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第34話 宅飲み②

「まさか、猫子。アニメ化の話来ているのか?」

「いや、来てて当然だろうね。すごい勢いで発行部数も伸びているし」

「そ、そうだよな。はは」


 湊の乾いた笑いに、猫子は不安そうな声を上げる。


「先輩は私がアニメ化したら嫌ですか?」

「? なんでそう思ったんだ」

「だって、先輩の顔が、怖かったからぁ……」


 猫子が両手でコップをつつみ、その力を強める。


「ごめんな、猫子。違うんだ、そうじゃないんだ」

「……?」

「いやー俺、煙草吸いに行ってくるわー」


 ポケットからライターとソフトパッケージを取り出して、立ち上がる優作。


「お、おう」

「そのままご帰宅願います♪」

「いやいや、これからだからね!」


 そう言葉を残して、優作は扉から出て行ってしまう。

 湊と猫子の目が合う。

 見つめあっているうちに、猫子が近づき体を寄せてくる。


「……先輩、どうして私じゃ、駄目なんですか?」


 湊は手に触れる猫子の柔らかい感触と、気分を高揚させるような彼女の匂いを紛らわすためにも、酒を一杯飲みこんだ。

 理性が保たれるうちに、体を離す。

 気まずい空気を残したくなかった。

 だから湊は話をそらしつつも会話を止めはしなかった。


「……アニメ化おめでとう」

「ありがとうございます」


 実は猫子はあまりアニメ化に乗る気ではなかった。

 だが、湊の気持ちを察し、決してそれを言葉にはしなかった。


「本当に俺は嬉しいよ」

「ありがとうございます」

「うん、でもね」


 酔いが回っている所為だろうか、普段では口にしない素直な言葉がぽろりと出た。


「俺は悔しいよ」

「ッ……」

「俺だって、どの作品よりも凄い本を作ってるって自負してる。だけど、それは売れてなくて、作家の泣き言に過ぎない」

「……」

「あ~、悔しい」


 猫子は視界の中で定めていた。

 湊が視線を上に向け、涙を流すまいと必死に堪えていることに。

 彼女はどうしようもなく、胸が痛くなった。

 ……先輩のほうが、いい作品を書いてるのに、どうしてッ!


「……先輩は、私の人生を救ってくれました」

「……」

「本当の話ですよ」

「まあ、それは普段の行いから察するな」

「はい。先輩の作品に追いつけたとは、私は一度も思えたことがありません。先輩の作品は誰よりも凄いことは私が知っています」


 猫子は湊の手を、再びとった。


「私が保証します。先輩は世界一の作家です」

「……あーあ。俺が望んだ答えを、猫子はすらすらと語ってしまうんだな」

「ひゃっ」


 湊の握る手が少し強まる。


「年下の作家に慰められるなんて、情けないなぁ」

「私はいつでも慰める準備は整っていますよ?」


 猫子の唇が、湊のそれに接近する。

 眠くなっているのか、湊は状況をよく分かっていないみたいだった。

 触れそうになった時。

 がちゃり、と扉の開く音が聞こえた。


 ……ちっ、邪魔が入りましたか。


「ん、なんか言ったか?」

「いえいえ、何でもありません!」

「……おっと二人は何の話をしているんだい? そんな密接しあって」

「スケコマシヘタレプリンセスは黙っていてください」

「なんか更に仰々しい名前がついたね。でもプリンセスか、悪くない!」

「……」


 猫子が唖然としている最中にも、湊は最大に眠くなっているのか、自然と足取りはベッドに向かっていた。

 布団に潜り、いつもよりも狭く熱が籠っている感覚もあったが、気にせず、ぱたりと意識が落ちた。

 そんな湊に気づいた二人は……


「あ、寝た」

「寝ましたね……」

「ってか湊!? 天音ちゃんが隣で……!」

「もう寝ちゃったんだから、仕方ないじゃないですか」

「で、でも……」

「ヘタレ」

「っ! 変態」

「「ぐぬぬ」」


 二人は睨みあってても、状況が何も変化しないことに気が付いた。


「まあ、このまま睨みあってても仕方ないよね」

「ですね」

「じゃあ猫子君。二人で飲もっか」


 優作は空になった日本酒の瓶を持ち、誘い文句を語るが、


「うげー」


 猫子が細目で不快感を表した。


「いやでも、俺からだったら、湊を落とせるアドバイスを授けられるかもよ?」

「……にゃはは。なりふり構っていられないですからね。いいですよ、付き合ってあげます」


 優作は早速、冷蔵庫から新しい瓶を取り出した。

 ワインだ。

 一人でも、飲み干せてしまうくらいには優作は酒豪だった。


「それで、湊のどんなことを知りたいのかな?」

「どんなことって……そうですね、タイプとか」

「あ~、それなら明確な答えがあるよ」


 優作が面白がるようにワインを味わいながら、ふふんっと鼻を鳴らす。


「なんですか?」

「それよりも、俺の方からも聞いていいかな?」

「焦らしプレイはあまり好まないタイプなのです。それとも学生時代身につけたヤリチンテクですか」

「いや、ヤリチンしてなかったから」

「へー、つまり振られた経験がヤリチン先輩の恋の発展を邪魔しているわけですね」


 どんぴしゃりな回答に、優作はワインを吹き出しそうになる。


「……今、はじめて猫子君が売れっ子作家であることに納得したよ」

「顔がよくても天姉は落とせませんよー」


 二人はやるせない気持ちを忘れるように、お菓子に手を伸ばす。


「「……」」

「……それで、先輩のタイプって何なんですかぁ?」

「ああ、猫子君はむかし湊に小説のイロハを教えてた作家を知ってるかい?」

「えーと、たしかぶっ壊せの作者さんですよね」

「あぁ、他にも歴史に残る売り上げを記録している超大物作家さ」


 ワイングラスをくるくると回し、優作は得意気に飲み干す。


「その彼女が、湊の初恋相手だよ」

「っ!? そんなの、勝てません……」

「そうかな、猫子君の伸びは彼女に上回る勢いがあるよ」


 優作の言葉に、猫子に一縷の望みが芽生える。


「本当、ですか?」

「うん。でも、湊が恋した理由、それは俺にも分からない」

「……でも、私決めました。きっと超えて見せます。だから、まずはアニメ化を頑張ります!」


 猫子は両手に握りこぶしを作り、ファイティングポーズをとる。

 ……なぜだか分からない。

 こんなにも燃え上がる気持ちが、沸々と込み上げてくることは今までになかった。

 明確な目標を手にした猫子は、今、更に進化への道を辿る。


「もしかして、やる気なかったの?」

「はい」

「へーそんな人もいるんだね」

「だって、私はアニメなんかよりも本が全てですから。あんまり好きじゃないのも理由ですかねぇ」

「ほほーん、普通みんな一度はアニメを愛する道を歩むけどね」

「それどこ情報ですか」

「俺」

「……」

「っと、ちょっとまた吸いに行ってくるね」

「……勝手にしてください」

「仲良くなれたと思ったら冷たっ!」

「ばいばいです」


 優作は「えー」と零しながら、扉から外に出る。

 夜中とあって、人はいない。

 玄関前は外の空気と繋がっており、風の流れもほかの部屋には煙は行きわたらない。

 それに湊の部屋は角にあり、廊下奥には灰皿が置いてあった。

 迷惑だとは自覚しつつも、ジッポーで火をつけて、一口目を吹かす。


「……ふぅ」


 基本的に吸わないようにしているが、場を抜け出すときに有益であり、一人で黄昏る時には必需品であるとすら思えてしまう。

 ……それにしても猫子君がアニメ化か。

 作品自体は湊の作風に似た重めのストーリーだ。

 とはいえ、全体的にライトで、万人受けするタイプの内容だ。


「あいつも罪な奴だよ」


 湊は万人受けを狙っていない。

 だが、最後まで読めばわかる。

 あれほどの命を注いだ作品を書けるのは、彼くらいだと。

 物語の一文字一文字から、湊の心血が感じられる。

 そうした体感を出来るのは、たった一言に苦しむ、作家ならではなのかもしれない。

 だからこそ、惜しいと思う。

 万人受けする作品を書けば、飛ぶように売れる想像が容易にできるからだ。


「俺はあんなの書けないよなぁ……」


 優作とて、アニメ化作家の一人だ。

 矜持や才能への自覚はある。

 だが、彼に物語の完成度で勝てるか?

 問われれば、……優作はきっと首を横に振るだろう。


「まあいいもんね。俺は俺のやり方で勝つ」


 ただの友達ならば、関係は続いていない。

 同時期に受賞したライバルだからこそ、今も湊との交流は続いているのだ。

 いつの間にか吸い終えた一本の火を消して、匂いを確認してから部屋に戻る。

 案の定、眠そうだった猫子がベッドに横たわる湊に上半身を預けながら寝ていた。


「みんな寝ちゃったな……」


 優作はラストの瓶酒をラッパ飲みしながら、手持ちのアイパッドで最近のライトノベルを読み始めた。

 そして、いつの間にか自分も眠ってしまった。

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