紅茶とマーマレード
フリルとレースがたっぷりのダブルベッド、豪奢な調度品に、大きな暖炉。ぬいぐるみが多数転がっている少女趣味なその部屋で、吸血鬼――オーラルは少女をベッドに腰掛けさせる。
可哀想に。少女は小鹿のように怯えて震え、忙しなく辺りを見回している。
しかし、それと同時にあまりに可愛らしい部屋に見惚れているようで、吸血鬼のオーラルに怯えながらも好奇心に勝てずにベッドの敷布団に手を当てた。
ふわふわで、彼女が腰掛けている部分が大きく沈み込んでおり、彼女が少し力を込めて手のひらを押せばぼよんっと心地の良い弾力が返ってくる。
明らかな高級さに目の前の吸血鬼から目を逸らし、現実逃避気味に少女はベッドや近くに転がっているぬいぐるみを手繰り寄せて抱きしめた。
「気に入ったのね、嬉しいわ!」
「ひうっ」
大袈裟に喜ぶオーラルに、少女は萎縮したように抱きしめたぬいぐるみに力を込める。
その様子に唇を尖らせてオーラルは「こんなに可愛い私を見て怯えるなんて、まったく臆病で、でも可愛らしい子ね」などとぼやいた。
自信満々に自身の容姿を可愛いと評するその姿に、ほんの少しだけ好奇心が動いたのだろう。少女はちらりとオーラルを見遣った。
黒くてフリルたっぷりのそのドレスに思わず見惚れたのだろう。少女はドレスを穴が開くほど見つめて順にオーラルの姿を眺める。
先程は近くで見えず、そして目を逸らして見ないようにしていた彼女の相貌を視界に収め、そして「ほう」とため息をついた。
シャンデリアの下に輝く金色の髪はまるで絹糸のように細く、ふんわりとしていてウェーブがかっている。真っ赤な瞳はまるでドールに宝石を嵌め込んだような美しさで、怯えていた少女もすっかりと彼女の虜になってしまう。
「ね、私は可愛いでしょう!」
「は、はい……えと、でも……あなた、怖いおばけなの」
「あららら?」
少女の言葉にがっくりと肩を落とし、オーラルは大袈裟に傷ついたような表情をした。
「お、おばけ! おばけですって! 私は吸血鬼よ? ヴァンパイアなのよ? そこらへんのおばけと一緒にされるだなんて傷ついちゃうわ!」
「あ、あの、ごめんなさいなの」
眉を下げてオーラルの機嫌を伺う少女に、オーラルはその場でショックと言わんばかりにくるくると身体を抱きしめながらターンをして、顔を覆い、それからその小さな身体を浮かせて、彼女に向かって勢いよく飛び込んだ。
「きゃあっ!」
「あーん、もう! 可愛い! 決めた! あなたは私のモノにするわ! 大丈夫よ、絶対に死なせないからね。それに、たっくさん着飾らせてあげるわ。どう? あなたもこんなドレスを着てみたいと思わないかしら?」
「いたっ……うう、でもドレス……可愛いドレスは憧れなの……」
ボロを纏って、少女は霞んだ金の髪を揺らす。好奇心と欲に負けてしまうのは、幼い故に仕方のないことだった。
折れた足は動かさないようにしているが、オーラルが飛び込んできたことで痛みを訴える。可哀想に、彼女が怪我をしていることを失念していたオーラルによって、せっかく動かさないようにしていた足の痛みが再熱してしまったのだろう。翡翠の瞳に涙を浮かべて少女は唇を震わせている。
「ああ、ごめんなさい。忘れていたわ」
言いながら彼女は起き上がると、テーブルの上にもう一つカップを取り出して紅茶を淹れ始める。
古い鼻歌を歌いながら飴色の美しい紅茶に、瓶から匙でひとすくい橙色のマーマレードを入れてかき混ぜる。温かい湯気と美味しそうな香りがふんわりと部屋の中に広がっていき、少女はその様子をただ見守る。
それからオーラルは匙を横に置き、その小さく白い指を口元に近づけると口を開けた。
赤いルージュで強調されたその唇から覗く、鋭い牙で「ガリッ」と傷一つない肌に一点の赤を刻む。
それからぽたりと一滴、せっかく淹れた紅茶の中に垂らしてひと混ぜ。そうしてできた紅茶を少女の元へ持ってやってきた。
「え、え? い、嫌なの」
さすがに血の入った紅茶を飲もうとは思えないようで、少女は静かに拒否をする。
「うーん、そう言うとは思っていたけれど」
オーラルは困ったように笑って、それから紅茶をその口に含んだ。
少女はそれでも嫌々と首を振る。毒味をしてもらっても絶対に飲まないという意思表情である。
しかし、これは毒味ではなかった。
紅茶を口に含んだままオーラルが少女に近づき、その隣に座る。そして彼女の後頭部と顎を手で触れると、くいっとその相貌を上を見るように傾かせた。
「んっ、んんんー!?」
少女が嫌がろうにも吸血鬼であるオーラルの力は強く、振り解くことはできない。そのまま妖しい笑みを浮かべたオーラルによって、少女はされるがままになるしかないのであった。
「ぷはっ、飲んだわね?」
強引な口移しをされた少女は目をとろませ、こくんと頷く。
しっかりとその喉が動いたのをオーラル自身も見ていたため、嘘でないことを確信した。それから、少女の唇から溢れ出た一筋の滴を再び近づいてぺろりと舐めとると、「うふふ」と笑う。
「ほら、もう痛くないでしょう?」
「え……? あれ? 痛くないの」
おかしな方向に少しばかり曲がっていた少女の足は、すっかりと元のように真っ直ぐとその形を保っていた。
「今のだけならあなたが吸血鬼になることもないわ。少し回復が早くなるだけね。あと少しすれば歩き回れるようにもなるわ。でも、その前に……」
オーラルが隣に座る少女の腰に手をかける。
「こっちも味見しなくちゃいけないわね。あなた、お名前は?」
「マーマレード……」
「あら、偶然ね。それじゃあ、マーレイ。私といいことしましょ?」
彼女の宝石のような瞳に囚われ、少女……マーレイは虜になってしまったように頷く。その翡翠色の瞳が向けられるのはただ一人。
こうして――小さな吸血鬼オーラルと、人間の少女マーマレードとの奇妙な関係が始まったのであった。