第10話 クソ親父
翌日。
目が覚めた直後、湊は料理を片付けていないことにとても焦った。
「まずい……っ!」
状態を起こして、真横の机を見る。
いつもは絶対に片付けをしないまま寝たりなどしない。
だから、自分がこれほどまでに書けないでいることに焦っている事を思い知らされた。
歯嚙みつつ炬燵夏バージョンを見ると、なんと、何も置かれていない綺麗な状態であるではないか。
しかも、ベッドで寝た記憶がない。
ということは、小柄な猫子が湊を運んだことになる。
……かち、かち――置き時計は午前九時を示していた。
「猫子、か」
冷蔵庫を見ると、そこに昨日作った料理があった。
皿はラップで包まれ、丁寧な配置が成されていた。
まあラップの着せ方は初心者然としたものだったが。
それでも湊は……。
「ありがとな」
湊は囁くと同時に猫子にその旨のメールを送る。
ふう。
息を吐くのと同時に、これからのことを考えた。
実は、湊は今日すべきことを既に決めている。
だから、まずはそれに向けての準備を進めなければならない。
というのも、彼は今日、札幌に行く予定だ。
最終巻の舞台であるそこで、彼らの心情を照らし合わせながら巡ろう。
そうすれば、何かが見えて来るかも知れない、と猫子のアドバイスから思った。
スマホで飛行機、ホテルの予約を入れて(どちらもすんなり予約が取れた)、取敢えず一泊二日の予定で行こう。
荷物を詰めて、早速湊は家を出た。
すると。
「「あ」」
目線がかちりと合い、二人とも体が硬直する。
湊の眼前には、おどおどしながら立つ真夏の姿が映っていた。
「おぉ」
「……どうも」
今日も現れた真夏に、湊はあれ、今日平日だよな? 学校ないのかな? と極々当然の疑問が浮かび上がった。
まあ、別に知るべきことでもない。
「今日はすまんな。今から北海道に行ってくるから、一緒には遊べない」
「え、そう、なんですか……」
「ああ。だから今日はゴートぅホームしてくれ」
がっかりした表情をして、真夏は肩をしょんぼりさせた。
湊は「うっ」となり、目線を逸らしながら扉を閉める。
十数分後。
真夏、いなくなったかなーと思った湊は、扉を開ける。
が、しかし。
「うおっ! まだ居たのか……」
「あ、はい……」
「まあ、気を付けて帰れよな」
「……」
湊は優しく微笑みかけ、歩き出す。
階段から、彼の姿が見えなくなる。
すると、
「待って下さい!」
「……嫌な予感しかない」
とんとんとん、靴と鉄の地面が短い響きを交わす。
再度、湊と真夏が対峙する。
「私も行かせてください!」
「いや、流石にそれは無理じゃないか?」
「え」
「え……いや逆にどうしたら連れて行ってくれると思ったんだ」
空気がぴしゃりと停止する。
「……」
「……」
どちらからともなく、首を傾け、見つめ合う。
なにかもう可笑しくなり、湊は笑みを零した。
「ははっ! いやいや、あのな。まず真夏の両親が許可しないだろ。北海道に行きたいって言うなら、親に頼め」
「……駄目、ですか?」
「ああ、駄目だというより、無理だ」
途端、真夏はスマホを取り出して弄り始めた。
「お、おい……?」
しかし真夏は無反応を貫く。
「あ! ほら、見てください!」
真夏は湊に近づいて、スマホの画面を見せた。
『了解』からの、オーケイスタンプ。
「は?」
「だって私たちは家族じゃないですか。家族旅行です! 何も問題はない筈では?」
純粋な瞳で見つめられ、確かに家族なら普通か、と思ったが改めて考えると、
「いや、ほんともう意味が解からん」
そもそもの話、どうして真夏の両親は許可をした?
……確かに湊は真夏に恋をしている訳でもなければ、欲の捌け口にするつもりなど毛頭ない。そういうのは彼の思考の範囲にすら至っていない。
問題はそれだけじゃない。
「準備は? お金は? 宿泊場所は?」
「……あ、ありません」
「はぁ……ちょっと君の両親に電話させてくれ」
「わ、わかりました」
スマホを借りて、許可を出した者と会話をする。
湊にとって、今はそれが不思議と必要であると思った。
真夏のスマホを受け取り、電話ボタンをポチっと押した。
ぷるる、ぷるるるる――……。
『……はい、神楽坂です』
電話口から伝わった第一声はよく聞き覚えのあるものだった。
「……は? どうして親父が」
『湊……久しぶりだな』
「あ、ああ」
湊はすぐに電話が切られると思っていた為、沈黙が続いて当惑した。
「なあ、どうして真夏の電話に、親父が出たんだ?」
出来るだけ落ち着いて、対話する。
『それは本人から聞くといい。それよりも、お前、真夏と北海道旅行行くのか?』
「勿論断った。親父を許可を出したんだろ。何故許可を出したんだ」
『あぁ、そうだが……湊、連れて行ってくれないか?』
その声には、何かを恐れる様な、憂虞の念が孕んでいた。
さらに言えば、湊の問いに対しての答えになっていない。
「何故俺が。連れて行ってやりたいなら、親父がすればいいだろ」
『だがな、彼女が信頼しているのはお前の方だ』
「……親父が嫌われるのも納得だ」
『…………頼む。真夏も連れて行ってやれないか? 旅費は事前に返す』
……いやいや、旅行は今日からだぞ。
「クソ親父が俺に頼み事か……」
『ああ。そうだ。だが――』
そこで湊は電話を切った。
そして、目の前の不安そうに佇む彼女に伝えた。
「君はこう……なんだろうな。何処へ行っても付いて来そうだな」
「私は……そう!」
と、真夏は何かを思い出したように口走る。
「助手ですから!」
「どういうことだよ」
「ですから、執筆のお手伝いをするということです! 今、困っているんですよね」
「もっと意味が解らんし、どうして困ってるって解るんだよ。まあ、君が俺の助手なら、しっかりその役割を担ってもらうぞ」
「……その」
真夏はもじもじしながら囁いた。
湊はそれを半眼で目で見る。
「エッ――」
「それ以上言ったら君を置いていくと同時に助手を解雇する」
「ひゃい!」
……まあ、面倒な事になったが、仕方ない。
親父の頼み事は人生で数えるほどしかない。
湊がこうして一人で生活できているのも彼の御蔭である、とは断言できないものの、その要因の数パーセントくらいはあるのだろう。
湊がここまで生きてこられたのも、父親が働いて稼いだお金があってこそだ。
……借りはある、か。
ホテルの予約を二部屋に変更し、飛行機の予約を何とか取り付け……まあ、あとの必要なものは現地で揃えるか。
湊は先導するように、歩き出した。
助手はたどたどしく、湊が残した軌跡を踏むようにして、付いていく。
――まだまだ、わからないことが多いが、これから知っていけばいいか。
こうして、湊とその助手の旅行が始まった。




