第15話 助手のいない日
北海道から帰って来た翌日の朝。
――ピンポーン、ピポピポピポピンポーン‼
「ま、じ、か、よ」
湊は寝起きのガサガサした声音で、恨み節を吐くように言った。
ぞんざいに布団を足元に投げ、ベッドから降りて、扉に向かって、天音が起立していることを確認して。
「……なんだ、今日も大学か?」
しかし天音は暫く沈黙を自ら望んだように作り、じろりと湊を睨んだ。
天音は女子大生らしからぬ大人びた格好で、その怒りの表情は鬼の形相と言っても過言ではないだろう。
……格好も表情も、年上に見られるのが、彼女のコンプレックスと言う。
「い、一体そんな怖い顔して、どうした? もしかして誰かに振られたのか?」
「違うわよ!」
耳に響く恐々とした響きを持って、湊を打撃する。
「もしかして連絡無視してたから?」
どうせ原稿の催促メールや広告メールだろうと、スマホの連絡アプリは全く目を通していなかったが、それが悪手になるとは。
「解かってるならさっさと弁解しなさいよ!」
やはり、寝起きの耳にキンキン響く天音の甲高い声。
「いや、あのな……」
――真夏と一緒に北海道旅行に行っていたんだ、と言う訳にもいかないし。
「〆切に切羽詰まっててな。近くの店で缶詰してたんだ」
「なんだ、そういうことなの。それは、お疲れ」
急に優しい態度に変化したので、湊はその幅に驚きつつも、「お、おう。どうも」と言って扉を全開にして彼女を招き入れる。
「ああ、そう言えば聞いた? 優作さんが皆で一緒にパーティーでもしようって」
地面に座り、天音は開口一番に大事な情報を提供してくれた。
「あー、優作の奴、アニメ化決まったからな……」
「本当に凄いよねぇ。私なんて、本当にまだ何も出来ていないのに……」
「そうか? ……というか、すまんがちょっと寝させてくれ。時間になったら勝手に大学に行って構わないから」
「元々あんたの許可なんて要らないわよ」
「そうか」
「い、いや、今のは冗談と言うか、言葉の綾と言うか……ごめん」
湊は天音の『本当は嫌っていないけれど、そういう態度を取っちゃうの』みたいなツンデレに薄笑いした。
「ぷはっ、謝るくらいなら、はなから言うな」
「煩いわね」
「へいへい」
適当な返事に、天音は枕を投げつけるように、
「さっさと寝なさい!」
「……へい」
湊は嘘のように一瞬で眠りにつき、天音は彼の部屋で一人になった。
「はぁ……」
そして、溜息を洩らした。
天音は今日もまた大学の授業がある。
そして明日も。
その次の日も。
周囲の人たちは、こんなにも社会に出て、活躍しているというのに、一体自分は社会に出て、何が出来るのだろうか。
ただ享受するだけの日々。
だが、いきなり外へ出るのも怖い。
天音は悩んでいた。
横ではこうやって、目には濃いクマが出来て、頬がこけ、全身が瘦せてしまう程努力している人がいる。
天音はそんな湊のことを、心から尊敬していた。
彼は、時には辛い辛いと、泣いてしまう事があった。
時には笑顔で良いものが書けたと喜んでいた時もあった。
天音はそんな彼を近くで見て、感じて、だんだんと……
「さて」
天音は台所に立った。
今、自分が出来る事はこれくらいしか出来ないけれど、それでも何か役に立てればいいな。
彼の為に料理の勉強を頑張ったなんて、口が裂けても言えない天音であった。
ぱちりと目が覚めた。
上体を起こすだけで、体の回復が顕著であることが解かる。
それに――
「いい匂いだな……ったく、余計なことしやがって」
湊が机の上に乗る料理を見て零した感想はそれだった。
良い匂いというのは、どうやら味噌汁の香りだったらしい。
それぞれの皿にラップが覆いかぶさったまま、早く食べてねと言ってくる。
「解かったよ」
湊は傍に準備されていた箸を手に取って、
「いただきます」
と、ラップを剥がして味噌汁を嚥下する。
「……む、やっぱりあいつ、料理上手だな。レトルトとはいえ……いや、今日は違うな、手作りだ! まじかぁ……」
湊も料理については、相当な訓練を積んできたから、ちょっぴり悔しい。
だからと言って、「料理に罪はないんだよな」と箸を進める。
ふと、置時計を見ると午前九時だと知る。
初稿は昨夜、家に帰って来てから仕上げ、担当の坂本に送った。
本当ならば、新作の準備をしなければならないのだが……
「今は無理だ」
完食した湊は食器を洗い、改めてスマホの画面をつけた。
メッセージでは、確かに優作からパーティーをしようという旨のものが送られてきていた。
その次に、五件もの電話を掛けてきた天音のメールを恐々と拝読し、湊は苦笑いで受け流した。
「まぁ、こんなもんか」
湊はスマホをぽんと机の上に置いて、椅子に座って、パソコンを開く。
「まずいんだよなぁ……」
――新作のアイデアが全く思い浮かばない。
「まあなんとかなるか」
そのまま湊はパソコンでネットサーフィンを楽しむのだった。
ピンポーン・ピンポーン。
「……ん? 誰だ?」
湊はパソコンを閉じて、玄関に向かう。
誰かを確認すると、そこに立っていたのは猫子だった。
湊は扉を開けて、
「猫子か」
「は~い! 来ちゃいましたよ! 先輩♪」
「おう」
猫子を入れて、リビングへと向かう。
「ああ、そう言えば、ありがとな」
「何のことですか?」
猫子はきょとんとした表情で首を傾げた。
「料理にラップ掛けてて冷蔵庫に入れてくれただろ?」
「あ、はい! 別にそれくらいは良いんですよ~。だって将来、私たちは家族になるのですから~♡」
「………………」
湊は時計を見て、ネットサーフィンを始めてから三時間が経過していることに気付いた。
流石に、もう止めようかと思い、猫子の隣に座って正面にあるテレビをつけた。
「なんだか新婚さんみたいですね~」
「変なこと言うな」
べしっ。
と、猫子の頭に優しくリモコンを乗っける。
「あぁ……猫子君や」
「なんです?」
「君の御蔭で最終巻が完成したよ」
「えっ⁉ 完成したんですか⁉ それなら早く読ませてくださいよっ‼」
猫子の体勢が完全に湊の方へ向き、湊の左肩がぐいっと下に落下する。
「モ・チ・ロ・ンだ……だからその手を退いてくれ……!」
「あ~、すいません。つい……。それと……私の御蔭って、何がです?」
「いやな、君が現地に行って見ればいいと言うから俺も北海道に飛んだんだ。御蔭で作家人生で一番いい作品になったと思う」
再び湊の肩がぐいっと垂れ下がる。
猫子の手が力強く肩に乗っかる。
「それは楽しみですねっ!」
「あ、あぁ」
そして湊はパソコンの原稿データを印刷して、最終巻を猫子に手渡した。
ページ数は二百六十ページだ。
「わぁ~~~!」
猫子は目をキラキラさせて、受け取った。
受け取りざま直ぐに彼女の視線は紙に移り、一瞬で読書モードに移行したのか、ぴしゃりと静かになる。
湊は鼻で笑い、自分も何か他の作品を読もうと、電子書籍のページを開いた。
「うっ……うぅ~! 最高過ぎます~~~‼」
時は二時間が過ぎ……猫子は大粒の涙を垂れ流しながら、感想を口にした。
「本当に、これはもう終わっちゃうんですかぁ……?」
「ああ」
「悲しいです~‼」
目をくしゃりと瞑り、猫子は本当に悲しそうに口を開いた。
その反応は湊にとって、嬉しい限りの事だった。
「はは、ありがとな」
「いえいえ~」
それにしても。
しかし猫子はそう続けて言う。
「浮かない顔ですね」
「実は新作の企画が通らなくてな」
「そうなんですか…………あっ! それなら、私とどこか行きませんか?」
ん~、と湊は唸る。
別にそれも良いとは思うが、
「いや、今日は止めとくわ」
「そうですかー」
「そう言えば、明日のあの男の企画したパーティー行きますか?」
「ああ、勿論」
「じゃあ、私も行きますー。明日でしたよね?」
「だったな」
そうして二人は夕方まで一緒にアニメを見て、時間を共に過ごし、そして猫子は帰って行った。
――明日は優作の家で皆でゲームやら何やら楽しむという計画らしいからな、そこで何か、聞いてみるか。
湊はそのままぼうっと過ごして、一日を終えようとしていた。
「真夏、今日は来なかったんだな……」
湊はそう口にして、一日を締めくくった。
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