第19話 家族①
春真夏の朝は早い。
いつも彼女は午前六時に目を覚ます。
ここに居候させてもらってからは自由な時間を手にする為、この習慣を怠ったことはない。
リビングへ赴くと、やはり既に起床していた啓介がソファーに深く座り込み、新聞に目を通していた。
「……お、おはようございます」
「ああ、おはよう」
真夏は何もすることがなかったので、フルグラに牛乳を掛けて、それを朝食として食べる。
次いで顔に冷水を浴びて、寝室で着替えて、
「ちょっと出掛けてきます」
「あいつの所か?」
「いいえ……今日は、一日中散歩します」
啓介は沈黙を貫きながら、深く頷いた。
彼は、真夏のことを理解しているのだ。
どうして、毎朝毎朝、七時前という早い時間で家を出るのか。
それらを理解しているが故に、彼は彼女の行いに口を出さなかった。
……先生の時のような二の舞を踏みたくはないのだろうか。
「行ってます」
真夏は消え入るような小さな呟きで、家を出た。
ぐっすりと眠っていた所に、甲高いインターホンが繰り返し響き渡る。
まるで朝の目覚ましのような煩わしく忌々しい音に湊は呻いた。
「ごめん……無理」
そう一言残して、湊は再び眠りに就こうとするのだが……
ピンポーン・ピンポーン・ピンポ――……
眠りを邪魔してくる根源を消滅させない限り、彼に安眠という名の幸せは訪れない事を悟ると、ベッドから身を下ろした。
「ったく……これはアイツじゃないから……誰だ?」
天音の特徴的なリズムのインターホン音ではないことから、残る容疑者は三人。
優作か猫子か、それとも助手か。
さて、確認の時。
「……なんだ、優作か」
てっきり猫子かと思っていた湊は、顔を見た後一瞬でそう口にした。
「お、おう……そう残念がるなよ」
「いや、別に残念がってはないんだが、眠いから寝かせろ」
「あはは、残念でした。俺がお邪魔しに来ちゃいました~」
「まじで邪魔だ」
と、言いつつも湊は扉を全開にして優作を中に入れた。
優作はリビングに入った直後、ぼすっと座布団の上に座る。
「いや、本当に何しに来たんだよ」
「あぁうん、ちょっと言い辛くてね……」
「なんだよ。言えよ」
「うん、実は……」
躊躇うように優作は口を開く。
「一緒に秋葉デートしないか?」
「無理。まずデートとかいう名詞を付けた時点で断る未来が見えてたろ」
湊は返しながら布団に戻った。
熊が眠りに入るように、体を丸くする。
「だよね……いやね、ちょっと俺本当にあの人混みが苦手で」
「それはまあ、何となくわかる……」
「だろう? 俺一人でこの前言ったら、吐いちゃって」
「どんだけよ……どうせ学生時代はイケメンとして陽キャグループとかいうあのうるさい部類に属してたんだろ?」
直後、優作は目をかっと見開いて、
「偏見が過ぎる! それに俺、はは、友達は本当に誰も居なかったんだ。高校の頃、それで担任の先生から『友達は作っておいた方がいい』って言われてな……だから、その時の俺はさ、『どうしたら友達は作れますか?』って言ったんだ。そしたら先生は『そんなのいつの間にか出来てるに決まってるだろ』って……いや、そんないつの間にか出来てたら、俺も簡単に友達くらい作れるわっ! って思ったんだけどさ、でもまあ、クラスの端っこでずっと本読んでる自分も悪いのかなーって。それでな――」
饒舌に早口で語る優作を、湊は布団から顔を出して宥めつつ、
「わかった、わかったから! 一緒に秋葉行こうな。でも二時間後でいいよな? 寝させてくれるよな? 友達だから」
「友達だから、勿論だ」
以前よりも『友達』という言葉が重く感じられるのはきっと湊の気のせいだろう。
「お、おう……」
「じゃ俺は適当に本読んでるわ~」
「二時間後起こしてくれ」
「はいよー」
そして二時間後。
「――……って! お前が寝るんかい‼」
「ぬはっ! ……もしかして俺、寝てた?」
「ふっと目が覚めたら、炬燵の上で寝てたぞ……俺はどんなコントを見せられてるのか、一瞬訳が解らなかったぞ?」
「コントじゃないけどね」
「スッキリした顔で語るなよ……」
「じゃあ、行こうか」
「はいよ」
二人は淡々と家を出た。
真夏は現在、一人で秋葉原にいた。
そして戦々恐々としていた。
何故ならば、こんなにも大勢の人がいるとは思わなかったからだ。
……そういえば、前回来たときは平日だった。
「え、えぇ……?」
更に、一人の銀髪外国人と言う異質な存在に多くの視線が絡んできて、気持ちが落ち着かなかった。
もともとこういう人目を好かないタイプなものだから、余計に癪に障る。
しかし、真夏は直後、自分を疑った。
「もしかして、湊さん……?」
彼女は今、秋葉原駅の改札口を出て数分の出口付近にいる。
しばらくここら辺をうろちょろとしていたのだが……目と鼻の先に、見知った二人の姿が視界に入り込んできた。
それは、湊と優作の姿である。
「…………、」
真夏は一声上げようか迷ったが、楽しそうに会話する二人を見て、邪魔をしてはいけないと直感で理解した。
だから、彼女は二人を尾行することにする。
どうせ何もすることなどないし、今日はもともと湊が好きだという秋葉原の徘徊をするつもりで来たのだ。
彼女は二人に気付かれないようにフードを深く被り白銀の髪を纏めて隠し、遠くで、じっとりと静かに追跡を開始した。
「いやぁー、まさかここまで混んでるとは……」
「俺も、今日が土曜日だとは思ってなかった。うおぇ……吐きそう」
「どうせ吐かない吐かない~……まあ、作家あるあるだな、曜日を忘れる」
「……ほんとそれね」
呻きながら優作は同感する。
「……で、まずあそこか?」
そんな優作を無視して湊はとある看板を指さす。
ライトノベルを大量に置いて販売してくれる、あの店を。
「う、うん」
……それにしても、優作のやつマジのマジで具合が悪そうだ。
「おい、まじで吐くなよ?」
「多分大丈夫」
ジト目で優作をみながら、湊はその店まで優作を先導したのだった。
……店に入った二人は早速、ライトノベルコーナーに出向く。
すると、棚には『ファンタジア・ワールド・ミステイク』が大量に詰まれ、帯にはアニメ化の文字。
「「おぉ~~~‼」」
それを見て、二人は同時に興奮した。
さっきの具合の悪そうな顔など、どこ吹く風である。
「すげ」と湊。
「それな」と優作。
湊はほっと息を吐いて、言葉を発する。
その時、湊はぽつりと願望を吐露した。
「いつか俺もアニメ化するわ」
「ん~、湊の場合アニメ化じゃなくて映画化の方がありそう」
「まっ、それはそれで良いんだけどさ」
と、言って湊は『ファンタジア・ワールド・ミステイク』の新刊を一冊手に運ぶ。
「あれ、もしかして買ってくれるのかな?」
「当り前だろ」
微細だが複雑な心理を誤魔化そうとしている湊の表情に優作が気付かない。
周囲にいる猫子という超売れっ子作家、優作というアニメ化作家。
対して己は、新作の準備すら滞っている売れない作家。
自分の作品には、そこはかとない確かな自信はある。
だが、焦燥を抱くのは、無理もない事だった。
湊は微妙な顔を浮かべつつ、優作は吐き気を忘れ、にやにやを隠そうとした顔をしながら店を出た。
それから二人は人混みを避けるように人気の無さそうな、こぢんまりとした店に入った。
からん。
扉にある鈴が鳴った。
閑古鳥が鳴いている店内に、新しく客が入室したようだ。
席に着き、注文を済ませた所で訪れたのは沈黙だった。
暫くのあいだ、各々スマホを弄り、ここぞとばかりに優作が話始めた。
「それで、新作はどんな感じ?」
「ん~まぁー……ん~」
「中々進んでない感じかぁ」
再び会話が沈もうとしたところで、店員が二つのグラスを持って近づいた。
注文の品であるコーヒーがテーブルに置かれ、二人は軽い会釈をした。
難航していることをはっきりと言葉で言い表したくない湊は、コーヒーを啜って嘆息する。
「そんなにか。でも、面白そうなものが湊の日常にたくさん転がってると思ってるんだけどな」
怪訝な顔で、湊は「どういうことだ?」と聞き返す。
「ほら、湊には可愛い後輩君もいるし、それこそ常識離れした美人だってすぐそこにいるじゃないか」
「……可愛い後輩ってのは解かるけど、後者は本当に解らんな」
「え」
「え?」
「湊それ、本気で言ってる?」
優作の目を疑う顔の問いに、湊はコクリと頷いた。
「ええと……名前が確か」
「あっ、もしかして真夏のことか?」
「そう! 彼女!」
どんっ。
優作は机の向かいから顔を寄せて湊に言い寄る。
「まあ客観的に見れば可愛いと思うが……別に可愛いとか彼女はそういう次元にはいない」
「ん、どゆこと?」
それまでの遊びの会話とでも言う様なものとは違って、今回は真剣な声質の質問に湊はさぞ当然のことのように語る。
「だから真夏は家族だからな」
「あぁ、家族だからこそ恋愛感情は全くないって感じ?」
「そうだ。とはいえ、彼女を信頼していない自分もいるんだ」
「ん? それは、どういうこと?」
と、その時。
どうやら別のお客さんが飲み物を零したらしく、「大丈夫ですか?」店員が急いで駆け寄った。
すぐ近くの出来事だったが、気にせず湊は語り続ける。
「あいつ、俺に話してくれないんだ」
「なにを?」
「さあ、そいつは知らん。けどまあいつか話してくれると信じてる。その時こそ、本当の家族って言えるんだろうな」
湊は言いながら、完全に背中を椅子に預ける。
「ふうん~……まあ、この話題はここまでにしようか」
「だな」
じゃあ、と湊は続けて、
「お前の想い人について語ろうか」
「ぶっ」
「おい、頼むからそれは自分で拭けよ」
ジト目で告げる湊に優作は火照った頬を掻きながら。
「ああもう……現実はままならないな」




