セレブの休日
◇◇◇北川涼のターン◇◇◇
誤解なきよう、ここで私と早川セレディーナとの出会について触れておきたい。あれは高校3年生の秋に起こった事件だった。
「ああ……遠慮なく珈琲を飲める日曜日って幸せ」
平日は男体化を防ぐために珈琲を摂生せねばならないのだけれど、日曜日だけは特別。同級生に会う予定がない限り、自室で缶コーヒー片手にまったり情報番組を見ていられるのだ。
『ゲストとして招かれた早川セレディーナはファッションイベントにも出演。今日はホテル○○で行われる晩餐会に出席する予定で……』
ほほぅ、同年代でも華やかな世界の子は忙しいもんですね〜。受験勉強を一休みして、部屋でのんびりできちゃう私って本当に幸せ。男になっても明日の朝までに紅茶を飲んでおけば余裕だし。
ところが念の為に3時過ぎに台所に行ってみると、残っていたはずの紅茶のティーバッグが空になっている。
「空箱になってんじゃん。なんでよ!?」
まあ犯人の目星はついている。これは曾婆ちゃんだな。
「ティーバッグ使っちゃったの、お婆ちゃんでしょ!?」
「近所の友達が遊びに来たから紅茶を出したんじゃ。緑茶のディーバッグなら残っとるぞ」
「もおっ!明日は学校なのに」
紅茶を飲まない限り私は女に戻れない。やむを得ず男の姿のまま、学校のジャージに着替えて自転車に跨った。
「うう。女物だからジャージがキツキツだわ」
近所のコンビニの駐車場で自転車を停める。店内でダージリン・ティーの入った箱を3つ手に取り、精算を終えて外に出た。すると地面から何やら呻き声が聞こえてくる。
「へ……ヘルプ……」
一瞬、駐車場の地縛霊さんでも現れたのかと思ったけど、よく見ると花柄ワンピースの金髪女がうつ伏せになって倒れていただけだった……。「大丈夫ですか」と声をかけたが返事が返ってこない。そのまま彼女の体を跨いで通り過ぎようとすると、上半身を起こして突っ込んでくる。
「待って!通りすぎるって日本の男は冷たすぎ!」
「冗談冗談」
「悪質な冗談よねっ」
これが私と早川セレディーナとの出会いだった。
手を取って体を起こすと、態度を急変させ人懐っこい笑顔で「サンキュー」と感謝してくる彼女。その真っ赤なルージュの似合う異国人風の顔立ちは、海外のモデルのように整っている。
「外人さんがなんでコンビニ前で倒れてんの」
「その偏見はノーノー。私、日本とアメリカの国籍持ってる早川セレディーナと申します」
「は……早川セレディーナ!?マジで?」
確かに来日したってニュースに流れてたけど……。まさかコンビニの駐車場で出会うことになるとは思わなかった。
「これには深い深ーい事情があるんだからっ!聞いてください、お兄さん」
セレディーナはヒールの折れた高級ブランドのパンプスを指差す。
「慣れない靴のせいで朝からずっと転びまくりなんです。しかも今さっきヒールが折れちゃったし」
「あー、この靴の状態のまま歩かないといけないやつだ」
彼女はブンブンと首を降る。
「それセレブ的に絶対に駄目なの!コンビニに靴って売ってません?」
「どうかなぁ……夏じゃないからサンダルもなさそうね」
「弱りました……。私ピンチかも」
「っていうか、なんでコンビニに来たの?」
子供の頃は日本で暮らしていたけど、アメリカ暮らしが長くなっていたセレディーナ。久々の来日で迷子になってしまったのだという。
「今日はボディーガード達を上手くまけたので1人で自由行動しちゃったんです。でも1人になったら5分で道が分からなくなっちゃった。ここは銀座ですか?それともデ○ズニーランド?」
片方は千葉県だし。この人の地理感覚はかなり怪しいな……。
「迷子なら警察行ったほうがいいわよ」
「私、超有名セレブなので警察に行ったらニュースになっちゃう。迷子のニュースはとても恥ずかしいっ」
全く面倒なセレブだわ。
しばし考えて「だったらママに電話すれば」と提案したのだが「自分の携帯はボディーガード達に預けてしまっている」と言う。「じゃあアタシがアンタの携帯に電話してあげる」と言うと「番号を記憶してない」と返されてしまった……。だめだこりゃ。海外旅行に出ていいタイプじゃないわよね。
「もう4時半。晩餐会までに戻らないといけないのに」
コンビニの時計を見て何やら焦っている様子。
「しょうーがないな。アンタのいたホテルはどこ?近くまで乗せてったげるから」
「大丈夫です。ホテルならここからそんな遠くないはず……。道さえ教えてもらえれば、靴を脱いで私1人で帰れます」
しかし場所を教えても、コヤツは明後日の方角に走り出す恐れがある。ホテルの名を聞きだして検索してみると確かにそんなに遠い場所ではなかった。
私は彼女の手を掴んでグイッと引く。暇だったし、なんか面白そうだったから。
「本当は2人乗りは駄目なんだけど、日米友好のためだから自転車に乗って」
「OH!送ってくれるの!?」
セレディーナを荷台に座らせてペダルを漕ぐ。何やら彼女は感動して叫びだした。
「アナタはとても積極的で親切なプレイボーイね!なんだかローマの休日みたいで楽しいっ!」
「大声で叫ぶのやめて……。自転車だし、めっちゃ恥ずかしいからっ」
道行く人たちにとっては、さぞかし迷惑な自転車だったと思う。道行く女子達からは通り過ぎ際に「変わったカップル」と言われてしまう羽目に……。実際は女同士なんだけど傍からみればカップルっぽい姿なのか。
「ちょっとピッタリ抱きつかないで。とっても運転しにくいんだって!」
「風が気持ちいいわっ!二人乗りサイコー」
彼氏ができたら二人乗りしてみたいという野望があったけど、まさか私が男になってペダルを漕ぐ方になってしまうとは……。でも私とは対照的にセレディーナは上機嫌。
「日本のジョー・ブラッドレーさん。アナタのお名前を教えて」
「んー。タイガーマスクです」
「イッツ・ファニー・ジョーク!でも上着に『北川』ってネーム入ってるから本当の名前は分かっちゃった」
「バレたか……」
ポンコツセレブのくせにジャージの刺繍を読むとは生意気な。
「そうそう。実は北川涼って名前なのさ」
「リョウ。なんてビューティフルな名前……」
早川セレディーナをホテル前に送り届けるのに10分もかからなかった。
「うわぁ……さすがセレブ。すっごい立派なホテルじゃん」
「ねえねえ、涼様も晩餐会に出ません?」
「ジャージの高校生が飛び入り参加できるほどルーズな晩餐会やってるの?」
「アナタは特別だから……」
何やらホテルの中が騒がしいと思っていたら、ロビーに警察官が集結しているみたい。誘拐事件を懸念したセレディーナの母親が、既に通報してしまっていたのだ。
「これは嫌な予感がする……。アタシは帰るから、ニュースにならないよう上手く説明しといて」
「涼様とならニュースになっても構わない」
「え?」
既にセレディーナの様子はおかしくなっている。私に抱きついたまま自転車から降りようとしないのだ。
「ちょっと……恍惚の表情を浮かべてないで、早く荷台から降りてよ」
「嫌っ!このまま降りたくないのっ」
「は……はぁ!?」
この女は私をトラブルに巻き込みたいのか。恩を仇で返すとはこのことか。
「おお、セレディーナさんが戻ってきたぞ。無事で良かった!」
ホテルの警備員からの通報を受け、大勢の人が玄関から出てきた。警察官にマスコミ関係者に民間SP達……様々な大人たちに私達は囲まれてしまう。男になる体質になって以降、ひっそり生きてきたというのに。どうしてこんなに注目される羽目になっちゃったのかしら。
「自分は迷子の彼女を送っただけなんで。もう帰りますから!それじゃ」
もちろんこの場から私だけフェードアウトしようとしても見過ごしてもらえるわけがない。新聞記者の1人が私達に質問しはじめる。
「セレディーナさんは手足にも擦り傷を負っているようですね。行方不明だった間に、一体何があったのですか?」
事件っぽく表現してるけど、コイツが自分で転んだだけですから!
「ちょっとセレディーナ。パンプスが合わなくて転んだって、ちゃんと説明しなさいよ」
「うん……。皆に説明する」
荷台の彼女は目を閉じて深呼吸する。そして大声で叫んだ。
「ごめんなさいママッ。私は涼様と結婚したいのっ!」
「はぁ!?」
意味のわからないことを絶叫した後、荷台から降りてセレディーナは皆に頭を下げる。
「ご心配をかけました皆様。もう私は大丈夫です。人生の迷子から立ち直りました」
いやいや。誰が上手いこと言えと。
「そして涼様は私と一緒に部屋に来て。勇気を出してママにボーイフレンドとして紹介するから」
「アンタ、アタシの言うことをちゃんと聞いてた!?」
「うん」
不意に顔を近づけてきたと思ったら、セレディーナは公衆の面前で私の頬にキスをした。あまりにも支離滅裂な行動過ぎて唖然とさせられた。
「ば……ばかっ。ぶっ飛ばされたいのかアンタは!」
「もう大好きなの!涼様と絶対に離れたくない。私と一緒にアメリカに来てステディになって!」
有無を言わさずに全力で抱きつくセレディーナ。私は必死にコイツを引き離しながら、関係各位に向かって必死に釈明する。
「自分はただの通りすがりの者なんで誤解しないでくださいね!セレディーナのお母さんにも伝えといてください。私は全く関係ないと!」
しかし容赦なく、パシャパシャとカメラのフラッシュが瞬く。
「完全なる誤解だから撮らないでっての!ねえ聞いてんの!?」
「涼様〜!メディアに怒ってる姿も最高にクール!」
幸いというべきか。私が無名の未成年であろうことが考慮されて、日本の雑誌では私の顔にモザイクがかけられることになる。しかしアメリカ本国では『早川セレディーナ、日本で熱愛発覚!濃厚密着の現場を押さえた』などとして、抱きつき写真がそのまま記事になってしまっていたという……。