《束縛》9
いつの間にか見ていたはずの景色を消え失せていて、目の前に映るのは真っ白な光に包まれた世界。そこには幾つもの鎖が森の木々が生えそろうように存在し、綱光の周囲を囲っていた。
ここはどこだ、と疑問と共に、この鎖はなんだ? と近くにあった鎖を一本に興味本位に手を伸ばして触れてみる。
瞬間、鎖からテープレコーダーが流れるかのように過去の映像が映し出されてくる。映し出されるそれは身に覚えのある光景だということに気づいて、綱光は悟った。
これは走馬燈だ、と。
走馬燈、死ぬ直前に見るものだと世間で言われているが自分も死ぬのか、と疑問に抱いた綱光だったがその思考もすぐに止まった。
疲れたのだ、何もかもに。
目回苦しいほどに興奮状態だったここ二日間。劣等者となっていつもの自分とは思えないほどの理性に歯止めが利かず、暴れるだけ暴れ回って、物を壊して、八つ当たりして、誰かに嫉妬して、とまるで駄々をこねる子供のようなことをずっとしていた。―――被害的には子供が暴れたでは済まされないが。
普段から大人しい綱光では考えられないほどの悪い意味でのアグレッシブさが今になって身体にきたというべきか。
だが、疲れたというのは肉体的疲労だけではないだろう。
ぼんやりとした頭で特に何かを考えることはせずに、次々と適当に鎖に触れては静かにそれを眺めていた。
何か見たかった訳でも、昔のことで知りたかった訳でもなかったが、今まで勉強付けの生活において空っぽに近い人生を送ってきた自分は一体何が思い残しているのか、と少し気になった、と言えば嘘でもなかったが、どちらかというと暇つぶしに近いものだったのかもしれない。
触れていった鎖の数々が映し出したのはつい最近起こったことから過去の出来事だった。それらをざっと目に通す。
シロノスと戦って負けた。巳虎兎を人質に取ったこと。シロノスと出会ったこと。帽子の男に出会って劣等者になったこと………。
ざっとこの二日間の出来事を改めて眺めてみて、客観視した綱光は思った。
何やってんだ、オレは。と。
羞恥心と呆れ、何とも言えない想いが自分の中で悶えてくる。若気の至りというか、暴走として思春期を拗らせているヤツにしか見えない、と恥ずかしい思いを募らせながら、自虐じみた乾いた笑みを浮かべては自分を誤魔化した。
けれど、そんな羞恥の一瞬だった。次に触れた鎖から映し出されたのはトラウマの数々が。
塾講師に怪我を負わせた。母親を縛り上げた。母親と生まれて初めて喧嘩した。母親の浮気を知った。母親が手を上げた。母親が怒鳴り散らした。母親が怒った。そして、父親が事故に遭い、家族が壊れた。
地獄だった。母親が怖かった。声が荒げることに、手を上げることに、感情的になることに、何より母親自身が壊れていくような気がして怖くて怖くてたまらなかった。
自分にできたことは、母親の期待を裏切らないようにひたすら机に噛り付くことだけだった。周囲に目をくれずに、目の前にある問題だけをひたすら解いて解いて、解きまくった。いい大学に行くために、いい会社に就職するために、母親が心の底から自慢できる最高の息子になるために、努力を続けてきた。
(それも全部無駄だったのかもな)
だがそれも結局母親を繋ぎ止めることはできなかった。
シングルマザーである辛さから逃げるため、娯楽や快楽といったものに手に染め始める母親を、それを見て見ぬふりをして暗黙の了解としていた。母さんには心を保つために、癒すためにも、何かしらの拠り所は必要なんだと廃れた心の中で頷いていた。
本当にそれが必要だったのはどっちだったのかは別にして。
大抵のことならば我慢して、見過ごすことはできていたはずなのに、ある一つのことだけはどうしても許せなかった。塾講師との不倫だけは。
(『父さんは絶対に生きている』って『それまでは二人で頑張ろう』か……。聞いて呆れるよ)
綱光の一番の心の柱だったのは、幼き日に母が涙ながら語ったその言葉だった。父は生きている、と言葉がいつまでも耳に残り、二人で頑張ろう、と胸に深く刻んだ。
何があっても大丈夫だと、母がどれだけ怒り狂おうが、遊びに手を伸ばそうが、根本的な部分だけは絶対に曲がっていない。無くなってなどいない。と信じていたのだ。
はあー、全身から吐き出したかのような大きく息を吐き出した。
もう、……何もかもがどうでもいい。
鎖の森の真っ白だった世界が途端に底なし泥沼の中に沈んでいく。白は消え去り、黒に塗りつぶされて、周囲にあった鎖は自分を縛り付けては地へと引っ張り込んでいく。
景色は真っ暗で身体は重く息が詰まる。縛られる感覚に痛みはない。身体が寒いというよりも冷たくなっていく。
でも、どこか心地よさを覚え始めた。
静かで、冷たくて、母親がいないから勉強で自分を追い詰めることも、見ないふりしてざわつかせることも、悩まずに済むのだから。
何もかも投げ捨てて、考えることを放棄して、逃避の道へと身を投げることにした綱光は深淵で永遠に眠りへつこうする。
目を閉じた、見て見ぬふりをしていた問題を二度と見ないために。
耳を封じた、ずっと耳に残っていた母の言葉忘れるために。
心を閉ざした、心にあったいつか叶うと信じた儚い希望を捨てて。
……………………………。
―――あなたは、本当にそれでいいの?
何処からともなく声が聞こえた。聞き覚えのある少女の声だ。
自分しかいないはずの鎖で縛られた暗闇の世界に一筋の光が差し込まれる。確かな光を感じて閉じた瞳を開くと優しく温かな白い光が存在した。
―――ちゃんと、話したの?
聞き覚えのある誰かが問うた。知らない誰かが。心の中で投げやりに綱光は答えた。
(話したって意味がない)
―――どうして?
驚いたことに心の中で答えたはずが光はちゃんと聞き取ったのか、質問を重ねてくる。少し戸惑いつつも返した。
(……話にならないからだ)
―――話してもいないのに?
(話さなくたって分かる)
―――どうしてそんなことを分かるの?
鬱陶しいと思いながら綱光は答えて無理矢理やめようとしたが光の声はそれでも食い下がってきて苛立ち、
(……母さんが俺の話に耳を傾けるはずがないからだよ!)
黙れ、と怒鳴りつけるように光へと返す。すると、ある鎖が綱光へと伸びて走馬燈を見せてくる。それはつい先日初めて喧嘩した時の光景だ。
互いに罵詈雑言、なじり合い、言いたい放題に声を上げて母の方はビンタや近くにある小物を投げるほど凶暴さのヒステリックぶり。綱光も負け時に言い返し続けた。
(……なんだよ、こんなもん)
舌打ちをし、眉を歪める。心を閉ざそうとしていたはずの綱光に不愉快との感情が浮かび上がってきた。
(言いたいことはちゃんと言える奴だとか言いたいのかよ、こんなもんは話し合いじゃあねえ、ただ不満をぶつけているだけだ! それとも何か? 不満も本音の内ってそう言いたいのか、シロノス!!)
怒りと嘲笑を含んだ叫びで声の主の名前へと問う。
―――別にあたしが見せた訳じゃあないわよ。そんなことあたしにはできないもの。
白い光は自身がシロノスであることは否定せずに綱光に返した。
(なら、オレが見たくてこんなものを見たっていいたいのか! ふざけるな、オレは母さんと話せる、と話せば何とかなったって。心の中でそう思っていたって!!)
なかったと言えば嘘である。綱光がいつも思っていたことだ。
母親にちゃんと話せていればもしかしたら、と。オレにも息抜きする時間をくれ、俺も頑張っているからそんなに責めないでくれ、と言えて、それを聞いた母親が驚いた顔を見せては少し考えてから「いいわよ」の一言がどれだけ欲しかったか。
けどそんなものは都合の良い妄想で、現実は貰える言葉「甘ったれるな!」激怒の声。
欲しい言葉が貰える期待と真反対にやってくる絶望。内心の葛藤がどれだけ苦しめたことか。
「無理なんだよ、母さんはもう訳わかんなくなってて。オレをちゃんと見てくれない! 勉強する道具かなにかだと思っている、母さんにとってオレはもう息子で何でもない! 昔の約束なんてどうでもいいんだ!」
閉じた口を開けて声に上げた。目からは涙が零れ落ちて、感情は不安定で大きく揺れ動く。
苦しい、苦しい、苦しい。
今、自分で吐いた言葉が自分を傷つける。
(分かっていたことなのに、何度も自覚していたことなのに! ……なんで実際に口にすると、どうしてこんなにも悲しい気持ちになるんだ)
人間は不思議な生き物だ。頭で理解していても心は別に機能する。頭の中でいくら理屈や意味を理解できても、心に触れると途端に意味を無くしてしまう。失恋や死去、悪い知らせといったものはいい例だ。
張り裂けそうな胸を抱える綱光の身体に、心の揺れに同調するように鎖が縛り上げていく。その身を鎖の劣等者へと姿を変える。
《束縛》の名を宿すその劣等者。その縛り上げた鎖は自分の心を護るための鎧だった。不安定に揺れ動く心を止める、鎮める、落ち着かせるための《束縛》。
自分の心を傷つけないように。
―――話せないなら手紙で伝えたらどうかしら? 道具は手紙を書けないわ。
「……は?」
突然のシロノスの一言に意味が分からず綱光は素の言葉が漏れてしまう。
一体何を言い出すんだこいつは、と目を丸くする。
―――あなたはおかあさんと仲直りしたいけど、素直に話せないんでしょ。けど思っていることを伝えたいなら手紙で伝えるといいわよ。
「………………」
頭痛を覚えた。一体コイツは何を聞いていた? ちゃんとオレの過去を見ていたのか? 問題点はそこではないだろう、と頭を抱えた。
シロノスへと言い返そうと口を開こうとするがその前に先に口を開かれた。
―――あなたはおかあさんが大好きなのね。
「なっ!」
予想外の一言に面食らって言葉を詰まらせてしまう。違う、と否定しようも動揺して舌がもつれて「ち、ち、ちががっ!」と慌てふためいている。
―――いつかとごろうはいつもケンカしているの?
そんな情けない姿を晒している綱光のことなど気にせずにシロノスは続けて言葉を紡いだ。脈略なく知らない名前を出されて、誰だと? 疑問に思う。そのおかげで綱光は少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
―――あたしはね、ケンカをやったことないの。だって、ケンカするよりも一緒に楽しんだ方がいいもの。
というかケンカってどうやるものなのかしら? あなたは知っている? とシロノスにとって何気ない疑問を投げてかけてくる、けれど綱光は舌打ちするかのようにして震える声で「しらねえよ…」と呟く。
シロノスは、そう、とだけ頷いた。
―――でも、いつかとごろうはいっつもケンカしてね。今日もぎょうざとかつの味がどうのってケンカしていたの。困ったものね。
もし、ここに逸夏がいたならば間違いなく突っ込み案件だった。話はそれじゃあねえ、元はお前が原因だ、と小言が飛んでくること間違いなかった。残念ながら逸夏はいないので、気にせずシロノスは続けた。
―――けど、ゆきのは言ったの。「喧嘩するほど仲が良い」って。ケンカって互いのことをよく分かっているからできるそうよ。
「………………………」
目を瞑った。鎖から連想されてくる記録ではなく、綱光自身が刻んできた記憶を―――客観視してきた映像ではなく、自身が見て体験した景色を―――思い出して。
「だからオレも母さんと仲が良いから喧嘩した、って言いたいのか」
―――そうよ。そう言っているじゃあない。あなたはおかあさんと仲が良いからケンカしたんでしょ。
間を置かず即答で返される。
劣等者の姿になっていた肉体の変化が解けて、元の綱光としての人間の姿へと変わる。
自問自答した。オレと母さんは仲が良いかどうか。もっと深く突っ込むならば母さんを好きであるかどうか、愛しているかどうかを。
散々自由を奪っては縛り上げ、声を荒げて時に暴力を振るってきた母親に。恐怖であり信条であり、誓いであり、そして自身の呪縛の存在に。
「………笑っていたんだ」
頭の中に浮かんできたイメージのまま、ぽっと出てきたそんな言葉。
笑っていた。
「……子供の頃、まだ父さんもいた。オレと母さんと父さん、三人にいた時、母さんは笑ってくれていたんだ」
幼き日の思い出。綱光の人生で一番幸せだといえた時期の事。
小学校に上がるだいぶ前だったか、早めに字を覚えようと父親が買ってきてくれたドリル。母親は『まだ早いんじゃあないの』と心配性な顔をして言うのに、幼かった綱光はムキになって『できるよ!』とすぐにドリルに取り掛かった。
問題などない、ただ字をなぞるだけの子供用のドリル。鉛筆も慣れているクレヨンとは違い細長いせいで持ち方も少し変な持ち方で上手く持てない。
隣で嬉しそうな声で優しく教えてくれる父親の言葉に対して、自分でできると反発する。けど、当時の綱光の扱いが上手かった父親は上手く煽り、先導して最終的に二人でドリルに取り組んだ。それを隣で見守る母親。
ありふれた家族の日常の形がそこにあったのだ。
「オレが……初めて、字を書いて。父さんと母さんが二人して笑って褒めてくれたんだ……」
書き上げた字は子供らしい拙く汚い字。今の達筆な字を書く綱光とは当然かけ離れており、お世辞にうまいと言える代物ではなかった。けれど、両親は喜んでくれた。
すごいぞ! よく頑張ったな、と自分のことのように褒めてくれた。暖かい笑顔でいた。
「たったそれだけが………嬉しかったんだ」
真っ暗な空を仰ぎ、熱い涙を零しながら震える声で言う綱光。
嬉しかった。もっと二人に喜んで欲しい。もっと褒めて欲しい。子供ながらの一心で励んだ。
それが。
「オレはずっとあの時の笑顔をもう一度見たいって、……ずっと…………頑張ってきたんだ」
父親の行方不明。崩れる家庭。壊れていく母。どうしていいのか分からない幼き日の自分。
母が自分を抱きしめて呟く、希望の言葉であり呪縛の言葉。幼かった綱光はその道しかないと信じるしかなかったのだ。そうじゃなくとも彼はその道を進んだであろう。母の笑顔を取り戻すには。
けれど、母親は笑顔を取り戻すどころか、ますます眉間に皺を寄せて、何かに追い詰められているように苦しそうに悲しそうに堕ちてしまいそうな顔をするのだ。
綱光はどうすればいいのか分からなかった。勉強できれば笑顔になってくれるはず、いい成績になれば笑顔になってくれるはず、いい学校に入れば、いい会社に務めれば、自分の自由が無くして全てを費やせば―――
―――笑顔にすることができる。
ああ………。
「父さん、………母さんをどうすれば笑顔にできるの?」
ここにはいない。ここではない現実にもいるかどうか、生死が分からない。もはや死んでいると否定していたはずの想いが思い始めている、大切な人に訊ねた。
答えは返ってこない。
呼吸が上手くできない。目が涙で景色が上手くとらえられない。身体がふらつく、まともに立っていることすらできずその場でうずくまる。
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。
胸が、心が壊れる。
手遅れになる前に自分自身で閉じていたのに、想像以上に……。
こんなに苦しいというなら、こんなにも望んだ現実に辿り着けないというなら、ああ、もういっそうのこと、この世に産まれたくなんか……。
―――あなたが笑顔になるにはどうしたらいいの?
「……え?」
失望と絶望に浸り、壊れかけた綱光に掛けられた疑問に顔を上げる。
言葉の真意が分からなかったからではない。むしろ、何を言われたんだ、という聞き返す意味での反射的に漏らしたもの。
顔を上げると、白い温かな光は眩しく輝きを放ってそこからある姿が出現する。
白い髪と白い肌。バンドマンのようなパンクの利いた古着の恰好をした少女ことなごみだった。
いつもの真っ白な笑顔のままなごみは真剣に訊ねてくる。
「あなたはおかあさんおかあさんって、おかあさんを笑顔にしたいのはよくわかったわ。でも肝心のあなたは? あなたはどうした笑顔になれるの?」
「……………」
綱光は本気で意味がよく分からなかった。肉体と精神の疲労や絶望感で心が壊れてしまいそうな状態だからまともに頭が働いていないからではない。
本気でなごみの言葉の意味が理解できない。
なんでオレまで笑わなくちゃあならない? オレは母さんが笑ってくれればそれで……。
綱光が心の中で自身を蔑ろなことを考えていると、察したなごみは鋭く突っ込んでくる。
「だめよ。あなたも笑わなくちゃあ、今度はおかあさんがあなたを心配するわ。笑顔にしたいのに笑顔がなくなるわ」
言葉を詰まらせて、少しだけ考える。
母さんがオレが笑わないだけで心配するだろうか?
そんな疑問を抱いたが構わずなごみは言う。
「それにあなた、ずっとお母さんのことだけじゃない。それじゃあ駄目よ。あなたはあなたなんだから自分のことも考えないと。いつかが言っていたわ『人のために動ける人は自分のことを考えない人、それだけで満足する。それだけじゃあ損するだけ。自分も得することを考えないと、いつか疲れてどうでもよくなる』って。あなたもそうじゃあない」
「!」
胸に言葉が刺さった。まさに今、それが体現されている状態だった。母親のためと頑張って、訳が分からなくなって、そして全てがどうでもいいと投げ捨てようとしていた。
「だめよ、そんなの。もったいないわ。せっかくあなたにはなわとびの才能があるんだから、もっといっぱい練習してみんなと遊びましょうよ。あ、そうだわ。あなたのおかあさんにもあなたのなわとびをみせましょうよ、きっと驚くわよ」
「だから縄跳びは関係ない」
何故かいつまでも綱光のことを縄跳び職人と勘違いし続けるなごみに、綱光は誰か鎖ではなく、ちゃんとした縄跳びを教えて欲しい、と切に願う。
それに母親になごみが言う縄跳びを見せるなど、もう既に最悪の形で見せている状態であるし驚くを通り越している恐怖を植え付けている。もう一度見せたりしたら仲が修復するどころか関係にとどめを刺してしまいかねない。
綱光は「母さんに見せることなんてできるか」となごみの提案を却下した。首を傾げて
「そう? あたしあなたのなわとび楽しかったし、すごいと思ったけど」と悪気が一切ない一言にイラっとした。
人が生まれて初めてブチ切れて暴れ、絶体絶命の部分まで追い詰めたというのになごみの認識ではお遊び程度だったと言われたのだ、腹が立つのは分かる。
けれど綱光は「それはお前だけだ」と皮肉を言うだけで事を済ました。数分前の綱光には考えらない対応だ。シロノスとの戦いを望んで、なごみを言う事を全て挑発か何かと受け取る喧嘩腰の姿勢だったというのに、怒りは沸いても理性で制することができている。
それだけ彼は本来の自身を取り戻すことができているとみるべきか、それともここまでの経験で成長し始めているとみるべきか、それは分からない。
だけど、先ほどのまでの絶望の色は消え失せていた。
「でも、あなたはあなたのやりたいことやしたいことを見つけるといいわよ。おかあさんを大切にするのも大切だけど、あなた自身が幸せにならないと意味がないもの」
「オレ自身が………幸せになること、か」
思えば最初、自分は母親を縛り上げたことで自分は開放された、と、自由を手に入れた、とそんなことで心を高鳴らせていた。遊び回れる、自分のしたいようにできる、好きなようことができる。
しかし、実際に自由になったところで本当にやりたいことなどないと気づいて、絶望した。
今思えばシロノスを倒したい、とあれだけ執着していたのは打倒という目標ができたからではないか。仮初とはいえ自分がしたいと思えるようなことができたからではないか。
まるで鳥の刷り込み、だなと綱光は思う。
「あたしもね。探しているの、自分を」
「自分を?」
「シロクロの人が言ってくれたわ。『お前は今生きている。時間は短いけどお前自身を見つけるには十分な時間だ。色々なことを知って、色々なヤツと出会って、お前という人間ができるには十分な時間があるんだ。お前はお前になれる』ってそういってくれたの。よく分からないけど、よく分かったわ。心に響いたもの。とりあえずあたしはまだ本当のあたしを知らないらしいからあたしを探すことにしたの」
なごみは想い馳せるどこか遠くを見るような眼で、けれどその瞳は真っ白に輝いていて、希望に満ち溢れていたキラキラしていた。綱光には眩し過ぎるほどの力強さに思わず目を逸らしてしまう。
なごみは回り込むようにして綱光と瞳を合わせて、ニコッと微笑む。
「あなたもあなたになれるわ。あなたが本気でやりたいと思えることを見つけて、頑張るあなたに」
「あ………ああ…………!!!」
目から零れる涙。今日だけで何度も何度も零れそうになった涙、これまで我慢して耐えてきたものが神経がすり減り続けてとうとう耐え切れずに零れてきたものだった。だけど、同時に今流しているものは違うだろう、と綱光は思った。上手く言えなかったが、それでもこの涙の意味は何かが違う。
心が感じたのは震える鼓動を優しく包んでくれる温かい感覚。綱光はこの感覚を知っている。覚えている。
それは昔、父親と母親と自分の三人が笑った時に感じたもの。
長らく忘れていて、それでも求め続けていたあの懐かしい感覚。
自分のことをちゃんと向き合って見て貰えている。
ああ、もしできることならば……叶う事ならば。
―――母さん、ちゃんとオレを見てください。オレもちゃんとあなたと向き合いたいです。あなたと笑いたいです。