《束縛》3
起きているのか眠っているのか自分でもよく分かっていない、うっすらとした意識の中、埃被った臭いが鼻についた。
ぼやけた視界がだんだんとクリアになって景色がハッキリと見えてくる。
といっても部屋の中は窓の隙間から溢れる日光によって明るさがあるだけで、基本薄暗い部屋だった。
広さはあるがそれは物をあまり置いていないからといった空虚なもの、がらんとした殺風景な感は否めない。何らかの置かれていた形跡がある日焼け跡と、埃被った床の灰色具合からして具合からして人が住んでいる痕跡はない。
どこかの空き部屋、それもたぶんマンションやアパートといった家の部屋の類というよりも倉庫、いや元は職場の仕事場だった所が廃業して今は使われていない、空きビルの一室といったところか。
「よう、大丈夫か、兄弟」
聞き覚えのある声がし、そちらへと顔を上げる。見上げるとそこにはいたのは予想通り人物、自分を怪物の姿に成れるようにしたあの帽子の男が立っていた。
帽子の男は綱光の方へと近づき、しゃがみ込んで持っていたコンビニ袋の中から水を取り出して、ホレ、と綱光へと差し伸べてくる。
綱光はそれを受け取るようなことをせず、眉を顰めて不信そうに帽子の男をジッと見つめながら言う。
「ここは?」
「テナントビル。持ち主とかに許可取ってないからバレたら不法侵入で捕まるが、ま、気にすんな」
さらっとトンでもないこと言う。普段の綱光なら「非常識だ」なんのと大慌てでふためくが、今はそんなことどうでもよく、耳に入っても頭には入っていなかった。そんなことよりももっと重要なことが彼の頭に占めていたからだ。
「……アイツ、一体何なんだ? アイツもお前が俺と同じようにした怪物か?」
「助けてくれてありがとう、が先だろ」
軽口で返してくる帽子の男にムッとして睨みつける。
今に飛びかかって襲い掛かってきそうな怒りの込めた瞳の綱光に対して、例えそんなことをしても簡単に抑えきれる、と威圧するような冷たい瞳で返してくる帽子の男。
静かに睨み合う二人。
やれやれといった調子で肩を竦めては先に目を離したのは帽子の男だった。綱光と争う気などさらさらない。年長者として気を利かせた。
頭に血が上っている人間に対してかけてやる言葉はこの場合は本人が望んでいるものがいい、と率直に判断し、答えてやることにする。
「ありゃあ、シロノス。お前とは別の。俺が克服させたわけじゃない」
「シロノス? ……アイツは……自分のことをなごみって名乗っていたぞ」
シロノス、と聞き慣れない名称に訝しげな顔をする。確認するようにほんの数十分ほど前、戦闘中の記憶を掘り起こしてみるが、そんな名前ではなかったと思い、綱光は聞き返す。
確かにあの少女は自身のことを、なごみと名乗ってはしつこいくらいに綱光の名前も訊ね返してきた。他人の名前を聞く時はまずは自分の名前を名乗るのが礼儀、と親からきちんと教育されていたのか、と思えるほどに。
―――親の教育、か。
ちょっとした些細なことなのに、その言葉が思い浮かんだだけで綱光の感情に何とも言えない苦いものが込み上げてきた。小さく舌打ちをし、苦虫を噛み砕いた表情になる。
綱光の心情の揺れなど気にした様子はなく、帽子の男は「なごみ?」と逆に聞き返すような口振り。綱光は苛立った気分をぶつけるかのように投げやり気味に「ああそうだ」と応答する。
帽子に手に置き、深く被り直して視線を綱光から横へと向けては何か思い出したように小さく呟いた。
「なごみ…………試作品No.753シロノス……だから、なごみ、か」
「? どういうことだ」
一人だけ何か納得したような呟きを漏らす。ギリギリでその小言が耳には入ることができた綱光は訝しげな表情のまま聞き返す。けれど、帽子の男は特に答える義理も必要もないと判断したのか「何でもない。気にするな」と素っ気なく返した。
その態度に癪に障った綱光は起き上がって「ふざけるな、ちゃんと教えろ!」と手を伸ばして帽子の男へ詰め寄ろうとするもあっさり躱される。
躱されるとは思わず、また残っていたダメージが影響しバランスが崩れ、危なげに転びそうになるが何とか持ち堪える。顔を上げて帽子の男を睨みつける。
帽子の男はやれやれと肩を竦め、綱光をどう宥めようかと思っていると突然、ジリリン! ジリリン! と黒電話の電話音が響いて尻ポケットから小さな震動が伝わる。帽子の男のスマホからだった。
ちょっと待て、と綱光に断りを入れて電話に出る。表示には非通知と出ていたが、相手が誰だかは男に予想できていた。
「誰だ?」
『初めまして、古守純慈君』
「誰だ?」
繰り返して訊ね返した。予想とは少しだけ違い、聞き慣れない男の声だった。
いつもなら非通知の相手は帽子の男こと、古守純慈が所属しているとある研究機関の男から連絡を受けるのだが、けれど出た相手は全く違う声だった。警戒心を張らせて相手が誰なのか問い正す。
『グリーンラボの研究員の一人』
「いつもの人、目野さんはどうした?」
普段純慈と連絡を取り合って仕事の指示を受けているのは目野という男だ。直接あったのは数度だが、基本連絡するだけの関係だった。
『彼の担当とは違う管轄のこと、別件の案件でね。これには僕が担当させてもらう。だが、君が本来受け持っている案件の劣等者の生産が無くなる訳ではない。これについては目野君と共に引き続きやってくれたまえ』
気軽に言ってくるな、と苦笑する純慈。ようは純慈の仕事が増えるとのことだった。
「ま、ギャラはちゃんとあるんだろうな」
『もちろんだとも』
「で、何をやればいい?」
話は早かった。ギャラがあると分かると目の色を変えて、一瞬で気持ちを仕事モードへと切り替えて内容を聞き出す。
相手側は切り替えの早さに特に驚いた様子はなく、話が早くて助かる、とだけ言い、簡潔に指令を下す。
『試作品No.753シロノスの経過観測を頼む』
「……………始末との話だったが」
経過観測、つまり監視につけ、ということだ。
眉を顰めながら前に指示された内容とは真反対の指令に疑問を抱いて確認を取る。そこに間違いはなかった。電話の越しの相手は『ああ、そうだ、経過観測を頼みたい。始末ではない』と内容に不備はない、と説明する。
『実験中の事故によって廃止になってしまったセカンドプランの産物、No.753シロノス、その生き残りである人形が発見されて、残留物の廃棄処分。後処理が君に言い渡れたと思うが、けれどシロノスの能力自体は希少価値の代物だと判ったね。ただ切り捨てるには勿体ないとのこちらで判断した』
「希少の能力っていうのはなんだ?」
『言わずとも君なら分かるのではないのかい? 《克服》の専導士君』
「いや無理だな」
電話の男は純慈の力を以てすれば言わずとも理解できると踏んでいたが、けれど純慈は即座に否定した。
おや、と男は不思議そうな声を漏れるのを聞き取った純慈は男の反応に逆に困惑を覚えた。
自分の能力について判明していることは研究員なら全て把握していると思っていたからだ。
疑問を覚えながら答える。
「俺が判明できるのは俺が克服した相手のみだ、シロノスなんて俺と似たようにアンタ達の手によって能力に目覚めた相手じゃあ俺も何の能力なのかは分からない」
純慈の能力《克服》は対象者のコンプレックスなどといった悩みや不安などといった負の心を具現化させるものだ。
例えば、綱光の場合は長い間母親からの従って生きてきた、謂わば、束縛されて生きてきたもの。その悩みを具現化させて産まれたのがあの鎖の怪物の姿だ。怪物の姿へと変貌し力を得た人間のことを劣等者と命名している。
このように相手を劣等者にする能力を持つ純慈は自身が劣等者と成った者に対する情報は把握できるが、自身以外で能力を得た人間の能力について知る術は持っていない。このことについては所属する組織の研究員にも伝わっているはず。
情報が誤認されたのか、『自身が生み出した能力者に対して能力は判明できる』というものが『能力者の能力を判明できる』内容のものに。ありえなくもない話だった。この程度の内容ならば情報伝達の際に誤認されてもおかしくないものだ。
純慈はその考えで一先ず自身を納得し、正しき自身の能力について話す。電話の男も理解したように「なるほど」と一言零す。
『厳密には君とはまた別系統の実験の代物だがね』
「? どういうことだ?」
気になることを言われすぐさま聞き返す。男は答えた。
『第二計画。……言ってしまえば実験そのものは二種類存在していてね。先に成果を上げたのが君の行った方の実験で正式に採用され第一計画になり、成果が上手く上げられなかったのが、シロノスが行っていたのが第二計画と、そこで完全に識別された』
つまりは純慈が受けた実験である能力開発のものとは別に、試作品No.753シロノスことなごみが行っていた実験は別系統のものがあったらしい。
話としては残留物の破棄処分とだけ命令されていて、詳細の内容まではシロノスがどのような代物だったのかは知らされていなかったのだ。
『その上第二計画は不慮の事故に遭ってね。まあ、元々第一計画よりもコストがかかっていたためただでさえ肩身が狭かったが、そこでさらに追い打ちをかけるように能力者を生み出せる君の能力によって、第二計画は完全に廃止が決定された、ということだ』
「ふぅーん、そういう話か」
元は二つの実験を同時進行で行っていたようだが、純慈が関わっていた第一計画は純慈という結果を残したが、それに比べてシロノスの関わっていた第二計画の実験は失敗やトラブルが相次いで組織的には予算もそれなりに掛かってきたことから結果的には凍結した。
結果的にみれば、元々は廃止寸前の実験が純慈の存在によってとどめを刺した形になってしまった。
組織に属しているが純慈自身はあまり組織事情については詳しくないし、深入りもしたくないと考えているため、このことは頭の隅に留めておく程度にしておく。
所詮は下請けの下っ端である純慈。受けた仕事は確実な成果を出すが、必要以上にこの身を組織へと捧げ、忠誠を誓う気はさらさらない。組織に属するのは安定した給料が欲しい、という実に切実なものだった。
最も異能の力を手に入れた時点で純慈の意思とは関係なしに永遠に組織に飼いならされることは決定づけられているが。それも何とか抜け出す方法を陰ながら模索している。
組織内部の話をやめ、話を戻すことにする。
「女の子を傷つけないでいい、ってのは俺にとってはいいことだ。できればもう少し成長した姿を見ていたかったが、ま、そこは我慢する。期間はどのくらいだ?」
『そうだな、……夏の間。世間一般の夏休み。八月末まで』
「夏休みの宿題ってか。自由研究に少女観察とかアブノーマルすぎるけど、実に楽しそうだ」
からかい調子で言うが、電話の相手は話に乗ることなどせずに続ける。
『何かしらの事故で死んだ場合など死体の回収も頼む。他にも細かい所があるがそこは追ってメールを送る。目を通しておいてくれたまえ』
「了解。って、あ」
必要最低限の注意を受けて電話を切ろうとしたが、そこで一つの視線を向けられていたことを思い出す。頭に血が上っている綱光をどう宥めようかと、先ほどとは違う意味合いで悩ませる。
電話を貰う前ならば適当にあしらってそれでよかった。だが、今はシロノスの経過観察を依頼された今、放っておけば綱光は今日できた因縁によってシロノスを倒しに行きかねない。そんなことになってしまったならば監視の仕事を潰しかねない。
純慈の漏らした一言に気に掛け、どうしたのかね? と聞き返してくる電話の男。純慈は素直に告げることにした。
「……一つ、面倒なことがあった」
『何かね?』
「シロノスと接触してコテンパンにされた劣等者がいてな。ま、俺が介入して難は削がれたけど。こっちはカンカンでな。すぐさまリベンジマッチに行きかねないって状態だ」
『ほう、それはそれは』
綱光に聞かれないように身体を逸らしながら先ほどよりも音量を抑えて話す。男は興味深そうに頷きながら答える。
『構わない』
「は?」
電話の男の言葉に意味ができず、聞き返す。
『だから構わないと言ったのだ。シロノスとその劣等者の対戦』
「観察対象じゃあなかったのか?」
『ああ、だがあくまでもシロノスは第二計画の残留物。異能の力が希少価値から処分から観察となったがそれは延長になった程度だ。いざという時に処分は変わりない』
結局の所上はシロノスを始末したいという思考は変わっていなかった。
『それとも何か? その劣等者は組織からしたら重要な異能の力を持つ人物なのかね?』
「いや、それはないな」
あっさりと否定する。
綱光の能力を把握し、現状の情報を組織へと報告を済ませた後だった純慈だから返答できたことだった。上からは綱光の判定は暫定C判定。異能者判定は能力の性能が全てであり、S,A,B,C,Dの五段階で判別されている。
暫定Cとは優先度は低く、替えが利くようなもの。暫定であるのはまだ目覚めたばかりで力に慣れていないためだ。と、だからといって綱光の異能を使い慣らしたところでBやA、ましてやSに上がることはない。
それは《克服》の特別者である純慈だから分かっていることだ。
綱光に見込みは何一つとしてなかった。
もしも、万が一の話、綱光を見込み違いだったと言えるような状況に変わることがあるとすればそれは……。
限りなくないに近い可能性。希望とはいえぬ幻想的な儚い望みだった。
ならば問題はない、と電話の男は話の結論をまとめる。
『君はシロノスの監視。その際に劣等者との戦闘になってシロノスが倒れることがなった場合はそこで監視の仕事を終了とする』
「了解」
では、また。
通話が途絶えられる。
「終わったのか?」
律儀にも電話が終わるまで待っていてくれた綱光が確認として声をかけられる。相変わらず苛立った表情をしているが、待っている間に少しはクールダウンできたのか、殺気だったものは薄れては完全に落ち着きを取り戻しつつあった。
(やっぱり劣等者になって真面目な優等生ってツラは根っこに染みついているな)
純慈は思った。
一先ず、会話がちゃんとできそうだと判断し切り出す。
「なあ、シロノスと対戦したいよな?」
「……いきなりなんだ?」
確認のために訊ねてみるが、脈絡もない話の切り出しかた。数分前はもう関わるな、だったのが、今は再戦したいかどうか訊ねてきているのだ。不審がる綱光に、いいから、と綱光に対して無理矢理聞き出す。
目を瞑って少し考えるように黙り込んで、やがて綱光は答える。
「……ムカつくんだよ。アイツ」
低く、確実な怒気が含まれた声色だった。
「笑っている顔が、幸せそうに遊んでいるのが、……そんな奴がバカ丸出しの子供じみたことで偉そうに説教してきたことが、心底腹立つ」
アイツが苦しむ姿を、一方的にやられる姿を、自由がないと絶望に束縛される姿を見たい。
心の底からの本音だった。
(ただの嫉妬か)
綱光の言葉を聞いて心情を理解した。
戦いに負けたことではなく、自分にはできなかったことをできていたシロノスのことが羨ましかったのだ。
自由になりたい、と願っておきながら実際に自由を手に入れてみたらも、その先に自分が一番やりたいことが不明だった。
何かやりたいことはあったはずだった、だからこそ今まで自分縛り上げてきた者たちに復讐し、束縛されない自由を手に入れたのだ。それなのにやりたいことを見つけられずにいる綱光は新たなストレスを抱え、悩んでしまったのだ。
そんな時に出会ってしまったのがシロノス、……いや、なごみと名乗る少女だった。彼女は自由だった。
やりたいことを分かっていて、思ったら行動を起こし、そしてその周りには友達と呼べる人間がいて、楽しそうに遊び、皆で笑い、人生を謳歌していたのだ。
望んでいた形のそれをなごみは持っていた。
欲していたものを当たり前のように持っていて、それがない自分に。
綱光はそれがたまらず悔しく、情けなく、許せなかったのだ。
何故、自分はあんなにも縛られていて苦しく生きてきたのに、アイツはあんなにも自由に楽しそうに生きているんだ?
何故、自分は笑う暇なんてなかったのに、アイツはあんなにも笑える?
何故、自分は友逹と作ることを許されなかったのに、アイツは友達を作っているんだ。
何故、何故、何故、何故、何故、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで!
俺は幸せになれなくて、アイツは幸せなんだ!
ドス黒い感情が綱光の心を支配していく。
「あんな自分の人生を縛られたことない奴に負けるか」
そんな綱光の様子を見ながら、わざと大袈裟に息を吐いて。
「今のお前じゃあ無理だよ」
「なんて言った?」
わざと聞き取れるほどの大きさで漏らした言葉は当然のように拾う綱光は治まりつつあった怒りの火がもう一度宿った。
その様子を見て、帽子で顔を隠しながらもその表情はニヤリといやらしく嗤う純慈は続けて挑発する。
「今のお前じゃあ無理だって言ったんだよ。劣等者だってのに、異能の力を使えてないお前じゃあな」
「なんだと!!」
反射的にも飛びかかっていく綱光。純慈は瞬時に自身の姿を怪人の姿へと変え、殴りかかってくる綱光の拳を容易に受け止め、そのまま払い飛ばす。
転がった綱光は小さく呻くも、そのまま痛みを吹き飛ばす意味を込めて、呻きを怒りの咆哮に変えながら起き上がると、同時に心に鍵を挿し込んで自身も鎖の怪人こと、《束縛》の劣等者へと変貌する。
うおおおお!! と雄叫びを上げ、全身に巻かれた鎖を数本解き放って純慈へと攻撃する。けれど、数があっても動きは直線的で単調そのもの。純慈は怪人体になると同時に出現した杖を、まるで棒術使いのように巧みに操って鎖を払い退ける。
あまりにも簡単に捌かれたことに「なに!?」と驚く。相手はその隙を狙い、綱光との距離を一気に詰め寄ると杖を横薙ぎの攻撃を二撃、三撃と喰らわせる。
地面へと倒れ伏せる綱光は、クソクソクソ、畜生! と悔しそうに嘆く。
どうしてだ、コイツといい、シロノスといい、なんで奴らにはオレの攻撃は当たらない!? なんでアイツらの攻撃は届くんだ! アイツらとオレとでどうしてこんなにも違う!?
二人と同じように怪物の姿になって力を得ているのは同じ、ならば条件は対等のはず、しかし綱光は純慈やなごみとの力の差はそれ以上に感じていた。
単純に言ってしまえば、元の身体能力から違う。そして何より劣等者になってからの日数の差における慣れ具合や、純慈やなごみの力は綱光の劣等者の上位互換である、と言ってしまえば終わる話であり、それについては綱光も頭の中では薄々分かっていることであった。
しかし、純慈から見れば問題はそこではなかった。一番の問題は綱光自身の力を把握していないことが原因であった。
「だからそうじゃあねえんだよ。ただ鎖を全身に巻いてあるそれをただ動かせるだけな訳ねえだろ。使い方がなっちゃあねえんだよ」
「な、なに、どういうことだ!?」
使い方が違う、と予想だにしなかった台詞に反応した。
怪物の外見の肉体になっては身体能力が向上し、能力としてはこの全身に巻かれた鎖を手足のように自由自在に動かせるものだとばかり考えていた綱光だったが、純慈曰くそれは劣等者の力を半分も使いこなしていない。
ならば力とは一体?
思い返してみれば自分は劣等者について何も知らなかったのだと気づかされた。
力を手にしておきながら、その力について何も疑問も抱かずにただ思う存分に振舞い、暴れていたのは今から思えば、本来の自身の性格から考えれば信じられないことだった。それだけ劣等者の力が綱光の中で魅力的なものだったのだ。
つまらないことに悩んでいたはずの嫌な自分を変えられるような、いや、生まれ変われたようなになっていただけ。
力ある自分に。
そして、これだけの力を以っていながら、それでも今の自分はまだ本来の力を使いこなせていない、と。
劣等者とは一体なんだ?
「…………こいつの使い方を知れば、……勝てるのか?」
様々な思考と葛藤の中から綱光の口から零して出てきたのは、力を求めるものだった。
もちろん、劣等者について知りたいとの気持ちもあった、けれどそれ以上に綱光自身が求めたのは、強くなりたいとの思いが強く存在し、言葉の内に出ていたのだ。
もっと力が欲しい、と。何者かに従順するのではなく、縛られないほど力が。
ドクンドクン、と熱く力強く高鳴る胸の鼓動、そしてそれに似合わない黒い笑みを浮かばせる綱光の様子をじっくりと観察し、やる気のある姿勢に純慈は心の中で嬉しそうな顔をする。
(今のままじゃあ、コイツはシロノスと対戦して負けてハイ終わりだ。それじゃあいくら何でも色々と勿体ねえだろう)
純慈には結果は見えていた。シロノスの勝利と綱光の敗北の未来が。
純慈の基準、というよりは組織が重宝とする基準としてみた場合、綱光の力はそこまで重用としていないことは分かっているため、ここで綱光が消えてしまっても特に支障はない。いくらでも替えが利く。
だが、それでは折角綱光を劣等者に覚醒させたことに意味がないし、ただシロノスとぶつけるのもあまりよくないだろう。
二人の力の差は歴然としている。
電話の男からの依頼としてはシロノスの観察だが、これがどこまでのものを求めているのかは純慈には不明だった。本当にただ起こったことのみを報告するだけでいいのか、それともある程度の性能面などの部分の観測する必要もあるのか。
話の流れそのものは前者の意見の方が強く感じられたのだが、話の中に出てきた『異能の力が特殊』とのワードが気がかりになる。わざわざ、始末対象だったはずのシロノスの処遇を約二か月の観察に切り替わったのだから。
(その上コイツと戦うことになっても構わない、と来たもんだ。……どうもきな臭いな)
矛盾があるようにみえて、実際のところ理屈自体はちゃんと存在している。だけど、それも取って付けたようなもの。他に何かしらあると純慈の勘が告げていた。
だが今の段階ではそれが何なのかは不明だ。ならば現場判断として行動するしかない。
その上で純慈は自分が何をするべきなのか。少なくとも最低限、劣等者としての力をキチンと引き出した状態でシロノスとぶつけてやるべきだと考える。
ようは保険だった。
組織そのものに忠誠心は全くないが、それでも給与が発生する以上は与えられた仕事そのものは忠実にこなし、十分な結果は出す。それが純慈のポリシーでありプライドだった。
この場合結果とは、綱光が劣等者としての本来の異能の力を発揮させることで、なごみの性能を知ることに務めることだった。
その結果でどちらが倒れるかは問題ではない。(少なくとも倒れるのは綱光であることを純慈の中では予想している)
そのためのお膳立てをするのが、《克服》の特異者である純慈の仕事だった。
「ホラ立て、レッスンだ。今度はちゃんとそいつの使い方を教えてやるよ」