マーレイ
「ということで、私は空けるから」
「ええ、分かりました。いつも通りに見ておきますわ」
「ええ」
四日。たったの四日。屋敷を留守にするだけだから。
そうやって自身に言い聞かせ、多めに屋敷を留守にすることをシスター達に伝えたオーラルは、月の綺麗な時間に空へと飛び立っていった。
「またね、オーラル! マーレイちゃんと良い子にして待ってるの!」
「ええ、また四日後に迎えに来るわ。シスター達のもとで可愛がってもらいなさいね」
愛しい少女と、そんな言葉を残して。
◇
しかし、オーラルの信頼は裏切られることとなる。
彼女は多めに伝えた期日よりも前、三日目の夜に帰還した。星空が美しい夜であった。
しかし、美しい空模様に反して彼女が戻るべき屋敷は跡形もなくなっていたのである。
いや、正確には焼け跡だけがそこに残されていたのみだ。
ガサリ。
なにか柔らかいものが潰れたような音が響く。
オーラルの手から滑り落ちた袋と、保存の魔法がかかった可愛らしいケーキの箱が出した音だ。
「……レード、マーマレード、いいえ、マーレイはどこ!?」
焼けた屋敷を茫然と見ながら、しかしポツリと己の愛し子の名前を口に出して正気に戻った彼女は、教会へと向かった。崩れたケーキになど、目もくれずに。
招かれなければ他者の施設に入れない彼女ではあるが、教会の窓に張り付き中を覗き込む。しかし、そこにもマーマレードの姿はない。
『裏切り』『契約違反』
その二つの単語がオーラルの脳裏に過ぎる。
しかし、悪魔と契約したうえで契約違反をした場合、彼女にもそれと分かるようになっているはずであった。だというのに、オーラルは出先で一度も契約違反をされたと感じなかったのである。それは彼女とシスター達が正式な契約をしている以上、ありえないことのはずだった。
翼を広げることもすっかり忘れ、手で真っ黒なドレスをたくし上げながら吸血鬼が走る。元が人間である彼女は、焦燥と混乱で自身が手にした吸血鬼としての能力を使用することを忘れてしまっている。それほどの動揺であった。
「どこ……? どこにいるの……? マーレイ、マーレイ!」
街中で囁く声がひとつ、ふたつと彼女の長い耳を素通りしていく。
「あの子、礼拝できなかったんだって」
「やっぱり……」
「吸血鬼になっていたのね」
「弱いうちに芽を摘まないと」
「直接の殺生は怖いから、屋敷ごと……」
「もうすぐ吸血鬼ハンターが来るから……あのかたも」
「ようやく、平穏が」
「長っかったなあ」
身勝手な噂話。的外れな予想。
彼女自身、街の人間に疎まれていたことを知っていた。しかし、そのうえで彼女はシスター達を信頼した。一年間、彼女が留守にしていてもマーマレードを守り通していた彼女達を、契約の範囲内では庇護するものだと信じていた。
オーラルは思い出していた。以前、教会に礼拝をしようとしたとき、マーマレードのヒールが折れて結局礼拝ができなかったことを。
(あのときに――!)
オーラルは後悔した。
あの出来事で、元々疑われていたマーマレードが、ますます疑われてしまったのだということに気がついて。そして、その出来事がきっかけで彼女が狙われたということを。後悔していた。
「でも、でも、吸血鬼ハンター……」
オーラルの体が震える。
彼女を吸血鬼へと変じた「吸血鬼カーミラ」もまた、ハンターに最期は殺し直されたのだ。彼女の親とも、恋人とも言えるカーミラがなす術もなく殺されていった。その「ハンター」が来ると言う。
争いを求めないオーラルは、吸血鬼にしては非力なほうである。ハンターなど来てしまえばひとたまりもない。彼女に戦いの心得なぞ、ありもしないのだから。
「でも、マーレイを。マーレイは見つけないと!」
そして、彼女は焼けてしまった屋敷に舞い戻る。
町民が「屋敷ごと」と言っていたことは分かっているのだ。焼け落ちてしまっているが、きっと中にいる。そう信じて。
吸血鬼はアンデッド……動く死体の一種である。
もし肉体と魂がその場に残っているのならば、もしかしたら本当に吸血鬼にして蘇生できるのではないかと彼女は思っていたからだ。そう、信じるしかなかったのである。
「そん、な……」
遺体はあっさりと見つかった。
マーマレードの遺体は、オーラルの焼け落ちたベッドの上に倒れていたのである。まるで助けを求めるようにボロボロに崩れ落ちた布団を握りしめ、真っ黒に焼け焦げたその姿。
見ていられないほどのその姿にオーラルが眉を寄せる。そして、自然と大粒な涙を零しながらその肢体に手を触れる。
彼女は抱きしめようと手を動かしたが、しかしそうしたら彼女の体もボロボロと崩れ落ちてしまうだろうことは明らかだ。そんなことはできないと、オーラルは首を振る。
「どう、して……?」
抜け殻となったマーマレード。
その付近のどこにも、彼女の心……魂らしきものは見当たらない。
「こ、これじゃあ……これじゃあマーレイにまた会えない……じゃないの!」
体と魂が揃っていなければ、吸血鬼にすることはできないのである。
「あの子はどこ……あの子は……」
もはや、オーラルにとって契約などどうでもいいことであった。
なにがどうしてシスター達が契約を掻い潜ったのか、そんな些末なことは、マーマレードの命に比べれば軽いものである。
しかし、気づいていた。マーマレードの命の保証は約束したが、彼女は『屋敷』の保証はしていない。気がつかなかったと言い訳をして屋敷ごとマーマレードを始末したのならば、確かに契約違反ではなかった。
小賢しい人間の思惑に見事にはまり、大切なものを失ったオーラルは声を揺らして後悔に打ち震える。
大事な大事なケーキも、マーマレードが生きてこそ必要なものだったのだから。
「ああ、私が、私が遠くのケーキなんて買いに行くって言ったから……だからマーレイが、マーレイが……どこに、どこにいるのマーレイ。お願い姿を見せてちょうだい……マーレイ。霊体でもいいの、マーレイ……」
ゆらりと立ち上がり、オーラルは彼女の体を持って外に出る。
彼女が驚くほどに軽く、軽く、そして薄いマーマレードの体を抱きながら……オーラルは翼を広げて夜空へ。
星空がまたたく美しい夜だ。
こんなにも美しい月夜は星が宝石のようにまたたき、明るく吸血鬼にとっての晴天も同然。しかし、そんな美しい夜に隣に過ごしたいと彼女が望んだ人間は、既にいなくなってしまっていた。
さらさらと、オーラルの腕の中で哀れな少女が崩れゆく。
まるで太陽の下で崩れ去る吸血鬼のように、月の下で灰となっていく少女。まるで自身とは真逆の少女だと、オーラルは目を伏せた。
風に揺れ、翼をはためかせ、月を眺めながら遊覧飛行をする吸血鬼。
その動きに合わせるように、風に乗って灰が散っていく。その姿は、まるで弔うような動きであった。
「マーレイ、マーレイ、必ず見つけてあげるわ。きっと、どこかにいるんでしょう? マーレイ。私がね、私が必ず見つけてあげるわ。だから待っていて……必ず、必ず、迎えに行くわ」
まるで子守唄のように呟きながら、壊れた吸血鬼はゆらゆらと飛行しながら……どこかへと、消えて行った。
◇
「ここは、どこ? 私ってなあに?」
ゆらゆらと、体を透けさせた少女が彷徨い歩く。
「んー」
少女の脳裏に焼き付いているのは一面の赤、赤、赤。
そして、真っ赤な血をごくごくと飲む誰かの姿。
――あれは大切な人だったたずだ。
なら、自分もあの人と同じようにすればいい?
わけもわからず、無意識のままに理性と記憶を食い潰された亡霊がふらふらと石造りの家に侵入する。
やがてその中から悲鳴が上がると、少女は口元を真っ赤に染めながらゆらゆらと体を揺らしてその家を後にした。
「おもい、だせないの」
寂しげな亡霊は今でもどこかで、記憶を求めて彷徨っている。
これにて完結。
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お読みいただき、ありがとうございました!
・モーラ
ブルガリアなどのヨーロッパ東南部に位置するバルカン半島の国々に存在するとされる夢魔。または悪霊。
吸血鬼に性質が似た悪霊であり、昼間は少女の姿。夜に眠っている人間の元へやってきては心臓から血液を吸い取り、胸を圧迫して殺してしまう。
モーラには変身能力があるため、侵入を防ぐことは不可能。
国によってモーラは、
「マーレ」「マーレイ」とも呼ばれる。
これがマーレイのモチーフ。