第6話 春真夏のポテンシャル
春真夏がきてから、数十分。
あまりにも暗い顔をする彼女を元気付けるために、一緒にゲームをしようと提案したは良いものの――
「それで、真夏とやら。君は先程、このゲームをプレイしたことは無いと言っていたよな?」
「は、はい」
「じゃあ、なんで長年このゲームを愛し続けてきた俺が君に負けているんだ⁉」
「し、知りませんよそんなこと」
「いや、そもそもなんでゲームしてんだよ!」
「……湊《《先生》》が雨が止むまでやるぞって」
「ああ、そうだった!」
先生という言葉に、体が遅れてびくりと反応する。
「って! なんで俺のことを先生って⁉」
「はぁ……湊先生、あれ、見てください」
真夏はデスクの上に雑多に置かれたシリーズものの小説を指さした。
「あ、ああ。確かに本の背中に作家名が書かれているが……君はもしかして探偵でも目指しているのか?」
だんだんと彼女は元気を取り戻し、口調も元に戻ったようで喜ばしい限りだが、湊は真夏の洞察力に度肝を抜かれた。
会話は落ち着き、再度、沈黙が降りる。
――カタカタカタカタカタカタ。
本気でゲームをするゆえの操作音が部屋中に響く。
言葉をなしにひたすらやり続け、ひと段落すると、二人は同時に息を吐いた。
「「……ふぅ」」
「これ、初めてやりましたけど……案外楽しいですね」
「だろ? 〆切前にこれをやってエネルギー回収してるんだ」
釈然としない顔をしながら、真夏は小さな口を開いた。
「〆切、ちゃんと守ってるんですか?」
今はインターネット世界だ。
実際に作家でも編集者でもない人が業界に詳しいものである。
その恐ろしさに恐々としながらも、湊は答える。
「ああ、残念だが俺は一度も……いや一回あったな。まあそれ以外は破ったことが無いんだ。凄いだろ?」
湊は高いテンションを維持しようと意識していた。
それは、流石に先程は言い過ぎたと自覚しているし――反省はしているが間違ったとは思っていない――、普通、湊は初対面にあんなぞんざいな態度で話さない。
それが彼のポリシーでもある。
優しくあろう。
両親みたいにはならないように、と。
「それは凄いかも、です」
真夏が言うと同時に、彼女のお腹から「ぐぅ~」と聞こえて来る。
「なんだ? 腹が減ってるのか?」
「……」
「いや、顔を背けてもな……朝食は?」
「ま、まだ何も……」
「まだだと? お前、ちゃんと毎日食べれてるのか? よく見れば華奢の範囲にすら入らない。それじゃただのガリだ」
湊は胸中に微かに怒りを彷彿させた。
真夏の親は、何をしているのか、子供にきちんと食べさせているのか?
同時に、本当に心の底から心配した。
「何か作る」
「いいんです」
きっぱりと告げる湊に一瞬動揺しつつも、真夏は頭を振った。
「よくない。それともなんだ、おま……真夏は死にたいのか?」
「……」
嫌な沈黙が流れる。
だがそれでも湊は何かをしてあげたいと思った。
それは深い同情心からくるものであった。
「ありがとうございます……それなら何か私も手伝います」
結局、彼女は湊の提案を受け入れた。
それならばと、真夏も提案をしてくる胆力は彼女の秘めたポテンシャルか。
「それは助かる」
「はい! 何を作るんですか?」
湊は唸りつつも思考を働かせるが、やはりここは真夏の好きなものでどうだろうか。
「何か食べたいものあるか? 好きな料理とか」
「ええと……」
「一応言っておくが、遠慮はなしな?」
と、言うものの突飛なものを言われたら言われたで困るのも事実。
真夏はそれを承知していたからか、極々平凡な、
「カレーが食べたいです」
「俺もカレーは大好きだ」
二人は思慮深げに頷いた。
『カレーはいいよな』
『そうですね』
不思議と言葉にはならなかったこれらを、二人は目だけで通じ合っていた。
カレーという相通じるものを感じて、二人の仲はちょびっとだけ深まるのだった。
「……出来た!」
「出来ましたね!」
二人して声を上げたのは、作り始めてから三十分を経過してからだった。
湊は昼をファミレスで取ったと言うのに、カレーの香りに当てられ、お腹をぐぅぐぅ鳴らしていた。
真夏も然り、である。
「「――いただきます」」
机に先程共同作業で簡単に作り上げたカレーを飾る。
それからは、二人してうまいうまいと言ってスプーンで抄ったカレーを口に運ぶ。
かち、かち、とスプーンと皿の攻防がひと段落すると、湊は改めて話を振った。
「それで、今日は家に帰れるのか?」
「はい。それは全然大丈夫です」
「なら良かった。おっ、雨も止んだし、そろそろ帰るか?」
湊は真夏の顔を覗くように聞いた。
それにびくっと反応を示す。
人との会話に慣れていないのだろうか。
湊は元の姿勢に戻して、返答を待つことにする。
「そうですね。そろそろお暇させていただきます。あ、勿論片付けまでは一緒にします」
「それは助かる」
食べたら食器をシンクに移動させ、水に浸らせる。
机の飲み物やら何やらと片付けて最後は湊が食器を洗い、真夏が洗われた食器を拭くという共同作業を行う。
それから――……
「それじゃあ、気を付けて帰れよ」
胸中で、これが最後の別れだろうなと思うと、なんだか湊は寂しくなった。
「はい、ありがとうございました」
真夏は靴をとんとんとさせて言った。
扉が開けられ、彼女の背中が遠くなっていく内に、湊は虚空を見詰め始める。
……が、閉まりそうになる扉の、余った小さな空間に真夏の身体はひょいと挟まれて、
「あの……また来てもいいですか?」
と、尋ねてきた。
なんだか、どこかで似たような体験をしたのを思い出す湊。
とくに断る理由を探し出すことは出来なかったので、
「勿論だ」
そう答えた。
湊の返答に真夏はやや遠慮がちな笑顔で頷いた。
そして、とうとう彼女の姿は見えなくなった。
虚空を見詰めながら、湊は思う。
――ああ、それで、どうして俺の所に来たんだっけ? まあいいか。真夏がまたここを訪れたら、その時に解かることだ。
湊は再度椅子に座って、ノートパソコンと対峙する。
「……食い過ぎた」
その日、湊の執筆作業は滞ったまま、終わりを迎えた。