始祖鳥に会いに……
あなたは始祖鳥をご存じでしょうか?
それは生命の進化の過程を知る上で、とても重要な存在なのです。
これからしばしの間、あなたの心はこの不思議な空間へと入って行くのです。
そうだ、始祖鳥に会いに行こう!
日曜日の朝、沢木森魚はまるで天啓のようにそう思った。
眼醒めた時、先日駅のホームで観た巨大看板のことを思い出したのだ。
「始祖鳥、初来日。」
と明朝体の大文字で書かれたキャッチ・コピーに心躍るものがあった。
「オレ、今日は上野の科学博物館に行く」
朝食の時、そう切り出すと、
「そう、じゃあ遥香も連れてって」
と妻の沙也加が言った。
彼女は今日は、フラメンコ教室の仲間たちと食事会の予定なのだという。
「遥香、行くか?」
小学五年生の娘に訊くと、
「うん、行く!」
と眼を輝かせた。
父親に似たのか、趣味嗜好にどこか男の子っぽいところがある。
混雑が予想されたので、早めに家を出たのだが、上野公園に到着した頃には、博物館前は長蛇の列が出来ていた。
案の定、親子連れが多い。
入場まで三〇分待ちとのことだった。
まあ、仕方ないなとは思うものの、娘のことがちょっと心配になって様子を伺うと、彼女はチケットに印刷された始祖鳥の化石の写真にじっと見入っていた。
どうやらお気に召したらしい。
「ねえパパ」
ふいに顔を上げて遥香が言った。
「始祖鳥って、堕天使ルシファーみたいだね」
どうやらギュスターヴ・ドレによる『神曲地獄篇』の挿絵を連想したらしい。
家には、画集やイラスト入りの大判の本がふんだんあるので、それらの本を、彼女は熱心に閲覧していた。
わが娘ながら、なかなかいいセンスをしているなと森魚は思う。
親バカかなと自嘲した。
開場とともに列は動き出し、思ったより速やかに中に入ることは出来たけれど、中は中でやはりかなりの混雑だった。
森魚は列が動くたびに遥香を抱き上げて、展示品がよく見えるようにしてやった。
近頃はきわめて少なくなったスキンシップを、久し振りに取り戻したことは、予想外の収穫だった。
遥香は一点一点の展示品を喰い入るように見つめている。
その耳許で、森魚はプレートの解説を読んで聞かせる。
彼女が特に気に入ったのは、古代エジプトの猫のミイラだった。
「古代エジプトでは、猫は神様だったんだよ」
と説明してやると、
「猫神様だね」
と言って喜んだ。
また、珍しい女性の化石収集家メアリー・アニングの肖像画にも、深い感銘を受けたようだった。
将来、考古学者となり、世界中の遺跡の発掘に飛び回る娘の姿を想像して、それも悪くないと思った。
そうしてやっと本命の始祖鳥の化石に辿り着いた時には、入場から一時間以上は経過していた。
それは想像していたよりも、ずっとずっと小さなものだった。
子供の頃森魚は、始祖鳥を空の大怪獣ラドンほどの大きさで想像していたのだった。
実はそうではないことが解ったのは大人になってからだが、今でも彼の心の中の始祖鳥は大空に翼を広げる大怪鳥であり続けているのだった。
化石を収めたガラスケースの傍らの壁面では、化石から想定された始祖鳥がCGで再現され、大英自然史博物館の中を自由に飛び回る姿が映写されていた。
「始祖鳥、カッコイイ!」
と遥香が言った。
価値観の基本が「カワイイ」ではなく「カッコイイ」なのもきっと、父親に似たのだ。
共感しつつ並んで映像を観ていると、画面の奥の方を小さな人影がよぎったのが見えた。
黒いマントを纏った少年の姿だった。
その少年には見憶えがあった。
小学生の時、東北から転校して来た、風間鳥男だ。
彼は黒いマントに黒い鳥打ち帽といういでたちで教室に現れた。
その姿は、童話で読んだ風の又三郎を思い起こさせた。
風間鳥男は、学業は突出して優秀というほどではなかったが、運動神経は抜群で、特に走り高跳びは、まるで宙を舞うようだった。
そんな転校生に、森魚は強い関心を持ち、その言動に注目するようになった。
「知ってるかい?」
ある日彼はこう言った。
「恐竜は絶滅したんじゃなくて、鳥に進化したんだ。その証拠が始祖鳥さ」と。
その当時、恐竜は巨大隕石の落下による気候変動によって絶滅したというのが定説になっていた。それだけに、彼の説は強く印象に残った。
風間鳥男は、木枯らしとともにやって来て、春一番が吹く前に、またどこかへ転校して行ったのだった。
映像は繰り返し投影されたが、少年の姿は二度と確認することは出来なかった。
きっと彼は、始祖鳥の化身だったのに違いないと、森魚は思った。
その後も展示が続き、すべてを観おえて博物館を出た時には、すでに正午を過ぎていた。
遅い昼食を食べながら、娘が言った。
「パパ、始祖鳥に会えて良かったね」と。
それから数日後、森魚は遥香が居間のテーブルで熱心に絵を描いているのを発見した。
絵を描くのが好きなのも、デザイン専門学校で講師をしている父親ゆずりだ。
何を描いているのかのぞき込んで見ると、そこには黒い鳥打ち帽と黒マントの少年が描かれていた。
はだけたマントからは、大きな白い翼が伸びて、一瞬、羽ばたいたかに見えた。
「これは?」と父親が尋ねると、
「風間鳥男!」と娘が答えた。
了
始祖鳥はさまざまなロマンをかき立ててくれます。
もしかしたらあなたも、恐竜が進化した存在なのかも知れませんね。
それではまたお逢いしましょう。