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第五話    『豊穣神のダンジョンの奥で……』    その二十五


 体の表面が凍りつくように冷えていく。皮膚が引きつるように強ばり、心臓の脈拍が早鐘のように荒れている。


 体の奥は熱く感じるのに、表面はとても冷たい。ノドが渇いて、熱いのか冷たいのか分からない汗を肌に感じた。吐き気がする。そうだ、恐怖と怯えが覚悟の器からはみ出そうとしている。


 目の前にいる『ハウンド・ゴーレム』は、やはり恐ろしい。そう感じるように作られた存在だからだ。


 犬の形をしたモノは恐い。大きく開いた口に、尖った大きな牙が並んでいる。その牙で噛まれたら、大きなケガを負うことには理解が及ぶ。理解が及ぶ身近さを、その石造りの兵器はデザインに内包しているのだ。


 ……ホーリーが恐怖を感じるのは仕方がないことだった。彼女は至極まともで一般的な考え方の持ち主である。自分の命を容易く奪える存在に対しては、怯えるべきなのだ。


 それでも。


 それでも、ホーリー・マルードのすくみかけて震える脚が、靴底で床を磨くような低さと遅さで、ゆっくりとだが『ハウンド・ゴーレム』に近づいていく。


 挑発しているのだ。


 『ハウンド・ゴーレム』をおびき寄せるために。


 引きつけて当てるとは、相手に攻め込まれながらの攻撃になる。つまり、カウンターだ。勇気と反射神経がいるが、どちらかといえば勇気の方が必要だった。一撃もらう勇敢さがある者ならば、『筒』の攻撃を外しはしないからだ。


『ぐるるるるう……ッ』


 有りもしない怒りを模造した音が鳴り止む。『ハウンド・ゴーレム』には命令実行のための呪いしか刻まれてはいない。ただの道具にしか過ぎない存在である。


 ……ホーリーは、このとき判断されていた。『脅し』でも行動を抑止することは出来ない相手だと。攻撃する必要がある存在なのだと。


 ホーリーは『筒』を『ハウンド・ゴーレム』に向ける。『ハウンド・ゴーレム』は、驚くこともなければ警戒することもなかった。重量級の武器以外には、彼は反応を示さない。


 ハッタリは利かないし、利かせる必要ももはやなかった。


 ……集中を練り上げるだけである。


 バクバクと慌ただしい心臓を抱えながらも、『ハウンド・ゴーレム』の跳びかかりに対して、『炎よ』という短い呪文を唱えるだけでいいのだ。それだけのことではあるが、それに対して、恐怖は払拭することが出来ない。


 ……だが、ホーリーは心のどこかで変な冷静さを持ってもいた。怯えるのはしょうがない。自分は英雄ではなく、F級の便利屋に過ぎないと割り切っている。それは彼女のような弱者にとっては、重要な考え方であった。


 少なくとも、気負いは消えてくれる。気負わなければ、ヒトは単調な行為の精度を上げられるものだ。


 ……『炎よ』。その言葉を、悲鳴の代わりに使えばいいだけっすね。


 臆病者の心は、そのロジックを組み上げていた。プレッシャーは、ずいぶんと小さくなっている。他のことは、考えないようにした……ただ、悲鳴の代わりに、『筒/私の魔術』を頼ればいい。


 ちょっとした錬金術で作られた、偽りの魔術を。


「……何だか、私らしいっすよ。さあ、来るっすッッ!!」


 引きつった笑顔と、なけなしの覚悟を使い、ホーリー・マルードは『ハウンド・ゴーレム』を脅していた。迫力が足りないかもしれないと考え、右の靴底で床を大きく叩きつけていた!


 挑発は―――成った。


『ガルルルルルルルルウウウッ!!』


 偽りの獣は獲物を縛るための音を放ち、その呪われた体を躍動させた!!……十分な攻撃力を感じさせる速度で、『ハウンド・ゴーレム』は走り、便利屋ホーリーに向かって飛んだ!!


 ……悲鳴の代わりに、叫ぶのだ。


 しわがれて、震えた、情けなくも小さく儚げな音にノドを震わせて!!勇者ではなく、英雄でもなく、ただの便利屋の少女としての生きざましか選べないホーリー・マルードは、腰を抜かしそうになりながらも、その青い瞳で敵を睨んでいる。


「『炎よ』ッッ!!」


 呪文は『筒』に伝わり、内部に封じ込められた錬金術の火薬たちが、ホーリーのさほど大きくない魔力と融け合い、爆炎を発射させていた。


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンッッ!!


 ……攻撃の意志と、集中力に研ぎ澄まされることで。ヒトは生まれ持った才能である魔力の量の質を変えることがある。ホーリーの魔力は下の下でしかない。それは死ぬまで変わらぬ彼女の才能であり限界でもあるが……。


 小さな魔力にも利点はあるのだ。コントロールしやすいという点である。強大な魔力の保持者では困難を極めるそれであるが、小さな魔力の所持者であるホーリーには、それだけは容易いものである。


 それもまた、彼女の才能であり、明確な武器であった。小さいが、意志によく研ぎ澄まされ制御を帯びた魔力は、ガルフの『筒』に理想的な威力と精度を与えている。


 ダンジョンのカビ臭い空気の中を、加速し走る爆炎はホーリーの願いのままに『ハウンド・ゴーレム』の首根っこに命中し、そのまま『ハウンド・ゴーレム』を吹き飛ばしていた!!


 ダンジョンの壁に強烈な勢いのまま叩きつけられた『ハウンド・ゴーレム』の体に、大きな亀裂が生じる。腰を抜かしながらも、ホーリーはそれをしっかりと目撃していた。


 炎に焼かれる『ハウンド・ゴーレム』は、壁から床へとすべるように落下して、硬い床に叩きつけられていた。『筒』に仕込まれていた油が、呪われた怪物にまとわりつきながらも燃えている……立ち上がろうとした。


 立ち上がろうとしたが、『ハウンド・ゴーレム』の体は動きが悪い。爆炎の衝撃と壁や床に叩きつけられたことによるダメージで、あちこち壊れているのだ。そして、石の皮の下にある粘土が炎の熱を浴びたせいで、固まりつつある……。


 それでも、呪いのために体をゆっくりと動かして、腰を抜かしたままのホーリーに近づいてくる。


「……あ、アミイさん……っ。まだ。あいつ、動くっすよ……っ!?」


 ホーリーは見た、アミイ・コーデルが走り、『ハウンド・ゴーレム』の胴体に蹴りを入れる瞬間を!


 アミイの蹴りは、しょせんは人間族の若い女の蹴りであり、大した威力ではなかったが。壊れかけ、ふらつきなが歩いていた『ハウンド・ゴーレム』を再び、床に転がすことぐらいは可能であった。


 床に転ばされた衝撃で、焼けて固まりすぎていた粘土が、バキリと砕けてしまう。


 呪いは一定の破壊を受けることにより、それが解呪の儀式にとなることがある。動きに完全な破綻をもたらすダメージを浴びたその瞬間に、『ハウンド・ゴーレム』の呪いは消え去り、ホーリーとアミイの勝利は確定したのである―――。




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