第五話 『豊穣神のダンジョンの奥で……』 その三十一
迫り来る巨岩のカタマリに、リエルはもちろんガルフも素早く反応していた。ガルフを庇うようにリエルはあえて『ジュエル・ビースト』の眼前に飛び出しながら、右へと抜け出す。
『ジュエル・ビースト』の拳が唸りながらリエルを攻めるが、リエルの動きは俊敏なものである。拳が届かない、ギリギリの間合いを駆け抜ける。
空振りさせられた『ジュエル・ビースト』の動作は、ガルフには何とも口惜しそうにしているようだと見えたが―――実際には、呪いで動くだけの彼には、そんな感情はない。
心を持つ者であれば、リエルの回避にもっと動きを釣られてしまうはずであった。あともう少しで当たりそうだと、期待と動きを強めてしまい、余力を隠し持っているリエルのフットワークに空振りを深くさせられる……そのハズであった。
いい動きではある。だが、感情無き呪いの傀儡は必要以上のミスをしない。突撃の際に、攻撃を回避されたなら?……そのとき、二番目のターゲットがすぐ側にいるのなら?そちらのターゲットに集中を切り替える。そうあらかじめ呪いで行動方針を組まれている。
『ジュエル・ビースト』は足を交差させることで、無理やりに動きを修正する。もはや彼はリエルのことなど無視している。
リエルにはそれが屈辱でもあるが―――作戦を信じることにした。もちろん、ガルフのこともだ。
とっくの昔に若者からフォローをされるべき年齢に達していた『白獅子』ではあるが、年寄り扱いされることは嫌いであった。
鼻を鳴らしながら、老いた脚でダンジョンの床を蹴りつける。何十年と戦い続けて来た男の脚は、今日も彼を裏切らなかった。体にムチャをさせるような動きではない、静かで細やかで精確であり……地味だが、ギリギリのタイミングで彼は回避を成功させる。
突進しながら放たれた岩石の剛打が、左に走り抜けたガルフの体を空振りし、ダンジョンの床を強く叩きつけていた。
ダンジョンが揺れて、ガルフの小幅の歩法が功を奏す。遅いが安定感は抜群なものであるからだ。バランスを崩されることなく、次の行動へと移れる。
ニヤリと笑い、凶暴な貌を作った。
獣のように攻撃的な心を作り上げながら、ガルフは手に持つ火薬の袋を投げつける!
バシュウウウ!!
錬金術の産物である、火薬の黒い粉は、雨のように『ジュエル・ビースト』の巨大な背中へと降り注いでいた。袋の口をくくりつけていた革紐を、ガルフは敵の攻撃をゆっくりと回避しながら抜いていたのを、翡翠色の瞳は見逃してはいなかった。
早業だ。
ゆっくりと動きながら、複数の動きを実行しているから―――結果として、早いのか。スピードを重視させることよりも、複数の単純な行動を同時に組み上げることで、時間的な早さを得る。
……ベテランの手慣れた動き。リエル・ハーヴェルは、ガルフ・コルテスという枯れかけの老戦士が持つことを許された、ほぼ一つの偉大なる武器、膨大な経験値というものを見せつけられていた。
遅いくせに、早い。
矛盾を体現している。
だからこそ、達人という存在は強いのであろうな―――リエルはそう考えながら、ガルフの動きを評価していた。
「リエル嬢ちゃん!!」
「わかっておる!!」
……そうだ。彼女もまた『狩り』の達人。戦いの達人と呼べるほどの経験値は有してはいないが、戦いに近しい行為でもある『狩り』に……これについては十分な技術を持ち、七年近くもの歳月を経験値として喰らって来た。
リエル・ハーヴェルが、この絶好機に際して、攻めの手を緩めることなど無いのである。
錬金火薬の黒い雨が降りかかった、宝石だらけの背中に向けてリエルはこのフロアに集めていた魔力を差し向ける!!
両手を獲物に向けて、森のエルフの王族の証である大いなる才能を使い、大地に流れる魔力を誘導するのだ。
「炎よ!!風よ!!……豊穣神への祈りの場にあふれる、地脈の霊威たちよ!!森のエルフの王家の血において命ずる―――その者へと、力を注げッ!!」
集めればいい。
そう作戦を与えられた。その結果がどうなるのかを、リエルは知らない。とにかく今は、作戦をこなすことだけを全力で行うのみだ。
迷えるほど。
作戦の意味を考えられるほど。
リエルは熟練した戦士ではない。戦いのテクニックを身につけていたとしても、それだけでは真の古強者にはなれないのだ。
失敗したらどうしよう?
……15才の若き戦士には、そんな不安が付きまとう。だから、必死さに頼ることで、その不安を消し去ろうしているのだ。
未熟ではあるが―――しかし、リエル・ハーヴェルは天才なのである。彼女の血に許された力が、豊穣神のダンジョンにあふれる魔力を奔流させていた。
床から、天井から、壁から。
あらゆる場所から、赤く輝く炎の属性を宿した粒子と、翡翠色に輝く風の属性を宿した粒子が、煌めきながら『ジュエル・ビースト』に注がれていく。
「……炎と、風で、2対1だな……?」
「そうだ。いい案配だ。さすがは、森のエルフの御姫さまだぞ、リエル嬢ちゃんよ」
「魔力は集めたぞ……ヤツめ、喜んで魔力を喰らっておるではないか……ッ」
『ジュエル・ビースト』は傷ついた己が身に大量に注がれてくる魔力を、吸収している。損傷していた体のあちこちが、魔力の輝きで補われていく……充足感を覚えているのか?リエルには、そのゴーレムが呪いではなく、本能的な心地良さにひたっているように見えた。
「……故郷の魔力さ。このダンジョンから削られた石と注がれた魔力で、あのゴーレムは動いているんだろう。ならば……ここは、悪くない死に場所だな」
故郷……『白獅子』には、とっくの昔にそう呼ぶべき場所はなくなってしまっていた。だから、彼はそれがある者にはうらやましさも感じることがある。今は、それほどまで深い羨望は湧いてはいなかったが。
何故ならば、今は仕事をしなければならないからだ。仕留めるべき敵に、傭兵は感情を深くは捧げないものだった。
酒と、下級魔術の炎の球で始末をつけるために……ガルフは腰裏から濃いブラウンの酒瓶を取り出し、『ジュエル・ビースト』に投げつけながらリエルに伝える。
「耳を閉じてな。とんでもなく、うるさい爆発になるぞ」
「な、なんだと!?」
森のエルフの弓姫の可憐で小さな手が、その長いエルフ耳を覆ったのと―――ガルフが酒瓶に続いて放っていた、小さな火球によって爆発が起きていたのは……ほとんど同時のことだった。
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