第32話 憧れの作家
湊はぐったりしていた体をピンとさせ、
「にゃで天音が、ここにいるのだ!?」
「……あんた、呂律回ってないわよ」
天音はよそよそと湊の向かい側に座る。
「ろれつ?」
「思考回路もぐちゃぐちゃね。どうしてお酒なんか飲もうと思ったのよ……」
「んーまーなー、新作がなー思いつかなくてなー」
「そう……これで注文したの全部?」
「ん、ああ」
「じゃあ食べ終わったら帰るわよ」
「なぜ?」
「?」
「もっと飲もうぜ」
「私、お酒苦手」
「あ、そうか……じゃあ食べようぜ!」
「まあ、それならいいけど」
すると、女性店員が失礼しますと、ひょいと顔を出して、
「天音ちゃん、やっほー」
「やっほ亜紀」
「もしかして彼氏?」
「違う違う。こいつ……」
天音はそこで、言葉が止まった。
湊は一体、何なのだろう。
彼氏じゃなかったら友達?
知り合い?
言葉に詰まった天音を、亜紀は気づかないフリをして話をつづけた。
「さぼってきちゃった」
「あんたねぇ」
「にひひ、でもその彼、いい人だったさ」
湊は首をこくりと垂らして眠気と戦っている。
「私のミスをね、優しい顔で許してくれるくらいだもん」
「それくらい普通よ」
「そうかなぁー」
「ええ」
天音は話ながら、メニュー表を手に取った。
「それと、私も単品で少し食べてくわ。まだちょうど何も食べてなかったし」
「オッケー」
「んー、とりあえず、ウーロン茶とロースとサラダお願い」
「了解! 失礼します」
「ありがと」
まさか、大学で知り合った友達がここで働いているとは。
思わぬ収穫を得てしまった天音。
「ちょっと、起きてるの?」
「起きてるー」
「ったく。私も食べるから、食べ終わったら帰るわよ」
「おー」
湊は頭を左右に行ったり来たりしながら、皿の上の野菜を食べる。
すぐに天音の頼んだウーロン茶がきて、会話をなしに、二人は各々の時間を過ごした。
天音がスマホで授業の振り返りをしていると……
「はい、ロースとサラダね」
亜紀が両手を使って運んでくれた。
「ありがと~」
「うん。あとさ、もしかしたらなんだけど、小さな黒髪の子がさ店の中でうろちょとしてるんだけど、見覚えある?」
「え? もしかして……」
すると、ちょうどこの部屋を通りがかった猫子が、
「あっ! 先輩の靴だ!」
と、部屋に入ってくる。
暖簾の下から湊の靴を見て存在を把握するなど、流石としか言いようがない。
「っと、天姉! 来ていたんですね!」
「ええ。こいつから電話がきて、真夏ちゃんがなんたらこんたらって」
「あ、私もそれ言われました。いつもと様子が違うので、来た次第です!」
「……天音ちゃん。この可愛い女の子は一体」
天音の傍に控えていた亜紀が、猫子の容貌を見て、突っ込む。
「ええと、彼女は猫子、お友達よ。作家の猫子って、知ってる?」
「え、当然じゃないですか。デビュー僅かで三百万部売った天才ですよ?」
「三百万部!?」
「にゃはは、それを言われると照れますねぇ」
猫子が頭をかきながら照れるので、
「えっ!? もしかして猫子先生なんですか!?!?!?」
亜紀が驚きを露わにする。
「そうですにゃはは」
「天音ちゃん! こんな凄い人が友達だったなんて言ってよ~!」
亜紀は感動で、汗か涙か分からない液体を目から零した。
「わ、私あまりそっち系には詳しくなくって」
「えぇ……じゃあどうして知り合いなんですか?」
「こいつ経由でね」
「ん? 彼、ですか?」
「こいつ、これでも作家だからね」
「えっ、お名前は!?」
「ええっとペンネームで、水無月湊だったっけ?」
「今は本名と同じですよー」
「ああ、そうだったわね」
昔の神楽坂湊を知っている天音にとっては、水無月のほうが違和感がある。
「うそ……水無月湊先生」
亜紀は呆けた面をして、その場に立ち尽くした。
刹那。
廊下を通りがかった店員が、
「亜紀、そろそろ」
「あっ!? すいません! 失礼します」
亜紀は速やかに部屋を去って行ってしまった。
「「……?」」「(=_ヾ) ネムネムゥ」
取り敢えず猫子は天音の隣に座り、睡魔と戦いを繰り広げている湊を笑う。
「先輩が一人で酔いつぶれてるところ、初めて見ましたよぅ」
「私もよ」
「ところで天姉、先輩が真夏ちゃんが会いたがってるって言ってましたけど」
「あ、そうね」
「一体、なんでしょうかねぇ」
「そうね」
あつい。
湊はぼんやりとそんな事を思った。
鈍る思考も回復し、意識も戻っていく。
それにしても、あつい。
次第に、湊の唇が火傷しそうなほどの熱が伝った。
「あつぅ!?」
飛び起きた湊の頬から、焼き上がりの肉がはねた。
その時、どっと笑いが起きた。
「ぷっあはははははは!」「にゃあははははははは!」
どうやら天音と猫子が湊を使って遊んでいたらしい。
憮然とした顔で湊は己の頬を撫でた。
「おい、食べ物で遊んじゃ駄目だろ!」
落っこちた肉を箸で拾い、食べる。
……うまい。
天音は酒を飲み、猫子は場の雰囲気に酔っているのか。
あっ、と湊は携帯で時間を確認した。
十一時半。
もうそろそろ閉店の時間だ。
……いやいやそれよりも!
「え、なんで天音と猫子がいるの?」
「へぇ?」
一旦、天音を無視する湊。
「電話口で先輩の様子が可笑しいのに気づいちゃって来てしまいました」
「まじか」
「はい、まじです」
「あ、そうだったわ。俺、みんなに電話かけなきゃいけないんだった」
「そうですよ~。なんで電話をしなきゃいけないですか?」
小柄な猫子が椅子に座ると、若干足が浮いている。
だからか、猫子は短い脚をぷらぷらと動かしていた。
ただし机の上には膨れ上がった胸がおかれ、猫子の下からの視線に湊は視線を少し外す。
「真夏が話がしたいって」
「なんと! それは勇気が要りますね」
「だろ? 凄いよな」
「ですねぇ…………ところで先輩、もう酔いは……?」
「覚めたな」
「にゃはは、酔ってるうちに既成事実を作るのは難しそうですねぇ」
「冗談だろ?」
猫子は首を傾げ、そしてニヤリと笑う。
「まあ、まあお酒は今後控えるからいいや。とりあえず優作に電話するわ」
「えーそんな奴よりも先輩、私と愛を育みましょ~」
「あ、もう電話掛けてるから」
「えぇ~」
三コール目あたりで、優作が応答する。
「優作、今いいか?」
『ん、いいけど何かあったの?』
「ああ、それがさ。真夏とのことを話したいと思ってさ。空いてる日教えてもらってもいいか?」
『成程なるほど。いいよ、いつでも』
湊の考えとは裏腹に、優作は淀みなくそう言った。
「えっ? 優作、お前アニメ化で忙しいだろ、それに冬コミの準備とかもあるだろうし」
『はは、そこまで解ってるなら、言うけどさ。俺は二人のことが気になって同人のネタにしようか迷ってるんだよね』
「絶対にやめろ」
間隙のない湊の返答に、優作は笑いを零す。
『ははははっ! 大丈夫、そこは一線を画してるから』
「助かるよ」
『まあそんなことでいつでも大丈夫』
「ありがとう」
『ところでさ』
「ん?」
『今、焼き肉してる?』
「ばれた?」
『おいおい、どうして俺を誘わなかったのさ』
……まあ、仕事で忙しそうなのは解ってたからな。
「焼き肉は閉店だけど」
『えー、俺はさっき今日のノルマ終わったばかりだから、いま暇なんだよね。最近会えてなかったし、湊の家で宅飲みしていい?』
そういえば、優作は自分でスケジュールを立てて、一日のノルマを作っていると言っていた。
終わったばかり、か。
かなりスケジュールが詰め詰めなのだろう。
そういう時くらいは付き合ってやりたいと、湊は快諾する。
「おーいいぞ」
『ナイス! じゃあ俺はもうそろ出るけど、大丈夫そ?』
「あー、うん……大丈夫だと思う」
『なんだ、誰かいるの?』
「そうなんだよな。猫子と天音が」
そういうと、無言になった優作。
数秒後、湊の耳が爆音にやられることとなる。
『ノォオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
「うるさっ!?」
猫子がじろりと湊の携帯を見る。
未だ、騒音が流れ出る。
「先輩、大丈夫ですか? 私、殺りますね」
「あ、いや、大丈夫だから! ね、その殺気は抑えようね? 猫子ちゃん」
「はぁい。先輩がそういうなら♪」
何故か嬉しそうにそういう猫子だった。
「おい優作?」
静まり返った携帯に、湊が問いかける。
『……行く』
「え?」
『今から俺もそっちに行く!』
「ちょ――」
既に電話が切れていた。
「あいつ、ここにくるっぽい」
「え゛ー」
「そんな嫌そうな顔、初めて見たぞ」
「本当に嫌な証拠ですね!」
「あはは、可哀そうに、優作のやつ」
眠りこけている天音をよそに、閉店ギリギリまで猫子と会話を楽しむ湊だった。
「やっほー、湊に猫子君。それに天音ちゃん……?」
閉店間際、店内に爽やかな空気が流れたと思えば、優作が来ていた。
顔を出すと、やはりその整った面をじろりと見てしまう。
「お、来たか優作」
「もち。ってか、天音ちゃん、酔いつぶれちゃってるね」
「そうなんだよ。お前、運ぶの手伝え」
「任せてくれ!」
瞳を輝かせている優作を放っておき、早速店を出ることにした四人。
天音はふらふらとしていたが、優作の手が支えとなり、なんとか移動できそうだ。
三人には先に外に出てもらい、湊が会計を済ませることにした。
会計時、女性店員の亜紀がレジ打ちを担当した。
「合計で、一万二千七百二十円になります」
「はい、一万三千円で」
「はい……こちらレシートになります」
「ああ、ありがとう」
「……」
亜紀は何か言いたげな素振りで、湊をじっと見る。
「どうしたんですか?」
「あのう、実は、湊先生のファンでサインを貰えますか?」
素性を知られたとき、そうお願いされることは珍しいことではなかった。
頻度を言えば、滅多にないが。
「え、君が?」
「はい。天音ちゃんの同期で、亜紀と言います」
「なら俺と同じ年だ。俺も一年前まで通ってたんだよね」
「そうなんですか!?」
湊は顔すら見た記憶のない亜紀と呼ばれた女性に、若干の不信感を覚えながら、
「うん。それで、サインどうしようか。ペンとか持ってないけど」
「あ! それなら」
と、亜紀は胸ポケットにあるペンと手帳のようなものを引き出し、湊に渡す。
「仕事を覚えるのに使ってるやつです」
「なるほど。頑張り屋さんは尊敬する」
湊は空きのページにサインを書き始める。
「そういえば、先生の完結作、もうすぐですよね?」
「ああ。最高に仕上がったと思うよ」
「本当ですか!? 楽しみだなー」
「ありがとう。それじゃあ、これ」
湊はボールペンと手帳を渡す。
「あ、はい……」
これでお別れがくると思うと、亜紀の頬は元気をなくす。
去っていく湊の背中を見て、声を掛けようと一歩踏み出した。だが。
「迷惑、だよね」
亜紀は立ち止まり、伏目になった。
……きっと、主人公だったら、ここで声をかけるんだよなぁ。
「私には無理だよ……」
その日、亜紀と呼ばれた女性は沈んだ気分のまま次の日になるまで働き続けた。




