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第16話 顔合わせ

 その日も、春真夏が目を覚ましたのは午前六時だった。

 昨夜は湊の家へは行けなかった。

 だから、今日は早く準備を済ませて、先生の家に行こう。

 そして、また時間を潰させてもらおう。

 先日、追加された湊の連絡先に、『今日も遊びに行ってもいいですか?』と送る。

 返事はすぐにきた。

『おけ』

『じゃあ朝には向かいますね』

『おけ』

 淡白な返事にむすっとするものの、きっとこういうやり取りしか知らないのだろうと真夏は思う。

 ――だって、先生はクラスでわいわい騒ぐようなキャラクターではないから。

 スマホの画面を暗転させ、真夏はその部屋から出た。

 リビングへと向かう。

「……おはようございます」

 リビングには既に一人、神楽坂啓介の姿があった。

 啓介は水無月湊の実の父親である。

 私はとある事情により、神楽坂さんの家に居候しているのだ。


「ああ、おはよう。今日はアイツの家に行くのか?」


 彼は新聞紙から目を離し、真夏へと向けた。


「はい。学校へ行っても、また虐められるだけです」

「そうか。俺の方から京子さんに話はつけておく……ところで、アイツはちゃんとしてるのか。小説家だからって、だらだらしてるんじゃないだろうな……はぁ」

「大丈夫です。湊さんは、頑張ってます……!」


 啓介は湊に対して非常に厳しく当たっていた。

 それは真夏も重々承知だったが、流石にあんなにもがき苦しんで頑張っている湊に、そんなことを言われれば、真夏も思う所があった。

 しかし真夏の小さな叫びを聞いても啓介は何も言わず、ただ目線を新聞紙に戻した。

 真夏は流動的な世界に一人、取り残された気分になった。いつもそう感じてしまう自分がいる。

 世の中は着実に動いているのに、ただ彼女一人だけが取り残されている気分。

 最初はこの辛い現実に耐えられず自暴自棄になって、ただ家に帰りたくなくて、湊のところへ行った。

 彼の所へ行くと、彼女は世の中の渦に巻かれているような気分になれた。

 だから、湊の家は真夏にとって安堵できる居場所だった。

 今日もまた、私は先生のところへと向かう。

 それは午前七時のことだった。



 湊が目が覚まし、真夏と連絡を取り、顔を洗い、朝食を食べ、歯を磨いた直後、インターホンが鳴った。


「おはようございます」


 春真夏は出会った時とは想像もできない笑顔で挨拶を述べた。


「おう」

「はい」


 ……やっぱり、学校には行かないのかなあ。まあ、あんな所、行きたくないわな。

 湊自身、学校は畏怖の対象だった。

 彼女の事情は知らないが、彼は勝手に同じ部類と解釈して、彼女に勝手に同情していた。

 ……ま、別に聞くこともないか。


「まあ、入ってくれ」

「はい」


 真夏は靴を脱いで、リビングに上がる。

 今日も真夏の銀髪は輝きを放っている。

 シンプルな服装だったが、彼女はそれさえも上手に着こなしていた。

 やはりモデルがいいと何を着ても似合うというのは本当らしい。

 リビングに招き入れ、湊は準備して来たセリフを颯爽と口にした。


「ところで真夏助手……今日は同期の作家とパーティーがあるんだが、君も来ると良い」


 だから今日は外出する為に、いつもはしない準備を朝からしていたのだ。


「……え?」


 確かに、真夏が素っ頓狂な声を上げてしまうのも納得が出来る。

 今までの湊ならば、「すまん、今日は予定があるから一緒には遊べない」と言うはずだ。

 しかし彼は「君も来ると良い」と言った。

 一体彼にどんな気持ちの変化があったのかは彼自身にしか解らないが、案外その理由は単純だったりもする。

 ――もし真夏が学校に行ってないとしたら、コミュニケーションの特訓をしておいた方が良いかも知れないな。というものである。


「……」


 真夏は物凄ーい微妙な顔をして暫くの間考えていた。


「……いや別に、無理にとは言わない。けどな、悪い奴なんていないし、天音も猫子も来るだろうから女子もいるぞ」

「……湊先生がそう言うなら」

「よし、じゃあ今から早速行こう」

「はい」



 湊の家から優作の家までは電車で一駅分と案外近い所にある。

 ここが田舎ならば二人はきっと一時間も二時間も歩かなければならなかっただろう(これは、湊の主観です)が、ここは東京だ。

 二人は色々必要そうなものを買って、駄弁りながら、歩いて向かうことにした。


「歩くのもいい運動だな。真夏は何か得意なスポーツはあるのか?」

「う~ん……あ! ダンスなら一時期やってました」

「お~……ダンスか、アイドルとかがする、アレか?」


 真夏は隣りに歩く湊をじっと半眼で見る。


「馬鹿にしてません?」

「いや、全くしてないぞ。俺も一時期な、してた」

「えっ! どういうことですかっ?」


 湊は過去の記憶が蘇り、忸怩たる思いに駆られた。同時に赤面する。


「実はな、俺は一時期ある女性声優にはまっていたんだ。そしてその女性声優が担当したアニメのオープニングとエンディングの曲に合わせて踊る動画を、何百回と見てな……」

「それで挙句の果てには画面越しで一緒に踊っていたと?」

「……」

「ふふ、いいじゃないですか。ちなみにその女性声優って誰なんですか?」

「言う訳ないだろ」

「そこは饒舌に語るところじゃないんですか?」

「俺を俗なオタクと決め付けるな」

「違うんですか?」

「そんな真顔で言わなくとも……まあ、否定は出来ないな」

「否定はって、それは最早認めているといっても過言ではないですね」

「全く、そういう君こそ、自分の事を助手とか言って、かなりのシャーロキアンなんじゃないのか?」

「違います! ……いや、否定は出来ないですけど」

「「ふふっ」」

「でもどっちかと言うと、江戸川乱歩派です」

「ほう! 一番好きな作品は?」

「怪人二十面相」

「助手にはぴったりだな」

「先生は好きな作品有るんですか? 別の作家でもありです」

「それなら俺は人間失格だな」

「なるほど、てっきり一房の葡萄とかそっち系かと思いました」

「あー、あれも良い作品だな。ところで、真夏は結構文豪の本も読むのか? 意外だな。母国の作品とかは読まないのか?」

「ロシア文学に触れると病みます」

「よく言われるな。そうか、真夏はロシアの親を持つんだな。だからこんなにも綺麗な白髪なのか」

「……先生」

「?」

「ありがとうございます」

「どういたしまして?」


 二人はこんな会話を続けながら、とうとう優作の家に着いた。

 彼は幼少期から祖母の家に暮らしているという。

 かなり大きな一軒家で、特に庭が大きいのが特徴であった。

 で、その面倒な程の庭を歩いて、ようやく辿り着いた家のインターホンを押す。


「待ってた、よ……? ハッ⁉ おまっ! えっ⁉」


 押してから数十秒で、彼、優作はやってきた。

 そして、物凄い挙動不審になった。

 短い呼吸を喘ぐように繰り返している。


「あ、そうだった」


 そういえば、真夏は美少女だったのだ。

 初めて見る衝撃は、初めてでしか味わえないのですっかり忘れていた。


「こちら、俺のいとこの――」


 ちらち、と湊は真夏に視線を向ける。

 コクリと頷いた彼女は、


「春真夏です」

「ええええええええええええええ!!!!」

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