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軍艦乗りの献立表─海軍主計科こぼれ噺─  作者: しゅんらん
第一週「カレーライス」
3/54

(3)当時は土曜日まで平日だった

 それに睦郎にはメンツのこともあるのだろう。先に本人が述べた通り、彼は「古鷹」の幹部の中で一番若い。

 その上、睦郎は主計科将校。海軍ではどうしても、本チャン(※海軍兵学校)出身者以外は軽視されがちなのだ。

 睦郎にだって、倍率六十倍前後を誇る海軍経理学校卒の主計科将校としての意地がある。そこに元来の負けん気の強さも加わって妙な化学反応を起こし、このような事態に陥ってしまったのだろう。


「確かに大変そうですね」

「せやろ?」

「それで、使える食材は何が残っているので」


 とにもかくにもまずは献立の事だ。これを解決しなければ、何も始まらない。


「えーっと…………鯖?」

「鯖……」


 冷凍されていたものから既に使う分を差し引いたものを思い浮かべ、真っ先に出てきたのが鯖だったようだ。


(鯖、ですか)


 冬の味覚。今が旬の青魚。秋から冬にかけてたっぷりと脂を乗せて泳ぎ回る、冬魚の代表格。

 冷凍ものなら味が落ちるだろうが、それでも旨いことには違いないだろう。


 三枚に卸して切り身にした鯖を、鍋にたっぷり入れた醤油と味醂で煮てしまおうか。いいや、煮魚はやはり赤身魚の方が良い。

 竜田揚げはどうだろうか。カラッと揚げられて、パリパリの衣を歯で噛みきればふっくら熱々の身。胡麻油の香ばしさが口一杯に広がる。

 天婦羅より衣が固いおかげか、脂がぎゅっと濃縮され、味付けとして浸されていた醤油がそれを引き立てながらくどさを中和していく。鯖を揚げるなら、やはり胡麻油でパリッと竜田揚げだ。


「鯖あるけど煮魚と茶碗蒸しがあるからなぁ……魚料理が続くとちょっと……」


 と、思いきや、定番の魚料理は前後で出すことが決まってしまっているようだ。残念。


(煮魚も茶碗蒸しも日本食……となれば、西洋食か中華にすれば……)


 それでも似たり寄ったりになってしまうだろう。煮る、焼くではダメだ。魚を全面的に押し出してしまうと「また魚か」と士気を下げる要因になりかねない。


 魚を主張させず、なおかつ存在感を残す。そして鯖では中々見ない珍しい使い方をした上で、新しい調理法を一切使わず既存のレシピを多少改造すること。当然ながら提供する相手のことを考えて、受け入れやすい一品を作る。


 これだけの条件を満たすレシピなど、これしかない。赤岡は自身がたどり着いた答えを口に出した。


「ではカレーはどうです」

「えっ」

「鯖を使用したフィッシュカレーはいかがでしょうか」


 フィッシュカレー。魚とカレー。意外な組み合わせだろう。睦郎はきょとんと目を瞬かせていた。


「いや……確かに、カレーは献立に入っとらへんけど……なんでまでカレー?」

「ええ、なに。弟子から変な噂を聞いたものでね。最近、娑婆では『海軍は曜日感覚を失わないため金曜日には必ずカレーが出てくる』なんていう噂がまことしやかに囁かれているそうですよ」

「は? 金曜日はカレー?」


 金曜日はカレー。

 赤岡からそれを聞いた睦郎が変な顔をした。鳩が豆鉄砲を喰らったような……という比喩表現ができそうな顔だ。

 やがて赤岡の発言が飲み込めたのか、睦郎は真に遺憾なりと言ったような表情をした。そして、憮然となりながら文句を口にする。


「誰やぁ、そんな変な噂広めたんは。海軍じゃ金曜がカレーの日なんて初耳や。聞いたことも無いで」


 ──海軍は金曜日にカレーを食べる。


 当世では非常に有名な話だろう。しかし、実のところこれは戦後に生まれた伝説の一種なのである。

 現在の海上自衛隊では金曜日に必ずカレーを食べているそうだが、これは旧海軍から続く伝統ではなく戦後になってから始まったこと。それがいつの間にか独り歩きして、最終的にこのような伝説と化してしまったらしい。

 実際に睦郎が海経を卒業してこの艦に配属されるまで、金曜日の昼がカレーだったことなど数える程度しかなかった。しかも一週間の献立の中に必ずしもカレーが入っているわけでは無く、あったとしても思い出せるのは木曜日の昼がカレーだったとか、そんなものだ。


「海軍で金曜日と言ったら洗濯の日なんですがねぇ。本当に、どこからこんな話が出たのやら」

「せやせや。それになんで金曜日にカレーを食うねん。午後イチねむなるやろ」

「さあ。夕飯ならこの後すぐ寝るので良いと思っているのでは?」

「いや、昼間の話やん」


 控え目な突っ込みが入った。カレーを食べると午後から眠くなるのは気のせいだろうか。いいや、気のせいではあるまい。

 兵学校で昼食にカレーを出されて、午後一番の授業で眠気を堪えるのが大変だった。そんな話を砲術科の若手士官が出していたことを士官食堂で聞いたことがあるので、おそらくは誰もが通った道なのだろう。


「まったく……変な風習を妄想せんでほしいわ」


 海軍というものは、まず陸の上では希少価値が高い。それに加えて軍服のカッコ良さも相まってか、海軍士官というにはとにかくモテた。しかも海軍は外国での任務もあるため、自然とスマートで洗練された振る舞いを要求されるというもの。そのため、ユーモアのある紳士的な性格の者が多い。髪も、丸刈りは海外で印象が悪いためにある程度伸ばしている者だっている。まあ、何事にも例外というものはあるのだが。


 あまり見かけない。つまり、一般市民との接点があまり無い。


 一応ここに記載しておくが、昭和五年当時は度重なる軍縮と大正期から続く自由主義・民主主義的な風潮などによって、軍人というものはとにかく肩身が狭かった時代だ。町を歩いているだけですれ違いざまに市民から罵倒された、なんて話もざらにある。

 特に陸軍は町中で普通に見かけるためか、良くも悪くも近所付き合いは長い。彼らは市民から親しまれる反面、嫌われ者でもあった。


 だが海軍は、先に述べた通りに鎮守府のある街でない限り、とにかく陸上で見かけるのが稀だ。そしてあまり見かけないので、必然的に悪い噂もあまり聞かない。

 そのあたりは海軍で士官となった者にとっての幸運だっただろう。


 だがその反面、変な噂が蔓延ってもそれを訂正する存在もいないのだ。そのため、噂話が人から人へ伝わっていく際に変形し続け……最終的に元の話とは大きくかけはなれたトンチキな話となって帰ってくる。


「それについての考察は追々やっていくとして、今はカレーのことです。鯖の味噌煮の作り方は知っているでしょう? 覚えていないなんて言わせませんから。昔、散々アナタに食べさせられましたのでね」

「ま、まあ……そりゃ、あんたが……」

「鯖の切り身を湯通しした後、野菜類と共に水が沸騰するまで茹でて……その後、味噌では無くてカレー粉と麦粉を入れてみればいかがでしょうか。私よりアナタの方が料理に関しては詳しいので、提案だけに留めておきますが」


 鯖の味噌煮をベースに、途中からカレーを作るレシピに変える。これなら既存のレシピの組み合わせなので主計兵たちに新しいことを覚えさせる必要は無いし、カレーは海軍を代表する料理なので乗組員は何度も食べたことがある馴染みの料理。だが、肉の代わりに脂がたっぷり乗った旬の鯖を使ったフィッシュカレーは中々目新しいものであろう。


「うん……まあ、できることはできそうやねんけど……臭みが残らんかなぁ……」

「それについては、アナタの得意分野だと思うのですがね。アナタのことですから、どうせスパイスから調合して作るのでしょう?」

「うん……まあ、士官用はな。ちょっと凝るで……そんなに人数おらんし」

「でしたら、レシピを少し変えてスパイスに生姜を追加。さらに青唐辛子を入れて辛めの味付けにするのも良いでしょう。元々」


 基本的に怠け者でずぼら。だが、妙なところで凝り性。

 それが鷹山睦郎という男だ。

 赤岡の言葉は、彼の研究心に火を付けたらしい。


「よっしゃ、じゃあ一丁やったろか。不肖、鷹山。誉れ高き重巡「古鷹」主計長として、これからの精進していきまっせ」

「その意気です。頑張ってくださいね」


 ぎゅっと拳を握って高らかに宣言する睦郎から書類をそっと救出してやる。赤岡は空欄となっていた金曜日の昼食に「カレー」の文字をさらりと記入して、やれやれと溜め息を吐いた。


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