第12話 北海道旅行②
新千歳空港でジャンパーを購入した後、電車で約一時間揺られ、札幌駅に到着。
人々の喧騒が激しく耳朶を揺する。
とはいえ、東京ほどではないので二人にとってそこまで苦ではなかった。
「人が沢山いますね……あ、あの石像なんでしょう。あそこに人が集まってます」
真夏は先ほどの怒りはすっかり忘れ、今は初めて経験する感動に胸が支配されていた。
……なんだか、こうして見ると、彼女はまだまだ幼い子供に見えてしまう。
「ああ、札幌の民はあそこで待ち合わせをするらしいぞ」
「詳しいんですね」
「ま、一応作品の舞台となるからな」
真夏は作家の湊に瞠目の視線を送るが、湊はまた別の所を見ていたので、その視線に気付くことはなかった。
「先にホテルにチェックインするかあ、歩くか」
「はい」
ホテルは札幌ファクトリーの近くにあり、駅からは少々歩く。
外は肌を突きさす様な寒さが待っていた。
ジャンパーを買っておいて正解である。
そしてニ十分とかからず……ホテルのエントランスに到着。
「立派ですね。私、こんなホテルに泊まるの初めてです」
「ああ、そうだな。俺もこんな優美なものだとは思ってなかった」
二人はつばを飲み込み、チェックインする。
湊用の一部屋と、真夏用の一部屋、合計二部屋を借りて案内人の元、二人は部屋に到着した。
取敢えず荷物を置いて、真夏は湊の部屋にやって来た。
「凄いですね」
「ただ、食事が付いてないから二日間は外食が中心になる。すまんな」
「い、いえ! 私が札幌に旅行で来れること自体幸せなんですから……」
どうやら助手は気を遣っているらしい。
その青い瞳に若干の陰りが垣間見えたのは、黙っておこう。
湊は部屋の置時計に目をやった。
「四時半、か」
もともと昼食を食べたのが三時過ぎで遅く、札幌に着いたのが四時過ぎだったのでこんな時間になってしまったのだ。
「……あの、湊先生は札幌に来て、何をしたかったんですか?」
「……」
湊はおもむろに無視をする。
面倒だから、というよりは、言いたくはなかったのだ。
言ってしまえば、今の霧のかかった現状(どうして書けないか)が、晴れてしまいそうだったから。
問題なのは自分の才能だと、知ってしまいそうだったから。
「……せんせ?」
だが、結局湊は話すことにした。
それは助手の心配そうな顔を見てしまったからかも知れない。
「…………そりゃ、最終巻の作業が滞ってな。その舞台となる場所に行ってみれば何か分かると思ったんだ」
「てっきり私はサボりに来たのかと思いました。だから、安心しました。湊先生が筆を置いてしまうかもって、怖かったから……」
湊は目を丸くした。
声にならないが、湊は問うた。
――君は俺の小説を読んだことがあるのか?
年下に心配されるのはどうも気が滅入るようだ。
それに、知り合ったばかりの人に己の弱い部分を露出してしまうのは、なんだか情けなかった。
「はは、そうだな……今は遊ぶか」
納得の出来るものが書けないことに、どんどんと湊の心は沈んでいく。
それを紛らわす為の笑みは、どこか、ぎこちないものだった。
最初に湊たちが訪れたのは、近くにあったメロン〇ックスだった。
「あ、先生の作品ありましたよ!」
などと言って、彼女はライトノベルコーナーに差し掛かった時、湊の作品を手に持った。
「は、恥ずかしいな」
「でも、本当に先生の作品は凄いです」
真夏は切れ長の瞳をぱちりと瞬きさせた。
当たり前のことを当たり前に言う様な、そんな態度で言われれば、湊も「そうなのか」と嬉しかった。
「はは、ありがとな……」
湊は彼女の真剣な表情を見て、元気づけられたなと感じる。
ふと思う。
――あいつらはこうやって、互いに傷をなめ合って、挫けそうになっても生きてきたんだ。心と言うのは、脆く、切ないものなんだ。
湊の書く最終巻のストーリは悲愴たるものだ。
学生をやめ、町から出て、社会に出て、現実を知り、挫けそうになったところに、もう一人の、傷ついた女性が現れる。
二人は理想という名の夢を、現実という悪夢に犯された。
だが、それでも二人は大粒の涙を流しながら立つんだ。
最終巻。
二人は夢に向かって手を伸ばす。
そして、二人の夢への第一歩を立派に踏みしめるんだ。
――なんだか、あいつらの気持ちが、解った気がするな……。
「あの……」
真夏がおずおずと言った。
「……どうした?」
考え事をしていたから、反応が遅れてしまった。
彼女は怪訝な表情で前のめりになって湊を眺めている。
「先生、私、これ買いたいです」
そして。
真夏は手にしたままの湊の作品を、一歩前に出て彼の胸の近くに差し出した。
「……それが、真夏の意志か?」
「はい」
真夏の顔は意志を提示する怖さを噛みしめたようだった。
湊からすれば、親に突然、心底やりたかったことを目の前で告白するときのようなものだ。
過去、湊が父親にそうしたように。
それがどれほどの恐怖であったか、忘れるはずもない。
「わかった」
――……湊は自身の作品を購入し、真夏に手渡した。
「ほんとに、ほんとにありがとうございます」
「いや、いいんだ」
少し歩き、次に訪れた場所は札幌駅の中にある服屋だ。
最後には、二人は服装を互いにチェックしあうシーンがある。
何かに役立つかと思ったのだが……。
「真夏、お前はどういうのが好きなんだ?」
ファッション。
それは各々が着たい服やコーディネートなど、そこには必ず違いがあるはずだ。
だから湊は真夏の好みで服を選ばせようとした。
……が。
「先生。私ファッションとか着たい服とか、全然分かりません⁉」
「マジカ。今の女子高生がそれでいいのかよ」
「だって私あんまり外出とかしなかったから……」
二人は同時に項垂れた。
すると、俺たちが困っているのを見かけた店員が、
「何かお困りでしょうか?」
「……はい。真夏、この際プロに選んでもらうのはどうだ?」
「えっ、で、でも」
「正直なところ、俺も一緒に勉強させて欲しいんだ」
湊は苦い顔をしながら頼み込むと、
「あ、はい」と真夏は素直に頷いた。
「じゃあ、彼女に似合う服装をお願いできますか?」
店員は思案げな顔で頷いた。
「勿論です。サイズはどれくらいでしょうか?」
「ええと……」と真夏は店員に近づき、耳打ちで伝える。
「解りました」
二人は店員の後ろをついて行く。
店員は服をそそくさと取っては説明し、カートに入れる。
少し時間が経った後、
「どうですか? 試着室があるので、試着してみてください」
そう言って、真夏をその場所に連れて行った。湊はその目の前に立っていた。
シュル、シュル。
服は脱がされ、その度に衣擦れの音が湊の耳まで伝わってきた。
その時。
湊は久しく聞いていなかった、心臓の叫びを聞いた。
「え……」
思わず、眉を顰め呟く。
――俺は、どうして。
確かに、最初は『家族とは思えなかったから』何度もドキリとしたが、今となっては『家族として認識している』かど、何も思えなくなっていた筈だった。
けれど薄いカーテンの奥には、きっとダビデ像のような美しい裸があると思うと、湊の心臓は鼓動を早くしていた。
……男としての性、か。やっぱり俺は変態だったのか!? くそっ。
「あの、彼女さんとはいつから付き合ってるんですか?」
やきもきとしていると、店員が湊に聞いた。
気を紛らわせてあげようと店員の親切心かも知れない。
「いえ、付き合っていませんよ。彼女とは……」
湊は一瞬、言うことを躊躇った。
ただの助手です、では店員も納得しないだろう。
それに通報されても嫌だしな。
「彼女は『家族』です」
「まあ、随分と可愛らしい妹さんですね」
「……まあはい」
苦笑いしながら相槌を打ち、会話が続き……彼女はようやくと、
「先生、着終わったんですけど……なんかお洒落過ぎてきっと似合いません。恥ずかしいです……」
元気のない声が聞こえて来た。
――まあ、確かに俺が洒落た服を着せられるとなったら、同じことを言うだろうな。だが、彼女の場合、着飾った姿を見てみたい。原石が輝く瞬間など、みたいに決まっている!
「プロが選んだんだ。きっと似合ってに決まってる」
「でも」と、気乗りしないことをアピールしながら、助手はカーテンを開けた。
「おお」
湊は感心した。似合い過ぎていた。
臙脂色で統一された制服のようなものに、茶色のコートで覆われ、まるで助手のような格好に湊は心から感心した。
「とんでもなく似合ってるぞ」
「ほんとですか?」
助手は頬を真っ赤に染め、涙目で聞く。
よっぽど恥ずかしいのだろう。
「ああ」
「お似合いでしょう? では真夏さん、次いきましょうか」
真夏にとって、店員は悪魔に映っていることだろう。
その悪魔の手が彼女に差し迫る。
「はぃ」
彼女は悪魔になされるがままだった。
――次は、黒のパンツに白のシャツ。その上に灰色のニットを着ていた。
抜群のプロポーションが露わとなり、素晴らしかった。
―—その次は、紺色のパンツに茶色のシャツ。その上には黒のブレザーのようなものを着ていた。
かっこいい女性に見えた。
これも例によって大変似合っていた。
湊はそれらの一番似合っているセット一つを買った。
荷物は湊自身が手に持つことにした。
「ありがとうございます……でも私、これを着る自信がないです」
最初、湊は何を言っているのだろうかと疑問に思った。
真夏は日本人離れした美しいプロポーションに白銀の髪、青眼の持ち主だ。
幼いが、それでも大人びた美しささえ持ち合わせている。
似合うに決まっている。
客観的に見て評価した湊の感想はそれだった。
だが、それでも真夏は恥ずかしい。
自分には似合わないと思っている。
「まあ、着たい時に着ればいいさ」
慰める湊に、小さな彼女がこくりと頷く。
店員さんは嬉しそうに「ありがとうございました」と二人を見送った。




