくりこっくりさせてから、どん! と机に突っ伏し、眠った。
彼は最近、初稿が上がらずに手こずり、ストレスが溜まっていた。
それが起因しているのか、寝ようとしても中々眠りに入ることができずに三時間天井を見続けるなんてことが数日続いていた。
それらが今になって、とんぼ返りで帰って来たのだろう。
「本当、仕方がない人ですねぇ」
そんな湊を猫子は、よいしょよいしょとベッドに運んで、一人で料理を食べはじめる。
――ああ、本当に美味しい。
この美味しさを、この気持ちを噛みしめながら、猫子は一人でゆっくりと食事を楽しむ。
「……ずっと、ずっと、食べていたいです。先輩」
そして、猫子は熱い視線を眠る湊に向けてから、机の料理を片付け始めた。
片付けが終了すると、
「先輩! 私、帰っちゃいますよ!」
「んあー」
「ふふっ……可愛い」
「ん、n……」
「また会いましょう、私の大好きな、先輩♪」
若干顔を赤くさせながら、大人の笑みを零す。
猫子は静かに湊の家を出たのだった。