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シロノス~真っ白な絵本~  作者: 夜ノ雨
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《束縛》4

「朝ね! 今日も楽しい日が来たわ、おはよう!!」


 目を覚ますと同時にとても寝起きのテンションとは思えない、朝っぱらから元気ハツラツといった声を上げながら布団から起き上がってくる、真っ白な少女ことなごみ。


 そのまま寝巻から普段着に着替えるのも一瞬のこと。バッと、服を全部脱いだと思ったら次の瞬間には真っ白な肌に身を包んでいたのは無邪気な子供らしさを感じさせる童顔の彼女には少し不釣り合いな、いや、ギャップを利かせるバンドマンを連想させるようなパンクの利いた恰好に早変わりしていた。


 与えられていた自室から飛び出して、ドタバタとせわしなく廊下を駆け階段を滑り落ちていき、降りた先にある部屋に入る。


「おはよう! ゆきの、ごろう、いつか!」


 挨拶と同時にバン! と大きな音を響いて開かれた引き戸の先は居間だった。朝食が並べる中年の女性、なごみが呼んだ名前のゆきのこと由紀乃がニコニコとした笑顔でなごみを迎い入れる。


「おはよう、なごみちゃん。今日も朝から元気ね」


「ええ、もちろん。素敵な日には元気が一番だもの!」


「そうだねえ」


 なごみの言葉を聞きながら微笑ましそうに頷く由紀乃は茶碗を手に取ってなごみの分のご飯を装っていると、居間の先にある店の厨房から怒鳴り声が響いた。


「バカ! 家ん中を走んなっていつも言ってんだろ! 仕込み中なんだから埃が舞って料理に入ったらどうするんだい」


 怒鳴り声を上げたのはボウルの中に細かく刻んだキャベツとネギ、ニラなどの野菜に調味料そしてひき肉を混ぜて、餃子の具を作っていた二十代後半ほどの男勝りな雰囲気のある女性、なごみがいつかと呼んでいた女性である逸夏だった。


 朝から騒がしいなごみを叱咤する逸夏に対して、隣で出汁の味をみていた中年の男性こと護郎がなごみを擁護するように軽口を叩く。


「バカ、別にいいだろ、客には隠し味ってことで黙ってりゃあ別に問題ねえだろ。髪の毛や虫が入った訳じゃあねえのに。子供は元気が一番なんだよ」


「バカ、クソジジイ。そんな文字通りゴミみたいなことあってたまるか! 今の時代色々と衛生面が厳しんだよ、ウチのラーメン喰って食中毒を起こしたなんてことあったらこの店潰れんだよ! 分かってんのかい?」


「ああん、なんだ親に向かってその口の聞き方は! うちの客がそんな胃に弱いわけねえだろが! お前の作った餃子やカツを喰って、金を落としてんだぞ!」


「それはどういう意味だクソジジイ!?」


「言葉通りに決まってんだろうがバカ娘!」


「いただきます。モグモグ……、うん! 今日もゆきののご飯はとっても美味しいわ。あたしだいこんのおみそしる大好きよ」


「ありがとうねぇ、嬉しいよ」


「アンタ達は呑気に飯食ってんじゃあないわよ!」


「それにしてもごろうといつかはケンカばっかりね。だめよ、ちゃんと仲良くしなきゃあ」


「誰のせいで喧嘩になったと思ってやがる!?」


「アハハ。なごみちゃん、『喧嘩するほど仲が良い』って言ってね、あれでもお父さんもいつかも仲が良いのよ」


「母さんも気色悪い事を言うな!!」


 親子喧嘩の最中で横では呑気に味噌汁を啜って感想を零すなごみとしみじみ嬉しそうに頷く由紀乃の二人に逸夏は喧嘩の中でも突っ込みを入れてくる。


 朝から騒がしいラーメン屋《一味》こと悠桐家の最近の風景だった。


 朝食を終えてなごみが食器を炊事場へと下げていると、あ、と逸夏が思い出したように声を漏らし、店の厨房から居間へと顔を出してなごみに訊ねる。


「そういえば、あんた昨日スケッチブックなんか持って帰ったけど、アレ、どうしたんだい? 買った覚えはないよ」


「ん? ああ、それ、みことのよ。昨日慌てて帰っちゃったから忘れていったの」


 みこと? と確認するように名前を繰り返して、聞き覚えのない名前だと思い、聞き返す。


「新しい友達かい?」


「そうよ! 絵がとっても上手いの!」


 ニコニコ笑いながら新しくできた友達を誇らしく紹介してくるなごみに、ふう~ん、とどうでもよさそうに返事をしながら厨房の方へと戻っていく。なごみも後に続くように厨房の方へと入る。


「友達のもんならちゃんと返してやんなよ。その子も困ってんだろうからさ。借りパクはマジでやめろ」


「いつか、かりぱくってなに?」


「借りたもんをそのまま自分のものにするってこと。昔、尾崎ってやつがいてさ、コイツがどうしようもない奴でねえ、人から物借りる癖に返さなかったりあろうことか無くしたりするヤツで、アタシもCD借りパクされたりして……あ~、思い出したら腹立ってきた。なごみ、アンタはそんなことするんじゃあないよ。人のもん取ったらどんな形であれ泥棒何だかんね!」


「うん、分かったわ。どろぼうはいけないことだもんね。あたしもこれから返しに行くつもりだったの」


 うんうん、と大きく頷いて素直に返答してくるなごみに対して逸夏は、本当に分かってんのかこいつは、とぼやく。


 なごみがこの家に来てから半年近く、中学生ほどの年齢の割に学力も知識といった、一般常識が抜けている所が多々見受けられていた。逸夏はそんななごみに対して色々なことを教え、面倒をみて苦労してきたから分かる。


 なごみの「分かった」は少し信用していない。


 逸夏は餃子を包みながらなごみとの出会いのことを思い出す。


 実のところ、なごみはこのラーメン屋《一味》こと悠桐家の人間でもなければ、親戚筋でも何でもない。


 ある日、突然、ラーメンの匂いに釣られてやってきた裸同然の薄汚れた恰好の首元には取り外しができない首輪をした自身の名前すら分からない少女、それがなごみだったのだ。


 彼女は「おなか空いた。それちょうだい」とラーメンを要求してきたので、一応ラーメンを差し出すことにした。


 どこかの家のDVを受けている子供か、と不審に思いつつ、「お嬢ちゃんどこの子だい?」「お父さんとお母さんは?」「名前は?」と色々と質問してみるも、なごみはまともに答えてくれない。そもそも親や家といったものを理解していないような態度。名前については「No.753」と何かの暗号めいたことを言われ、三人は頭を抱えた。


 一先ず、なごみを警察に届けてみるものもなごみの家族や家のことなどは結局何も分からず、最終的に施設に預けるかどうかと話になったが、そのことに不憫に思った悠桐夫妻が面倒みることにしたのだった。


「アンタ、ただでさえ物を知んないだから、その新しくできた友達にもあんまり迷惑かけんじゃあないよ」


 本当は色々と小言を言いたかったが、下ごしらえの作業があったために無難な言葉だけを投げて置くだけで留めて置いた。


「かけてなんていないわ」


 これまた自信満々宣言してくるなごみに、作業する手を止めないで横目で怪訝な目を向けるも、そんな逸夏の視線など気づかずに続けて言う。


「むしろあたしの方が少し気になることがあるわ」


「気になること? たぶんあっちはそれ以上にアンタのことが気掛かりだっただろうよ。アンタみたいな変な奴と会ったら」


「? あたし何も変じゃあないわよ」


 なごみは巳虎兎に気掛かりなことがあるらしかったが逸夏はそれを皮肉で返す。けれど、意味が伝わっていなかったようでなごみはきょとんとした顔をする。逸夏は呆れた顔で「はいはい、そうでありんすねえ~」と軽口で流す。


 まじめに聞いて、と少し不機嫌そうに頬を膨らませて窘めてくる。


「ハイハイ、で、具体的に何が気になったんだい?」


「うん、公園でたくやとけいたとまみ、そしてみことの皆で遊んでいたんだけど、途中でかいぶつさんが出てきたの。かいぶつさんが、ばー! じゃー! って感じで、こう、ふり回して、なわとびしてくれたんだけど、かいぶつさんはいじわるでね、たくややけいたをどんってふっとばしてね、それをあたしが二人をキャッチしたの! たくやもけいたもどっちもケガはしなかったけど二人はそのまま寝っちゃったわ。それでわかったの、かいぶつさんは悪い人だってだからあたしはへんし―――」


「待った待った。意味が分からん! 怪物ってなんだ? 怪物が縄跳びしてくれた?」


 なごみが昨日の出来事を説明する。逸夏は導入からして昨日、友達と遊んだことを話してくるのかと思い、適当に聞き流す体でいたのが、途中から内容がかなり素っ頓狂なものだったために反応してしまう。


 怪物が縄跳びしてくれた。何のこっちゃあ訳が分からない。顔をしかめて説明を要求するも何が分からないのか分からないといった調子でなごみはあっけからんに言う。


「かいぶつさんはかいぶつさんよ。なわとびをブンブン振り回す、かいぶつさん」


「いやだからそれはどんな怪物だい?」


「なわとびの」


 会話が噛み合わなかったことに頭を抱える。この娘を拾ってから半年ほど、一度でもこの娘の説明を求めてからまともに理解できる回答が返ってきたことがあっただろうか。そんなことを考えながらも即座に、ない、と頭が訴えってくる。


 仕方なしに会話の続きを聞いて自分なりに解釈して把握するしかない、と自分の中で結論づける。


「で、あたしがかいぶつさんを追い払ってね。で、また皆と一緒に遊ぼうと思ったんだけど、その後みことがあわてて帰っちゃったの。変でしょ?」


「いや、怪物かなにか訳の分かんないもん出て来てそれを追い払って、また遊ぼうとするお前の方がなんなんの? そんなもん見たら真っ先に逃げな」


 眉間に皺を寄せて率直な感想を告げつつ、逸夏はますます意味が分からなかった。


 とりあえず何らか怪しげな人間がでてきてそれをなごみが何とか追い払ったってことと、その怪しげな人間に巳虎兎とやらは恐怖で逃げたってこと。


 うん、どう考えても巳虎兎とやらの方が判断としては正しい。


 常識が抜けているとはいえ、このガキンチョはどうしてそういう所も分かんないかね、と頭を掻きたかったが、まだ準備中のために手を汚す訳にいかず、伸ばしかけた腕をグッと堪える。


「他の友達は無事だったのかい?」


「ええ、たくやもけいたもまみもかいぶつさんのせいで寝ちゃったけど、ちゃんと起きたわ」


「それは寝たんじゃなくて気絶したんだろ。え、本当に大丈夫なのかい、それ。その子ら怪我なんてしてないんだろうね?」


 なごみの言い回しに突っ込みながらも、なごみ以外の子供がだいぶ危機的状況だということに驚く。なごみに問い詰めてみるがこれについての返答も大したことのないと言うような調子で、ちょっと頭打ったみたいだけどちゃんと帰ったわよ、あたしもちゃんと治したし、と言い、それを聞いた逸夏は怒鳴る。


「バカ! アンタなんでその話を昨日の内に話さなかったんだい!」


「話したわよ。昨日たくやたちと遊んだって」


「バカ、それは話した内に入らないわ! ったく、アンタ本当に。……あ~、も~」


 今まで何だか作業と同時進行でなごみの話を聞いていたがここでようやく手を止めて、なごみと正面合わせて向き直り、視線を合わせるために中腰になって、なごみの額にデコピンを一発放つ。


 痛っ、と小さな悲鳴を上げながら赤くなった額を抑え、「いきなりなにをするの」と抗議の声を上げるが、逸夏は「説教だよ」と簡潔に言い放つ。


 そのままなごみの肩に手を置いて、神妙な趣きになる。


 まさか自分がこんなこと言うことになるとは、内心では複雑な気持ちを抱きながらも口を開く。


「アンタさあ、友達と遊ぶのはいいけどあんまし変なこととか危ないことに首突っ込むのはやめなよ。変な奴とか怖そうな奴とかそういった怪しげな輩に遭ったら刺激しないで、すぐに逃げなよ、追い払うなんてこと二度とするんじゃあないよ。アンタは大丈夫だって、言ったけど、それでも友達だって危ない目に遭わせてんだから。一歩間違ったらもっと危ないことになったかもしれないんだよ。分かったかい?」


「うん、わかったわ!」


 逸夏が真剣な目をなごみの真っ白な大きな瞳と合わせてきちんと伝わるように語りかける。その姿は傍から見たら、危険なことへと首を突っ込む子に心配した親が言い聞かせている、まるで親子のような姿だった。


 そして、なごみはそれに応えるようにして明るく元気に返事をした。


 ……本当に分かってんのか、コイツ?


 頷いてくれたものの、今までの経験上なごみの返事がイマイチ信用ならなかった。目を細めて、ホントにか? と問いかけてみるも、自信満々に「もちろんよ」と逸夏の疑い目も気にしている様子はない。そういう所が逸夏の不安が増す。


 もう少し厳しめに言った方がいいか、と思っていると、護郎から餃子早くしろ、と催促がかかり、反射的に悪態で返す。


「ジジイ、ちょっと待ってろ。今、大事な話してんだから」


「ジジイと言うのをやめろって言ってんだろうが! なごみちゃんが真似したらどうするつもりだアラサー、さっさと旦那作れ」


「アタシはまだ二十七だよ! 孫ならなごみがいるからいいだろうが!」


「……逸夏、あんた、本気で言ってるのかい? ならちゃんとすることがあるだろう」


 逸夏の見当違いな反論に洗い物を終えて、店の方へと出てきた由紀乃が呆れた顔で突っ込んでくる。自分でも意味合い自体は察しているのか、母さんもうっさいよ、と少し気まずそうな顔で話を終わらせようとして吐き捨てる。が、由紀乃は続ける。


「あんたもそろそろ身を固めること考えたら?」


 また、その話か、とうんざりした顔になる。


 最近、この手の話が多くなってきた。父親である護郎との買い言葉に売り言葉、悪口の応酬としては何年ものの間続けてきた喧嘩のやり取りでは散々してきたものだが、母である由紀乃からも言われ始めた。護郎とは違い、真面目な話として。


 逸夏も結婚自体を考え始めても可笑しくない年齢の女性なのだから、親としても店や自分たちの老後などのことを考えて、一人娘にはそろそろ身を固めて欲しい気持ちが強いのだろうが、理由としてはそれだけではない。


 言葉にこそ出さないが、逸夏に結婚を催促するのは、なごみのためでもあろう。


 由紀乃は逸夏になごみを養子に取らせようと思っているのだ。


 法律上、独身の身では養子は取れない。


 なら、逸夏に頼らずともれっきとした夫婦である二人がなごみを養子に取ればいいのではないのか、と話にもなるが護郎も由紀乃も年齢的にも体力的にも問題があった。


 それに押し付けるわけではなかった。逸夏に養子を取らせたい理由としてはもう一つ、なごみは逸夏によく懐いており、また逸夏も本人にどこまで自覚があるのか不明だが、なごみのことを思っている。


 先ほどの二人のやり取りが良い証拠だった。


 だから、できれば自分たちではなく、逸夏が結婚してなごみを養子に迎い入れて欲しいとの思いがあった。ゆえに最近母である由紀乃との衝突、というよりも小言が増えたのだ。


 くどくどと自分の作業を続けながら、店によく来る誰々さんがいいだとか、知り合いにお見合いの話も来ている、と面倒くさそうなことを長々と言い出したな、と逸夏は億劫になる。


 その時、自分の話は終わったのだと判断したなごみが居間からスケッチブックを持ち出して店の出入り口の方へと駆けていく。


「じゃあ、あたし、みことの所に行ってくるわ。みこと絵を描くこと好きだから、お絵かき帳をないと困るだろうし。行ってきます!」


 あ、ちょ、待ちな。話はまだ終わってないよ。とそう呼び止めるものの逸夏の声を聞こえた様子のないなごみはスケッチブックを持ち出して店からそのまま飛び出て行った。




 × × ×



 普段ならば学校が休みである土曜日でも平日と変わらない時間に起きる巳虎兎だが、今日ばかりは少しだけ早く起きてしまった。というのも昨日の出来事が気掛かりでちゃんと寝付けられなかった。


 昨日の出来事、つまりなごみと出会い、そして怪物との対峙。


 巳虎兎がこれまで経験してきた出来事の中で群を抜いての衝撃の出来事。怪物が現れて巳虎兎達を襲い掛かってきて、そこにさらに自分と同い年くらいの女の子が怪物と同じように怪物の姿へと変えて、兎怪物と戦う。


 ……訳が分からなかった。


「……なんだったんだろう、あれ」


 何度も漏らした疑問の言葉を零す。


 まるでテレビや漫画のような出来事であり、現実で起こりそれも自分が体験することになるなど露ほど思ってもいなかった。現実は小説より奇なり、とはよく言ったものだと痛感する。


 だからといって感動や胸打たれるといったものはなく、胸に抱いた感情は純粋な恐怖。


 絵本作家を目指している身ではあるが、摩訶不思議体験そのものに知的好奇心を刺激され、探求したいか否かと訊かれれば、答えはノーだ。彼女の精神はそこまで強くはない。まだ、精神的にも肉体的にも未熟な身である巳虎兎は未知に対しては恐怖心の方が強かった。


 何も未知の存在に対する恐怖だけじゃない、直接な被害を受けたことによってより深いものになっている。


 自分より小さい子が三人は重傷というわけではないが怪我を負って気を失い、自分も怪我を負い、そして産まれて初めて命の危機を感じた。


 暴力。クラスから苛められていた巳虎兎であったが、その中で直接手を上げるものは少なかった。あっとしてもそれは軽く叩く程度や陰から消しゴムを投げる悪質なもので傷を負うほどのものでもなかった。


 これまでの経験で明白な悪意によって体を傷つけるような、……それも死を連想させるような攻撃を危険なものをこれまでに一度として受けたことはなかった。


 喉が渇くような感覚と目尻に込み上げてくるものに何ともいえない気持ちになって胸を締め付けられる。


 そして、もう一つ、巳虎兎の頭を悩ませては恐怖と混乱させたのは、自分と同い年くらいの笑顔が輝く真っ白な少女、なごみの存在だ。


 彼女は巳虎兎に話しかけてきて、巳虎兎が描いた絵を褒めてくれて、一緒に遊んだ。一緒に笑った。本当に楽しいと、友達と遊んだと、そう心の底から思えたのは久しぶりだった。


 充実した幸せな一時が巳虎兎の荒んでいた心が救われた。


 けれど、なごみは、人懐っこいキラキラとした笑顔の下の正体は襲ってきた怪物と同じ怪物だった。そのことがもっと衝撃で同時に裏切られた気持ちに陥った。


「……だけど……助けてもくれたんだよね?」


 弱く、自信のない、今にも消え入りそうな儚げな言葉を零す。


 変身して戦ってくれたのは、自分を、友達の彼らを、守るために。……緊張感はだいぶ欠けていたものだったが。


 自分達を助けるために戦ってくれたのもまた事実。それにただ戦ってくれただけではない。鎖の怪物の攻撃によって受けた攻撃によってできた怪我を治してくれたのもまたなごみだった。


 そっと肩から背中にかけて確かめるようにして手を置く。


 どうやったかは不明だが、自分とそれに気絶した子供達三人、怪我を癒してくれたのだ。


 もしかしたら一生残るかもしれない傷、後遺症が残るかもしれない頭へのダメージを受けていたのに、なごみが何かをしたん途端、四人の傷は……、いや傷だけじゃあない。破れたはずの服ですら元の状態に戻ったのだ。


 まるで時間が巻き戻されたかのように。


 だけど、少女だった姿は変わり果てて怪物と同じ、怪物の姿になった。自分達を襲ってきた怪物の姿と同じで、だ。なごみもまた怪物となったら自分たちに襲い掛かってくるのではないのかと、懐疑する。


 …………忘れよう。


 踏ん切りが利かない気持ちを無理矢理結論づけさせる。それでも気弱な彼女のため、簡単には気持ちの整理を着かせることはできない。胸元でチクチクと小骨が刺さったようなチクチクとした嫌な感覚が残る。


 恐怖や不安、罪悪感といった暗い気分を払拭するために気分転換をしようと、と考えて散歩へと出掛けた。


 普段よりも早めに起きた朝、食欲は無かったがそれでも朝食はお腹いっぱい食べた後、家を出た。昔、今は疎遠となってしまった友達から気持ちが下に向いている時の解消として、運動して、いっぱい食べれば気持ちが前向きになる、と言われたことがあった。


 実際にその通りだ、と巳虎兎は実感していた。中学から絵本作家の夢についてクラスから弄られ、気が滅入るようになっていた時、その言葉を思い出した巳虎兎はお腹が膨れるほど食べ、運動という名の散歩をするようになった。


 最初の内は縋るような思いで、昔の楽しかった友達との思い出に浸ることで気持ちを紛らわせようとしていたのだが、その言葉を思い出して実際に実行してみたら意外にも気持ちが晴れたのだ。


 食事したことでの満足感と運動したことでの充実感の二つの幸福感に満たされて、沈んでいた気持ちが浮き上がってきたのだ。


 巳虎兎がどれだけ苛められて塞ぎ込んだ心でも完全に腐らず、折れずにいられたのはその友達のアドバイスのおかげである。


 人間とは案外簡単な生き物だ。苦しく、辛くても、少しの幸福感で気持ちが浮上するのだから。


 散歩のため外に出た巳虎兎、特に目的地などなく、ぶらりと行き当たりばったりの気ままな散歩。


 普段よりも少しだけ早い朝の時間帯。今日が土曜とのこともあってか、自分以外の連れ違う人や目に映る風景がだいぶゆったりとしたものに感じられた。


 こんな時、見慣れていたはずの景色にも目を向けてじっくりと観察し、耳を傾けて音を聞き、肌に伝わる空気すらもいつもと違ったものに感じることを巳虎兎は知っており、それが好きだった。


 いつもの『知っている』が途端に『知らなかった』という認識した時、それがとても特別なことのように思えるからだ。


 優越感のような気持ちと同時に自分は世界の一部ではないような気がした。


 実は、自分は世界とは隔絶されていて、自分は何もしなくとも世界はちゃんと回っていて、ここにいる自分はただそこに存在しているだけの、傍観者。


 目に映る世界は、……色彩を飾る絵で、それを眺めているだけ。


 じっくりと眺めているだけでも十分面白く、何気ない小さな変化に気づいたらそれが小さな幸せ。


 例えば普段は気にしないで歩いているコンクリートの道だが、今日は視線を下げて歩いてみると、硬い地面を突き破って花を咲かせた一凛の草花を見つけるようなもの。気づけなかった日常の一部を知れたことに対しての小さな喜び。


 そんな風な楽しみ方を覚え、町の中を散歩しながら観察していく。


 気持ちがだいぶ向上してきて、前向きになっていた時だった。そこに辿り着いてしまったのは。


 そこは公園。昨日の公園だった。


「……………………」


 途端に巳虎兎の顔に陰が入る。


 折角忘れかけていた出来事をこの場に辿り着いてしまったせいで一気に思い出してしまった。


 フラッシュバックした記憶を突き放すように顔を左右にブンブンと振る。


 関係ない関係ない、と小さく言葉を漏らしながら公園の中へと入らずにそのまま通り過ぎようとしていた。


 待て、と声がかかった。


 昨日のことを忘れようと逃げるようにして立ち去ろうとしていたために呼び止められたことが、あまりにもタイミングが良く、過剰な驚きでビクッと身体が大きく反応する。


 恐る恐るといった調子でゆっくりと、声がした方へと振り返る。


 声がしたのは公園内。そこには立っていったのは見知らない少年。年は背丈などからして巳虎兎よりも一つ二つほど上であるということが分かった。


 少年は怖いほどの険しい顔つきをし、こちらへと接近してくる。


 少年の様子にさらに巳虎兎は怯え、一歩二歩と後ずさる。本当は逃げ出したい思いではあったが、自分に一体何の用だろうか、と恐怖と不安が掻き立てている心中であるのに理性が一番矢面に立ったのだ。


 人間、混乱している時ほど誤った判断した理性の反応を優先する。そのことに巳虎兎は、今この瞬間に身を持って知り、そしてすぐに後悔することになる。


 少年が巳虎兎と会話が可能な距離まで接近すると開口一番に言い放った。


「お前、昨日ここにいた奴だな?」


 ドクン、と心臓が鷲掴みされたように大きく高鳴った。


 顔が強張り、目が大きく開いた。頭の中で、どうして? なんで? そのことを知っているの? 見ていたの? 怪物の知り合い? 急激に思考回路が回ると同時に危険信号のアラームが鳴り響き思考が落ち着かない。答えに判断がつかない。瞬間、パニックが襲ってくる。


 昨日のことを聞かれて大きく動揺する巳虎兎に対して、少年は、やはり、と言わんばかりの冷静な顔をしながら次の問いを投げかける。


「アイツはどこだ?」


「……アイツって、……なごみちゃんのこと?」


 反射的に口から零してしまい、ハッとし、すぐにしまったと後悔した。


 黙っていればいいことをわざわざ口に出してしまった。もうこれで巳虎兎は自身が昨日のこの公園にいたことを自白したのも同然。


 巳虎兎の発言で確信した少年、……綱光は零距離まで詰め寄り巳虎兎の肩を強引に掴む。


「アイツの居場所は何処だ? どこにいる?」


「痛っ! ……は、放して、……お願い、放してください!!」


 華奢な巳虎兎の肩を痣ができそうなほどの強い握力に悲鳴を上げ、抵抗してみせるも、綱光は怖い形相で巳虎兎の言葉など耳に入ってない、興味があるのはなごみの所在のみ。ますます握力は強まる。


「っ、は、放して!!」


 必死で抵抗して何とか綱光の拘束から逃れると、そのまま駆け出して逃げ出す。


「待て、逃げるな!」


 逃げなきゃ、…逃げなきゃ! 地面を蹴り出す。頭に響く危険信号が止まらない。捕まったらそこで終わるということ知らせて止まらない!


 綱光は鍵を取り出して胸に挿す。瞬間綱光の身体は変異し、全身鎖で巻き付かれた怪物の姿へと変わる。


 サイドスローの投げ方で鎖を投げ、操り、逃げる巳虎兎を捉えた。


 腹の辺りに細く硬いものが縛る衝撃に体のバランスが崩れ転びそうになるが、地面への衝突はなく、その逆の突然の浮遊感や飛翔感。重力へと逆らうような……そう、逆バンジーのような体感。実際にそれは当たっていた。


 綱光の鎖によって宙に飛ばされたのだ。


 宙へと引っ張られた身体は、足場がない不安定さによって無防備な状態。


 視界がグルグルと反転し、巳虎兎の視界が安定した時に映ったものは変わり果てた綱光の姿。昨日襲ってきた怪物(トラウマ)の形。


「!? これ、あの人! 昨日の化けも、」


「こっちに来い!!」


「きゃああああああーーーーー!!!!!」



 × × ×




「へい、そこの白いガール。何かお探しかい?」

「みことを探しているの、あなた何か知らないかしら?」


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