第8話 あーきはーばらー!
「それで、どうして秋葉原に来ようと思ったんですか?」
人々の喧騒。
建築物にでかでかと飾られ、生き生きと描かれたアニメキャラクター。
歩道にひしめき合う数々のオタクたち。
ここは、間違いなく秋葉原だった。
「なんとなくだ」
「そうなんですね」
真夏の体は固まっていた。
別に嫌だ、という顔をしているのではない。
ただ初めて来るのだろう。
目を丸くして秋葉原という場所を認識している最中なのだ。
「眺めているところ悪いんだが、ちょっと歩いて回ろうか」
「どこか行きたい店とかあるんじゃないんですか?」
「別にないんだよな……だからただ歩く」
懐疑心の表れか、真夏は小首を傾げた。
「歩くだけでいいんだ。ここは色んな趣味を持った人たちが訪れ、楽しむ。俺はその空気が好きなんだ」
真夏は沈黙を維持したまま、目をぱちぱちと動かして合意を示す。
「うん」と湊。同時に、二人は歩き出した。
「なんだか、初めての場所を歩いて回るって、不思議な気分です」
「解かる。特に新しい景色を見ると、わくわくするよな」
「ですね」
二人はほのぼのした雰囲気を醸し出しながら、とんとんと進んで行く。
三十分。二人は無言で歩き続けた。
「ちょっと寄らないか?」
「はい」
湊は真夏をカフェに誘った。
からん、とベルが鳴った。
その甲高い音に釣られてやってきた一人の店員。
白を基調とした落ち着きを表現するような格好の店員に、二人は先導される。
席に着き、早速、コーヒーを二つほど注文する。
了解した店員は軽く頭を下げて遠ざかる。
店内には人の姿があまり見受けられなかった。
湊にとって、ここは穴場のスポットなのだ。
店内をBGMがゆらゆらと彷徨う。
「……それで、君は今日も家に来たわけだ。どうしてか、教えてくれるか?」
注文の届かないうちに、湊はさっさと本題に入った。
カフェに誘った理由。
それが、この質問をするためだからだ。
「それは……」
彼女の言葉が詰る。
湊はじらさず、ゆっくりと待つ姿勢を示した。
「……それは」
彼女の口はゆっくりと開く。
小さな唇が震えながら、言うのだ。
「それは、湊先生の、宗次さんと京さんとの仲を修復したかったから……」
「なるほどな」
彼は答えを聞いて、安堵した。
なんだ、そういうことか、と。
「京さんが、俺に嫌われているとでも言ったのか?」
「はい……私は、きっと湊先生は良い人だと思って。だから」
彼女の言葉を詰まらせるように、湊は強く言う。
「俺は帰らない」
彼女の言おうとした言葉はこうだ。
『いちど帰って来て欲しい』
湊にはいとも簡単に予想できた。
だが、それは出来なかった。
何故なら――
「どうして、ですか」
「勝手に人の心に付け入るな」
「す、すいません……」
しゅんと彼女は目線を下に向ける。
怒られる耐性が付いていないのだろうか。
もう高校生にもなると、怒られる、もしくは怒鳴られることに耐性がついていると思うんだけどな……湊はちょっとした疑問を抱く。
「理由はたった一つだ」
「……?」
「俺が売れっ子作家じゃないからだ」
どういうことですか。
真夏の口はそう言おうという意志を見せているが、ただただ餌を求める魚のようにぱくぱくとさせるだけだった。
「俺は大学を辞めて、作家業一本で生きる、そんなに作家業を否定するならもう関わらない、一人暮らしをするって家出したんだ。それからはアイツ等と会ってない」
「どうして家出なんか……」
「真夏はどうなんだ?」
しかし彼女は頭を振った。
「私はっ」
真夏はこの事について語りたくはない、と思っているのか苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべる。
「……まあいい。どうして家出をって? 親父が毎日家に帰ってきては俺に小説家なんかになるなって怒るからだ。小説家で食っていける訳がない。だからさっさとケリをつけて止めてしまえって。自分のやりたいことを否定されるのって、随分と心にくるんだぞ」
当時を思い出し、少しイライラする湊。
「……そう、なんですか」
「ああ」
すると、コーヒーが運ばれてくる。
二人とも礼をするだけで済ませた。
「だからな」
湊はコーヒーを啜る。
「家に帰る気はないから、もう家には来なくていい。お前も大変だろう。頑固なバカ息子を矯正しようと必死になって毎日うちに来るのは」
彼はまだ二十歳。
やり直しなどいくらでも利かせる年齢だ。
そんな間違った道を正しい道へ導くことを親の役目と思う奴等もいるのだろう。
彼自身、間違った道などとは思わないが。
……もし真夏が、本当に親の意向で訪ねてきてるんだったら、これほど胸糞悪い話はないな。
「厳しいことを言ったな……すまない」
「……いえ、すいま、せん」
もう家には来なくていい。
そう言ってから、約二時間が経過した。
その二時間で、真夏はと言うと……
「え、帰らないの?」
金魚の糞の如く、付いて来るのだ。
そんな彼女に、湊は普通に驚いた。
「……はい、帰ります。で、でも」
「でも?」
湊は家の扉に鍵を差し込み、ドアノブに手を掛ける。
「で、でも……」
湊は扉を開けただけで、まだ入らない。
「ん、何が言いたいんだ? 別に怒ってる訳じゃない。ただ俺が知りたいのは、どうして真夏がそこまで関与しようとしてくるのか、だ」
扉を開けたまま、湊は体を翻し、真夏を見詰める。
どうして兄弟でも友達でも知り合いでさえなかった湊に、そこまで関わろうとしてくるのか、未だに疑問だった。
「わ、私、は……」
と、真夏は言葉に詰まる。
声が震えて、弱弱しくなっていくように、体が縮んでいく。
「別に理由なんて最初からないんだろ? さっ、帰った帰った」
矮小な己を自覚しながら、己を隠すように快調に語った。
これでも言わなかったら……暫くは距離を置こう。
彼はそう思った、しかしその数秒後。
「お遊びなんかじゃありません……っ!」
扉を閉めようとした瞬間、じりじりと、怒気の孕んだ低音が湊の耳を震わせた。
「……っ⁉」
思わず、閉めそうになった扉をぐいっと開けてしまう。
「だからっ! お遊びなんかじゃありません……‼」
伏し目になって、右手を強く握って、左手で扉を握りしめて、唇を歪ませて。
真夏はその思いをぶつける。
が、それもだんだんだと弱弱しくなって。
最後は泣きながら、真夏は言い放つ。
「だって……私たちは、『家族』じゃないですか……」
彼女の流麗な瞳がくしゃりと歪んで、大きな涙粒がぽろり、ぽろりと崩れ落ちる。
湊は息を呑んだ。
いや、呑まされたんだ。
その迫力に、彼女の本心の破壊力に、体全身が粟立った。
同時に、己の軽率さに気付かされた。
忸怩たる思いに駆られた。
……自分が子供をここまで追い詰めて、なにが、親は何をしているだ。
「すまんっ」
湊は頭を下げる。
真夏も頭を振って、
「あ、あっ、私も、私もごめんなさい……生意気なこと言ってごめんなさい」
「いいんだ。生意気でも、我儘でも、いいんだ」
「「……ごめんなさい」」
二人は再び、全く同じタイミングで頭を下げた。
「「……あ」」
そして、二人は軽く笑った。
「喧嘩、しましたね」
真夏がニヤニヤというよりは、朗らかな笑顔で言った。
湊はカチカチと未だ操作音を止めずに、画面の中のキャラクターを動かし続ける。
暫くの間があって、真夏のキャラクターをぶっ飛ばしてから、答える。
「よっしゃ! ……別に喧嘩ではないと思うんだが」
「まあどちらでもいいです」
「なっ⁉」
一瞬目を離したすきに、湊の動かすキャラクターが吹っ飛ばされた。
くそっ。
悪態ついて湊は先程の零点五倍の速さで操作する。
次の瞬間。
勝負は決まった。
「……また負けた」
「えへへ」
「えへへじゃない! どうして俺が負けるんだ? どうして俺の方が弱いんだ?」
本気で悩んでいると、真夏は素朴な表情でぼそり、と呟く。
「センス、ですかね……」
「センス、だと?」
「そんな怖い顔しないでください」
「いや、怖い顔もしたくはなるさ! センス……でもそうか、センスだよな。なら仕方がない。俺が負けても仕方がないな」
真夏はきょとんと首を傾げる。
「だって真夏の方がまだ若くてセンスがあるんだから」
「年齢関係ありますかね……?」
「ああ。もしだ、よぼよぼのお爺ちゃんが初めてプレイするゲームで、年季の入ったプレイヤーをボコボコにすることって、ありえないだろ?」
「それは、なんというか……負け犬の――」
「それ以上は言うな。言ってやるな」
湊は優しい表情で言った。
ゆっくりと首を左右に振って、悲しみを打ち払う。
そう。
このゲームをする為だけに貢いだ金額を忘れる様に。
次には、柔らかいホイールに包まれたハンバーグのように、繊細に、そして丁寧に彼はゲームリモコンを所定の位置に戻す。
「ほら、もう四時だろ? そろそろ帰った方がいいだろ」
「そ、そうですね」
床に下した腰を浮かせて立ち上がる。
この動作だけでも湊は自分が如何に努力、研鑽を積み重ねてきたのかが解かる。
ずっと座って作業(特訓)してきた体だ。
……でも腰が痛い、いたいよー。
「……あの」
扉に差し掛かり、真夏は華奢な足を止める。
そう言えば、昨日は乾いた制服を着せて帰らせたが、今日は白のワンピースを着ていた。
改めて見ると、良く似合っていることに気付く。
「ん?」
「また、来てもいいですか?」
視線が重なる。
青色の瞳と、黒の瞳。
そのどちらも、とてもとてもキラキラとした輝きを内包している。
あどけなさがある、とも言えるだろう。
「だって俺たちは、家族なんだろ?」
「はい」